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第4話 名残の匂い

 エドと別れた俺は、すいすいと人魚の都に戻った。すると、俺の屋敷は大騒ぎになっていて――まぁ全部、俺のせいだ。今日は何も言わずに抜け出した上、帰宅時間が大幅に遅い。だから騎士のロージオは怒髪天、というか実際に金色の髪と鱗を逆立てており、声を掛けるのも恐ろしかった。 「トニー殿下! 人間観察も良いけど遅すぎ! どれだけ心配したと思ってるんだ!? 最近ちょっと様子もおかしいし、それが関係あるのか!?」 「す、すまんロージオよ、そんなに怒るな」  ロージオは俺の騎士だが幼馴染でもあり、俺に対して遠慮会釈ない部分がある。この勢いから逃げようと思っても、俺の泳力では身体の大きいロージオにすぐ追いつかれてしまうし――こうなった場合、話術で煙に巻くか謝るしかない。今夜の俺は何となくで、後者を選択する事にした。 「ロージオ、人間観察は俺の生きがいだ。だから済まない、許して欲しい」 「解ってるよ! だから屋敷から出る時に協力する事もある! でも、遅くなるなら先に言ってよ! でないと私の身が保たない!」 「……わかったロージオ、今度からは必ず出掛ける事を告げ、時間も守ろう」  俺の言葉に、やっとロージオが頷く。それからロージオは近寄ってきて、俺の耳元にぼそりと呟いた。 「今回の騒ぎ、皇帝陛下のお耳に入っちゃったかもよ?」 「何っ!? 本当か!?」 「なるべく私が情報を抑えたけど、もしかしたらね」 「……ちっ、下手をすれば厄介な事になるな」  俺の父親、皇帝ゴッドフリー=ド=シーキングは、俺とナルネルに執心している。一見、冷たく装うのだが、他の皇族とは違う扱いをするので丸判りだ。一例を挙げれば七年ほど前、父の周囲でドタバタした事件が起こった時――わざわざ俺とナルネルだけを都から遠ざけ、軟禁状態に置いた事がある。他の皇族はそのままだったので、幼い俺は父に嫌われているのかと思ったのだが――問題が綺麗に消えた途端、また都に戻された為、単なる過保護なのではと考え直した。  そして俺が大人になるにつれ、徐々に過保護の理由が判明する。俺の母親への寵愛が深過ぎるのが原因なのだ。もういい年なのに、何かにつけてマリア、マリアとべたべたしているから少々恥ずかしい。  なので今も父は、俺たち兄妹に特別な感情を持っていた。つまり、何か気になる事が起こればまた遠方に送られ、一切の外出が禁止される可能性も否めない。そうなったら勿論エドには逢えなくなる。  俺が、ちっ、と舌打ちしていると、まだ傍に居たロージオが不思議そうに鼻を鳴らした。くんくん、と俺の匂いを嗅いでいる。 「なんだロージオ、行儀の悪い」 「うーん……変な匂いがする。何だろう、これ」  俺はギクッとした。以前ドロイに指摘された件があるからだ。今回はエドと深く交尾をしたので、ロージオにも感じられたに違いない。  俺はドロイに見破られた日の事を思い起こす。確かあの時はエドと逢って三日も経過していて――つまり、今俺から匂っているエドの香りも、その程度は確実に残ると考えられた。 「……ロージオ、今週の俺の予定はどうなっている?」 「ええと、明日は皇帝陛下と歓談、明後日は皇族の懇親会、明々後日は中央海嶺の慰問と視察、その次は――」 「も、もういい。そうか、明日と明後日はまずいな……」  俺はロージオに了解を取って、夜ではあったがドロイを訪ねる事にした。表向きは『今日の研究結果を自慢したい』という内容だ。 「ふふ、トニー殿下は子供みたいなんだな」  ロージオが、そう言うけれど――俺は交尾可能な人魚なのだから、子ども扱いは酷いと思う。  俺は自分の屋敷を出ると、ドロイのもとへ急いだ。どうせ彼は自宅の隣にある研究室に籠っている事だろう。そう思った俺の勘は当たっていた。ドロイの研究室前には、硝子に閉じ込めた夜光虫が沢山煌き、在室を知らせている。  俺は玄関ドアをこんこんと鳴らした。すると助手のリリカが姿を現す。 「すまないなリリカ、いきなり訪問して」  俺がそう言うと、リリカは鱗を揃えて堅苦しい挨拶を始めた。俺は必要ないと遮り、中へ通してもらう。  そこには夜光虫の灯りで研究に没頭するドロイが居た。普段なら俺の気配など全く察しない男だが、今日は俺に向かって視線を寄越す。 「おや、殿下じゃないですかぁ、いらっしゃい」 「夜分にすまんな」 「いえいえ、いいですよぉ。だって今日も変わった匂いがしてますし」  ドロイは興味深そうに俺を見ている。なので人払いしてもらい、ドロイだけに話す事にした。 「ドロイ、単刀直入に言おう。俺に付着した人間の匂いを取る方法は無いか?」 「あります、あります。この香油を使ってくださいねぇ」 「そうか……! 恩に着る! 礼は予算の倍増でいいか?」 「もちろんですよぉ!」  俺はドロイから快く香油を頂戴した。これを飲むと、皮膚から少しずつ香ってくれるらしい。だから、その場でドロイに教えられた適量を飲む。 「……これで平気か?」 「効いて来るまで、少し時間が掛かりますよ。その間に、匂いの原因について聞かせてくれませんかぁ?」  ドロイは変わり者だが研究仲間であるし、これからも今夜のように世話を掛ける事があるだろう。なので包み隠さず話す事にした。文章には残さないで欲しい、という条件を付けて。ドロイは笑顔で快諾した。 「……では話そう。俺が先週、人間を観察に行った時――」  ドロイは俺の話に身を乗り出している。それはそうだろう、俺たち人魚が知らない事だらけの内容だ。  粗方話し終わると、ドロイは興奮を隠せない様子で息を吐いた。 「殿下、それってかなり面白いですねぇ」 「そう言うな、俺は本気でエドを愛しているんだ」 「まぁボクが役に立つのなら、いつでも言ってくださいね。その代わり、また人間の事を教えていただければぁ」 「はは、そうだな。その時は頼むぞ」  俺はドロイに微笑む。するとドロイが、匂い消しの効果が現れたようだと言い始めた。 「ちゃんと効いて、良かったですぅ!」 「……俺で実験したのか?」 「だって殿下以外に、人間の匂いをさせる人魚なんか居ませんよぉ」 「それもそうか……でもまぁ、お手柔らかにな」  そう言いながら、席を立つ。俺は別室のリリカに声を掛けてから、ロージオが待つ屋敷に戻った。今度は時間を守っているので、ロージオも大人しい。匂いの件も言わないから上手くいっているようだ。俺は安心し、宝石箱の羽飾りに触れてから寝床に入った。

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