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第6話
呆けた状態で逃げ出した部屋に戻ると、ちょうど部屋の前で警備兵が慌てていた。
「あっ、戻ってきた! 神子とはいえ勝手な行動は許されないぞ」
章は「トイレに行こうとして迷った」と言い訳をして部屋に戻る。すると中で、一人の男児がちょこんと床にひざまずいてこちらを見ていた。五歳くらいだろうか。褐色肌で銀髪の、不思議な容姿の男児だった。
「おかえりなさいませっ、ぼ、僕、ヤノと申します!」
少年はひざまずいたまま、その場でぺこりと頭を下げた。自然とお尻が上がって、そこからひょこっと生えているのは、髪と同じ色の尻尾だった。ふさふさとした尻尾が左右にぶんぶんと振れている。顔を上げると、側頭部に三角の耳がついていた。
「神子さまの獣僕としてお仕えすることになりましたっ、どうぞごしどうごたつべんのほど、よろしくお願い申し上げます」
緊張しているのか、うまく言えずに戸惑っている。
しかしこちらはもっと戸惑っていた。
人間のようで獣の特徴を持つ男児が、自分に仕えると言って尻尾を振っているのだ。理解が追いつかない。
「じゅ、じゅうぼく? それに君は……人間なの? その耳と尻尾はコスプレ……? そもそも仕えるって」
壁に張りついて警戒するが、ヤノと名乗った男児は、てててっと駆け寄って首から提げた木札を見せた。文字が彫られているが、もちろん読めない。
「そうでした、神子さまはよその国からいらしたんですよね。この国では獣人は高貴な方に一生仕える『獣僕』になるのです。神子さまは獣僕がいらっしゃらないので、ぼくが神子さまの獣僕として、神殿に選ばれて派遣されました」
自分の腰くらいの背丈のヤノは、にかっと笑って木札を大切そうに胸元にしまう。結局、何という言葉が彫られていたのかは分からなかった。
「もうおやすみになりますよねっ、ベッドメイキングも終わっております!」
そう言って指し示した先のベッドは、シーツも枕も、ぐちゃあ……と乱れていた。
「なんでもお申しつけください、ぼくは十人兄弟のなかで一番身体は小さいのですが、一番賢いって言われてるんです。必ず神子さまのお役に立ってみせます!」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせ、尻尾をぶんぶんと振って、「何かご用事は」「さあお申しつけください」と鼻息荒く詰め寄ってくるヤノに一抹の不安を感じながら、章は思わずこう言ってしまったのだ。
「た、頼もしいな。よろしくね、ヤノ」
++++++
第三十二代ムゼ国王・アスラン三世は、神殿からの報告を受けていた。
代々国王の伴侶選定は、神殿が取り仕切る。
神官が候補を選定し、その中から国王が選ぶのだ。かつて、国王が大恋愛の末に娶った王妃が、国王の崩御後に国を傾けた歴史があり、そのような仕組みになったと聞いている。
神殿からは淡々と報告を受けた。
召喚神子が現れたこと、彼がベータであること、どうやら手違いで召喚された無能力者だということ、第二案として準備していた「番候補の教育と選定」を始めること――。
昨夜、書物庫でショウから聞いた話と同じだったが、一点気になった。
神官長で兄のエドゥアルドが、こう言ったのだ。
「それでも私は、あの神子が最有力候補だと思います」
「それは神官長としてのお考えですか、兄上」
問うと、エドゥアルドが「私の願望です」と胸に手を当てた。
神官たちが、顔を見合わせて呆れたように笑みを浮かべる。
その様子でショウが、神官長エドゥアルド以外からは〝ハズレ〟扱いをされているのが見て取れる。
臣下の一人が不満げな表情を隠そうともせず、神官に反発した。
「その十人もの番候補と、なぜ頻繁に面会が必要なのですか。陛下がご多忙なのはご存じでしょう」
「面会で、能力覚醒の兆しが分かるかもしれませんので」
そう返されると、誰も文句が言えなかった。
国幹部、神殿、国民――誰もがアスランに対して求めているのは、伴侶捜しではなく、伴侶を得てギフテッドアルファの能力を全て覚醒させることなのだ。
ギフテッドアルファであるアスランは、知能、肉体ともに能力が高く、意中の相手をオメガ化させることもできる。しかし「未来を見る」という能力が未開花なのだ。
この能力こそ、ギフテッドアルファが王に選ばれる所以だというのに、アスランが覚醒しないまま先王である父が他界してしまった。
その父もギフテッドアルファで、他界前にはアスランに「そなたの神子が召喚される日が来る」と言い残した。きっとアスランの未来を見たのだろう。
神子と自分がどうなるか、は教えてくれなかった。
自分の未来くらい、自分で切り開け――と。
手違いで別人が来る、とまでは予見できなかったのだろうか。
(そんな日が来るまでに、自分で『未来を見る』力を開花させてみせると思っていたんだが)
ぼんやりと父を思い出していると、神官に丸め込まれた臣下たちが面会時間の調整を終えていた。
「陛下、どうか番候補の中からよきお相手を見つけ、一刻も早く能力の解放を……」
アスランは静かに「努めよう」と答えた。
彼らは不安で仕方がないのだ。
若くして即位したのは、『未来が見えない』王。ギフテッドアルファの欠陥品だ。能力が当然のようにあった先王の治世に慣れている者たちは、未来が分からないことが恐ろしいのだ。
「好いた者と番になりたいと、思っていたんだがな……」
ぽつりとそう漏らすと、神官がにこにこと進言した。
「いえいえ能力覚醒のために番になるのですから、心は伴わずともよろしいのです。お気に入りができれば側室になさいませ。番候補の中によい者がいれば手配いたしますよ」
もちろん能力覚醒後の話だが、と念を押して。
ふと、あの神子――ショウの顔が浮かぶ。
『俺、頑張って国王の番になるよ――首をかじってもらえたら合格らしい』
番の意味をぼんやりとしか理解しないまま、愛咬の儀――アルファが性交中にオメガのうなじを咬み、正式な番になる儀式――に向けて「かじってもらうぞ」と意気込んでいた彼を思い出し、口元に手を当てて肩を揺らした。
臣下が「どうされましたか」と心配そうに見上げる。
「いや、面白くなりそうだな」
そう言うと〝王の顔〟に戻して、次の議題に入ったのだった。
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