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※番外編 皇帝の憂鬱1
その日、皇帝の様子はいつにもなくおかしかった。朝からソワソワとし、心ここに有らずで落ち着かない。誰が話し掛けても上の空だし、かろうじて相槌は打つものの明らかに空返事なのだ。
「ふむ、おかしなヤツだ。いったい何があったってんだ?」
遼二は密かに側近の李に訳を尋ねた。
「実は――今日から冰さんが泊まりがけで学園行事のキャンプに出掛けられまして。焔老板はきっとご心配なのでしょう」
「キャンプだって? じゃあ今夜は帰って来ないというわけか」
「ええ、一泊二日だそうでして」
「は――! なるほど」
それで合点がいった。焔は冰が邸を空けることが心配で気が気でないのだろう。思えば冰をこの邸に引き取ってからというもの、離れて暮らすことなどなかったわけだ。
(あの野郎、何だかんだと言いながらやはり冰のことで頭がいっぱいってわけか)
遼二はあまりの微笑ましさに、目元も口元もゆるんでしまうのを抑えられずにいた。
「で、キャンプ地は何処なんだ? 遠いのか?」
「いえ、何でも白泥で夕陽を堪能しながらの課外授業だとか」
「白泥? なんだ、近場じゃねえか」
白泥は香港でも有名な観光地のひとつで、夕陽が絶景だと評判の場所である。しかも学園の行事というのなら、級友や引率の教師も一緒なのだろうし、心配には及ばないだろうにと思ってしまう。
「老板がお気掛かりなのは冰さんがお泊まりになられるロッジのことではないかと――」
「ロッジだ?」
「ええ。何でも人数の関係だとかで、冰さんは顧問の教師の方と同室だそうで」
「顧問の教師って……じゃあ級友と一緒じゃねえってのか?」
「どうもそのようです。私も老板と一緒に学園から配られた資料を拝見したのですが、冰さんは今回キャンプファイヤーを取り仕切る責任者に抜擢されたらしく、諸々準備の関係で顧問の先生と同部屋になられたようです」
「――顧問ねぇ。その先生ってのは若い女なのか?」
教師が年頃の女性ならば焔が心配になったとしても不思議はないか――。冰は高校の最上級生となった今でも体つきは華奢で、いつまで経っても可愛らしい感は抜けないが、健康な高校男児である。二人きりのロッジで夜を共にするとなれば、まかり間違って――などということも万に一つ絶対に無いとはいえないだろうからだ。
ところが李は笑いながら首を横に振ってみせた。
「いえいえ、顧問は男の先生だそうですよ。お年は焔老板や遼二殿とご一緒くらいだとか」
「なんだ、野郎か――。だったら何も心配することなんざねえん……じゃねえの……か?」
言いながら遼二はハタとあることに気がついた。教師が男だからといって、イコールそれが安全とは言い切れない――焔はそんなふうに感じているのかも知れないと思ったからだ。
焔自身も男性だ。そう、男性なのだが、そんな自分が冰に対して抱いている気持ちと同じような感覚をその男性教師が持っていないとも限らない。焔は先頃、冰に対して恋情があるのかどうか急ぐことはないなどと言ってはいたが、ほんの一日二日離れるだけで上の空になるその様子から察するに、既にすっかり冰の虜ではと思ってしまうわけだ。
(――はん! 自覚がねえってのも困ったもんだな。周りで見ているこっちからしたら手が焼けて仕方ねえ)
遼二は呆れつつも、そんな友の為に一肌脱いでやろうと思うのだった。
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