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33:親愛なるケイン(7)

「ラティ、ラティ、ラティ……どこだ!」  探しても探しても見つからないラティに、俺は焦り始めていた。ラティが居ない。見つからない。この城のどこかに居る筈だ。いや、まさか。殺されたなんていう情報は聞いていない。でも、もしかして。まさか!  ドクドクと激しく心臓が嫌な音を立てる。ラティが居なければ、俺の狼は行き場を失う。それどころか、餌を与える飼い主を失った狼はそのまま餓死するだろう。 「ラティ、ラティ、ラティ……ラティ!」  バタン!と一つ大きな扉を開けた時だ。 「……ん?」  その部屋で、微かに人の気配を感じた。立派な部屋だ。その奥に感じる呼吸音。少し震えているかもしれない。バーグの王族か……もしくはラティか。後者である事に一縷の望みを込めて、俺は人の気配のする方へ歩みを進めた。しかし、数歩先に進んだ所で、俺はハタと足を止めた。  コツン。  俺の足に何かが当たったのだ。一体、何だ。そう、足元に目をやった瞬間、俺は大きく目を見開いた。 「コレは……」  そこには見慣れた装丁の本があった。使い込まれた深紅の革製カバーにつつまれた一冊の本には、スピルの国章が深く彫り込まれている。 「ウィップ?」  俺は恐る恐るその本を拾い上げると、パラパラとページを捲った。そこには俺のよく知る、丸みのある文字がツラツラと空白のページに踊っていた。これは確かに、ラティの字だ。しかし、それは「ウィップ」では無かった。 「あ……」 ----------  親愛なる、ケイン。  懺悔。  いつもこんな話ばかり聞かせてごめんよ。でも、これは、僕がとても酷い王子であった事を忘れずにいる為のモノだから、許してね。 ---------- 「俺?」  そこには、俺の名前が書き記されていた。「親愛なる、ケイン」そう、どのページの頭にも必ずそれが書き記されている。 「ぁ、はぁ……はぁ……なんだ、コレは」  呼吸が浅くなる。苦しい。これは幼い頃、父を前にすると起こっていた症状だ。どうして、今そんな症状が出てくる。ここに父は居ない。むしろ、父を前にしても今やこの症状は現れない。じゃあ、俺は何に恐れているのか。 -------- 何故かというとね、ついさっき、また鞭で打たれたからだよ。 -------- 「はぁ……っはぁ。鞭、だと?」  いや、違う。これは恐怖ではない。 「らてぃ……らてぃ。どこだ?」  これは“怒り”だ。 --------  ねぇ、ケイン。  背中が、ヒリヒリするよ。叩かれた所が、とても熱く、服が擦れるだけで全身に稲妻のような衝撃が走るんだ。  とても、いたい。 -------  どのページを捲っても。ラティは常に“ケイン”に痛みを訴えていた。ページのところどころにくすんだ茶色い痕が見える。これは、明らかに血の痕だ。  呼吸が更に荒くなる。目の前が真っ赤になる。  腹の中の狼が咆哮した気がした。 --------  あぁ、僕の愛するこの世で唯一の友、ケイン。  とても、あいたい。 ------- 「……俺もだよ、ラティ」  パタンと「ケイン」を閉じた瞬間、背後からカタリと音がした。 「……っひ!」  振り返ると、そこには明らかに他とは異なる高価な服装に身を包んだ若い男が、腰を抜かして俺を見ていた。バチリと視線が重なり合う。  立派な部屋。豪華な調度品。宝石に着飾られた服飾。そして、ラティの日記。 ------- もしかすると、さっきの鞭打ちじゃ腹の虫が納まらなかったスティーブ殿下が、また僕に鞭を振るいに来たのかも。 ------- 「……スティーブ殿下?」 「は?お前は……」  思わず口から漏れた名前に、相手の瞳が大きく見開かれる。あぁ、間違いない。コイツが“スティーブ殿下”だ。俺のラティに、毎日鞭を打っていた相手。 「っはは」  俺は思わず笑っていた。どうやら、人は怒りが募り過ぎると、笑えてくるモノらしい。その瞬間、俺の中の狼が牙を剥いた。あぁ、分かっている。コイツだけは、絶対に許さない。いや……もう、この城に居るヤツを、俺は全員許せそうにない。 「スティーブ殿下」  俺は腰を抜かす相手に、出来るだけ柔和な笑みを浮かべた。 「殿下、お迎えに上がりました。敵の目を欺く為にこのような格好をしておりますが、私はバーグの兵です。スティーブ殿下、御無事でなによりです」 「っお、遅いではないか!早く俺を逃がせ!」  俺の言葉にスティーブは一気にその表情を緩めると、必死にその場から立ち上がろうとした。しかし、抜けた腰のせいで立ち上がるのが叶わないのか「おい、ボーっとするな!手伝え!」と乱暴に俺に言い放った。 「ええ、只今」  俺は「早く!」と怒鳴り散らすスティーブに近寄ると、そのまま相手に手を差し伸べた。 「さぁ、お手を」 「ああ!」  その手を、スティーブが掴もうとした時だ。……俺の差し出した剣の先に、ヌプリと肉を貫く感触が走った。直後、先程まで威勢の良い声を放っていた喉笛から、ドクリと血が溢れ出した。 「……汚ねぇな。俺に触るなよ」  一度の痛みで楽には差せない。俺は、何度も何度も相手に剣を突き立てた。腹の中の狼が咆哮する。こんなヤツに、ラティは何度泣かされていたのだろう。ラティの涙は、全て俺のモノなのに。 「っはぁ、っはぁっは」  気付けば、俺の足元は血の海になっていた。嗅ぎなれた鉄の匂いが部屋中に充満し、俺の鼻孔を擽る。俺は手にしていた日記帳のケインを再びめくり、小さく息を吐く。 親愛なる、ケイン。 親愛なる、ケイン。 親愛なる、ケイン。 親愛なる、ケイン。 「あぁ、ラティ。お前は、ずっと“俺”と一緒に居たのか……そうか……そうだったのか」  そこから、俺の記憶は酷く曖昧だ。  気付けば、俺はグッタリと横たわるラティを抱えて、バーグ城を後にしていた。腕の中のラティは、体中に酷い傷を負い、その傷が元で高熱に冒されていた。体はやせ細り、その口からはか細い声でずっと「ケイン」という名が呼び続けられている。  その名前の主が「日記帳」なのか、それとも「大好きな男」の名前なのか。それは、俺の知るところではない。 「……あぁ、ラティ。やっと会えた」  ただ、俺はやっと腕の中に戻って来たラティに、まるで犬が飼い主に甘えるようにその体の傷をソッと舐め上げた。  俺の腹の中には、狼が居る。  ラティの言葉だ。その狼が食い殺すのは、そう。ラティに仇成す世界の全てだ。  この日、地図から“バーグ”という国名は完全に消えた。

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