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【十三】帰還 *魔王
魔王城の移動魔法陣が輝き、空間が歪む。
次の瞬間、そこにロイが姿を現した。ロイは首元の服を直すと、冷静な表情で周囲を見渡す。するとそこへ、宰相のオズワルドが現れた。
「魔王様、どちらへ?」
「ちょっとな」
「外泊なさる際は、念のためお伝えくださいと、あれほど申し上げているのに」
呆れた様子の宰相は、それから腕を組んだ。
「私費から五千万ガルドと、城の厨房から朝食を一つ喚び出したのは、なんだったのですか?」
その言葉に、魔王はクールな表情のまま目を伏せ、瞼を開けると同時に、吐息に笑みをのせた。珍しく楽しそうな魔王の姿に、宰相は首を傾げる。
「宰相、状況はどうだ?」
それからすぐに、魔王は冷静な顔に戻った。宰相も気を引き締めて、報告する。
「魔族及び半魔と協力的な人間の保護は順調です。念のため村には、魔王軍の実力者を配置し、管理も徹底しています。ただ……」
「ただ?」
「王国新聞には、またとんでもないデマが並んでいます。保護して無人になった村に関しては、魔族が滅ぼしたと述べていますし、保護した人間に関しては拉致して人質にしていると書いてありますし、魔族や半魔の保護に関しては、魔王軍が戦に備えて徴兵したのだという記事が並んでいます」
そういうと、宰相が深々と溜息をついた。
魔王は小さく頷く。人間の換言力に、苦い笑いが浮かびそうになった。
ただ別段、多くの人間達に誤解される事は、苦痛ではないし、構わないと考えている。
――けれど、ジークにだけは、誤解されたくない。
そう考えてすぐに、ジークならば、正確に判断してくれるのではないかと思った。ついそんな期待を抱いてしまう。ジークの茶色い瞳を、ロイは思い出した。昨日、真っ赤になってキスを求めたジークは愛らしかった。「初めてはロイがいい」なんていうものだから、抱いてしまいたくなったが、自制した。酔っている人間を襲うほど、ロイは愚かではない。それでも、抱いてみたかったというのが、本心だ。ジークを見ていると、胸が疼く。
特に真っ赤になって、瞳を潤ませている顔が、かわいくてたまらない。
だが本人も経験がないと言っていたのだから、あのように真っ赤になって、こちらを意識している様子だったのも、単に経験がないからだろうとロイは判断している。
いつか――そう、いつか、ジークに自分を好きにならせたい。
ジークに己だけを見て、自分に恋をしてほしい。
漠然と、そんな風に考える。
どうやら自分は、ジークに惹かれているらしいと、ロイは気が付いた。
「魔王様? 聞いておられますか?」
「悪い、聞いていなかった。少し考え事をしていた」
「……魔王様が考え事をなさるというのも珍しい事ですね」
「時には、俺だって物思いにふけるさ。それで?」
「ええ、ですから勇者達の動向です。現在、勇者達はレベルが漸く300に達したところのようです。四天王最弱のスカイデルでも、レベルは658ですので、不安要素はありません。皆無です」
その報告を聞きながら、ロイは右手を持ち上げて、指で唇に触れる。その人差し指には、豪奢な指輪が嵌まっている。アメジストのその指輪は、代々魔王が継承する品だ。魔王の証でもある。
「引き続き、勇者一行に関しては、見張っておくように。頼んだぞ」
「御意」
オズワルドが深々と頭を下げた。それから歩き始めた。
下がっていく宰相をその場で見送ってから、ロイは自室へと向かう。
そして室内に入ると、シャンデリアに灯を入れてから、ソファに座して、指を鳴らした。紅茶の入ったポットが宙に浮かび、出現したテーブルの上のカップに、紅茶を注いでいく。これはスキルの【紅茶淹れ】だ。一般的にはハズレスキルなのだろうが、ロイは愛用している。カップを手に取り、ロイは温かな紅茶を口に含んだ。
そうしながら、ジークの事を再び思い出す。
「気を抜くと、ジークの事を思い出してしまうな。ジークの事ばかり考えてしまう」
ポツリと呟いてから、ロイは目を伏せた。
そうすると、脳裏にジークの顔が浮かんでくる。ジークの感情豊かな顔を見ていると、それだけで楽しくなるから、非常に不思議だ。あの茶色い髪はつい撫でたくなるし、茶色い瞳には、自分を見てほしいと願ってしまう。
瞼を開けたロイは、それから冷静な表情に代わり、立ち上がった。
そして執務机の上に置かれていた不在時に届けられた書類を手にし、再び紅茶の前へと戻る。そこには、人間の国家の中で交渉にもっとも応じてくれそうなベルンバルド帝国の資料があった。
「交渉の条件は、魔鉱石の輸出か。格安での提供……」
資料の文字を目で追いつつ、ロイは思案する。付属している資料には、現皇帝とその妃について書かれている。妃は、初の平民出身らしい。その妃が後宮に入って以後、帝国は以前よりも柔軟な国風になったという調査結果だった。後継者には第一皇子がいるそうで、現在はまだ秘匿されており、単身修行を行っているらしい。名前は分からないそうだ。
二枚目を見れば、他の国の情勢が書かれている。
「ジークのように善良な人間ばかりであったなら、このような事態にはならなかったのだろうな。そもそも、神託もよくない。魔族を敵視する神託など、人間を惑わすだけだ。一刻も早く、神託と考えられている魔族排除のための古代の遺物を停止させなければ。そのためには、宝玉がいるのだが……」
魔王城にも、宝玉が一つある。逆に言うと、魔王の管理下にある宝玉は一つきりで、神託をもたらす古代の遺物を停止させるには、残り四つの秘宝が必要だと、魔王城の古文書には記載されている。だが、場所が分かっているのが他に二か所ある。いずれはその二つは手に入れるつもりだった。けれど、それを手に入れても、残りの二つの在り処が分からない。ロイは難しい顔をする。
「やる事が山積みだな」
そう呟いてから、再びジークの顔を思い出す。ジークを見ていると、疲れが溶けていくようで、それだけで癒される。本当は、毎日でも、顔が見たい。
「俺はどうかしているな」
ロイはそう呟いて、小さく笑った。綻んだ口元は、とても楽しそうだった。
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