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34:首輪

 僕の名前は、ラティ。ただのラティです。昔は尊かったんですが、今はちっとも尊くありません。どこにでも居る「普通」のラティです。  何になる予定もありません。なので、別に何も学ぶ事もありません。なにせ、僕はただのラティですから。 『……あれ?』  そんな僕はたまに嫌な夢を見ます。  唯一の友達である、日記帳のケインが取られる夢です。  誰が盗ったかって?そんなのアイツに決まってます!鞭を持った嫌味なヤツ。名前はスティーブ。彼は、イヤな事があったり、腹が立ったりすると僕を部屋から引きずって行って鞭で叩くのです。 『お前は!国から捨てられたんだ!この恥さらしの捨てられ王子め!』  そう言って、何度も何度も僕を鞭で叩きます。でも、服の上から叩かれる時はまだマシで、時々服を脱がされて直に叩かれる事もあったので、本当にサイアクです。  でも、僕は出来るだけ表情を顔に出さないようにします。何故ならスティーブの奴は、僕が嫌がる事をするのが大好きなのです。だから、僕は絶対に表情を顔に出さないようにします。そうすると、スティーブの奴も『つまらないヤツ』と吐き捨てて早めに飽きてくれますからね。 『ん?なんだ、コレは?』  でも、唯一僕が悲鳴を上げてしまう事があります。それは、僕の大切な友達、ケインを取られる時です。  やめて!  そう、僕が悲鳴を上げると、スティーブの奴は物凄く楽しそうに笑います。そして、こんな酷い事を言うのです。 『自分の国から捨てられたヤツが、こんな立派な日記帳を持つなんて!分不相応にも程がある!これは俺が預かっておく!』  あぁっ!  鞭に叩かれる事も、嫌味を言われる事も、一人ぼっちな事も。全部辛いけど、どうにか我慢できます。でも、僕は「ケイン」を取られる事だけは我慢できないのです。ケインは僕の。このラティのモノなのに!  ケインを取られ、鞭に打たれ、痛む体を抱いてシクシク泣きます。横たわる場所は、固くて汚い床の上。妙に埃っぽい部屋の空気が、僕の鼻孔を擽り喉に嫌な感触を残します。  ケインがスティーブに盗られた。  顔に付いた鞭打ちの痕に涙が当たって更にジクジクと痛む中、僕はケインを取られた事と、自分の腕についた気持ち悪いムチの痕を見て更に悲しくなりました。  昔は尊いなんて言われていた僕のキレイな体ですが、今や見る影もありません。もう僕はキズモノになってしまいました。そんな自分の体を見ていたら、恥ずかしい気持ちになります。こんな体、もうきっと誰も尊いなんていってはくれません。  そう思うと、僕は何だか悲しくて惨めで恥ずかしくて。更に泣きたくなります。 『ぁぁぁぁっ!けいんっ、けいん~~っ!あいた、いぃっ!』  ボロボロと涙が次々と零れ落ちるリアルな感触で、僕は思いました。あれ、これは夢じゃなかっただろうか、と。  夢なのか、夢じゃないのか。自分でも分からなくなったその瞬間。僕の耳に聞き慣れた声が入ってきました。  それは――。 「ラティ。お前また泣いてるのか」 「っ!」  そう言って、僕の頬に触れるヌルリとした感触に、僕はハッキリと目を覚ましました。そこには、キラキラと光る星のような……ケインが居ます。  ええ、日記帳ではない。そこに居るのは本物のケインです。 「……け、いん?」 「ああ、ケインだよ」 「ケイン!」  僕が名前を呼ぶと、それはもう嬉しそうに微笑むケインの姿が視界いっぱいに映り込みました。その笑顔に、僕はつい先程まで体中に張り付いていた悲しみをコロリと忘れてしまいます。 「ケイン、おかえり!」 「あぁ、ただいま。ラティ」  起き上がった瞬間、首元からシャラリという金属の擦れる音が聞こえました。 「ぁ」  音のする方へと目をやると、そこには見慣れた鉄の鎖が見えます。僕の首に付けられている、革製の厚い首輪から垂れ下がるそれは、ケインの部屋の端にある太い柱にしっかりと埋め込まれており、僕がどんなに引っ張っても抜ける事はありません。  シャラシャラと僕が部屋を動く度に付いて来るその鎖の音が、僕はとても気に入っています。  そう、これは僕の“首輪”です。僕がこの部屋に来た時、ケインにプレゼントして貰った大切なモノです。 「ラティ、良い子にしてたか?」 「うん!見て、きちんと首輪は付いているでしょう?」 「あぁ、そうだな。苦しくないか?」 「全然苦しくないよ!」  僕はケインに首輪を見せつけると「ほら、ちゃんと繋がってるでしょう?」と少しだけ得意気に言いました。そんな俺に、ケインは首と鎖が外れていないかチェックするように指をかけると「大丈夫みたいだな」と呟きました。  ケインはとても心配性です。僕がケインの部屋から逃げ出す事なんてありはしないのに。なにせ、僕はケインの「飼い犬」なのですから。 「ラティ、俺が居なくて寂しくなかったか?」 「平気だよ!ケインの事を考えて雲を見てたら、一日なんてすぐだもん」 「……そうか」  俺の言葉にケインは少しばかり不満気な様子で頷くと、再び、僕の目元を舐め上げました。しかも一度だけでなく、二度、三度と。ケインはまるで、涙をすくい上げるように僕の顔を舐め続けます。 「んっ、けいん……あっ、あ……っふふ。くすぐったいよ」  ヌルリと這う生暖かい感触に、僕は思わず体をよじりました。しかし、そんな僕をケインの太い腕が力いっぱい自分の方へと抱き寄せます。ケインの舌が更に僕の目元をペロペロと舐めていきます。  その姿は、まるで犬のようです。僕がケインの「飼い犬」な筈なのに、こうしていると逆のように感じてしまう。なんだかおかしな話です。 「ちょっ、ケイン……もっ」 止めて、と僕が言いかけた時です。僕を舐めるケインの口元にも、赤い切り傷が見えました。 「っ!ケイン、この傷……どうしたの?」 「ん?コレか。まぁ、ちょっとな」  ちょっとな、なんて言ってケインは口元に微かに笑みを浮かべます。何を笑っているのでしょうか。またこんな怪我をして! 「訓練?そ、それとも……また、バーグと戦争になったの?最近、傷が増えたようだけど」 「……いや、バーグはもう」  ケインは何かを言いかけて、何かを思案するように視線を巡らすと、最後は静かに目を伏せ言いました。 「まぁ、そんな所だ」 「そんな……!」  あぁ、どうやらケインはまたバーグとの戦争に出かけていたようです。本当にこの国は、いつになったら平和になるのでしょう。それに、陛下は一体何を考えているのか。戦争なんて、何も産まない。犠牲だけが増えていくような無駄な行為を、一体どれほどすれば気が済むのか。  けれど、どんなに頭を悩ませても、今の僕には何も出来ません。なにせ、僕はもう王太子でも何でもありませんから。

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