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「まずは『来い』」
ソファで長い脚を組んでいる成吾からの『命令』に従い、ユートは隣に腰掛ける。すると成吾がユートの頭をたくさん撫でてくれる。
「いい子だ。俺が呼んだらユートは今みたいにすぐ来るんだよ」
「はい!」
「返事もいいね。お利口さん」
撫でられる手の下で頬が緩む。ユートはいちおう成人済みの21歳だが、成吾はずっと歳上なので、子ども扱いされてもあまり抵抗は感じない。
「じゃあ……」
成吾の手が離れた。次の命令が来る。
「水を飲もうか。『取ってこい』」
「はい!」
指さされた方向、カウンターの上にあるミネラルウォーターのペットボトルとガラスコップ2つを手に取る。フタを開けてコップに注いだものを成吾に渡すと、成吾はあっという間に飲み干した。
「ユートも喉が渇いてるだろ。飲めよ」
そっと口をつける。かすかにレモンの風味がついていた。成吾がじっとこちらを見ているのに気づいて、急いで飲んだ。
「ほら、おかわりしろ」
グラスを空にすると、なぜか2杯目の水を注がれた。それも目一杯。多すぎる。
「早く飲めよ。このあとも命令を続けたいんだから」
「はい……」
成吾の有無を言わせない態度に圧されて、ユートは無理やりそれを喉に流し込んだ。
グラスを片付けて振り向くと、待ちかねたように成吾が命令を出した。
「『お手』」
成吾が手のひらを自分の正面に出している。ユートは少し悩んでから成吾の前に移動し、おそるおそる右手を乗せた。
「違う!!」
思いがけない鋭い声にユートは体を震わせた。
「あ、……あの……?」
「前に立つな。かがめよ」
急いで指示通りに膝をついた。成吾の足と足の間にはいりこんで、ビクビクしながら改めて『お手』をする。成吾とユートは、公園で見かけるご主人さまと犬そのままの格好になった。
「よし。いい子だ。上手にできたね」
成吾は満足げにこちらを見下ろしている。
(ぼ、僕って、本当に成吾さんのペットなんだ……)
思いしって、背筋がゾッとした。
この程度の命令に従うのはまだしも、本当に可愛がって貰えるだろうか。これまでユートをいじめてきた人達も、みんな最初は優しかった。恋人になったことだって何度もある。でもすぐにみんな意地悪になって暴力をふるった。悲しくて、これも愛情だとかたまたま機嫌が悪いだけとか、信じたいように信じるうちにどんどんエスカレートして、結局逃げ出すしかなくなった。
もしも。いつか。成吾がそうなったら逃げられるだろうか?
長身でがっしりとした骨格の成吾は見るからに強そうだ。ユートの力では到底かなわないし必死に悲鳴をあげても、空に浮かんでいるようなこの部屋では誰にも届かないだろう。
生唾で喉が鳴った。
(どうして僕ってこんなに馬鹿なんだろう! さんざん騙されて、人を疑うことだけはしっかり覚えたつもりだったのに、また軽はずみなことをして……)
恐怖で胸が潰れそうだ。しかしその隅でふと疑問もわく。ユートは臆病で人見知りで、普段なら見ず知らずの人に声をかけるなんてまずできない。それなのになぜ、成吾を呼び止めるのに少しも躊躇しなかったのか。
(……あれ。そもそもなんで僕はあの電車に乗っていたんだっけ? 成吾さんに出会ったのは偶然で、他になんのあてもないのに。一体僕はどこに行くつもりで……?)
何度記憶をたどっても全く思い出せなかった。あのときは、お金も帰る家もなくて途方に暮れていたから、それで正気を失っていたのかもしれない。
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