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第7話 早速の嬉し涙

 俺は結局、エドの本を二、三度ずつ読み返していた。もう、すっかり本の世界の住人になっている。その為か、急に聞こえたガラガラという大音量で非常に驚いてしまった。  何事かと思えば別荘に、人間界の乗り物である馬車が横付けされている。馬は二頭、両方ともエドの相棒ではない。俺は慌てて海に戻ったが――馬を操るびしょ濡れの人間がエドと判り、急いで波打ち際へ泳いでいく。 「トニー、遅れてごめん!」 「いいんだエド、こんな天気で……本当によく来てくれたな」 「大丈夫、これ雨合羽っていう水を通さない生地だから」 「だとしても、覆われていない部分はびしょ濡れじゃないか! 早く別荘の方へ移動しよう」  俺とエドは別荘へ入った。俺は海から室内の入り江に上がり、人間用の出入り口から現れたエドと合流する。海水に浸かり快適な俺の傍らで、エドは身体からぽたぽたと雨を垂らしていた。 「エド、早く脱いだ方がいい」 「そうだね、鬱陶しいや」  エドが雨合羽を脱ぎ、その辺にぽいっと投げる。帰りも着るだろうに、なんと乱暴な事か。俺がそれを指摘すると、エドは「まるで僕の騎士に叱られているようだ」と笑った。その元気な騎士は、時にはエドを殴ったりするらしい。ロージオは俺に対して暴力こそ振るわないが、エドも家臣と仲が良いという様子は伝わって来た。 「ではエド、お前の騎士に叱られないよう、雨合羽の始末をしたらどうだ?」 「わかったよ。んー、じゃあ……ここに掛けとく」  エドは簡素な梁に雨合羽を吊るす。それで俺も満足した。帰りには水気が落ちて、少しマシな状態になっているはずだ。  そこまで考えた俺は、とある事に気づく。 「お前、皇子だよな? 運転手は誰かにやらせれば良かったんじゃないのか?」 「その件なんだけど……ちょっといいかな?」  エドが座り、俺と視線を合わせる。そして、俺の髪を撫でながら言った。 「君が僕以外の人間に会えないのは知ってる。だから自分で馬車を走らせた。でも、もしも許されるなら、僕の騎士にだけは君の事を伝えていい? 場合によっては、僕の代理で伝言を頼んだりもしたいんだけど――どうだろう?」 「……騎士か。お前が信頼できる人間なら構わないぞ」 「良かった。最近、週に一回城を空けるから、騎士が怪しんで凄く邪魔してくるんだ。今日も運転手――御者を付けられそうになったから、必死で断ったんだよ」 「お互い苦労するな……俺も騎士には帰りの時間を報告している。それを越えると叱られるんだ」  浮かない表情をしてしまった俺に、エドは優しく微笑んだ。 「それより今日は、またお土産があるんだよ」 「土産? こんな天気の時に……すまない」 「結構な量だし、雨が酷いから頑丈な幌付きの馬車で来たんだ。きっと喜んでくれると思う」  エドは馬車から入り江まで、幾つもの荷物を運び込む。俺はエドに許可を貰ってから、うきうきと包みを開いた。 「――本か! すごいな、ジャンルが様々だ、兵法書もある!」 「ありったけの本を持ってきたよ、父に怒られるかもだけど」  本は手書きで模写しているため、かなり高価なものらしい。俺はエドに礼を言いつつ、そういえばと思い出した。 「エド、ここに俺宛ての袋を用意していただろう?」 「ああ、気づいてくれた? 先日、屋根が出来たから、とりあえずで運び込んだんだよね」 「あの地図と本は頭に入ったから、持って帰っていいぞ」 「え? 今日一日っていうか、朝から今までの時間で!?」 「お父上になるべく早く返さねばな」  そう言いつつ、エドが新たに持って来た本に手を伸ばす。それは、この近辺の自然や生き物に関するスケッチが満載の図鑑だった。海の生き物と陸の生き物が半々くらいで載っている。俺にとって、陸の様子は何もかもが興味深い。ついうっかり見入ってしまう。  そんな俺の耳元に、エドがふうっと吐息を掛けた。 「お、驚いたぞ!」 「せっかく来たのに、トニーが本の虫だから悪戯したんだ」 「……す、すまん」 「なるべく邪魔はしたくなかったけど……でも、僕、これを見ちゃって」  エドが片手に一冊の本を持っている。先ほど俺が返信を書き記した本だ。そういえば、馬車の音を聞き慌てて海に潜って以降、すっかり仕舞うのを忘れていた。 「ね、これには寂しいって書いてある。とても綺麗な字で」  思ったよりもずっと早く、俺の泣き言がエドへと伝わっている。俺は自分の頬が熱くなるのを感じた。 「そ、そのような気持ちが読まれてしまうのは、思った以上に恥ずかしいものだな」 「この鍵があれば、僕たち二人だけしか見られない。だから恥ずかしくないし、どんどん書いてね。寂しいのは愛し合ってるなら普通で、僕も君に逢えなければ同じだから……」 「……そうか、嬉しいぞ」 「鍵は二つ作ってあるんだ。お互いに一つずつ持とう」 「ありがとう、エド……」  俺はエドの袖を引き寄せ、自分から口づける。エドはとても喜んで、もっと強くお返ししてくれた。 「今すぐ君を抱きたいよ……いいかな?」 「いいぞ、では岩場に――」 「必要ないかも、だって入り江を作ったから海水があるし」 「……そうだったな。その上、ここなら誰にも見られなくて安心だ」 「じゃ、ちょっと待って」  エドは急に立ち上がり、服を脱ぎ始めた。それを雨合羽の隣に掛けていくけれど、俺には意味が解らない。今までの交尾は服を着たままだったからだ。 「なぜ今日は脱ぐんだ?」 「うん、岩場じゃないからあちこち痛くないし、他にもちょっと考えてた事が……」  エドは全裸になってから、じゃぶじゃぶと俺のもとへ近づいた。相変わらず立派な脚だと思ったが、よく見れば上半身もしっかりしている。線は細いのに筋肉質で俺の身体とは全く違った。これなら俺を持ち上げて好き勝手に出来る訳だ。  そのエドがふわっと俺を抱き上げ、入り江の中でも一番深い部分に移動する。エドの腰あたりまでの水位だが、一体どうするつもりなのか。 「……エド?」 「うん、今日はここで君と……」 「海の中でか?」 「ここなら浮力があるし海水だって沢山だから、君の身体も楽かと思って」  そんな事を気にしなくていいのに、そう思った途端エドが襲ってきた。まるで飢えた鯱みたいだ。しかし、それが痺れるほど嬉しい俺も大概だろう。俺が震えていると、エドはあちらこちらに幅広くした舌を這わせて、俺の背にも刺激を加えた。思わず尾びれで水面を叩き、エドに水を被せてしまったが――エドには全く動じる気配が無い。ただただ、俺を貪り続ける。  それに対し俺は、普段と違う嬌声を上げていた。海水の中のせいか、すこぶる調子がいいのだ。快感の質も今までと違う。これで達したら、どうなってしまうのか恐ろしい。 「エド、俺……! 怖いんだ、海の中だと……感覚が!」  俺は吐息の隙間で途切れ途切れになってしまったが、エドにそれを伝える。けれどエドは、そのまま続けた。いや、却って水を向けてしまったようだ。だから俺の喘ぎは入り江に響き続ける。 「エド、あ、あ……!」 「……トニー、乱れちゃってすごいな……」 「だってエド、ん……っ!」  エドの口づけと指先で、俺の仕舞われた生殖器がじんじんしている。この状態は非常に辛く、まだ解されていないと理解していても、もう我慢が利きそうになかった。恥入る機能を停止させた俺が、身体全体で強くねだる。エドは少し驚いたような表情をしつつ、俺の一番欲していたもので答えてくれた。 「……っ、痛――!」 「や、やっぱり一旦、抜いた方が……!」 「い、嫌だ! 抜くなっ!」  俺は引け腰になったエドへ、泳ぐ要領で自分を押しつける。ついでにエドが逃げられないよう、中を甘く動かして掴まえた。エドは参ったという風に舌打ちする。 「トニー、そんな事までして……っ、僕、知らないよ!?」  エドが浮力に負けないほど力強く、俺の身体を刺し貫いた。これだ、これが俺の望みだ。それを得て欲望と悦楽と痛みの全てが絶頂近くまで高まり――俺の頬からは無意識に涙が落ちる。それは真珠と呼ばれる、乳白色の丸い宝石。ぽろぽろと零れるそれらを両手で掬い、エドに向かって差し出してみた。この、エドへの愛から生まれた粒を。 「エド……俺の涙は、全てお前に」  エドは返事の代わりに真珠の一つへ舌を伸ばし、がりっと奥歯で噛み砕きながら――俺を狂わす部分に攻め入る。もう耐えるのは無理だ。そう思った後は、何も覚えていない。  次に目覚めた時、俺はエドの腿を枕にして寝そべっていた。鱗は海水に浸かっているから、エドの体温の熱さが丁度良くて気持ちいい。  エドは俺の意識が戻った事に気づかず、自分の手のひらを眺めている。時折それを動かしては、うっとりという様子を見せた。 「エド、何してるんだ?」 「あ、トニー、おはよう」  エドの優しい瞳が俺を見つめる。俺は身体を起こし、エドの手のひらを覗き込んだ。そこには幾つもの俺の涙がころころと転がっている。 「人魚の涙は真珠なんだね、とても綺麗だ。僕は宝石に興味なんか無かったけど、即位の時にはこの真珠で王冠を作るよ」 「……だったら俺は、もっと泣かなければな。何個ぐらい必要だ?」  そう言った俺をエドは抱き寄せた。それから、言い含めるみたいに囁く。 「さっきみたいな涙や、嬉し涙だったら幾らでも流してね。でも、悲しい涙はダメだよ?」 「……人魚界には真珠を狙った悪どい人間の言い伝えもあるというのに……お前と来たら」  再び俺から真珠が出たのでエドに渡した。エドは、また自分が泣かせてしまったと慌てている。 「早速の嬉し涙だ、ありがたく受け取っておけ」 「えっ!? そうなの!? じゃ、じゃあ遠慮なく」  エドは俺の涙を、掛けてある服へ大事そうに仕舞った。  ああ、いつか俺の涙がエドの晴れ舞台で活躍する日が来るのだろうか。  そう思うと、何とも言えない高揚感が込み上げる。俺は人間の前には出られない存在なので、せめて俺の涙だけでも戴冠式に参加できれば――それで十分だ。  俺は服の前から戻ったエドへ寄り添い、体重を預ける。すかさず俺の肩を抱くエドに幸せを感じ、また一つ真珠が零れた。  翌日から俺は、夜中の浜辺へ毎日のように通った。ロージオは不機嫌だし女性型の合唱も煩かったが――夜光虫の灯り球を幾つか持って入り江に陣取り、エドの本を読み進める。なるべく早く内容を理解し、エドに協力したかったのだ。  本は読めば読むほど面白く、特に兵法書は大変参考になった。この内容なら心理学の本と言っても差し支えない。  平行してエドへのメッセージもたくさん書き、これは二日を待たずして返信が来る事もあったので助かった。時折「人間なら、こう動く」とか「北の属国を使ったらどうかな?」とか「その作戦には同感だ」等のアドバイスもあり、だから俺の中でどんどん人間への理解が深まっていくのを実感できる。  俺は独り微笑んだ。これならエドの国を守る事に役立ち、そのうちエドも立派な皇帝になれる、と。

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