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第8話 それは宣誓

 今週は本を読んでいた為か、時間の経過が早いようだ。そのくらい頑張った甲斐あって、本の内容は全て把握できた。これで俺にも人間の知識がそこそこ詰まった事だろう。後はエドの協力を仰ぐだけ。とても楽しみだ。  そして、約束の日。俺はすっかり通い慣れた海路を泳いでいた。もう少しでエドに逢える。あの本を全部読んでやったと伝えたら、きっと驚くに違いない。エドの表情を想像した俺は、みっともなく破顔してしまった。  やがていつもの浜辺に着き、別荘の入り江でエドを待つ。今では壁も出来上がり、きちんとした屋根が乗った二人の場所。残りは内装だけなので、かなり家らしい家になっている。 「エドよ、早く来い……!」  俺はエドに逢いたくて落ち着かず、入り江の水面を尾びれでぴしゃぴしゃと叩いてしまった。これはロージオに行儀が悪いとよく叱られる行為だが、今はロージオが居ないから別に構わない。  それから三十分程だろうか。アルテイルの足音が聞こえてきたので俺は顔を上げた。もうすぐ手綱を繋ぐ音、それが終われば壁の向こうから翠の瞳が覗くはずだ。しかし――現れたのは見たことも無い女だった。外ハネの紅い髪をした活発そうな外見で、その態度はかなり乱暴といえる。 「……トニーって、あんた?」 「あ、ああ、そうだ」  女が挨拶もせず不躾なので、俺は姿を隠すことすら忘れてしまった。それに、アルテイルに乗って来たという事は、どう考えてもエドの関係者だから、ただ無視する訳にも行かない。 「……エドはどうした? お前はエドの使いなんだろう?」 「皇子は病気、ただの風邪だけど熱が高いの。なのに這ってでも行くっていうから、家臣が総出で引き留めて――で、まぁ、諦める代わりに、あんたにこの本を届けろって」 「そ、そうだったのか、すまない。ところでお前の名前は何だ?」 「サラよ、サラ=マクミラン。サラと呼んで。十八歳よ」 「サラか、感謝する。俺はトニアラン=ヴィ=シーキング。そのままトニーでいい。俺は十七歳だ」  簡単な自己紹介の後、サラから鍵付きの本を受け取る。中には数ページに渡りエドの文字が躍っていた。少し筆跡が乱れているのは、熱に浮かされて書いた為だろう。それなのに沢山の愛が語られており、じいんと胸が熱くなった。  その様子にサラは興味を持ったようで、少しの遠慮も無く聞いてくる。 「……ねぇ、何が書いてあるの?」 「俺への想いだな」 「ふーん、本当にそういう関係なんだ。皇子には聞いていたけど、半信半疑だったのよねー」  サラはまじまじと俺を見た。そして、三回ほど頷く。 「まぁ確かに綺麗だわ。まったく皇子は面食いなんだから……そのせいで釣書をポイポイ捨てて……!」  それを聞き、俺もサラを頭のてっぺんから足のつま先まで眺めた。女だというのに表情が強く、かっちりした白い軍服を着ているせいか身体にも何となく隙がない。  そこで俺は、エドと交わした会話を思い出した。 「エドを殴る程の元気な女騎士か……俺は悪くないと思うぞ? じゃじゃ馬娘を乗りこなしたい男は一定数いる事だろう」 「へっ? 私、名前以外は言ってないのに、何で騎士と知っ……?」 「先週エドから、自分の騎士にだけは俺の存在を明かしたいと言われたんだ。そして今日はサラが来た。つまりサラこそがエドの騎士。あとエドは、自分の騎士に殴られる事があるとも言っていた」 「あ、あいつ……!」  どうやら図星らしい。さっそく拳骨を作って天高く突き上げている。エドの身は少々心配だけれど、本当に仲が良さそうだ。  俺はエドとサラの関係を微笑ましく思いつつ、読み掛けだった本のページを捲る。その先には、また愛が綴られているのだろう――と思っていたのだが、そこで俺の表情は険しくなった。かなり深刻な内容が書いてある。隣国の動きが急に激しくなり、既に局地的な戦闘が始まっているというのだ。 「……サラよ、お前はこの国を取り巻く状況を理解しているか?」 「私はこれでも皇子の騎士よ。もちろん理解してるつもり」 「では、これから俺がこの件に関して説明しながら返信を書く。エドに伝えて欲しい」 「え、ええ、構わないけど――」  俺は二人の本に地図を書き込みながら――戦端を開くならここ、挟撃に使うならここ、伏兵を置くならここ、天候の選択、火計に使える今の季節の風向き――これらをなるべく丁寧に教える。サラは真剣に聞いた後に復唱し、それから俺をじっと見つめた。 「あんた、何者……?」 「……人魚だが?」 「違う! ……でも、あんたは見た目だけじゃなかったのね。こりゃ皇子がああなったのも仕方ないか……」 「エドの騎士に理解されて嬉しいぞ」  俺はサラに笑いかけてから、メッセージの最後にこう記す。  『状況が悪いので、無理をして来なくてもいい。お前の愛を信じている』  それはサラの目の前で書いた為、もちろん彼女の視界にも入った。 「……気障ね」 「本心だが――人間には、そう映るか?」 「ったく、あー羨ましい。あの皇子がこんな……」 「お前もその気になれば、すぐに交尾の相手が出来ると思う。悪くないと言っただろう?」  そこでサラは、何故だか頬を赤く染める。どうしたのかと尋ねたところ、脱兎の如く去ってしまった。残された俺は独り佇んでから、自分に言い聞かせるように呟く。 「エド、お前の愛を信じている」  それは宣誓。二人の入り江に、俺の声だけが響いた。

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