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 4● 「──おい。うつむくな。顔を上げて『笑え』」  成吾が両手をパンと打った音で、我にかえった。  とにかく今は命令に従順でなくてはならない。ユートは胸を押さえながら顔を上げた。 「は、はい……」  返事して一生懸命笑ってみせるが、自分でも分かるほどぎこちなくなった。力を入れ直してみるがやはりうまく行かない。目は見開きすぎだし、口元がひどく歪んでいる。直そうとすると、余計に変になっていく。焦りが深くなり、中途半端にあいた口から、勝手に声が漏れ出た。 「へへ……っへへへ……アハ……っ」  成吾が怪訝な顔になる。ユートだって、黙っていたほうが良いと分かっている。でも一度こうなると、もう止められない。口どころか両足と両腕まで勝手にバタバタ痙攣し始めてじっとしていられない。 「うっ、うう……うっふ……、す、すみませ……」  涙を流して謝った。  ユートはいじめられているとき、その相手から「笑え」と言われることが良くあった。反抗すれば余計ひどい目にあうから、本当は嫌なのに無理して笑顔を作った。そのうち、なぜかだんだん上手く笑えなくなって、もっと殴られて、その恐怖でさらに笑うのが下手になった。 「…………いゃっ!」  成吾がさっと手をふりあげたのが目に入り、ユートは反射的に頭を守った。 「……よしよし、落ち着いて。怖がらなくていいよ」  叩かれると思ったのは誤解だった。ゆっくりと抱き寄せられる。頬と頬が触れ合う感触にユートが首をすくめたとき、そっと囁かれた。 「安心して。俺は絶対ユートをいじめたりしないよ。ユートのことが可愛くって仕方がないんだから」  可愛い?   ──そんなわけない。今まで一度も言われたことがないわけじゃないけれど、大きな瞳が悪目立ちする以外、ユートは自分がごく平凡な顔立ちだと自覚している。そのうえ貧しさでガリガリに痩せた身体、不健康に見える白い肌、荒れて皮がむけた手、バカみたいに明るい色の髪。ユートが見る鏡の中の自分は気色悪いばかりで、可愛い要素はどこにもない。  なのに一体どういうわけか。  成吾に「可愛い」と言われた瞬間、頭の中が沸騰した。恐怖と喜びという真逆の2つが、まるで手品のように彼の眼の瞬きとともにすり替わった。  そしてもっともっと褒めてほしくてたまらなくなって、 「……本当ですか? 僕なんて全然だけど……。でもあの……成吾さんにとっては、僕は可愛いんですか?」  そう聞き返してしまった。 「可愛いよ」  期待通りの答えを成吾がくれても、まだ足らない。 「でも僕なんかより、ずっと可愛い人が他にたくさんいます、けど……?」 「ユートは誰よりも可愛い。だから俺はあんな人混みの中で、ユートを見つけられたんだよ」  真っ直ぐな眼差しを向けられ頬が緩む。けれど、成吾の話は少し間違ってる。 「声をかけたのは僕からですけど……」  ユートがおずおずと訂正すると、「そうだっけ」成吾は顎に手をやった。 「あのときはたしか俺がユートを追いかけたと思うんだけどな。そうでもないと俺は電車なんて滅多に乗らないし」 「えっ!? それは違いますよ。僕が先でしたよ」  成吾が心外そうに眉をあげる。 「それはユートが間違ってるよ。……ああ言い合うのも面倒くさいな。なんでもいいじゃない」 「はい……」  絶対に違うと思ったけれど、これ以上反論を重ねれば、怒らせてしまう気がして口をつぐんだ。 「そんなことより」  成吾がソファから立ち上がり、ユートの周りをぐるりと回る。 「今も十分可愛いけど、髪と身なりを整えたらきっともっと良くなるよ。今日から一週間ユートがちゃんといい子にしていたら、ご褒美に色々揃えてあげる。どうかな?」 「はいっ!! いい子にします!!」  可愛いと褒められたい。そのことでまた頭が一杯になったユートに、成吾が微笑みかける。 「楽しみにしてて。俺が時間を掛けてユートに似合うものを見立ててあげるし、ユートが欲しいおもちゃはなんでも買ってあげる」 「ありがとうございます!」  ユートは成吾に飛びついた。今までどれだけ貧しくても他人に物をねだるなんてとんでもない、食事を奢られるのさえ気が引けていたのに、成吾に対してはなんの躊躇も感じなかった。  成吾の命令はその後も続いた。 「『立て』」、「『回れ』」、「『来い』」、「『伏せ』」、「『腹を見せろ』」など。  ユートは全てに素直に従った。服従させられることに悔しさも恥ずかしさも感じず、むしろずっと『いい子』でいられる自分が誇らしかった。 「じゃあいったん最後。『裸になれ』」  これにはさすがに慌てたものの、成吾のちょっとした冗談で、風呂に入りなさいという意味だった。早とちりして赤くなった頬を、成吾に意地悪くつつかれた。  一人で入ったバスルームでは、驚きの連続だった。天井からすごく静かにシャワーが降ってきたり、なぜかテレビが2台もついていたり。  実はカメラもあった。びくびくしながら入浴する姿がリビングにいる成吾に見られていたことを、ユートは知るよしもない。

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