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第2話

用心棒の務めを終えたのち、貴方たちは馬に乗り、荒野の洞窟に帰りました。 もとは奥行きある天然の穴ぐらでしたが、壁にはフライパンや鍋などの日用品が掛かり、木製の寝台も置かれ生活感が漂っています。 貴方はコートとブーツを脱いで寝台に横たわり、毛羽立った毛布をかぶりました。 「聞いた?近くの町で子供が消えてるって」 「誘拐か」 「多分。先週はヴァージニアから来た一家の馬車が襲われた、子供の遺体は見付かんないまんま」 人の移動が激しい開拓時代はこの手の犯罪が尽きません。インディアンデビルの強面に暗い表情が浮かびます。 「チェルシーが心配だな」 「情が移ったのか」 「俺の膝を指定席にしてる」 「固くて座り心地悪そうだけど」 「安定感は抜群」 まんざらでもなさげに言い、上着を脱いで隣の寝台にもぐります。裸の胸元にアミュレットがたれました。 「寝る時も外さないの」 「……習慣なんだ」 「ふうん」 頭の後ろで手を組み、睡魔の訪れを待ってゴツゴツした岩肌を仰ぎます。 「ドリームキャッチャーってさ、悪夢避けのお守りなんだろ。アンタも怖い夢見んの?」 「ああ」 「意外。もっとタフかと」 「がっかりしたか」 「親近感湧いた」 悪夢を見るのは貴方も同じです。夢の詳細を詮索しない分別も備えていました。 上半身裸の隣人が寝返りを打ち、ニヒルな微笑を浮かべます。 「欲しけりゃやるぞ」 「遠慮しとく。インディが悪夢にびびっておねしょしちゃ可哀想だし」 「言ってろ」 軽口を叩き合って目を瞑り、やがて眠りに落ちました。物音に起こされたのは深夜です。隣のベッドが不自然に膨らんでいます。毛布を纏った青年が、今宵も自慰に耽っています。 「っ、は、ぐ」 手負いの獣じみた呻き声。汗とカウパーがまじった生臭い体臭。萎えた陰茎を必死に擦り立て、上手くいかずあせり、またやり直すくり返し。 普段のタフで男らしい振る舞いに見慣れた貴方は、狂おしい醜態から目が離せません。 「はっ、ッ」 自然と股に手が伸びます。ジーンズを寛げ、陰茎を引っ張り出し、青年と呼吸を合わせしごきます。 何やってるんだ。正気じゃない。後ろめたさに苛まれるほど背徳感が煽り立てられ、興奮がいや増します。劣情の火照りを持て余し、ぬる付く陰茎を擦り、青年に先んじて果てました。 眠ったふりをしているならその男は起こせない。ナバホ族の諺です。 この夜から秘密ができました。 手淫に耽るインディアンデビルと背中合わせに位置取り、毛布の中で手を動かします。くぐもった呻きや荒い息遣い、しめやかな衣擦れの音にまでむらむらし、さらには快感と苦痛に歪む顔まで想像で補って陰茎が張り詰めます。 バレたら叩き出されると頭じゃわかってるのにどうしてもやめられません、覗き見中毒です。 覗き見の回数が嵩むほどごく日常的な場面でも過剰に意識し始め、酔い潰れて肩を貸されるたび、反対に貸すたび、ガンオイルと汗が入り混じった体臭にドギマギしました。 馬で遠乗りした帰りは野宿しました。月と星の輝く夜、焚火を囲んでコーヒーを沸かします。 「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの、名前」 「言ってもわからん。インディアンの言葉だ」 「ますます気になる」 マグの中身をちびりと啜ります。デビルが淹れてくれたコーヒーは地獄のように苦く、舌が痺れそうに熱くて。 「……死ぬほどまずい」 「子供には早い」 「子供じゃないって」 「毎回ミルク飲んでるじゃないか」 「あれは当て付け。酒場においてあるとは思わなかった」 最初は吐き出しそうに苦かったコーヒーも毎晩飲んでいるうちに自然と慣れ、まずさが癖になってきました。大人になった証拠でしょうか。 両手でマグを包み、真っ黒な水面を覗きます。 「……アンタ、家族は?」 「いない。一人だ」 「死んだの」 「育ての親の爺さんは十年前に」 火の粉が爆ぜます。 「悪名高い騎兵隊が先住民の村を闇討ちし、長く楽しもうと拉致った娘を孕ませた。その子が俺」 「……」 「町の入口で行き倒れた妊婦に同情して、騎兵隊上がりの爺さんが熱心に世話してくれたんだ。罪滅ぼしだったのかもな」 「お袋さんは」 「五歳の時に死んだ。お代わりは?」 こともなげに言い放ち、木の棒で焚火をかき回します。貴方は小さく頷き、マグの中で渦巻く黒い液体を見詰めました。 「追い出されたのか?」 「皆が皆先住民を嫌ってたわけじゃない。親切な人もいた、傷を手当てしてくれたタッカーの奥さんや卵をまけてくれた雑貨屋の婆さんとかな」 レッドヒルズは保守的な町でした。母方の特徴が外見に現われたインディアンデビルは、さぞかし肩身が狭かったでしょうね。 ささくれた小枝を火に投げ込み、炎の照り返しを受けた顔で聞きます。 「もういっこだけ質問」 「なんだ」 「育ての親の爺さん、鍛冶屋だった?」 「冴えてるな」 真ん中でへし折った小枝を火に投げ入れます。 「ガキの頃から見様見真似で蹄鉄を打っていた。初めて貰ったおもちゃは屑鉄をよじった知恵の輪」 貴方がまだ何も言わないうちから、炎の照り返しを受けた顔で自嘲します。 「似合わないか」 貴方は思い出します。町を出歩く都度、住民たちが向けてくる白い目と陰口を。 『インディアンデビルだわ』 『何度見ても気味悪ぃ。見ろよあの緑の目』 『近寄っちゃ駄目よ坊や、呪われる』 仕事場でこそ一定の信用を得ているものの、白人社会における混血は異分子として忌避される宿命。 無益な慰めに代わり、砕いた豆をクッカーで煎り、特別苦いコーヒーを淹れてやります。 「アンタの腕は確かだ。常連になるよ」 「……そうか」 マグを受け取り照れる青年を眺め、仮に時代と世間が許せば鍛冶屋を継ぎたかったかもしれないと考え、しばし感傷に浸りました。 まっすぐにしゃべれば光線のように心に届く。アパッチ族の格言です。 火には原初の力が宿ります。有史以前より人々は火を焚き、共同体の連帯感を強めてきました。 センチメンタルな男同士とあれば尚更、焚火を囲む夜の語らいは絆を育むきっかけになる。 めまぐるしく過ぎゆくゴールデンデイズ。インディアンデビルは荒野に生息する野兎を狩り、夜は用心棒として働きます。チェルシーは足繁く酒場に通い、インディアンデビルに甘え、貴方がおごるスープやミルクを飲みました。 「できたぞ」 「サンキュ」 一日の終わりはインディアンデビルが淹れてくれたカウボーイコーヒーで締めます。貴方も気が向けば淹れました。 焚火で沸かしたコーヒーを飲み合い星空を眺めるのが、一日の内で一番落ち着く時間でした。 当初の目的である早撃ち対決は保留されているものの、インディアンデビルやチェルシーと過ごす日々に、家族の団欒めいた安らぎを感じ始めていたのは認めざる得ません。 ならず者が闊歩するこの時代、十代の身空で一人旅の過酷さは想像を絶します。 養父が営む牧場を飛び出してから今日に至るまで、常に強盗や獣の襲撃を警戒し銃の撃鉄を上げておくのが、ガンマンの流儀とされる殺伐とした日常でした。 なのに。 インディアンデビルやチェルシーといると、リボルバーの撃鉄をうっかり上げ忘れてしまうのです。 ごくまれに酔っ払ったインディアンデビルは、不思議な歌を口ずさみました。 「死んだお袋に教わった。滅びた部族の歌だ」 歌声は太く哀愁を帯び、コヨーテの遠吠えに似ていました。チェルシーもまねして歌います。 「しめるぞ」 マスターが客を帰したのち、貴方たちは途方に暮れました。チェルシーはカウンターに突っ伏し、規則正しい寝息を立てています。 「どうする?」 「ほったらかして行けねえ」 「酒場に泊めてもらうのは」 「黒んぼ嫌いの親父が引き受けるか?」 ごもっとも。用心棒の大義がなければ、インディアンデビルにだって敷居を跨がせないはず。窓の外は夜が更け、飢えた野良犬が徘徊しています。 仕方ない。 コートの懐を探り、インディアンヘッドペニーを摘まみます。 「表?裏?」 「裏」 「じゃあ表」 コイントス。 手の甲に落ちた青銅貨に反対の手をかぶせ、満を持してご開帳。結果は表。 インディアンデビルは諦念の表情を浮かべ、安心しきって熟睡するチェルシーをおんぶしました。 「落とすなよ」 「お前が乗せるか」 「年上好みなもんで。エスコートはまかせた」 手早く縄をほどき、鐙に足を掛けよじ登ります。チェルシーはインディアンデビルの前を占めました。貴方は笑います。 「子連れガンマン」 「変か」 「似合ってるぜ」 轡を並べて目抜き通りを駆け抜けます。目指すは塒の洞窟。 ひた走る馬に揺られ家路を辿る間、チェルシーは仄かに笑ってました。幸せな夢でも見ていたのでしょうか、それは本人しか預かり知らぬことです。 連れ帰ったのは成り行き。一方でこうなる予感もしていました。 馬の手綱を掴んで飛ばしながら、インディアンデビルに語りかけます。 「例の人さらい、まだ捕まってないっぽいな」 「近くの村や町で子供が消えてる」 「チェルシーは帰る家がない。頼れる家族もいない」 チェルシーが明日から酒場に来なくなったら、変わり果てた死体となって発見されたら……。 想像するだにやりきれず、胸が張り裂けそうです。相棒も気持ちは同じと見えました。 「屋根がある所で寝るなんて久しぶり!雨が当たらないだけ天国!」 翌朝目を覚ましたチェルシーは大喜び、貴方とインディアンデビルにかわるがわる抱き付きました。 少女にキスをもらったインディアンデビルが戸惑い、貴方は言葉足らずな彼の気持ちを通訳します。 「一緒に暮らすの嫌じゃないか」 「ちっとも!ウィルもインディも大好きだもん!」 また一人洞窟暮らしの仲間が増えました。ここはトム・ソーヤの秘密基地、ロビンソン・クルーソーの寝床、ハックルベリー・フィンの筏です。 最後は何だ?……ああ、続編の出版は貴方の死後でしたね。名作なのにもったいない、興味があるならお貸ししますよ。そこの本棚に初版本が並んでます。 僕ねェ、『トム・ソーヤの冒険』の結びの一文が好きなんですよ。これ以上は男の物語になってしまうので、これでおしまい。アレは少年少女向けの冒険小説であるからして、主人公は少年じゃなきゃ駄目だったんです。 少年でいられる時間がいかに短いか、マーク・トウェインはよくわかっていたんでしょうね。 おそらく貴方も……。 チェルシーのベッドは木箱の余りを寄せ集め、共同作業でこしらえました。贅沢に藁を敷き、寝心地よくするのも忘れずに。 「いってらっしゃい」 「なるべく早く帰る。誰か来ても出ちゃだめだぞ」 「はーい」 仕事は順調、人生は上々、疑似家族万歳。外で洗濯物を干すチェルシーに手を振り、インディアンデビルと轡を並べ、町までひとっ走りします。 「なあインディ」 「その名で呼ぶな」 「本名知んないし」 インディアンデビルが舌打ちします。貴方はためらいがちに言いました。 「俺、出てった方がいい?」 インディアンデビルが瞬きます。顔には戸惑いの色。 「何故?」 「食いぶち増えたじゃん」 「二人も三人もたいして変わらん」 「でも」 「今さら遠慮したって手遅れだ。転がり込んできた時にしてくれ」 初めて笑った顔を見ました。はにかむような人懐こい笑顔。 「チェルシーは俺たちの娘みたいなもんだ。独り立ちできる年まで面倒見るぜ」 友人以上の感情を自覚したのはこの時。 インディアンデビルは故郷を捨てた貴方に居場所と生き甲斐を与えてくれました。 「おはよ、ウィルのブーツ干しといたげたよ」 「びしょ濡れじゃん」 「履いてるうちに乾く」 「他人事だと思って。顔にやけてんぞ」 家族の間に調和を保てれば人生は成功だ。ウテ族の金言です。 「ねえねえお話聞かせて!」 「どんな?」 「ウィルの旅の話。どんな人と会ったの」 「ニューヨークから来た家族。チェルと同じ位の坊やがいた。今頃はカリフォルニアに着いて、ドでかい金鉱掘り当てて大金持ちになってるかな」 「すごい!その人たちウィルの友達なんでしょ、金ぴかの馬車で迎えに来ないかなあ」 「忘れちまってるさ」 「インディは?面白い話ない?」 「ある部族の言い伝えだ。インディアンは自然の精霊、カチーナを信仰している。彼等は火や水や石、自然界のあらゆるものに宿り、俺たちを導いてくれるんだ。特に親しまれたのが繫栄と豊穣を司る精霊・ココペリ。コイツは巨大な鷲の姿で峰を見張り、新天地をめざす部族を試す」 「どんなどんな?」 「ココペリは脚に一本の矢を掴んでいた。それを酋長の目に近付け、瞬きしないか試すんだ。酋長が耐え抜いたと見るや、今度は矢を番えて放ち、若者を二人同時に射抜く」 「死んじゃったの?」 「どっこい、ぴんぴんしてる。矢に貫かれた若者が笛を吹き、守護精霊の力で傷を癒すのを見たココペリは甚く感心し、彼等に峰に住む許しを与えるんだ。めでたしめでたし」 「ハッピーエンドでよかったあ」 「笛で超回復とかお手軽で反則だよな。もっと笑えるネタあるぜ、聞く?」 「サンダーバードの話の方が面白い。まずはグレートスピリッツの説明から」 「同時にしゃべんないで、何言ってるかわかんないよ!ちゃんと聞いてあげるから順番ね」 「だとさ。コインで決める?」 「表」 「裏」 インディアンヘッドペニーがくるくるぴかぴか、軽快に舞います。 チェルシーが歓声を上げました。 「ウィルの勝ち!」 「イカサマしてねえだろな」 「あれまお疑い?身ぐるみ剥がしてみなよ」 「インディのエッチ」 「……譲る」 交代で昔話を語り、焚火に掛けたコーヒーを回し飲みします。 ハンマーで砕いた粗挽き豆をクッカーで煮出し、それをマグに注いで渡せば、チェルシーは「苦くて飲めない」としかめ面をしました。貴方たちは互いに苦笑し、ヤギの乳を足してやります。 思い出しました?誰とコーヒーを飲んだのか。 にしてもまっずいなあこれ。貴方が慣れ親しんだ流儀で淹れてみたんですが、僕の舌には合いませんね。 すいません、気に障りました?お詫びに特別なヤツごちそうしてあげますよ、ジャコウネコの糞から抽出した最高級のコーヒー、コピ・ルアクです。きっと貴方もお気に召し…… くそくらえ?蘊蓄はコーヒーをまずくする? 随分じゃないですか、親切で言ってあげたのに。まあ排泄物が原材料だしあながち間違ってませんけど……思い出を上書きされるのが嫌?人間って変ですね、絶対こっちの方が美味しいのに。 チェルシーを新たな家族に迎え、貴方とインディアンデビルの関係は微妙に変化しました。 「最近夜這いに来ないな」 「物足りねえ?襲ってほしい?」 「吹っかけるだけ徒労だ」 「チェルが寝てる横でさかるほど落ちぶれちゃないぜ」 「そうか。そうだな。どうかしてた、忘れてくれ」 早い話が欲求不満。 カタンと音が立ちました。インディアンデビルがランタンに火を入れる音です。 チェルシーの寝顔を照らしよく寝ているのを確認後、ランタン片手に抜け出す相棒をこっそり尾行します。 夜闇に乗じ洞窟の外に出た青年は、平たい岩盤が重畳した陰に隠れ、自分を慰め始めました。 「ッ、は」 傍らに置いたランタンの灯が醜態を暴きます。貴方は半ば呆れ、半ば困惑し、それ以上にむらむらしながらインディアンデビルの自慰を観察します。 インディアンデビルは異常者じゃありません、健康な男なら誰でもすることをしているだけ。 何を考えながらシてるのか。惚れた女がいるのか。それは誰?町中の人間が恐れるインディアンデビルの本性を知るのは貴方だけ。 「ふっ、ぐ」 夜風に乗じ流れてくる声に高揚し、ジーンズに手を潜らせます。インディアンデビルの動きが切迫すればするほど貴方の手も性急になり、濁流が分泌されます。 荒野に谺すコヨーテの遠吠えや草のそよぎ、風の音すら耳に入りません。貴方はインディアンデビルの自慰を覗き見て興奮し、ぴったり呼吸を合わせ、絶頂へ上り詰めるのです。 裏切りの後ろめたさが罪悪感に育ち始めた頃、インディアンデビルが決定的な一言を放ちました。 「ウィル、っ」 貴方の名を呼びました。自慰しながら。 頭が真っ白になりました。 インディアンデビルが誰を思い浮かべながらシてるのか、衝撃の真相が判明しました。 貴方の名を口走った瞬間、力なく萎れていた陰茎が勃ち上がり、青年の手の中で力強く脈打ちます。 「ウィル!」 これ以上は見ちゃいけない。洞窟に飛んで帰り、頭から毛布をかぶり、シコシコ後始末をすませます。 「ッ、」 射精後の虚脱感が多幸感にすり替わり、胸の内が満たされていきます。 インディは貴方に惚れていた。貴方はインディに恋していた。相思相愛です。 何故関係を持たないのか? 答えは簡単、臆病だから。 おおっと物騒な、銃をしまってください!こういうときなんていうんでしたっけ。ホールドアップ?ドントフリーズ? 実弾ロシアンルーレットなんて趣味じゃありません、後始末が大変でしょ。 お望みなら戯れに死んでみせることもできますが、血と臓物と肉片を部屋にばら撒きたくないんです。 訂正はしません。貴方たちは臆病だった。今までの関係を壊したくなかった。家族ごっこのぬるま湯に浸かっていたかった。故に一線をこえるのを躊躇った。幸せに慣れてないから失うのを恐れ、都合の悪い真実は見ないふりして、挙句のはてが空回りのから騒ぎ。 両思いなのにね。人間って馬鹿ですねえ。 以来、悶々と夜を過ごしました。はてしない生殺しです。独り火照りを冷ましにいく青年を深追いせず、ベッドで寝たふりをして、露に濡れる陰茎をしごきたてます。 「っ、ふ、ぁぐ」 岩陰で同じことをしているインディアンデビルの顔や手付き、息遣いを想像すれば、体温は勝手に上がっていきました。 アイツに求められてる。俺を欲しがってる。 狂おしくシーツを掻きむしる手。上擦る腰。前だけじゃ満足できず後ろに手が伸び、夢中で後孔をほじくります。この手がインディの手だったらきっとどんなにか……。 理性の箍が緩む。行為はどんどんエスカレートしていく。不在を幸いとばかりインディアンデビルの寝台を借り、彼の匂いを胸一杯吸い込み、前と後ろをかき混ぜます。 「インディ、インディっ」 後孔に深々指を突き立て前立腺を刺激し、こみ上げる快感や漏れ出る喘ぎをシーツを噛んで殺します。哀しい。愛しい。虚しい。苦しくて苦しくて、お前が欲しくてどうかしちまいそうだ! すれ違いが生む悲劇、もとい滑稽な喜劇。 貴方たちは偉かった。 互いを求め夜毎悶えながら、可愛いチェルシーの前じゃ親の務めを全うせんとした。 数日後酒場を訪れたのは、左右対称の口髭がトレードマークの中年男でした。 「初めまして、新任保安官のジョン・マードックだ。君は……」 「インディアンデビル。用心棒」 「ウィル。ウィリアム」 「噂はかねがね。相当なワルだったみたいじゃないか」 「昔の話だ」 「改心したなら結構な事だ。仲良くやりたいね」 マードックが差し出す手を見下ろし、インディアンデビルが聞きます。 「さらわれたガキどもは見付かったのか?誘拐犯の情報は」 「鋭意捜索中だ。当局はインディアンの犯行を疑ってる、騎兵隊に集落を襲われた腹いせに」 「何年前の話だ?界隈の部族は根絶やしになったぞ」 空気が張り詰めます。 「保安官を名乗るなら酒場に立ち寄る前に仕事しろ」 「やれやれ、息抜きの一杯も許されないのか」 「うちに小さい子がいるからピリピリしてんだ」 慌ててとりなす貴方を一瞥、髭をねじります。 「妹さん?」 「血は繋がってないけど……」 噂をすれば影とばかりに扉が開き、チェルシーが顔を出します。インディアンデビルが驚きました。 「歩いてきたのか?結構な距離だろ」 「帰りが遅いから心配になって」 お迎えにきたチェルシーの顔がみるみる青ざめ、かと思えば回れ右で逃げ出します。マードックが眉をひそめました。 「チェルシー!」 名前を呼んで追いかける貴方の背後で、マードックとインディアンデビルが会話を交わします。 「今のは」 「拾った孤児だ」 「物好きな。同族憐憫かね」 脳裏が真っ赤に灼熱し、気付けばマードックの胸ぐらを掴み、力一杯殴り付けていました。 「ウィル!」 マードックが椅子を巻き添えに倒れ、悔しげに呻きます。 「貴様……ただですむと思うなよ、余罪を挙げて豚箱にぶちこんでやる」 「やってみろよ」 捨て台詞には聞く耳持たず、今度こそチェルシーを追跡。可哀想なチェルシーは店の横に繋がれたアロの脚に抱き付き、ぶるぶる震えています。 「真っ青だぞ。具合悪いの」 「なんでもない。早く帰りたい」 チェルシーの悪夢が始まりました。夜になると決まってうなされるのです。 「ううっ、うっ、ううーっ」 「大丈夫か、しっかりしろ!」 「俺たちはここにいるぞ」 「インディ……ウィル……ここは?」 「よく見ろ、洞穴だ。俺たちのうちだ」 「怖い夢を見たのか」 真夜中に飛び起きる都度パニックで泣きじゃくり、赤ん坊返りして指を吸います。日中は塞ぎこみ、膝を抱えてボーッとしていることが増えました。 インディアンデビルが煎じた薬湯や貴方がご機嫌取りに持ち帰るお菓子も効果なし。 譫言で母の名を繰り返すチェルシーを傍らで見守るしかないのがもどかしく、無力感が募りゆきます。 チェルシーの変調を境に不穏な噂が流れます。曰く、人さらいの正体はインディアンデビルであると。故郷を焼かれた復讐に子供をさらっているのだと。 「インディアンの人さらいだ!」 「皮を剥がれて食われるぞ!」 インディアンデビルに石ころを当て、子供たちが逃げ去ります。貴方は激怒しました。 「クソガキが、ぶちのめすぞ!」 「構うな」 「犯人扱いされて悔しくないのか」 「子供のしたことだ」 静かに首を振り、諦めに似た表情で独りごちます。 貴方はどうしたか?もちろん、必死に庇いました。 「みんな正気か!?インディがそんなことするはずないだろ、これまで店を守ってきたのに馬鹿げてる!!」 「でもねえ……」 「町の住民は皆顔見知り、人さらいが潜めるわけがねえ。その点お前らは自由に動けるし、遠乗りでガキさらい放題だろ」 レッドヒルズは小さい町です。住民はほぼ全員顔見知り、よそ者は悪目立ちします。誰か一人が怪しい行動をとれば、目に付かないはずがありません。 対するインディアンデビルの塒は荒野の洞窟。付近に人家は見当たらずアリバイが成立しません。 貴方はじれきって足踏みします。 「インディは無実だ、俺が保証する。アイツは四六時中俺と一緒だった、チェルシーだって」 「よそ者と黒んぼの証言なんざ信用できるか、どうせぐるだろ」 常連が酒を呷って野次り、そうだそうだと皆追従します。インディアンデビルは沈黙。 「場末の用心棒代はたかが知れてる、裏稼業と掛け持ちしなきゃやってけねえ」 「だから反対だったんだ、インディアンの落とし子を雇い入れるなんて」 「クビにしてよ」 「ミセス・オルソンの坊やも消えたのよ、夫婦生活十年目にして漸く授かったって喜んでたのに!」 「レッドヒルズがハーメルンの二の舞いになるのは時間の問題よ」 常連の男がグラスを持ち上げ、ガラスを透かすようにして貴方を睨みました。 「聞けばお前さん牛泥棒の常習犯だって話じゃねえか」 「牛と子供は違うだろ!!」 怒り狂った男女が貴方たちを取り囲みます。わかりやすい吊るし上げ。マスターに助けを求めても無駄、知らぬ存ぜぬでグラスを磨いてます。 「オーケー、牛泥棒は認める。ここに流れ着くまで色々悪さをやった、それは事実だ。でもさ、人さらいは濡れ衣。女子供を傷付けるようなゲスなまねしない」 俺とアイツは違うんだ。 「みんな誤解してる。インディは」 皆まで言わせず中身の入ったグラスを投げ付けられました。反射的に目を瞑り、甲高い破裂音に見開き、ガラスが飛び散る瞬間を目撃します。相棒がグラスを撃ち抜いたのです。凄まじい早撃ちでした。 「行くぞ」 「待て」 椅子から下りたインディアンデビルに、マスターが紙幣の束を投げます。 「残りの分。持ってけ」 怒りは自分に盛る毒。ホピ族の名言です。 「地獄に落ちろ恩知らずども!」 お気の毒に、解雇されました。 店を出るなり癇癪を爆発させ、飼い葉桶を蹴り倒す貴方をよそに、インディアンデビルは達観していました。 「仕方ない。町で何か起きたら真っ先にはみだしものが疑われる」 「悔しくないのかよ、無実なのに」 「チェルが待ってる」 インディアンデビルが貴方の肩を叩き、馬へ歩み寄りかけ、立ち止まりました。 「保安官」 ピンと跳ねた髭の先端をしごき、マードックが嫌味ったらしく笑っていました。 「ごきげんようとでも言っておこうか。町の連中は君を疑っているみたいだが」 「やってない」 「証拠は?」 「それをさがすのがお前らの仕事だろ」 睨み合いに痺れを切らし、二人の間に立って加勢します。 「インディは無実だ。疑うなら塒を調べにこい、ガキを詰めた麻袋なんてないぜ」 「復讐者の血が流れてる」 「こじ付けだ」 マードックが向き直り、イヤミったらしく髭をねじります。 「ブラックウォーターじゃ窃盗五件に傷害三件。随分暴れたみたいだな、ヘンリー・アントリム」 その名前で呼ばれるのは久しぶりでした。殆ど忘れかけていた過去の遺物。 「察するに共犯か?インディアンの落とし子と札付きの悪童が組んで荒稼ぎしたのか」 「違」 「金輪際レッドヒルズに立ち入るな。次に姿を見かけたら逮捕する」 マードックが冷たく言い渡し、威風堂々去って行きました。貴方は打ちひしがれ、死んだように馬に跨り、洞穴へ帰り着きました。 その夜、夢を見ました。 『こっちに来いヘンリー。可愛いぞ、お母さんそっくりだ』 酒をラッパ飲みする男に招かれ、仕方なく近寄ります。 床一面に犇めく酒瓶。荒廃の様相を呈す室内は全部の窓が閉め切られ、饐えた匂いが立ち込めています。 軋む寝台の上、何者かがのしかかります。腹のたるんだ男です。酒臭い息が顔をなで、爪が不潔に黄ばんだ手が這い回りました。 『どこへいく?逃げるな』 来るな。正気じゃない。 耐え難い生理的嫌悪に肌が粟立ち、耳裏をねぶる吐息が蟻走感をもたらします。 貴方は女物のドレスを着せられています。死んだ母のお古です。決死の覚悟で逃亡を企てるも足首を掴んで戻され、抵抗虚しく組み敷かれてしまいました。馬乗りになった男がドレスの裾をたくし上げ、愛撫というには粗暴な手付きで内腿をまさぐりだしました。サイドテーブルに置かれた銃が目の端にチラ付きます。 臭い。汚い。気持ち悪い。眼前にいるのは発情した雄豚。これから何をされるのか、わからないほど子供じゃありません。蛞蝓めいた舌が首筋を這い、ベッドが大きく軋みます。 『キャサリーン、どうしておいてった』 やるなら今だ。 力ずくでこじ開けられ、ねじこまれる前に。 絶叫。 枕元のリボルバーをひったくり、悪夢の残滓を振り払うべく猛然と駆け出し、夜の底に向かって乱射します。喉も張り裂けんばかりの咆哮に驚き、茂みに潜む兎や鹿が逃げていきます。 「大丈夫か!?」 羽交い締めにされ我に返れば、背後にインディアンデビルがいました。 「うなされてたぞ」 「外?なんで……」 「汗みずくだ。着替えないと」 逞しい腕に抱き竦められ、放心状態で告白します。 「聞いてインディ。俺、人を殺したことないんだ」 大量の寝汗を吸って肌に張り付いたシャツが、貧相な胸板と乳首を透かします。 「殺したいほど憎いヤツはいた。最初に撃ったヤツ。忘れようったって忘れらんねえ。親父だよ。女房が死んでからすっかりイカレちまって、俺にお袋の服着せて、毎晩部屋に呼び出した」 手元の銃をもてあそびます。 「コイツはおっぱじめる前にパクった。今までのお返しに股ぐらにぶち込んでやった、ざまーみろ」 養父の股間を撃ったのは復讐だけが理由にあらず、家出した後弟に矛先が向かないようにしたのです。 「とっくに捨てた名前だ。なのに」 マードックが口にした昔の名が、忌まわしい過去を蒸し返したのです。 インディアンデビルは小刻みに震える貴方を抱き締め、ぐずるチェルシーにそうするように背中をなでていました。 それから首の革ひもを抜き、幸福の青い羽根を結いこんだドリームキャッチャーを貴方の額に当て、母系譜の言葉で呪文を唱えます。 「悪い夢はコイツが吸い取ってくれる」 「ガキ扱いすんな。もっといい方法あるだろ」 チェルシーは洞窟で寝ています。今ここには二人きり。 それを確かめたのち、インディの顔を手挟んで唇を吸いました。 「こないださ、俺の名前呼びながらシてたよな」 「……っ」 「バレてないとでも思った?知ってたよ、ずっと前から」 子供騙しのドリームキャッチャーはいりません。貴方に必要なのは彼だけ。 「女を抱けないのは男が好きだから?……どっちでもいいか」 無口な悪魔にしなだれかかり、ジーンズを脱がします。 「やなこと忘れさせて」 養父の慰み者にされたこと。弟を捨ててきたこと。インディアンデビルが葛藤を断ち切り、コートの褥に貴方を押し倒します。 「来て、インディ」 「ウィル」 心の片隅でこの瞬間を待ち望んでいました。インディアンデビルが貴方のシャツのボタンを外し、胸板を撫で擦ります。手から伝わる火照りが肌に馴染み、鼓動が速くなりました。 「あッ、ふ」 絡む視線。交わる吐息。情熱的な愛撫。どちらからともなくキスを乞い、唇を啄みます。褐色の手が肌に吸い付き、首を支え、乳首を優しく引っ張りました。 「あっ、そこ、ィいっ」 「感じるのか」 「すっげえ。たまんねえ」 チェルシーは寝ている。外で遠慮はいりません。首筋や肩を甘噛みするとインディアンデビルは小さく呻き、お返しにペニスをいじくります。 「ッ、ぁ」 気持ちいい。よすぎてすぐイッちまいそうだ。これじゃいけません、ビッチ・ザ・キャットの名折れです。主導権は譲れません。 「しゃぶらせて」 蒸れた匂いに舌なめずり、股ぐらに顔を埋めます。竿と玉に舌を絡め、唇にひっかけるように出し入れすれば、インディアンデビルが息を荒げ始めました。 「よがりなインディ。誰が呼んだかビッチ・ザ・キャットってのは俺のことだ」 奉仕?否。 「んっ、む」 鈴口に滲む雫を啜り、吸い立て、窄めた舌先で先端とくびれをくすぐり、手に包んだ睾丸を繊細に揉んで、大胆すぎる濃厚フェラを見せ付けます。 「でかすぎて口裂けそ。挿れたらどんな感じかな」 一旦抜いて息継ぎし、挑発的に小首を傾げ、唾液とカウパーに濡れた顎を拭います。まさに淫乱、まさにビッチ、男を狂わす媚態! 「しっかり掴まってろ」 「?何す、」 軽々と貴方を持ち上げ、ペニス同士をまとめて持ち、ずちゅりと擦り合わせます。兜合わせ。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」 ぬる付くペニスをずちゅずちゅ揉みます。捏ね回す手とせっかちな腰の動きに応じ、潤んだ粘膜が卑猥な音をたてます。 「はっ、やば、気持ちいいっ、止まんねっ」 「もういいか?」 「ちょ、ブーツ脱がして」 聞いちゃいません。ぐりぐり腰を回します。貴方の脚を抱えてこじ開け、赤黒い怒張が押し入ってきました。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぁ゛あ」 インディアンデビルは巨根でした。こなれたアナルを限界まで押し広げ、剛直が滑走します。 「あっ、すげっ、おかしくなるっ」 抽送に合わせアナルの皺が伸び切り、直腸の襞が絡み付き、電撃のような快感が連続します。 「大丈夫か」 腰は止めず貴方を気遣い、亜麻色の髪の毛をかき上げて。 「もっとシて。ぶちまけて」 「ウィル、ぐ」 蕩けた顔と声でせがまれ理性の箍が外れます。鼓動が一際膨れ上がり、体奥に濃厚な精が放たれました。 「あはっ、いっぱいでた!」 まだです、まだ足りません。またもやインディアンデビルにむしゃぶり付き、膝に乗っかります。正常位の次は対面座位。若い男根はすぐさま力を取り戻し奮い立ち、灼熱の杭を叩き込みます。 「あっ、すご、気持ちいいっ、ィきそっ、インディぁあっ」 「好きだウィル」 「俺っ、も、大好き」 上滑りしてく言葉を捕まえようとキスし、強く強く抱き合います。 紆余曲折を経てやっと結ばれました。営みを見ているのは月だけ。インディアンデビルの指がそっと動き、貴方の目尻からこぼれた涙を拭います。 「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ぁああっあ!」 三回目で体力が底を尽きました。お互いに搾り尽くして枯れ果て、インディアンデビルは下、貴方が上でまどろみます。 「……最高」 胸板の奥で跳ね回る心臓の熱と鼓動を感じ、生きている実感に細胞が沸き立ちます。インディアンデビルは貴方の背に手を回したまま、事後の余韻に浸っていました。 「お前に童貞を捧げたって言ったら信じるか」 「は?」 「ちゃんとイけたのは初めてだ。ひとりじゃ無理だった。勃たないんだ」 億劫げに瞬き、告白します。 「女を抱こうとするたび、死んだお袋と知らねえ親父の顔が勝手に浮かんでくるんだ」 「親父って……会ったことないんだろ」 「夢に出る」 それは想像の産物、罪悪感が見せた幻。 「俺も男だ、勃たせようと躍起になったさ。馴染みの娼婦にふやけるまでしゃぶらせた夜もある。けどどうにもなんねえ。最後には諦めた」 天鵞絨の空では無数の星がきらめいていました。洗礼すら受けてない男の、懺悔に似た独り語りが続きます。 「一生誰とも所帯を持たず、独りでやってこうと思っていた。お前やチェルに会うまでは」 「……」 「インディアンデビルはインディアンの悪魔をさす。悪い魔法や呪いを振り撒き、人々を破滅に導く存在。お袋にとっちゃ俺がそうだった」 「だから町を離れたの」 「静かに暮らしたかった」 悠久に広がる星空を見上げ、寂しげに微笑んで。 「女子供は殺さねえ。銃を抜くのは悪党にだけ。爺さんと約束したんだ」 「俺は?」 「ただの跳ねっ返りの悪ガキだ。物や牛は盗んでも人は殺しちゃねえ」 「馬鹿にすんな」 「安心してるんだ。そっちこそ、名前負けでがっかりしたか」 「悪魔なんてコワモテな通り名お人好しに似合わねえよ。初めて会ったとき、俺を助けようとしたろ」 「さあな」 「とぼけんな、椅子を蹴倒す準備してたじゃん」 常連客から野次を浴びせられる少年を、心優しい青年は見過ごせませんでした。 「お前こそ、チェルにやるために好きでもねえミルクを注文したんだろ?」 貴方たちが惹かれ合ったのは、似た者同士のお人好しだったからかもしれません。 「……弟は元気でやってる」 「クソ兄貴のあと追っかけてアウトローになってねえよういのるさ」 弟を連れて逃げるのは断念しました。荷が重すぎたのです。 「ウィル」 インディアンデビルが寝返りを打ち、|呪い《カース》が発現した緑の瞳で、貴方の目をまっすぐ見ました。 「これからも一緒にいてくれ」 「プロポーズかよ、それ」 自身の女々しさを恥じるように俯き、勇を鼓して顔を上げ、心を込めて伝えます。 「ずっと家族がほしかった」 ビッチ・ザ・キャットが赤面しました。 「お前は俺の相棒でチェルの父親だ」 「親父がふたりいるわけ?」 「別に困らん。賑やかでいいだろ」 「そこは兄貴にしとけ」 幸せでした。満たされました。インディアンデビルの表情はどこまでも優しく、諭す声は限りなく心地よく、今この瞬間が永遠に続いてほしいと願ってしまいました。 「愛してる、ウィル」 インディアンデビルが恋人の手をとり、口付けて誓います。貴方はくすぐったげに笑い、青年の頬にキスしました。 「ビッチは卒業だ。別の名前付けるよ」 貴方たちは幸福の絶頂でじゃれ合いながら眠りに落ち、翌朝絶望のどん底に突き落とされました。 朝。 目を覚ました時には既にインディアンデビルはおらず、愛馬のアロも消えていました。 洞窟の中はもぬけの殻。滅茶苦茶に荒らされています。寝台は叩き壊され、地面に藁が散らばっていました。 「チェル」 自分に寝ている間に何かがあった。最悪なことが。すぐさま馬に鞭をくれ、忽然と姿を消した二人を捜し回ります。 「インディ、チェル、返事しろ!」 少し離れた岩陰で悲鳴が上がりました。胸騒ぎに駆り立てられ回り込み、衝撃的な光景を目の当たりにします。 「ウィル!」 チェルシーが荒縄で縛られ、地面に転がされていました。周囲には五・六人のならず者が屯し、意外な人物が佇んでいました。 「保安官?」 「見付かっちまったか」 マードックが口髭をねじってぼやき、チェルシーが身を乗り出します。 「逃げてウィル、コイツがお母さんを殺したの!」 「どういうことだ?」 「レッドヒルズに赴任するちょっと前に子連れの黒人女を見付けてな、遊んでやったんだ。やりすぎて死んじまったのは誤算だったが」 「娘の前で嬲りものにしたのか」 脳裏が真っ赤に染まり、手のひらに爪が食い込みます。チェルシーの顔が恐怖を上回る憤怒に歪み、綺麗な涙が迸りました。 「よくもお母さんを!ウソツキ!人でなし!」 「人でなしはお前の方だろ、黒んぼに人権はねえからな」 マードックを一目見た日から、チェルシーが悪夢にうなされ続けた理由がわかりました。 「ごめんなさい、もっと早く話しとけばよかった。け、けど怖くて……またコイツに何かされるんじゃないかって、そ、それで」 「わかってる」 泣きじゃくるチェルを宥め、肩幅に足を開き、悪徳保安官と対峙します。 「悪く思うなよ。この子は多くを知りすぎた」 意味深な発言を訝しみ、周囲に侍る男たちを見回します。チェルシーがカチカチ歯を鳴らします。 「あ、あたし見ちゃったの。コイツが下りてきた馬車の荷台に知らない子どもたちがいっぱいいたの」 点と点が繋がって線になり、誘拐犯の正体が暴かれます。 「はっ、保安官が黒幕とは恐れ入ったね。インディアンデビルが人さらいって噂の出所も?」 「俺が流した」 悪びれもせず両手を開いて肯定するマードック。男たちがガンベルトに触れ、じりじり間合いを詰めてきました。 「些か商売の手を広げすぎてね、生贄が必要だった」 「はみ出し者を犯人に仕立て上げてトンズラか」 「仲間割れで相討ちの筋書きだ。俺の手柄にするのも悪くない、出世の足掛かりになる」 「さらったガキどもは」 「売った。今頃南部かメキシコか、死んでなけりゃ元気でやってるさ」 「てめえらも分け前もらったのか」 男たちはニヤニヤ笑うだけ。大量誘拐、ならびに人身売買に加担したと公言しているようなものです。 「銀バッジを隠れ蓑にすりゃ怪しまれずに悪事し放題ってか」 「獲物の方から来てくれてラッキーだった」 マードックが悪辣に勝ち誇り、チェルシーが泣き崩れます。 「起きたら二人ともいなくて、そ、外に捜しに行ったらコイツらが」 なんて間抜けなビッチ・ザ・キャット!チェルシーは貴方たちを捜しに出て、保安官以下悪党どもに捕まったのです! 「……インディはどこだ」 己の不甲斐なさへの怒りと保安官への憎悪を押し殺し、相棒の行方を問います。 保安官が一瞬疑問符を浮かべ、次いで破顔します。 「あのボロ切れのことか」 遠くから迫りくる蹄の音。ならず者が駆る馬の後方、縄に巻かれ引きずられているのは……。 「インディ!!」 インディアンデビルは優しい男です。チェルシーを盾に脅されたら、悪党どもの言いなりになるしかありません。 その末路が、これ。 「お前たちが黒んぼにご執心なのは評判だ。コイツを人質にとりゃ必ずここに来ると踏んだ。案の定のこのこ現れ、チェルを返してくれととかほざきやがった」 やめろ。 「さんざん袋叩きにしてもへこたれず縋り付くもんだから、お前が代わりになれと言ったら真に受けて、かれこれ一時間以上引きずり回されてる」 「やめて……」 「馬鹿な男だよ。耐え切ったらガキを返すって、そんなはずないだろ」 「やめてよ、たすけてよ!」 インディ。嘘だろ。どうしたら。殺意と憎悪が喉を灼き、戦慄く手をガンベルトに伸ばします。 リボルバーを掴む寸前、マードックがチェルシーのこめかみに銃を突き付けました。 「ゼロ距離には勝てん」 マードックを仕留めても残党がいる。どのみちチェルシーは殺されインディは助からない。死ぬ。皆死ぬ。 体調が万全なら話は違った。昨夜のツケが回ってきた。中天の太陽が黄色く濁り、風が凪ぎ、魂を押し拉ぐ静寂が張り詰めます。 ここで死ぬのか。インディやチェルと心中すればあの世でも一緒に―…… 「ぎゃあっ!」 マードックの悲鳴が上がります。手の甲からしぶく真っ赤な血。チェルシーが隠し持ったナイフで切りかかったのです。荒縄はささくれ、既にほどけかけていました。 「くそったれが!!」 怒り狂ったマードックの発砲寸前、音速でリボルバーを抜きました。 額を貫通した銃弾。仰け反る男。地面に倒れたマードックを跳び越え、チェルシーを脇に抱えて走ります。 振り向きざま三人仕留め、岩陰に隠れた残りが撃ちこむ弾丸を紙一重で躱して逃げ、馬上の男の心臓に鉛弾を見舞い、鞍に繋がった縄を焼き切ります。 インディは息をしていました。辛うじて。 「おいこら目ェ開けろ、俺だよわかるかウィルだよ!畜生ざけやがって、よくもこんな……全員ブチ殺してやる!」 「人、を、ころしたのか」 「人でなしは人に数えねえよ!」 視界が潤みます。インディの服は破れ、全身の皮膚が痛々しく削れていました。瀕死の状態です。顔は腫れ上がり、ドリームキャッチャーの紐は切れていました。 「だいじょぶ?立てる?ごめんねインディ、あたしのせいで」 ひっきりなしに怒号と銃弾が飛んできます。貴方はチェルとインディを庇い、狂ったように撃ち返しました。また一人倒れ、ドス汚い悪党の血が大地に染みこみます。 閃く銃火、劈く銃声、脇腹を抉る灼熱感。たまらず膝が崩れます。 立ち上がれ。踏みこたえろ。俺が死んだら全員共倒れだ。 「インディを連れて逃げろ!」 「ウィルだけおいてけない、一緒にいこうよ!」 「すぐ追っかける!」 脇腹の弾痕を片手で塞ぎ、泣いて嫌がるチェルを鞍に押し上げます。傷口が熱く脈打ち、激痛が脳天まで駆け抜け、ドクドク血が噴きこぼれます。弾丸が立て続けに肩を掠めて脚を抉り、チェルシーの尻を支える腕がずり落ちました。 ああ、もうだめだ。 岩陰から覗いた男が銃を構えます。標的は馬に跨るチェルシー。もはや引鉄を絞る握力も足りず、咄嗟に前に飛び出しました。コートの右胸に弾丸を受け、あばらに衝撃が炸裂します。 銃撃戦の終わりを告げたのは、全身全霊を賭したインディアンデビルの鬨の声。 矢に貫かれたまま笛を奏で、傷さえ癒したインディアンの逸話を物語る、凄まじい早撃ちでした。 大鷲が翼を広げ旋回し、燦燦と燃え輝く太陽を遮ります。インディアンデビルは倒れたまま微動だにしません。敵は一人残らず死に絶えました。全滅です。 貴方の膝枕に仰向け、顔を過ぎる影を無意識に追い、眩げに目を細めます。 「ココペリが迎えにきた」 「インディアンデビルの絶技がお気に召したのさ」 「そこにいるのか、ウィル」 「ああ」 「チェルも」 「うん、いる。ずっといる」 インディアンデビルが吐血します。愛した青年をかき抱き、貴方はふざけて笑いました。 「やっぱアンタ鍛冶屋の方が向いてるよ。ナイフ役に立ったじゃん」 「そ、うか」 インディアンデビルが微かに笑い、朦朧と濁り始めた瞳で貴方とチェルを見比べます。 「逃げろ。遠くへ」 「あんたとじゃなきゃ嫌だ」 「一人前の男だろ」 「|子供《キッド》だよ。可愛がってよ」 「…………」 最後の力を振り絞って亜麻色の髪をなで、力尽き、手の甲をパタリと落とします。 緑の虹彩が白濁し、焦点が拡散して瞳孔が開き、鷲は天高く回りながら遠ざかっていきました。 かくしてビッチ・ザ・キャットは死に、ビリー・ザ・キッドが誕生しました。 その後は洞窟に火を放ち、チェルシーを連れてレッドヒルズを発ちました。 ウィルはウィリアムの愛称です。同じくビリーも。 自分が誰か思い出しましたか?二十一歳で死ぬまでに二十一人を殺した悪漢王、ビリー・ザ・キッド。 キッドが初めて人を殺したのは十七歳の時だと言われています。貴方は保安官殺しのお尋ね者として追っ手をかけられ、チェルシーと途中で別れました。 「交渉すんだぞ、チェルのこと家事手伝いとしておいてくれるって。人手が足りないから助かるとさ」 「命の恩人の頼み断れないもんね。袖の下も渡したの?」 「すねるなよ」 「……わかってる。ここでお別れだね」 「達者でな」 「そっちも」 「インディの形見なくすなよ」 「ウィルこそ、大事な銃を質に流しちゃだめだよ。ココペリがバチを当てに来るからね」 貴方のガンベルトにはインディアンデビルの形見が納まっていました。 後世出版された伝記曰く、ビリー・ザ・キッドは修羅場の最中でも常にご機嫌な笑顔を浮かべ、哄笑を発しながら人を殺したそうです。 墓碑には下記の如く刻まれました。 『真実にして経歴。二十一人を殺した。少年。悪漢王。彼は彼らしく生きて死んだ。ウィリアム・H・ボニー』 コーヒーのお代わりはどうですか?お腹一杯で胸焼けする? ねえビリーさん、本当の所どうなんでしょ。ご自分の人生に満足してますか。 ここは驚異の部屋。時と場所をこえ、迷える魂が来たる場所。ここを訪れたからには何か心残りがあるんじゃないかって妄想を逞しくしたんですけどねえ。 貴方は貴方らしく生きて死んだ。真実でしょうきっと。ご存知ですか、世間の人々は義賊的な振る舞いからビリー・ザ・キッドを英雄視しているそうですよ。馬鹿馬鹿しい、人殺しは人殺しだ?確かに。 貴方をここにお招きしたのは、インディアンヘッドペニーの秘密を教えてあげる為です。 よくご覧ください、インディアンヘッドペニーの顔……誰かに似てません? 自由の女神です。 インディアンヘッドペニーの肖像はね、自由の女神を先住民に見立てたって噂があるんです。白人に虐げられたインディアンとアメリカ合衆国の象徴を合体させるなんて皮肉ですよねえ。 どっこい、僕が欲しいのはこれじゃない。貴方が肌身離さず持ち歩いていた、あのインディアンヘッドペニーですよ。 ただじゃやらない?見返りが欲しい?むむ、悪魔に取引を持ちかけるとは命知らずな。ってもう死んでるか。 よろしい、その勇気に免じて願いを叶えてあげます。なんなりとおっしゃい。 ……えっ、そんなのでいいんですか?欲がない人だなあ。 ちょっと待ってください、確かここに……あったあった。どうぞじっくりお読みください、時間はたっぷりありますんで。 チェルシー・ミラー。メアリー・ミラーとケネス・ミラーの第一子。ニューヨークからカリフォルニアに移住したスミス一家に仕え、ニ十歳の時雇用主の長男と結婚。五男三女の子宝に恵まれ、九十二歳で大往生します。インディアンデビルお手製のナイフは副葬品として棺に納められました。彼女が他界したのち、作家となった三男が母の昔話を纏め、ビリー・ザ・キッドの伝記を書いた後日談も添えときましょうか。 長男次男は双子でウィルとインディっていうらしいですよ?話のオチとしちゃ出来すぎですよね。 じゃ、確かにいただきました。これこれ、これが欲しかったんです!ビリー・ザ・キッドの命を救ったインディアンヘッドペニー、代わりに銃弾を受けてひん曲がった!有難く驚異の部屋のコレクションに加えさせていただきますよ。 悪漢王の行き先は地獄と決まっています。インディと会えるか?さあ……どうでしょうか。インディアンにはインディアンの地獄があるかもしれません。 でもまあ悪魔って呼ばれる位の方ですし、こっちの地獄にいてもおかしくないんじゃないでしょうか? もういかれるんですか?せっかちですねえ、そんなに恋人に会いたいんですか。当たり前だろって……死人に操を立てるとか、見かけによらず純粋ですねえ。 勘違い?最後の男に操を立てただけ?……ごちそうさまです。むこうでもお元気で。今度こそ本当の名前を聞けるといいですね。 火の粉が爆ぜる音に瞼を開ければ、インディアンデビルが焚火の番をしていた。 「よく寝てたな」 「変な夢見た」 「どんな」 「死ぬほどまずいコーヒー淹れやがる妙ちきりんなガキの夢。驚異の部屋とかいったっけ、ガラクタだらけの変な部屋に招かれた」 「面白そうだな。詳しく聞かせろ」 背後には懐かしい洞窟があり、馬が二頭繋がれていた。片方はインディアンデビルの愛馬のアロ、片方は自分の愛馬のトミー。仲良く草を食んでいる。 「でさ、そのガキときたらわけわかんないこと言うんだよ。俺は将来ビリー・ザ・キッドを名乗って、墓碑銘に悪漢王って刻まれるんだと」 「かっこいいな」 「冗談。キッドなんてださいよ」 「ビッチ・ザ・キャットも相当だぞ」 心地よい風が亜麻色の髪をかきまぜて吹きすぎ、インディアンデビルの黒髪を揺らす。こんなにゆっくりするのは久しぶりだ。頭上には美しい星空が広がり、大鷲が飛び回る。 「どれ位寝てた、俺」 「長い間。待ちくたびれた」 「悪い」 インディアンデビルがハンマーで豆を叩き潰し、クッカーにざらざら注ぎ込む。 「チェルは?」 「俺たちとは行く場所が違うらしい」 「そっか」 「寂しいな」 「まあね」 周囲に香ばしい匂いが漂い始めたのを見計らい、クッカーからマグにコーヒーを移す。 差し出されたマグを受け取り、一口啜る。懐かしい味。恋焦がれた味。 「二人きりってのも悪くないか」 「蜜月だな」 娘の巣立ちを見届けた男たちが微笑み交わし、静かにマグを置く。 「いい加減名前教えろ」 「まだ忘れてなかったのか」 「もったいぶるな」 「インディで構わん」 「ヤッてる時は本当の名前で呼びたい」 渋る青年の肩を掴んで押し倒し、少年のように見える青年が囁く。 「ガンマンの流儀にのっとってコインで決めるか。表か裏か賭けて負けたら言うこと聞く」 返事は待たず胸ポケットを探り、そこにあるはずのものがないのを訝しむ。 「くそっ、取り返しにいくか?」 次の瞬間逞しい腕がさしのべられ、厚い胸板が覆い被さる。一途な愛情を湛えた緑の瞳と稚気に富む青い瞳が交錯し、心優しい悪魔が真名を明かす。 「俺の名前は……」

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