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第6話 プレゼント
その翌週。
俺はエドとの約束を果たすべく、沖合いの水面から顔を出していた。だが、天候は生憎の雨。しかもかなりの量。その光景に、俺はエドと出逢った頃を思い出す。あの時、海が荒れなければ、今の俺たちなど無かったはずだ。
この雨ではエドが来ないかもしれない。そう思いつつ浜辺を目指す。空は浜辺に近づけば近づく程に暗くなり、最悪だった。
それでも俺はいつものように到着する。見渡すとエドはやはり居らず――致し方ない、このぬかるんだ地面では、アルテイルだって走るのが大変な事だろう。俺はそれを思い溜息を吐く。
しかし俺には逢瀬以外で、もう一つ楽しみにしている事があった。エドと俺、二人の場所の完成度だ。なので、別荘の方へすいすいと泳ぐ。
「……おお、すごいな」
雨に濡れる別荘を見て、俺は思わず独り言を呟いてしまった。簡素だけれど屋根が出来上がっていたのだ。屋根があると、もう立派に人間の家屋の風情がする。
別荘の中を覗き込めば、床には枯れた草や木材が規則的に敷き詰められ、壁の方には石のような物を積んであるのが見えた。屋根は木材を柱にして軽く載せてあるだけ。それでも俺にとっては十分な出来だ。海から続く人魚用の出入り口も素晴らしい。ちょっとした入り江のようになっていて、室内に居ながら鱗を濡らす事が出来る。
俺は気が利いている別荘の中に、そっと入ってみた。雨もあまり掛からないし、なかなかのものだ。なので上機嫌になり、きょろきょろと室内を検分する。そこには内装工事用の荷物だろうか、それらしい器材が沢山置いてあった。俺はその片隅に、『トニーへ』と書いてある袋を発見して驚く。あまり上手ではない、けれど温かみのある文字で書かれた俺の名前。この袋は、もしかしたらエドからのプレゼントかもしれない。俺は中身が水に濡れないよう、慎重に封を開く。
そこには。
先週、俺が欲しがっていた地図と軍事データ、その他十冊ほどの本が入っていた。俺はまず地図を広げ、初めて見る地上の世界に思いを馳せた。海も大きくて好きだが、陸は俺にとって遠い場所なのでロマンがある。それから俺は、よく纏めてある割に酷い厚さの軍事データを読んだ。武器や兵力はすぐ頭に入り、俺の脳内の盤上に駒が踊る。ただ、戦場はチェスのように統一されたルールは無さそうなので、この辺りは人間の心理を研究しなくてはならない。そこまで考え、元々その為に本を持ってくるよう頼んでいたのを思い出した。つまり、エドが用意してくれた十冊の本は、人間心理の理解に役立つ内容なのだろう。
俺はうきうきと一冊目の本を手に取り、ページをめくった。そこにはエドの国の歴史や伝わっている民話、文化的な行事や祭事、宗教などなど――様々なジャンルが紹介されている。大変、参考になった。読了した俺は次の書物に手を伸ばす。今度は詩人の力作や、胸を打つ文章の小説が並んでいた。人間の複雑な気持ちが伝わって来て、ちょっとしたカルチャーショックだ。これは数回読み返す必要があるだろう。
それから俺は、他の本とは少し装丁が違う一冊を手に取った。一部が金色に光っていて、やけに豪華だ。おまけに立派な錠前まで付いている。なので俺は、付属の鍵で開錠してみた。一体どんな内容なのかと中を見てみれば――そこには俺への愛が切々と綴られている。
この筆跡は袋に書いてあったものと同じ。つまりこれを書いたのはエドだ。
俺はエドの文字を愛しく思いつつ追った。エドに口頭で言われていた事も、こうして文字にされると、また違った意味で嬉しいものだ。
「ふふ、エドよ、何回『愛している』と書けば気が済むんだ?」
俺は微笑みつつ、この本を単なるメッセージとして読み進めていたのだが――文章の最後の辺りで、何故エドが手紙ではなく、わざわざ中身が白紙の本に書き込んでいたかを知る。それによれば、この本を俺たちのコミュニケーションの為に使いたい、何かあればここに俺も記入して欲しいとの事だった。俺はエドの考えに感心する。同じ本をやり取りすれば、気が向いた時、積み上げた内容を書物の様に読み返せるからだ。これも人間心理の勉強になるだろう。
早速、返事を書きたいと思い、エドが寄越した袋の中を丁寧に探してみた。すると、奥の方に人間用の筆記用具が入っていたので僥倖だ。俺は黒い液体と海鳥の羽のようなペンを使い、さらさらとメッセージを記入する。まずはエドが書いてくれた愛への返答。地図や情報、十冊の本のお礼。現段階での軍事的アドバイス。それから――今日は逢えなくて寂しい、という泣き言。
書き終えると、俺はふうふう吹いて液体を乾かし、ぱたんと本を閉じた。鍵も掛けたが、はて、この鍵は俺が持っていて良いのやら悪いのやら。判らないので、とりあえず元の場所に戻しておいた。
「ふふ、楽しみだな」
この本をいつエドが見るのかは判らないが、きっと近いうちに届いてくれる事だろう。
その時、外に降る雨が一段と激しくなった。ごうごう音を立て、雷まで鳴っている。俺は肩をすくめてから、エドが用意してくれた小説本を手に取った。どうせ時間は余っている。ゆっくり読もう。
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