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第14話

 時が過ぎた。 「よくやった、木龍、褒めてつかわす」  翼弦はベッドから降りて衣服を身に着け始めた木龍をねぎらうと、ベッドの上に横たわる、息も絶え絶えの九曜の側に歩み寄った。 「下男から汚された気分はどうだ? 九曜よ」  九曜の汗ばんだ皮膚に木龍の口づけの跡が無数に散らばっているのを見ると、翼弦は満足げにほくそ笑み、溜飲を下げたかのように満たされた溜息をついた。 「木龍、これ以上眺めると傷が疼くので私は部屋に戻る。せいせいしたので今夜はよく眠れそうだ」  木龍に言い残してから、翼弦は扇子で口元を隠し、部屋を去った。  月明かりのみの部屋には九曜と木龍二人だけとなった。  翼弦の足音が完全に聞こえなくなってから、木龍は九曜のもとに近寄って小声で呼びかけた。 「『九曜様』」  木龍のそれは、皮肉を含んでいはいるものの、最愛の者に呼びかけるような、とても甘い声だった。  眠っていた九曜は、声に反応して眉をふるわせ、やがて薄く目を開けた。  九曜の琥珀色の瞳が、木龍の姿を映す。  すると九曜の艶やかな唇がゆるくはにかんで、九曜の表情は徐々に和んでいった。 「……悪ふざけはよせ」  九曜は木龍に手を伸ばした。  木龍はベッドのかたわらにしゃがみ込むと、すぐさま九曜の手を取り、指に口づけて親愛の情を示した。  木龍の唇の感触が、九曜の心に安堵をもたらす。  遠いところにきてしまい、夫が心配していないだろうかと案じていた。 「よく気がついたな。翼弦も見破れぬというのに」  木龍は笑う。 「姿を変えたところで、お前はお前だ、幻以。私を見る瞳が、全てを物語っていた」  九曜は体を起こして木龍の胸に飛び込んだ。  この場所は、自分だけの場所だ。  先刻、木龍の瞳に、一瞬、溢れる感情を見出して、九曜は全てを理解したのだった。  木龍は胸に飛び込んできた九曜を抱き留めた。 「九曜、すまない、お前に恥をかかせてしまった」 「仕方がない。翼弦様は修練を重ねた仙人で、神のような存在だ。我々は彼の要請を拒むことができない。それでも、守ってくれたのだな。こんな雲の上にある居城まで、お前は追い駆けてきてくれたのだな」  九曜は幻以の首に手を回し、幻以の唇に口づけた。 「一度手にした至高の宝をそう簡単に手放せるものか。月帝がおわす月の都の後宮であろうと、俺はお前を追いかけて取り戻す」 「私もだ、幻以。離れ離れになっても、死んでも、次の世も、その次の世も……輪廻が続く限り、私もお前を探し求める」  木龍こと幻以は九曜を強く抱き締めた。そして二人は逃げる算段を考えあぐねた。

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