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【十二】初めてのキス

「味はどうだ?」  ワインを飲んでいると、ロイが優しい色を浮かべた瞳を俺に向けた。初めて口にしたワインは赤い色をしていて、とても甘い。 「美味しい。飲みやすいな、これ」 「ああ。俺もこの味は嫌いではない」 「ロイは普段からワインを飲むのか?」 「もう少し強い酒の方が好みだな」 「例えば?」 「ウォッカやラムが好きなんだ」 「へぇ。美味しいんだ?」 「俺にはな」  そんなやりとりをしながら、俺はロイの形のいい唇を見た。以前、額にキスをされた事をふと思い出した。あの時は、嫌だとは感じなかった。ロイに触れられるのは、何故なのか嫌ではない。 「どうかしたか?」  気づくと会話が途切れていた。俺がそれだけ、ロイの唇に釘付けだったせいだ。 「あ、いや……」 「俺の顔に何かついているか?」 「つ、ついてない! た、ただちょっとその……」 「その?」 「……初めては、ロイがいいなって思ったんだ」 「ん?」 「キスするなら、ロイがいいなって……なんでだろうな? 俺、キスをした事がないんだ」  気づくと俺は正直に話していた。アルコールのせいなのか、つい口走ってしまった。ロイは虚を突かれたような顔をしている。それを見ていたら、気恥ずかしくなって、俺は視線を逸らした。 「では、俺とキスをしてみるか?」 「えっ」 「俺がいいのだろう? 俺もジークにキスがしたい」 「っ……うん」  俺は真っ赤になって、頷いた。緊張しながら、俺はグラスを置いて瞼を閉じる。  なんだか体が震えてしまった。 「!」  その時、右手を取られた。直後、手の甲に柔らかな感触を覚えて、俺は目を開いた。ロイが、俺の手に口づけをしている。てっきり唇へとキスされるのだと誤解していたため、俺は泣きそうなほど恥ずかしかった。 「可愛いな」  するとロイが片腕で俺を抱き寄せて、俺の顔を覗き込んだ。突然の事に俺が目を見開いた時、唇にチュッとキスをされた。そのままロイは、俺をソファの上に押し倒して、のしかかってきた。至近距離に、ロイの端正な顔がある。 「初めて、か。キスはしたかったが、残念でもあるぞ。俺はジークが欲しいからな」 「? 欲しい?」  どういう意味だろうか。俺をあげるというのは、どういう状態なのだろう? 俺の中にはない語彙だ。 「もっとキスをしてもいいか?」 「う、うん。ロイなら、いい」  おずおずと俺が頷くと、ロイが楽しそうに笑った。そして俺の唇に、再び触れるだけのキスをした。 「ん」  今度こそ俺は目を閉じて、キスを受け入れる。二度三度と触れるだけのキスが続いた後、ロイが舌で俺の下唇をなぞった。ドキリとしてしまう。何度かそれを繰り返されて、俺が思わず口を開くと、ロイが俺により深いキスをした。ロイの舌が俺の口腔へと入ってくる。そして俺の舌を絡めとった。 「んんン」  息継ぎが分からないでいた俺に、ロイが角度を変えて呼吸するよう促してくれた。巧みなキスに、俺は次第に緊張が解れ、代わりにフワフワとした心地になった。目を開けると、ロイがまじまじと俺を見ていたから、視線がぶつかった。ロイの紫色の瞳には、俺が映りこんでいるようだった。形のいい瞳を見ていると、惹きつけられて困ってしまう。別に俺は、ロイの顔が整っているから、そう思うわけではない。ロイの目を見ていると、そこに優しさが滲んでいるのが分かるから、安心したり、嬉しくなったり、好きだなと思ったりするだけだ。  ――好き?  俺は自分の思考に、首を傾げた。俺は恋愛をした事がないから、この好きの種類が恋なのかは、まだ分からない。けれど恋人同士ですべきキスを、ロイとしてしまった。ロイは恋人ではないのに、俺はロイとキスがしたかった。直観的に、ロイがいいと思った。これが、アルコールの力なのだろうか? 「考え事か?」 「あ……その、ロイの事を考えていて」 「本物が目の前にいるだろう? 俺を見ていればいい」 「ロイ、もっと」 「ああ、いくらでも」  この夜、俺達はソファの上で何度も何度もキスをした。  その後俺は眠くなり、そのままソファの上で微睡んだ。  ――翌朝目を覚ますと、俺は毛布を掛けられていた。俺はハッとして起き上がる。昨夜、自分からキスを求めてしまったことを思い出し、一気に羞恥を覚えた。俺は、アルコールが入ると気が大きくなってしまうらしい。なんということだろう。ロイは呆れただろうか?  そう考えながらロイの姿を探すと、テーブルの脇にロイが立っていた。 「おはよう、ジーク。丁度起こそうと思っていたんだ。朝食の用意が整った」  いつも通りのロイは、穏やかな声で、テーブルの上を見た。そこには輝くような朝食が並んでいる。いずれの皿も豪華だ。やはり高級な部屋には、ルームサービスなどがあるのだろうか? 「食べよう」 「あ、ああ」  俺は起き上がり、魔術で身支度を整えてから、ロイの正面の席に座った。  一階の食堂とは、まるで比べ物にならない豪華な朝食に、俺は舌鼓を打つ。とても美味だ。食べながら、俺はチラリとロイを見た。ロイは、いつもと変わらない。昨日のキスなんて無かったかのような顔をしている。 「少し、外の風を浴びたいな」  食後、ロイがそう述べた。俺は頷く。 「デッキに行ってみるか?」 「ああ。ジークと一緒に海が見たい」  こうして俺達は、部屋の外へと出た。本日も従業員の姿は見えない。  俺達以外の人々の姿が見え始めたのは、三階まで降りた時で、その後俺達はデッキを目指した。到着すると、カモメが空を飛んでいて、穏やかな青い海の水面が見えた。時折白い波が立っている。その時、ロイが俺の手を握った。恋人繋ぎだ。驚いてロイを見ると、ロイはまっすぐに正面の海を見ていた。 「ところで、ジーク」 「なんだ?」  何故なのか俺の胸はドキドキしていた。鼓動が煩い。繋いだ手から伝わってくるロイの体温だけを意識してしまう。 「ジークの旅の目的は、なんだ? 何処へ行くために、この船に?」 「あ、えっとだな」  穏やかな声音で質問され、俺は大きく吐息してから答える事にした。 「フォードと次の都市で合流するんだ。そうしたら、ローズベリーという村に行くんだ。理由は、魔族がその村を襲撃したというのが、本当か確かめるためだ」 「確かめる? つまり、ジークは、その話が偽りである可能性を考えているという事か?」 「ああ。フォードのお祖父さんが、魔族に保護されたっていう手紙を送ってきたらしくて、それを確認したいんだ。それがフォードの希望で、俺もついていく事にしたんだ」  微笑しながら俺が告げると、海を見たままでロイが透き通るような瞳をした。 「そうか。自分の目で見るというのは、大切だと俺も思う。ジークが適切に判断できる事を、祈っている」 「ありがとう」 「俺はそろそろ仕事があるから、もう行く。また会おう」 「あ、ああ。船の仕事か?」 「どうだろうな」  楽しそうに笑ったロイは、俺の手を最後にギュッと握ってから、離して歩き始めた。俺はしばしの間、その場でロイの背中を見送っていた。どうやらここでお別れのようだ。それが少し寂しい。だが、仕事だというのだから、引き留めるわけにもいかない。  俺はその後、自分の船室へと戻る事にした。

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