5 / 8

第5話 『ぐんし』って何だ?

 それから一週間。  公務の傍ら考えるのはエドの事ばかりだったので、この日が来てとても嬉しい。俺はロージオにきちんと遅くなる旨を伝えてから、うきうきと浜辺へ急いだ。今日はエドに人魚料理というお土産があり、それをご馳走するのも楽しみだ。  浜辺に着いてみれば、時刻は先週と同じ。エドの姿はまだ見えない。暇だったので別荘の工事現場を覗くと、また少し進んでいる様子があった。どうやら砂を突いて地盤を作っているらしい。大きな槌が沢山見て取れた。人魚の国では石で作るが、この槌は木製のようだ。 「……少しずつ出来上がる、俺たちの場所か」  その響きだけでも幸せに思える。  そこに、馬の蹄の音が響いた。これはアルテイル、つまりエドだ。俺は波打ち際まで移動する。 「エド!」 「トニー!」 「元気だったか!?」  エドは返事の代わりに俺を抱きしめた。そのまま俺を求めてきたので驚いたが――俺は素直に受け入れる。エドは喜んで俺を岩場まで運んだ。そこは今の時間なら女性型も来ないから、誰にも見えない安心できる場所だ。  エドは愛を囁きながら俺を何度も貪った。俺だってエドが欲しい為、気分的には最高だ。達するたびに飛んでしまっても、目覚めた時にエドが居るので安心できる。俺はこんなに幸せで良いのだろうか。  それから一、二時間。エドは満足したようで、俺を優しく胸の中に入れた。 「……今日も無理させちゃったかな、ごめん」 「大丈夫だぞ、俺はエドが好きだからな。何だったら、もっと交尾してもいい」 「はぁ……そういうの、止めようよ……ねぇ?」  俺を抱く腕にぎゅっと力が籠る。また交尾が始まるのかと思ったが、エドは自分を制したようだ。そのせいか、妙に爽やかな笑顔になった。 「ねぇトニー、今日は昼食の他にもお土産があるんだ。ちょっと待ってて?」 「本当か!?」  俺と同じように、エドもお土産を用意してくれていた事が嬉しい。俺はわくわくとエドの帰りを待つ。  エドは木製の何かを持って、すぐに戻って来た。 「それは何だ?」 「うん、チェスっていうんだ。人間の遊びだよ」 「ちぇす?」 「んー、どこに置こうかな、このチェスボード」  エドがなるべく平らな岩場を選んで、チェスボードを置く。黒と白が交互になっている、一風変わった盤面だ。 「これをどうするんだ?」 「この駒を並べてね、僕と君が交互に打つんだよ。ほら、色々な駒があるでしょ? 駒によって動き方が決まっていて――」  エドが丁寧に説明してくれる。とても面白そうだ。俺は早速エドと遊んでみる事にした。  だが。 「……エド、お前……弱いな」 「き、君が強すぎるんでしょ!?」  俺は最初こそエドに負けたものの、ルールの取得状況等が一定のラインを越えてからは、連戦連勝だった。 「すごいよトニー、ちょっと打っただけでこの強さ」 「大げさだな」 「……僕はこういうゲームより、身体を動かす方が得意ではあるけど――でも、一応は皇子だったりするから、嗜みとしてまぁまぁ打てるんだよね」  エドは駒を並べ直し、先程俺が打った手をトレースする。よく覚えているから、あながち嘘でも無いらしい。 「……じゃあ、お前はそこそこ強いという事か?」 「うん、そのはずだよ――ああ、ココで間違えた、こっちに打てば良かったな」 「エドよ、そこに打つのなら俺のナイトはココだぞ――あと九手でチェックメイトだ」 「……うわっ!」  エドがくしゃくしゃと自分の癖毛を掻き毟る。悔しいようだ。 「これは城の指南役より、君に習った方がいいかもしれないなぁ」 「そうか? 俺が役に立ちそうなら良かった」 「だって、指南役は早々キングなんか動かさないよ? 君の手の方が自由で意外性があって……!」 「自由というか、お前相手なら無駄な手を打っても勝てる――それだけだ」 「こら!!」  エドがチェスボード越しに腕を伸ばし、俺の鼻先をぱちんと弾いた。エドの表情は明るい笑顔だが――。 「すまん、言い過ぎた」  俺はぺこりと謝った。するとエドが恐縮し、ただ拗ねて見せただけ、と謝り合いになってしまう。それは痺れを切らしたエドが俺に口づけするまで続いた。  その口づけのあと、エドがぽつりと言う。 「君の頭脳が、もっと活かせればいいのに……残念だな」 「十分に活きてるぞ? 人間の研究が捗って仕方ない」 「そうじゃなくて……今ね、うちの国では軍師を探してるんだよ。君のその腕前は、すっごく有用なんじゃないかと……でも、君は人魚だからお願いも出来ない」 「俺が『ぐんし』になると、エドは嬉しいのか? 『ぐんし』って何だ?」  エドはまず、軍師という存在について説明してくれた。それに続いて、エドの国を取り巻く状況を解説する。エドによれば、近々この平和な国で戦が起こりそうとの事だった。勢力を拡大したい隣国が、ちくりちくりと降伏勧告を出して来ていると言う。もちろん、それに従うことなど出来ない。そうすれば、まずはあちこちで小競り合いが始まるだろう。そこに良い軍師が居れば、被害を少なく済ませられるのではないか――エドは、そう考えていた。  それを聞き、俺はひたすら驚いてしまう。 「エドはそんな大変な状態だったのか!? こんな所で俺と過ごしていていいのか!?」 「……僕は皇子の立場だからね、政治は任せてもらってない。でもまぁ、父に意見だけは言ってるけど」 「そ、そうか」  人魚の国には戦など起こった事がなく、俺にはエドに何を伝えていいのか解らない。ただただエドの身が心配で――だから俺は、軍師とやらを買って出た。エドは、ぽかんとしている。 「だって君、人魚だし海から離れられないし……!」 「軍師の仕事は先程の説明で理解したぞ。戦略に口を出す事もあるが、戦術が主なんだな?」 「そうだよ、その通りだけど」 「その戦術には情報が必要だ。使える駒がどういう動き方をするのか、あるいはチェスボードがどんな状況に設置されているのか知る必要がある。つまり――エド、何か書き取れる物はあるか?」  俺の言葉にエドは首を振った。では覚えて貰うしかない。 「いいかエド、まずはこの国と周辺国の地図を持って来い。海図もだが、これは人魚の持つデータで協力しよう。それと敵と味方戦力の概要、武器があるのならその性能も。その他、諸国との外交はどうなっている? 援軍は来るのか? これは隣国のデータも用意――」 「ちょ、ちょっと待って待って!」  なぜかエドは慌てている。全力で役に立とうとする俺に驚いているようだ。 「すまん、喋りすぎたか?」 「いや、君がすっごく頼りになりそうで感動してる! ただ、心構えが無かったから、もうちょっとゆっくり喋って欲しいなっていうか!」 「……俺は研究者だ。物を考えるのは得意だから、思考はぽんぽん出る。研究から頭さえ切り替えれば、戦略戦術も同様だろう。ただ、人間の心理だけは良く解らない。エドの国にも、役立ちそうな物はあるか? 例えば本のような」 「貴重品ではあるけど、もちろんだよ」 「では、たくさん本を持って来てくれれば勉強するが、それでも足りない部分はエドが補って欲しい」 「う、うん! 僕と君が協力すれば上手く行くかもしれない!」  エドは少し興奮して喜んでいる。俺もエドのその様子が嬉しい。  その時。  エドの腹が元気に鳴った。太陽が高いので、もう昼時だ。 「エド、食事にするか?」 「そうだね、また魚のパイを焼いて貰ったよ」 「それも食べるが、今日は人魚料理を振舞いたいと思う」 「えっ!? 本当に!?」  俺が人間の料理を食べて美味しかったように、エドもそう思ってくれるだろうか。俺はエドに断って海に潜り、本日の食材を捕まえた。俺たちはジアとかシワイとか呼んでいる普通の魚だ。それらを持参した調理道具の上で捌き、海藻と共に生で食す。内臓ごと食べるのが通だが、それはエドには厳しいだろう。調味料は海水を発酵させて作ったもので、これにもドロイが一役買っている。 「エドの口に合うといいんだが」 「僕、魚は生で食べられるよ、むしろ好きだなぁ――どれどれ」  エドは大きな口でぱくりと食べた。警戒する気持ちは全く無いようで、俺は信頼されているのだと誇らしい。  暫く観察していると、エドが皿の上の人魚料理を次々に食べ始めた。 「美味しい! 城で食べる魚と全然違う!」 「それはそうだろう。魚がお前の食卓に現れるまで、一体どれだけの時間が必要なんだ?」 「あ、そうか……!」  エドがお代わりを所望したので、俺はまた海に潜った。なるべく型のいい魚を選び、またエドの為に調理する。お腹一杯になったエドは俺に魚のパイをご馳走してくれて、楽しい食事が終わった。  そこから、俺とエドは取り留めの無い話をしつつ、波打ち際でゆったりと寛ぐ。それは暗くなり、お互い以外が何も見えなくなるまで続いた。

ともだちにシェアしよう!