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第1話
ようこそおいでませ、此処は驚異の部屋。貴方は記念すべき××××人目のお客様です。
なんと、ご存じないとは心外!
ご覧なさいな、此処の名前の由来となった展示品の数々を。珊瑚や石英を加工した装身具、実在・架空取り交ぜた動植物の標本やミイラに巨大な巻貝、オウムガイを削った杯にダチョウの卵、貴重な錬金術の文献に異国の武具、機械仕掛けの形見函、はてはキリストの襁褓と噂される聖遺物に至るまで、此処に展示されているのは人類の叡智の結晶。さあさ目ん玉ひん剥いてとくとご覧あそばせ。
本日はご来場いただき誠にもって恐悦至極、お目にかかれて光栄です。僕のことは学芸員とでもお呼びください、僭越ながら驚異の部屋の水先案内人を務めさせていただきます。
何故こんな所に子供がいるのか?
うふふ、見た目通りの少年だと思っちゃだめですよ?
それは些か短絡的というものです、こうみえて貴方より遥かに長い時を閲してるのですから。
貴方の名前は?……ああ、言わなくて結構。おいおいわかるでしょうからね、それもまたお楽しみに。
その服かっこいいですねえ。斜に傾げたテンガロンハット、擦り切れたダスターコートの下のウェスタンシャツ、粋に巻いたネッカチーフにインディゴブルーのジーンズ、足元は拍車付きのブーツでばっちりきめてらっしゃる。由緒正しいカウボーイのファッションです。
腰に巻いたガンベルトには年季の入ったリボルバー銃、チョッキの裏には予備の銃弾。
貴方はガンマンです。
思い出しましたか?そうです、貴方は西部の男。まあお掛けください、立ち話はお疲れでしょうから。何か飲みます?お酒はだめですよ、酔っ払って呂律が回らなくなったら大変です!
眠気覚ましに苦~いコーヒーを所望ですか。よろしい、承りました。とびっきり濃くて苦いのを淹れて差し上げます。
ふふ、サイフォンが珍しいですか?貴方が生きた時代にはまだ普及してなかったでしょうからねえ。
僕ね、これが好きなんです。∞のデザインも洗練されているし、黒い雫がフラスコの中を滴り落ちる所なんて運命を司る砂時計そっくりじゃないですか。
さあ、遠慮なくお飲みください。ぐいっとイッキに。なんですか口をひん曲げて、お気に召しません?人生の苦味を抽出した、なかなか乙な味でしょ。
俺の流儀じゃない?じゃあどうやって淹れたんですか。
カウボーイコーヒー……へええ、そういうんですね。コーヒー専用の道具を使わず、ハンマーで砕いた粗挽きの豆をクッカーに入れ、直接煮出すと。必要なのはバンダナ、コーヒー豆、水、マグ、熱源、クッカーないしケトル。ハンマーはそのへんの石ころや斧で代用してもよろしい。
焚火にクッカーを掛け、そこで湯を沸かす。ぱちぱち火の爆ぜる音。煮出しに五分、さらに十五分待機して豆を沈殿させる。
すると泥水のように濁った、舌が痺れるほど苦いコーヒーの出来上がり。濃厚で芳醇な風味が癖になる。濾しきれず舌にわだかまる雑味がまたいい。
生涯飲んだコーヒーの数を覚えていますか?一日三杯は飲んでた?ウィスキーを少量たらすと最高……大人の嗜みですねえ。
カウボーイコーヒーはその名の通り、西部開拓時代に牛を追って暮らしたカウボーイたちが好んだコーヒー。
貴方にとっては|輝ける日々《ゴールデンデイズ》の記憶と結び付いた、思い出深い味でしょうね。誰とこれを飲んだんですか?一人で?それとも……。
マドレーヌの味が前世を呼び覚ますなら、コーヒーの香りで過去に回帰することもあるでしょうよ。
さあ話してください、貴方の数奇なる身の上を。ガキに話すようなことじゃない?ひょっとして覚えておいでじゃない?怒らないで、この部屋に来られる方にはよくあるんですよ。死亡時のショックが原因で記憶の一部を、あるいは全部を失っているんです。ご安心ください、話してるうちにだんだん思い出します。皆さんそうでしたから。
貴方が産声を上げたのは一八五九年、西部開拓時代の真っ只中。合衆国初の大陸横断鉄道が敷かれ、西海岸で巨大な金鉱が発見され、皆が西を目指した時代。ゴールドラッシュの絶頂期です。
ボーイズビーアンビシャス、少年よ大志を抱け。
他の多くの若者がそうしたように、貴方もガンマンとして名を上げ、伝説になる事を夢見ました。
片田舎の牧場に未練はありません。養父の銃をくすねて家を飛び出した貴方は、西を目指す道中数々の受難に見舞われたものの、生来の機転と度胸と銃の腕でそれを切り抜けてきました。
旅立ちから一年後、赤茶けた荒野の中心に存在する小さな町―レッドヒルズに辿り着きました。
来訪の目的はインディアンデビルに会うため。
『知ってるかい、レッドヒルズのインディアンデビルの噂』
『インディアン女との混血でべらぼうに強いって話だぜ』
『緑の目に浅黒い肌をした、見上げるような大男だとさ』
『銃の腕も天下一』
『バッファローの大群を一人で相手取ったらしい』
『アメリカバイソンだって聞いたが』
『早撃ち対決を申し込む?やめとけやめとけ、わざわざ死にに行くようなもんだ。これまで何十人返り討ちにされたことか』
曰く、インディアンデビルは悪魔のように強い男であると。
素晴らしい夢を見て、それを行動に移せ。ナバホ族の教えです。
西部で名を上げたくば腕利きを倒すのが常道。故に貴方は人種・出自を問わず、常に強敵を求めていました。枚挙に暇のない武勇伝を持ったインディアンデビルは格好の標的です。
大手を振って罷り通ってるキザな通り名も気に入りません、自分は無名のウィルにすぎないというのに。
……おっと、忘れていました。もういっこありましたね、貴方の悪癖に由来する素敵な通り名が。
貴方は童顔の優男、体格は小柄な方。亜麻色の髪と澄んだ青い目をした美少年の一人旅とくれば、悪漢に囲まれるのは日常茶飯事。
旅立ちから三か月目、こんな事がありました。貴方はニューヨーク出身の一家が駆る幌馬車に拾ってもらい、のんびり西へ移動中でした。
「無茶するねえ、歩きで一人旅なんて」
「馬に逃げられちゃって。あなたがたはどこに?」
「カルフォルニアへ行くの、向こうは景気がいいって話だから。姉夫婦もいるし、子育ての相談にのってもらえそうだわ」
御者台の旦那に代わり、荷台で倅をあやす女房が言いました。実に気の良い一家でした。
牧歌的な旅路に終止符を打ったのは一発の銃声。
「ひっ!」
馬車に併走するのは血気盛んなアウトロー……無法者の群れ。馬の尻に鞭をくれ、急接近してきます。
被弾した車軸が壊れ、馬車が大きく弾みました。
「きゃあっ!」
女房が息子を抱き締め叫び、手綱を持った旦那が青ざめます。
「止めろ!荷台にぶち込むぞ!」
他に選択肢はありません。馬車が失速して止まり、一家が下りてきました。もちろん貴方も。
「女がいるじゃねえか」
「熟れ頃のべっぴんときた、ツイてるぜ」
「お願い、この子だけは……」
両手を組んで命乞いする夫婦。狂ったように泣き喚く息子。阿鼻叫喚の修羅場において、貴方はじっくり敵を観察し、心の撃鉄を上げました。
「どうするボス?」
「そうだなあ、奥さんが大人しく言いなりになるってんなら子供だきゃあ見逃してやってもいいぜ」
「妻に手を出すな!」
「野郎にゃ聞いてねえ!」
固いブーツで旦那を蹴り上げ、女房のドレスを引き裂きます。貴方は沈黙を破りました。
「嘘はよくない」
その場に居合わせた全員の視線が集中します。
「なんだテメエ」
「お前の名前はトミー・ウィルソン、懸賞金三百ドルのお尋ね者。そのむさ苦しい髭面と額の稲妻、間違いない。ご不満なら罪状もセットで読み上げようか。傷害・強盗・強姦・殺人……」
得々と口上を述べ、ポケットから出した四ツ折りの手配書を開きます。
「で、そっちがトミーの愉快な仲間たち。取り巻き、手下、使い走り……まあなんでもいっか、所詮雑魚だもんね」
「ああ゛ッ、馬鹿にしてんのか!?」
露骨な挑発にいきりたち、憤然と踏み出す男共をゆったり見回し、手配書を畳みます。
「考え直しな奥さん、子供を人質にとって女房を手籠めにするのがウィルソン一味の手口なんだ。事が済んだら一家仲良く縛り首、立ち枯れた木でぶ~らぶら。八十マイル北の州境で見たぜ、てめえらの仕事」
亜麻色の髪の下、青い瞳がぎらぎら輝きます。トミーが鼻を鳴らしました。
「計画変更。最初に死ぬのはお前だ、坊主」
ところが、そうはなりませんでした。ずらり並んだ銃が火を噴く寸前、トミーを除くウィルソン一味がバタバタ倒れて行ったのです。
「逃げろ!」
「恩に着る、借りは必ず!」
貴方の号令を合図に一家は立ち上がり、馬車を駆って逃亡します。後に残されたのは肩や脚を撃たれ、激痛に悶え苦しむ男たち。急所はあえて外しています。
トミーが引鉄を絞ります。否、間に合いません。右手の甲に風穴が穿たれ、続いて脇腹が抉れました。
「命は奪らない。聞きたいことがあるんだ」
左手に構えるは硝煙立ち昇るリボルバー、狙ったのは痛点の集中する部位。評決は死よりも惨い生殺し。
「何者だテメエ」
「ビッチ・ザ・キャット」
ストリップ開始の合図のようにコートを脱ぎ捨て、瀕死のトミーに跨り。
「アンタが知ってるアンタより強い男の名前を教えて」
素早い身ごなしと淫蕩な性質を掛け、キャットと呼び始めたのは誰だったか。
夕日を背負って微笑む貴方の輪郭を、逆光が不吉に縁取ります。
さあさあ皆々様お立ち会い、これより行うのは尋問ならざる拷問、ビッチ・ザ・キャット本領発揮の独壇場、手っ取り早く体に聞きます。
「っ、は」
ロデオさながらトミーに騎乗し、ガンオイルを塗した手で秘部をまさぐり、下半身を沈めていきます。
「ぐ、ぁ、やめ、ろ」
トミーの顔が嫌悪と絶望に引き攣り、弾丸が埋まった傷口が不規則に脈打って血をしぶきます。にもかかわらず頑として頑として下りず、陰茎を食い締め、快楽を貪って。
「あっ、ふっ、ぁあっ」
「狂って、やがる」
トミーを犯す貴方は悪魔のようで。
激しく腰を揺らし筋肉の収縮と粘膜の痙攣を楽しみ、震え、慄き、傷口をほじくって絞め付けの強弱を調整し、できるだけ絶頂を長引かせようと仰け反って。
「答えろ。西部一の早撃ちは誰?」
若気の至り?未来永劫葬り去りたい黒歴史?ははっ馬鹿おっしゃい!貴方は生まれながらの|淫乱《ビッチ》じゃないですか、男も女も手当たり次第に食いまくって楽しんだでしょ?
どうどうおさえて、早撃ちが早漏の隠喩なんて言ってません。
ガンオイルで潤滑剤を代用するのは不衛生極まりないですけどねえ、もっと他になかったんですか軟膏とか靴墨とか。いっそのこと破廉恥な遍歴を綴った伝記を出版されたらいかがです、タイトルは『ビッチ・ザ・キャット全仕事』。
ともあれそんな感じで悪党どもから情報収集した結果、インディアンデビルの名前が浮かび上がったのです。
レッドヒルズに着いて真っ先に向かったのは、藪睨みのならず者が管を巻く、町外れの酒場でした。
まだ見ぬ敵への憧れと高揚に駆り立てられ、肩で風切り扉を開けるや、店内の視線が一身に集まります。
敢然と顎を引き、吹き抜けのホールを見渡します。インディアンデビルが誰かはすぐわかりました。カウンターの隅で酒を飲んでいます。
陰気くさい男だな、というのが率直な印象でした。噂と違いずばぬけた大男ではありません、平均と比べやや長身な位。が、引き締まった体には筋肉が詰まっていました。
「ここいい?」
軋む床板を踏み締め隣へ赴き、どっかと椅子に座ります。インディアンデビルが胡乱な目を上げます。
「野郎と相席する趣味はねえ」
「ツレないこと言わないで、アンタに会いに来たんだ。インディアンデビルだろ?」
至近距離で顔を見て、第一印象を若干訂正しました。インディアンデビルはイイ男でした。
インディアンの血がまじっているのは髪と肌の色で明らか。艶やかな褐色の肌と燐の火みたいな碧眼、サイドで一房編み込んだ髪が粗野な雰囲気を放ちます。実際遠巻きにされていました。
とはいえ着ているものは自分と同じ、カウボーイのチョッキとジーンズです。彫り深く整った顔は生まれてこのかた笑った事がないかのようで、悪戯心が騒ぎます。
胸元にはインディアンのお守り……ドリームキャッチャーを小さくした、風変わりなアミュレットが揺れていました。
「いかすね。見せて」
伸ばした手を払いのけ、琥珀の液体を注いだグラスを傾けます。
「何者だ?」
「ウィルって呼んで」
ビッチ・ザ・キャットの通り名は伏せます。
「だから誰だ」
「旅のガンマン。この町にすげえ強いヤツがいるって聞いて、手合わせを頼みにきたんだ。バッファローの大群を素手で止めたってのは本当?」
「五頭だけだ」
「へし折った角を飾ってるんだって?」
「悪趣味だな」
「銀行強盗のトンプソンギャングをお縄にしたのは」
「十年前の話がまだ出回ってるのか」
「うひょーマジだった!?」
即座にコートを捲り、内側にさしたリボルバーを誇示。
「早速やろうぜ」
「酒を飲んでる」
「じゃあ飲み終わったらで」
「出身はどこだ」
唐突な質問に面食らい、カウンター越しの酒棚に視線を放ります。
「ニューヨークらしいけど正確にはわからない」
「覚えてないのか」
「ちびの頃に引っ越したから」
馬が嘶く小屋の隅、臭い藁床で寝かされた日々が脳裏を過ぎりました。インディアンデビルが酒を啜ります。
「家族は」
「弟が一人」
「親は?」
「お袋は死んだ。血の繋がらない親父がいるけど、アレは勘定に入れないよ」
「わけありっぽいな」
仕切りの扉が開き、ボロボロのエプロンドレスを纏った少女が入ってきました。孤児でしょうか。真っ黒い巻き毛とコーヒー色の肌……初めて見る黒人でした。
貴方の視線の先、ガリガリに痩せた女の子はエプロンをたくし上げ、各テーブルを回っています。
「施しをめぐんでください。三日も食べてないんです」
「乳とケツが張ってから出直してきな」
「肌が白けりゃ考えたんだが」
邪険にあしらわれる物乞いを目で追っていたら、不機嫌そうなマスターが割り込んできました。
「ここは大人の社交場だ。ケツで椅子あっためる前に何か注文しな」
「ミルクを一杯。搾り立てで」
周囲の客がぽかんとし、次いで腹を抱えて爆笑しました。
「ママのおっぱい恋しけりゃおうちに帰りなボク!」
「よく見りゃ可愛い顔してんじゃねえか、ご奉仕すりゃおごってやるぜ」
インディアンデビルの横顔が歪みます。下卑た野次がやんややんや飛び交うなか、貴方はにっこり笑い―
ブーツを履いた片足を無造作にカウンターに投げ出し、束ねた紙幣を叩き付けました。
「釣りはいらねえ」
店中が沈黙。
「……あいよ」
紙幣を検めたマスターが頷き、グラスになみなみ牛乳を注ぎます。それを掴んで一口飲み、思いっきり顔をしかめます。
「雑味が濾されてない」
「酒場に牛乳あるだけ奇跡だろ」
「牧場育ちなもんで味にはうるさいんだ。ミルクソムリエと呼んでくれ」
「泡付いてるぞ」
冷静な指摘にハッとし、慌ててスカーフで拭います。その慌てぶりがおかしかったのか、インディアンデビルの顔が僅かに和みました。眼差しには呆れと感心の色。
「見かけによらず金持ちだな」
「旅の途中に絡んできた連中からむしったのさ」
「そんなこったろうと思った」
「行き倒れの財布を漁るよか神の御心にかなってるだろ」
「教会に行った経験がないんでな。イエスの御心は騙れん」
「アンタさえよけりゃおごるよ。お礼に付き合って」
「無益な殺生はしない主義」
「安心しな。死ぬのはそっちだ」
挑発の応酬にきな臭い殺気が通います。そこへとぼとぼ女の子がやって来ました。客に袖にされ落ち込んでいます。
貴方はグラスに口を付け、すぐ離し、女の子の方へ押しやりました。
「まずくて飲めたもんじゃないな。代わりに片付けて」
「おい」
気色ばむマスターを眼光鋭く牽制、啖呵を切ります。
「残りもんの始末は客の裁量」
インディアンデビルが痛快そうに口角を上げました。
「ありがと!」
余っ程喉が渇いていたんでしょうか、ごきゅごきゅミルクを飲み干します。ぷはっとグラスから顔を上げると、口の周りに白い膜が付きました。
「おそろいだね」
くすぐったがる女の子に向かい、ポケットから出した青銅貨……インディアンヘッドペニーを弾きます。
女の子がコインを捕まえ相好を崩すのと、マスターの堪忍袋の緒が切れるのは同時でした。
「目障りだ、出てけ!」
一目散に逃げ去る背中を見送り、貴方は聞きました。
「あの子は?」
「最近よく見かける薄汚え孤児だよ」
「親は」
「さあね。はぐたのか死んだのか、食ってけずに捨てられたってのが一番ありそうだが」
南北戦争は北軍の勝利で終わり、奴隷制は廃止されました。が、差別や偏見がなくなるわけではありません。より暮らしやすい新天地を求め、あるいは一攫千金に賭け、西を目指す黒人は大勢いました。
「世知辛いな」
軽く感想を述べる貴方の隣、インディアンデビルが席を立ちます。一方的に話を打ち切られたのに腹を立て、貴方も腰を浮かせます。
「待てよ、話の途中」
「故郷に帰れ」
「やだね。二度と帰るもんか」
「勝手にしろ」
それきり興味を失い、スウィングドアを開けて出ていきます。
酒場が面した目抜き通りには乾いた風が吹き、西部劇の風物詩のタンブルウィードが転がっていました。
砂埃を浴びた家々は茶色く煤け、全体的に活気がありません。付近の金鉱が枯れるのに伴い、町も衰退したのです。
悪ガキどもが棒きれで犬を追い立て、所帯じみた女たちが井戸端会議をしています。酒場の横には客が乗ってきた馬が繋がれ、飼い葉桶の中身を食んでいました。
「待たせたな」
インディアンデビルの愛馬は立派な黒毛でした。他の馬より体が大きく勇猛な野性味に溢れています。
親愛の情を込めた手付きで首を叩き、次いで視線を下ろしました。馬の前に置かれた桶の水を、例の女の子が両手ですくい、夢中で飲んでいるのです。
「腹壊すぞ」
女の子が振り向きます。顔には焦りの色。
「あたし泥棒じゃないもん!お馬さんのお水盗んでない、ちょっぴり分けてもらっただけ!」
「怒ってないって。そも俺の馬じゃねえし」
ミルク一杯じゃ足りなかったのかと責めるのは考えが足りません。女の子はバツ悪げに俯き、手の甲で口を拭います。
「……お腹膨らませなきゃ眠れなくなっちゃうもん」
謝罪より先に言い訳する女の子の前に、インディアンデビルが立ちはだかりました。
「子供がしたことじゃんか、許してやれ」
肩を押さえて耳打ちするも黙ったまま、厳めしい表情は変わりません。女の子が怯えてあとじさります。次の瞬間、インディアンデビルは意外な行動をとりました。
女の子の前に跪き、柔らかい口調で諭したのです。
「アロは優しいヤツだから、水を飲まれた位で怒ったりしない」
「本当?」
「本当だとも」
「蹴っとばしたりしない?」
疑い深げに念を押す女の子を近くに招き、懐から何かを取り出します。柄にターコイズを嵌めこんだ美しいナイフでした。
「持っていけ。金になる」
女の子がナイフをひったくり駆け出します。
「いいの?」
「構わん」
馬の手綱を掴み、物憂くため息を吐きます。
「この町は物騒だからな。身を守る物が必要だ」
「アロの意味は」
「夜明け」
なるほど、ふさわしい名前でした。
「ふはっ!」
なんだか愉快になってきました。耐え切れず吹き出す貴方を、インディアンデビルが訝しげに見返します。
「悪魔なんて呼ばれてるくせに、拍子抜けするほどお人好しだな」
アロの隣に繋いだ愛馬―トミーから盗んだアラブ種に身軽に飛び乗り、手綱をとって並びます。インディアンデビルは渋い顔をしました。
人生はあげることともらうことの両方である。モホーク族の言葉です。
レッドヒルズから三マイル離れた荒野の洞窟が、インディアンデビルの塒でした。
初めて訪れた時は吃驚しました。人が棲むにはあまりに辺鄙な場所だったのです。周囲に人家は見当たらず疎らな草が生えてるだけ。遥か遠くに見える町並みは陽炎に霞み、かえって現実感がありません。
「洞穴に住んでるのか。ベッドと椅子は手作り?」
「鍋もだ」
「さっきのナイフも?」
「ああ」
「鍛冶屋に鞍替えしてもやってけるんじゃない?」
「付いてくるな」
「勝負してくれるまで帰らない」
「居座る気か?」
「雑用請け負うぜ。仕事も手伝うし」
「余分なベッドはないぞ」
「そのへんの板きれトンカンして作る。手先の器用さにゃ自信あるんで」
「嵐の日は雨風吹き込むぞ。ひ弱な坊やは耐えられねえ」
「家借りろよ、穴ぐら暮らしは不便だろ」
「鍋やフライパン、煮炊きに必要な道具は一通り揃ってる」
朝昼晩一緒に過ごすうちに、インディアンデビルが実直で不器用な人間だとわかってきました。
銃の手入れをしながら貴方は聞きます。
「インディアンデビルは本名?」
「まさか」
「本当の名前はなんていうんだ」
「教える義理はない」
「ケチ」
いかなる信念があるのでしょうか、貴方を鬱陶しがり追い払おうとする一方、ガンベルトの銃はけっしてぬきません。
ならばこちらから仕掛けようと企て、火を熾す背中に銃を向けたものの翻意したのは、少女にナイフを与えた優しい顔が忘れられないから。
ええ、ええ、知っています。貴方は聖人君子じゃありません。ニューヨークから来た一家を助けたのだって行きがかり上仕方なく、単なる気まぐれのようなもの。
欲しいのはインディアンデビルを征した既成事実、有名になりたきゃ手段を選んでいられません。
悪魔の巣穴に転がり込んで三日後、抜き足差し足忍び足で寝台を出ました。目的はずばり夜這い。
「寝てる?」
返事なし。好都合です。舌なめずりしてのしかかり、首に腕を回し……
「痛っで!?」
あっさり跳ね飛ばされました。
「寝首を掻く魂胆か。残念だったな」
「起きてたのかよ」
「もとから眠りが浅いんだ」
一回失敗した位じゃ凝りません。その次も次も次も次も挑戦し、あっけなく返り討ちにされました。
さあいけビッチ・ザ・キャット、インディアンデビルの貞操を奪え!夜這いは得意中の得意だろ!
……無茶振り?二重の意味でヤりたくても隙がない?確かに。長年の洞窟暮らしの影響でしょうか、他者の気配に敏感なインディアンデビルはちょっとした物音で目を覚ましました。勘の良さは野生動物並。
貴方を返り討ちにする都度、インディアンデビルは呆れて言いました。
「こすっからいまねするな。正面から挑んでこい」
「断ってんだろ!」
「丸腰の寝首を掻いて満足なのか。銃の腕を誇りたいんじゃないのか。なりふり構わず手柄を急いて仕損じて、それでもガンマンの端くれか?」
「ぐっ」
「俺は逃げも隠れもせん。する必要がないからな」
ド正論です。
しかるに他人の居候を許したのは余裕の表れか独り寝に飽いた余興か。
アイツに限ってそれはない?どうでしょうか、孤独は魂を蝕む不治の病ですからねえ。
貴方もよくご存知でしょ?
彼は何故洞窟で暮らしていたのか。何故家族を持たなかったのか。
レッドヒルズ滞在一週間目、ちょっとした事件が起こりました。町からの帰り道、赤茶けた岩場に兎を見付けたのです。インディアンデビルが手綱を引いて馬を止めます。
「狩ってくる」
「豪勢な晩飯になりそうだな」
「やるとは言ってない」
「脂身多いとこくれ」
「石でも噛んでろ」
兎を追って消えたインディアデビルに手を振り、先に帰ろうと馬首を巡らした時。
「お~い」
町の方から数頭の馬が駆けてきます。先頭の男には見覚えあります、酒場の常連です。
「どうした?」
「忘れ物。この帽子お前のだろ」
男が手にぶら下げた帽子は貴方の物ではありません。現に今、テンガロンハットを被っています。
「人違いじゃ」
次の瞬間発砲され、馬が踊り上がります。
「うわっ!?」
凶悪な人相の男たちが貴方を包囲し、リボルバーの銃口を突き付けます。
「人前で大金チラ付かせたのが運の尽き」
「有り金全部おいてけ」
「なるほど、一人になる瞬間狙ってたのか」
一週間前のパフォーマンスが仇になりました。悔やんでも後の祭りです。観念し両手を挙げ―
リボルバーを掴むより一瞬早く、正面に陣取った男たちの肩と腕が弾けました。
「ひいっ!?」
「ぎゃあ!!」
馬上の体が傾いで転落、二人が失神したのを見計らい馬首を返す三人。野太い怒号と馬の嘶きを裂いて銃声が鳴り響き、男たちの肩が次々爆ぜます。
陽炎に歪む荒野の彼方、大地を蹴立てる蹄の音も高らかにインディアンデビルが戻ってきました。鐙には死んだ兎が括られ、片手には硝煙たなびく銃が。
「畜生、悪魔が!」
「忘れ物だぞ」
インディアンデビルが顎をしゃくり、落馬した二人の回収を命じます。
全ては一瞬で片付きました。
「は、はは」
砂埃に巻かれ遠ざかる影を見送り、だだっ広い荒野の真ん中で武者震いします。
「ぶっちゃけデマじゃねえか疑ってたんだ、アンタちっともやる気ねえし……でもさ、たった今実感した。馬を走らせながら杭に止まってる鳥を撃ち落とすこの俺が、射撃の早さで劣るなんて初めてだよ」
「気は済んだか?」
助けたことを恩に着せるでもなく、淡々と呟くインディアンデビルに詰め寄ります。
「いんや。ぜひともサシでやりたくなった」
インディアンデビルは用心棒。夜っぴき酒場に張り込み、お代を踏み倒す不届き者や暴れる客を懲らしめます。貴方の仕事はそのお手伝い。
今日もまた娼婦に悪さを働いたならず者が、赤ら顔で吠えたてます。
「はなしてよゴロツキ!」
「うるせえっ、躾け直してやる!」
酒臭い息を撒き散らし、二階廊下をのし歩く二人組の悪漢。号泣する娼婦の髪を片手で掴んで引きずり、階段に向かった刹那……
「お持ち帰りは許可してないよ」
「誰だテメエ」
「どけよ」
階段の前に立ち塞がる貴方に、案の定突っかかってきました。
「俺たちが買った女をどうしようが勝手だろ、これからたっぷり楽しむんだ」
「お客様は神様だって忘れたのか、商売できなくしてやるぞ」
「おー怖」
両手を挙げ茶化したのち、鮮やかに手首を返し。
「神様ならさあ、天国にいなきゃおかしいよね?」
甲高い銃声が轟き、右の男が派手に吹っ飛びます。娼婦の髪を掴んだ手は抉れて血をしぶき、背中が激突した壁には、体の輪郭に沿って綺麗に弾痕が穿たれました。
「ぎゃああああっ!」
絶叫を上げる男の正面にしゃがみこみ、リボルバーをくるくる回します。
「地上にしゃしゃって女を買うとか大層なご身分だ。送り返してやろっか」
「や、やめてくれ!俺が悪かったよこの通り、二度と敷居跨がねえし女にも乱暴しねえって約束する、だからどうか命だけは助けてくれええええ!」
取り乱す相棒をあっさり見捨て、全速力で階段を駆け下りる片割れ。
「行ったぞー」
娼婦を抱き起こしがてら叫べば、階段の終わりで待ち構えていたインディアンデビルが、男の顎を殴り飛ばしました。
「続きは裏で」
気絶した客を連行する出す用心棒を見送り、二階の手摺に凭れた娼婦たちがうっとりします。
「はあ~かっこいい~痺れるゥ~」
「抱かれた~い」
「男前よねえ」
「ただでもいいよ」
裏口から帰還したインディアンデビルに投げキッスが降り注ぎました。馴染みの娼婦が科を作り、貴方の耳元で囁きました。
「連れてきて。お小遣い弾むよ?」
「ヤツはうぶでね。その代わり」
おもむろに唇を奪い、まっすぐ目を見て微笑みます。
「俺じゃだめ?」
扉の奥から聞こえるベッドの軋みと喘ぎ。貴方が娼婦とお楽しみ中、インディアンデビルはカウンターの隅に座り、ウィスキーを飲んでいました。
三十分後。
さっぱりした顔で部屋を出たのち、階段の手摺を滑って一階に着地をきめ、インディアンデビルの隣に滑り込みます。
「このあと暇?」
「断る」
「早いって、最後まで聞いてよ」
「なんべんも言わせるな、子供と撃ち合いはしない」
「酒場に入り浸る時点で立派な大人」
「ミルクしか飲まねえくせに」
インディアンデビルの肩を抱き、意味深に目配せします。
「女どもがこっち見てる」
「興味がない」
「男が好きとか?童貞じゃないっしょ」
「摘まみ食いしたな」
「役得」
「おこぼれ目当てに付いて回ってんのか」
「どーせ明日をも知れない身の上だ。太く短く、楽しめる時に楽しまなきゃ損ってね」
「俺のベッドに忍ぶのも同じ理由?」
「わかってんじゃん」
議論は平行線です。
斯様にインディアンデビルは寡黙で禁欲的、享楽主義と刹那主義を掛け合わせた貴方とは真逆の人間。色恋沙汰にも無縁です。
秋波を送る娼婦たちを親指でさし、酸いも甘いも噛み分けた先輩面で唆します。
「お預けは辛いぜ。有難く食えよ」
「娼婦は商品。深入りは禁物」
「堅物め」
「お前の尻が軽すぎるんだ」
「そのぶんじゃキスもまだ?」
「……」
「図星ィ?」
青年の首に腕を回し、とびきりふしだらに微笑みかけ……次の瞬間引っぺがされました。
「からかっただけだろ?」
インディアンデビルは奥手でした。仏頂面で酒を呷る横顔を眺め、前夜の出来事を回想します。
昨日の夜遅くに目を覚ました貴方は、衣擦れの音に視線を向け、インディアンデビルの自慰行為を目撃しました。
え?何?どういうこと?
まるで状況を把握できず一回毛布に潜ってからおずおず顔を出し、やっぱり夢じゃないと確かめます。
インディアンデビルも生物学上は男、しかるに自慰行為は生理現象。故に居候が寝たあと一人で致すのは同じ男として理解できなくもないとして、気に入らないのは貴方への態度。
こっそり一人でする位なら、夜這いを受け入れたっていいんじゃないか?
男同士に抵抗を感じるのか。
インディアンデビルともあろうものがそんな常識にこだわるのか。
……だんだん腹が立ってきました。身勝手を承知で言えば、インディアンデビルにはもっと無茶苦茶なヤツであってほしいというのが、ビッチ・ザ・キャットの掛け値なしの本音でした。
寝台の上に胡坐をかき、股ぐらを擦り立てるインディアン・デビルは実にかっこ悪い。
情けない、見苦しい、恥ずかしい。
頑張れどなかなか勃たず、しまいには行為を中断し、罵倒と苦鳴が入り混じった呻き声を漏らす始末。
握り拳で膝を叩き、頭を抱える姿が瞼に焼き付いて離れません。
インディアンデビルは不能なのか。その原因は?
……どうでもいい。些末な事です。
たとえ不能だろうが女に勃たなかろうが、この男が恐るべき早撃ちで、倒すべき価値ある強敵なのは事実。
貴方にとっては命の恩人で、相棒で、目標で。
それだけ?
本当に?
時折チェルシーが迷い込みました。周囲のテーブルをおそるおそる窺い、カウンターでだべる貴方たちを見付けるや、たちまち駆け寄ってきます。
「ウィル!インディ!」
目を輝かせる少女に片手を挙げてこたえます。
「よ、チェルシー。飯食ったか?」
「お腹ぺこぺこ」
返事を聞いたインディアンデビルは皿の食べ残しを押しやり、貴方は追加で注文しました。
「マスター、こちらのレディにミルクを一杯」
お代さえ払えば店主は逆らえず、ましてや頼みの綱の用心棒の知り合いとなれば、以前のように摘まみ出される恐れもありません。チェルシーはすっかり貴方たちに懐き、酒場で会うたび膝に飛び乗り、甘えてくるようになりました。
「インディの膝が好き?」
「うん!」
インディアンデビルの膝にちょこんとお座りした姿が微笑ましく、少女の口元に匙を運びます。
貴方が運ぶスープを嚥下する傍ら、チェルシーは熱心にインディアンデビルの顔を見詰めていました。さすがの鉄面皮も根負けし、居心地悪げに身動ぎしました。
「俺の顔がどうかしたか」
「インディ、この人にそっくり」
チェルシーがポケットから取り出したのは、以前貴方が渡したインディアンヘッドペニーでした。
「使わなかったのか」
「だってもったいなくて。丸くてぴかぴかしてとってもキレイなんだもん」
それはチェルシーの所持品の中で数少ない美しいもの、慈しむ価値のある宝物でした。
汚れたエプロンで繰り返し擦り、息を吹きかけまた磨き、目の位置に翳して見とれ。
「チェルのお気に入りはインディの膝とインディアンヘッドペニーだな」
茶化す貴方とインディアンデビルを見比べ、真剣な表情で切り込みます。
「誰にも言わないからナイショで教えて。このコインのモデル、インディなの?」
子供特有の純粋さにたじろぎ、インディが目で助けを求めます。貴方はここぞと身を乗り出し、虱が沸いたチェルシーの頭をなでました。
「賢い子だ。インディアンヘッドペニーのモデルは実はコイツ、無口がカッコいいって痛い勘違いしてる朴念仁」
「やっぱり!インディってすごい人なんだ!」
はしゃいで足をばた付かせるチェルシー。眉を吊り上げるインディアンデビル。
「おい」
「すごい奴なのは本当だろ?旅の途中で会ったガンマンはみんなアンタの噂をしたぜ」
「……買いかぶりだ」
「謙虚だね」
「コインの肖像は歴史に名を刻む偉人と決まってる」
「名もなき混血児はお呼びじゃないって?」
自虐的な発言に鼻白み、懐から新たに出したインディアンヘッドペニーを投げ上げます。
「いずれ伝説になるなら肖像権の前借りだってオーケーさ」
手の甲に着陸したコインは表。相棒に面影を寄せたインディアンの眼差しは、遥かなる荒野のはてを見透かして。
「歴代大統領・インディアンの酋長・自由の女神、エトセトラエトセトラ……けどね、インディアンヘッドペニーのモデルが誰かはハッキリわかっちゃいない。架空の人物か実在の人物か、名前はおろか性別も。アンタって事にしちゃって何か問題が?」
「屁理屈だ」
「子供の夢壊すなよ」
ミルクで乾杯を求めたところ、琥珀のウィスキーで渋々応じました。インディアンデビルの膝の上で、青銅貨を眺めるチェルシーは幸せそうでした。
子供は親のものではない、神様からの授かりものなのだ。モホーク族の真理です。
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