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第1話

ガード脇の屋台で、越谷龍一はハンチングを被った山ちゃんこと山崎に縋られて手にしたコップを揺らしていた。 「だからさあ、俺は学生なんだよ。堅気なの!だから山ちゃんに最後まで責任持ってやってもらわないと困るんだって」  縋ってくる手を離そうと身を捩るが、山ちゃんは必死に食い下がってくる。 「そんなこと言ったって、この話に乗ったのは龍ちゃんじゃないか。一蓮托生で一緒に行ってよ。なんかあっちは怖い人出てきちゃってやばいんだよぉ」  目の前のちろりから龍一のコップに酒を注いで、山ちゃんは再び握る指に力を込めた。  この越谷と山ちゃんは、とある日の競馬のとあるレースにノミ屋を使って参戦した。  龍一にしてみたら、この日のこのレースは大穴も大穴で、多分競馬場でできる予想屋が力説したって誰も信じない馬が勝つことはわかっていた。なのでどうしてもこのレースはいただきたかったが、龍一はこの日、学校側から退学をかけた試験を設定されていたのだ。流石に退学は迷惑をかけ通しの親にも顔が立たないので、仕方なく山ちゃんに任せたらこう言うことになってしまっていたのだ。  元金5万つっこまして、大当たりの万馬券も万馬券300万を当てていたのだが、さて、その配当金がいつになっても還ってはこない。  山ちゃんも龍一に倣って同じ馬券を買っていたので総額600万。  ノミ屋も災難である。大したレースではないので客も少ない上に300万円を当てた者が2人も出たら、大赤字である。還したくない気持ちもわかるが、それはそれだ。  しかし、そう言う場には「そう言う」人物がいるのは普通で、山ちゃんも頑張って取り立てに行ったのだが、逆に脅されて帰ってきてしまったと言う事だった。 「怖い人?なら尚更だよ。俺の出る幕じゃないだろ」  流石に腕を振り解いて、今度は自分でちろりから注ぎ屋台の親父さんにもういっぱいとちろりを上げて注文をする。「じゃあ龍ちゃんは金いらねえんだな!」 「ふざけるなよ、最低でも元金くらいは返してもらうぞ。俺は被害者なんだからな」  クリスマスも近い真冬。こんな季節には屋台のおでんも酒も格別なはずなのに、酒も苦ければおでんの味なんて判ったものではない。 「冷てえなぁ…あっ」  手酌をして寂しそうに呟きかけて、山ちゃんは思い出したように声を上げた。 「龍ちゃんさ、」  声を顰めて山ちゃんは、龍一の肩を引き寄せる。 「龍ちゃんそっち方面の友達いるって言ってたじゃんか。その人に頼めないかな」  龍一の頭に、ツーブロックの髪を後ろに撫でつけたニヤけた顔が浮かんだ。  高校の同級生で、途中で本物さんの門を叩いてしまったが、割と頻繁に飲んだり遊んだりしている仲間である。 「えーー?あんまそんな揉め事はさぁぁ」  とは言ってみるが、龍一とて元金くらいは取り戻したい。 「しょうがねえなあ…」  そういってバレンシアガの内ポケットからスマホを取り出し、立ち上がった。 「一つ言っとくけどな、その筋に頼み事するってのはよっぽどだからな。どんなんなっても文句言うなよ。あと勘定しといて」  そう言い残して、スマホをいじりながらガード下の方へ歩いてゆく龍一を見つめ、山ちゃんは少しだけ不安になっていた。  見送った顔を元に戻すと、屋台の親父が「2000円に負けとくよ」 と笑って右手を出した。 「佐伯さん、今夜の集金です」  この組で若手頭の児島が、事務所の奥のソファに寝転んでいる佐伯神楽の脇のテーブルへ数十万のお札を置いた。「お、お疲れって随分多いな今日は、どした?」  シマ内の数軒の店にランダムに行って、今ではみかじめ料というものは法律で禁じられているため、お世話代として集金をしてくるのが若い者の仕事だ。名前が変わっただけとも言うが…。 「今日は3件ほどの予定だったんすけど、「Bee」と「マドンナ」のママさんが『佐伯ちゃんによろしくぅ』っていつもの倍くれたんす」  この2件はオネエ様のお店だ。  途中、オネエ様ふうの声を真似して説明した児嶋の真似がツボったのか、テーブルの反対側にいた佐伯の相棒姫木が小さく声を出して笑い、佐伯も 「店に出られるぜ」  と笑いながら起きあがり、札束を手にした。 「まあそれは、後で話を通しとくとして…児島、戸叶呼んできてくんね?」  児島はー勘弁してくださいーと笑って戸叶を呼びに隣の部屋へと向かう。 「お呼びですか?」  呼ばれた戸叶が佐伯の脇に立つと、まあ座れと隣に座らせ 「今日の集金ざっと数えただけだが50万ある。明日牧島さんの所にこれ合わせていくら持って行ける?」  と尋ねる。 「50万…2本くらいは行けるんじゃないかと」  1本は100万円。 「それなら大丈夫だな、なんとか面目立ちそうだ。じゃあ準備しといてくれ」 「わかりました」  戸叶は、佐伯から50万円を受け取り隣の部屋へ消えていった。 「新法以来、上納金も大変になったよなぁ」  再び寝転んで、誰にともなく佐伯はつぶやく。『高遠』は、組員のしのぎには寛大ではあるが、その寛大さに組員が付け込まないのが統率力の堅い証拠でもあった。  佐伯たちは、一種特別な組なので上納金の設定はないのだが、自分たちでその月に稼いだ半分を直の上の組「牧島組」に上納すると決めていた。  広域指定暴力団に位置付けられている『高遠組』で、佐伯たちは訳あって組の最高幹部の1人である牧島に世話になった経歴から、一つの組を保有していると言うよりは高遠組の一声で、どこにでも特攻をかける特攻組織として存在しており、組の内外の問題に片をつける組織であった。  それが一種特別な組と言うわけだ。 「しかし、有難いよなママさんたちな。今時稼げない中貴重だよ」  それにはテーブル向こうの姫木も目をあげて、返事はしないがーそうだなーと言った顔で、再び雑誌に目を落とす。「なんかこう…儲かる仕事ねえかな…」  と、佐伯がつぶやいた時だった。佐伯の携帯が鳴り、テーブルの上からめんどくさそうに持ち上げた佐伯は、 「お?儲け話か?」  と嬉しそうに受話ボタンを押した。 「よー龍一、久しぶりだな」  龍一という名前に、姫木も顔を上げる。 学生時代につるんで悪さをした仲間で姫木も顔馴染みだ。 「ん?へ〜、どこの誰?わかんねえ?それじゃどうにも…うん」  佐伯の声だけ聞いてるので、要領を得ない。 「わかった。じゃあ明日駅前のドトールに2時な。じゃ」  スマホをテーブルに置き直して、姫木に声をかける。 「明日龍一とちょっと会ってくるからさ、牧島さんとこ頼めるか」  タバコに火をつける佐伯に 「越谷さんなんだって?」  牧島の所に1人で行くのが嫌な訳ではないが、牧島への礼は2人で尽くすものと暗黙だったので、それ以上のことなのかということだ。 「儲け話だ。うまく行けば400は固いな。牧島さんにはその旨伝えて、礼を欠いた詫びをしといてくれ」  ここの所身入りも少ないという話をしていた矢先のことなので、姫木も何も言えない。 「わかった」  と返事をして立ちあがる。 「帰る」  唐突な姫木に反応したのは、姫木付きの佐藤だ。 「送ります。佐伯さんはどうしますか?」  佐伯と姫木は同じ部屋に住んでいた。 「一緒に帰るわ。お前たちももういいから帰んな」  佐伯は唐突に帰宅を言い出した姫木に思惑を察し、そう言って佐藤の持っていたキーを貰い、おやすみ〜と2人で部屋を出て行った。 「龍一がノミ屋に手出してさ、元金から配当までまんま巻き上げられたんだってさ」  帰りの山手通りを渋谷に向かいながら、佐伯はそう言って窓を開けタバコに火をつけた。 「向こうさんにそれ者もんがついてるらしくてな、それで俺ンとこに来たわけよ」  姫木が急に帰りを急いだのは、佐伯が電話の内容をすぐに話さなかったからだ。 「まあ、一応友達の事だし、皆の前で言うのもなんだと思ってさ」  佐伯の言葉に姫木はーそう思ってたーと頷いた。  姫木がぼんやりと眺めている街の風景は、クリスマスも近いせいか華やいでいて、歩いている人々も心なしか浮かれているようにも見える。 「こんな時期に災難だな」  そういう姫木の口元は緩んでいて、その人の悪い笑みに佐伯が苦笑した。 「まあそう言うな、学生さんは何かと金がいるんだよ。あいつはあいつで懸命に生きてんだから」 「学生さんねえ…」  一浪はともかく、遊びで4年も留年している上に、下北沢周辺のパチンコ屋の出入りを差し止められるほどの腕前と、負け知らずの麻雀と競馬で生計を立てている男が、懸命に生きている学生さんとは思えない。 「でも越谷さんみてえな人が珍しいな」  高校時分から、大胆な行動と緻密な計算でこう言った失敗は絶対にしなかった龍一だ。姫木の疑問も当然だ。 「間に誰か入ったみたいだぜ。大体あいつは自分で予想や張れるくれえの競馬バカなんだからさ、今回だって勝算しかなかったんだろ。何があったか知らねえけど、ノミ屋に手を出したのは間に入ったやつの手落ちだな」  退学クビをかけた試験を受けていたことは流石の佐伯も知る由もない。 「話聞いてみねえとわかんねえけど、大方そんなデカくもないレースで1人300万もの当選金がでちまって、ノミ屋の方がびっくりしたんじゃね。そりゃあ払えないだろ」  600万だぜ、と嫌な引き笑いでタバコを窓の外に投げる。 「おい、タバコ外に捨てんな」  姫木が真面目な顔で言ってくる。 「わかってるよ、地獄に落ちるんだろ?でも俺らは、タバコ捨てる以上に地獄行きなことやってるじゃねえか、固いこと言うなって」  一瞬言いくるめられそうになった姫木は、それはそれだ、と車の灰皿を引き出し指を指した。ヘイヘイ、と応じて佐伯は まだいいや と灰皿を閉じる。  自分達のしていることを思えば些細なことなのだろうが、姫木はそれだからこそ「地獄行き」なんて言う迷信を気にしてしまう。佐伯とつるんでこの生き方を選んだのなら、地獄に落ちても共に同じ獄卒と願いたい。 「まあそう言うわけで、取り立ての仕事だし2人で行くこともねえだろ。牧島さんの方頼んだぞ」 「ああ」  と返事はしたものの、龍一がこう言った形で助けを求めて来るのは初めてのことだ。よくよくのことなんだろうな…と姫木も思う。が、まあ1人300万と考えれば、確かに「よくよくの事」ではあるなと1人で納得して、少々1人で行かせるのが心配だった気持ちが和らいだ。 「儲けは山分けにするからな」  新しいタバコに火をつけて、嬉しそうにそう言う佐伯の隣で、姫木はゆっくりと灰皿を引き出した。  

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