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第8話

 その日の夕刻、部活を終えて帰る頃になっても、冬樹の奴の足取りは重かった。きっと今夜も真夏の家に呼ばれて一緒に夕飯を摂るのだろう。さすがに近隣の皆は集まらないだろうが、家が隣で昔から親戚同然の付き合いをしてきた冬樹の家は別格だ。毎年、真夏が帰って来る盆と正月には、当たり前のように一緒に過ごすことが恒例となっているらしい。  できるならば、今はあまり顔を合わせたくないのかも知れない。いや、本心を言ってしまうと、真夏には会いたい。だが、付属の『秋夜と共にいる真夏』を見たくはないという気持ちも強いのだ。  『付属』だなどと思ってしまう自体、そんな自分も嫌で仕方ない。覇気の出ない身体を引き摺る思いで、トボトボといつもより時間を掛けて歩くこいつに、俺は何をしてやれるのだろう ――そう思うと酷く切なかった。  ここから先は割合急な坂道だ。この坂を登り切ったところに真夏と冬樹、それぞれの家が見えてくる。夕陽の照らす坂を見上げながら、ますます重い心持ちになった。  そんな折だ。ふと、数百メートル先のコンビニエンスストアの周辺にたむろしている集団を見つけて、冬樹は思わず瞳をしかめた。見たところ、冬樹と同じ高校生の集団だが、一見にして分かるくらいに身なりが派手な連中だ。どうやら彼らは、ここいら界隈では札付きと言われている不良の集まりのようだった。  何もしなくても通りすがりに因縁を付けてくるような奴らだ。遠回りするのは面倒だが、それ以上に厄介が目に見えている面倒事は極力避けたいと考えたのか、冬樹は仕方なく遠回りを選んで、より一層長い方の坂を登って帰ることにしたようだった。  気の重い時に限って嫌なことは重なるものだ――そんなこいつの心の声が聞こえてきそうだった。  そうして、ようやくと家に着こうという時に、門を出てこちらに向かって来る人影に気付き、俺たちは歩をとめた。 「秋夜さん……」  出てきたのは秋夜が一人だった。 「……夏兄は一緒じゃないんですか?」  よせばいいのにそんな訊き方をしてしまって、僅かに後悔の念が過ぎる。だが、当の秋夜は穏やかに瞳を細めると、 「うん、あいつは家で魚裁くのを手伝ってる。結構釣れたんだぜ!」  まるで、夕飯を楽しみにしててなというように、ニッコリと微笑んでみせた。その笑顔があまりにも綺麗過ぎて、ドキリとさせられる。俺でさえそう思うのだから、冬樹にしてみれば尚更だったろうか。そんな思いでヤツを見やれば、心臓がチクリと痛むような表情でうつむき加減だ。  やはり苦手だ――  心の声を代弁するかのように、下を向いたままで唇を噛み締める肩先が僅かに震えていた。  こんな男性(ひと)が真夏の傍にいれば、他の誰をも目に入らなくて当然だろうと思う。学生時代から女性にはモテまくっていた真夏が、どうして男を恋人に選んだのかが理解できてしまうほどに秋夜は魅力的だった。 「あの……秋夜さんは……何処かに行かれるんですか?」  手持ち無沙汰になるのが嫌だったのだろう、咄嗟にそう訊いて会話を繋げようとしている。  おい、無理をするな――そう声を掛けたかったが、俺には静観するしか方法はない。だが、冬樹の胸中を露知らずの秋夜は、普通に相槌を返してくる。 「ん、ちょっとな、タバコを買いに――さ。この坂降りたところにコンビニあったよな?」  にっこりと微笑みながら彼が指差したのは、近道の方の坂だった。  もちろん、今しがた冬樹が通って来た道よりも、こちらから降りた方が遙かに早い。 「ええ、コンビニなら坂の下にありますけど。でも秋夜さん、それ……」  向かい合っている彼の胸ポケットに、まだ封を切ったばかりというくらいに本数の残っていそうな煙草が目に付いて、そう訊いてしまった。 「ああ、これは俺の。マナの奴、これじゃダメなんだよなぁ。俺のはメンソールだからさ」  おどけたように微笑んでそう答える。 「じゃあ……夏兄の分を買いに行くんですか?」 「ん、そう」 「そんなの……自分で行けばいいのに、夏兄ったら……」  無意識に独りごちた冬樹を、秋夜は優しげに見つめて言った。 「いいんだ。たまに帰って来た時くらい、少しでもご両親と水入らずして欲しいしな。ほら、俺、今回一緒に付いて来ちゃって、いろいろご厄介になってるし」  そう微笑む彼の笑顔が心に痛かった。自分では気付きもしなかった思いやりに満ちた言動を目の当たりにして、酷く自己嫌悪に陥ってしまう。 「じゃ、ちょっと行ってくるな! すぐ帰るから。冬樹君、先に行っててくれ」  そう言って手を振る秋夜の後ろ姿を見送りながら、冬樹はハタと瞳を見開いた。先程見掛けた不良連中のことが咄嗟に脳裏を過ぎったからだ。近道の方のこの坂を下れば、彼らに出くわさないとも限らない。  瞬時に湧き上がった動揺が、冬樹を焦燥感に駆り立てるのが分かった。

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