5 / 6

第5話

 章は何度も首を縦に振った。司書になってから四年、通常の本の修復だけでなく貴重書の修復も専門の先生に学んだノウハウがある。字が読めるようになれば帰り方を探しながら、魔法や神獣の本など、自分の世界では絶対に読めない本が読める。本好きの章にとってはありがたい提案だった。 「そういえばアスランっていくつ? 背は大きいけど」 「二十二だよ」 「年下だったんだ、俺は二十六」 「えっ……そんな愛らしい容貌で……?」  童顔を指摘されてムッとしつつも、章は先輩風を吹かせたくなった。 「見た目はアレでも俺のほうが、年上だからね」  威張るポーズをしてみせる。  アスランは頬杖をついて、にこにことこちらを眺めていた。 「はいはい、年上年上」  自分がこれほど人に打ち解けたことがあっただろうか、と章はふと思った。  心強い友人ができたものだ。しかも彼も書物庫の担当なら、仕事も似ているし話も合いそうだ。 「ありがとう、アスラン。少し前向きになれたよ……ああ、でも」 「どうしたの?」 「読み書きを習ったり本の修復をしたりするためには、王宮に残って、番候補にならないといけないんだよな……」 「具体的にはどんなことするの?」  昼に聞いた説明を思い出しながら、章は指を折った。王宮マナーや基礎知識の勉強、芸術やファッションに関する実技、そして三日に一度の国王との面会――。 「はあ……面会って何するんだろう。キャバクラみたいな接待しないといけないのかな」 「キャバク……?」  章の独り言に首をかしげるアスランは、大きな男なのになぜか愛らしく見える。美男のなせる技だ。 「男の人にお酌したり良い気分にさせたりする仕事場のことだよ」  ああ、と肩を寄せたので通じたようだ。 「接待、苦手なんだよなあ」 「私とは話せているじゃないか、そのままでいいと思うけど」  アスランが肩を叩いて慰めてくれる。 「そりゃ、アスランは最初に出会った親切な人だし、普通の人だから話しやすいよ。でもここにいる高官とか神官とか、すごく偉い人らしいんだ。もう怖くて緊張してしまって」 「神官も偉そうにしているだけでただの人間だよ」  アスランの高笑いが書物庫に響く。「思いついたんだけど」と、アスランが頬杖をついたまま本をぱたぱたとめくった。 「書物庫って王宮だけじゃないんだ、国内に五箇所あるんだ。国王の番になったら立場的に国中の書物庫を自由にできるようになるじゃないか」  章ははっと自分の口元を押さえて、感動の大声を堪えた。 (国中の本が、俺のもの……?)  なんと素晴らしい響きだ。 「そうか。国王のパートナーになればどの図書館も行き放題、日本への帰り方も調べ放題だ……! しかも相手は王様、妃とかきっと何人もいるし、一人くらい番がいなくなったって平気だろうし」  だったらこの番候補のレースで成績を残して気に入られて、帰り方を見つけてぱっと消えればいいのだ。  しかも、帰り方が見つかるまでは、未知の本が読み放題。祖母も他界し、自分を心配してくれる人などいないのだから、時間がかかったとしてもその点、心配ない。 「いや、王は独り身だよ、妃も王配もいない」  めずらしいな、と章は思った。世継ぎだなんだと早めに結婚させられるのかと思っていた。 「でもたぶん、制度上は何人も奥さんにできるよね?」 「まあ、前王はそうだったね」  だったら大丈夫だ、と章は拳を握った。おじさん国王と一世一代の恋に落ちるわけでもないのだから。少しでも気に入ってもらって、なんとか「君合格ね」などと言われたい。 「俺、頑張って国王の番になるよ。おじさんは苦手だけど、何度か接待に行ったことあるし。首をかじってもらえたら合格らしい。よし、頑張ろう。かじってもらうぞ!」  アスランは頬杖をついて、章の声明をにこにこと見守っている。 「頑張って番になってね、約束だよ」 「うん、読み書きと本の修復のこともね。ここで落ち合う?」  カツカツ、と足音が聞こえたと思ったら、書物庫の扉が勢いよく開いた。  章は思わずアスランの背中に隠れる。自分の部屋の警備兵が探しに来たと思ったのだ。  しかし、声をかけられたのはアスランのほうだった。 「やはり書物庫でしたか、夜は危険です。お部屋にお戻りください」  明らかにアスランより年上の男性が、丁寧な口調でそう言った。 (お部屋? ここの担当じゃないの?)  アスランはゆっくり立ち上がり「ああ」と返事をした。その声音がピンと張り詰め、これまでの穏やかな雰囲気から一変していた。なぜか少し怖いとさえ思った。 「アスラン……?」  アスランは章を振り返って、「暖かくして寝て」と肩からずり落ちたストールを、ぐるぐるとまき直してくれた。ふわりと優しい香りが章を包む。  男性がアスランを急かした。 「明日は早朝から予定がございます。どうぞお戻りになってお休みください、国王陛下」  章は目を見開いた。 (今、アスランをなんて呼んだ?)  たしか、こう言った。  ――国王陛下、と。  アスランは扉に向かって歩きながら、少しだけ振り返って手を振った。 「約束だよ、頑張ってね」  小声でささやき、片目を閉じたその仕草は、美男がすると映画のワンシーンのようだった。  二人が去ったあと、章はガタッと椅子に崩れ落ちた。 「こ、国王、陛下……? おじさんは……?」

ともだちにシェアしよう!