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【零】二人①

 一見すれば羊皮紙にしか思えないタッチパネルに、右手の指先で触れる。一昔前までは、怪しげな事をする錬金術師という扱いだった科学者が、白衣を纏って街を闊歩するようになって早三百年。発達した科学技術は、魔法と区別がつかないとは、よく言ったものである。科学は、世界中に広がっている。 「どちらへ行かれるのですか?」  立ち上がった鳴神に、控えていたAIを搭載している人型のドローンが声をかけた。白衣を揺らしながら、鳴神は視線を向ける。常に冷静沈着で気怠げな顔をしている彼は、科学者だ。この秘書ドローンも、鳴神が作った代物である。鳴神はロボット工学の若き研究者だ。 「ちょっと気分転換に。すぐに戻る」 「それは行き先の回答ではありません」 「融通が効かないな……学習システムを見直すべきかもしれないな」  ドローンの音声が途切れた。プツンと鳴神が電源を落としたからである。  研究室の扉を開けて、廊下へと出る。灰色の絨毯が敷かれた、白いフロアを進んでいく。するとすぐに、紺色の軍服を纏った青年を目にした。そちらも鳴神に気が付くと足を止める。そして壁際に背を向けると、横にそれて、恭しく腰を折った。  その前を、気にするでもなく、白衣を揺らして、鳴神は通り過ぎる。  軍人が科学者に傅くような世界が訪れたのは、いつの頃なのか。少なくとも、日本国の自衛隊が軍隊に変化してからだろう。軍隊になったからといって、戦うわけではない。呼称が変化しただけだ。  玄関へと向かい、階段を降りた鳴神は、そのまま外へと出た。すれ違った、花瑛大尉の事はすぐに忘れた。鳴神が出てきた研究所の正面には、公園が広がっている。 「今年も暖冬だなぁ」  呟いた鳴神は、一月半ばだというのに、咲き誇っている梅の花を見上げた。唇を親指で撫でながら、コートを着なくても寒さを感じない冬を、不思議に思う。鳴神が幼い頃は、雪が降ったものだが、近年では滅多にそれも見ない。  暫しの間花を眺めていた鳴神は、それから目を伏せ嘆息した。そして眼鏡型の通信システムを手に取る。一見すれば、細いフレームの眼鏡にしか見えないが、起動すればVR画面が広がる品だ。視力に問題は無い。研究に用いるから、常に身につけているだけだ。  ロボットへの指示等も出来る。先程ドローンの電源を切る時にも、視線操作を用いた。近年では、ロボットの人権について叫ばれる事も多いが、鳴神から見れば、機械は機械だ。  例えば、最も人型に近いロボットとしては、生体人型のクローンロボットが挙げられる。クローン生成が許可されている人間の情報から、生身の体を作りだし、脳機能にのみ手を加える。行動や思考を制御するAIを外部から埋め込むのだ。人体部分にも、手を加える事が多い。そうした生体人型ロボットは、軍の歩兵となる事が多い。よってロボットの研究をしている鳴神の職場には、軍人の出入りが絶えない。 「軍用の人型でなければ、それこそセクサロイドくらいだからね」  ポツリと鳴神は呟いた。風で白衣が揺れている。金色に近い狐色の髪も同時に揺れた。  セクサロイドは、今では『違法』とされている。それこそロボットの人権問題だ。  セクサロイドとは、人間の性処理を主要な仕事とするロボットである。  女性の数が減少の一途を辿る現代において、女性は厳重に保護されている。しかし人間の性的な欲望が止まる訳でも無い。よって代替処置として生み出されたのが、セクサロイドだ。初めは女性型を、必要に迫られて人間は生み出した。だが、女性数が少なく、男性同士の同性愛が珍しく無くなった現在では、性的な用途以外には用いられない男性型のセクサロイドも普及した。娼館には、男性型のセクサロイドの方が多いという統計結果も存在するほどだ。しかし『違法』と定められた現在では、きちんとセクサロイドは個人の所有が義務付けられ、政府公認の娼館か個々人の購入物以外は、解放措置がとられた。  解放措置とは、人間と同様の扱いを受ける事を認めるというものだ。就業の権利もある。 「紛れてしまえば、人間と区別がつかないからな」  そうは思うが、鳴神の中で、ロボットはあくまでも機械だった。

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