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第4話
その夜、章は最初に飛び込んだ王宮の書物庫に潜り込んでいた。
王宮の一室に宿泊させられたが、勝手に出入りしないよう入り口に見張りを置かれた。部屋にあったティーセットでお茶を淹れ、たまたま持っていた風邪薬をそれに混ぜて見張りに差し入れたのだ。しばらく時間がかかったが、章がこっそり出ていくのに気づかないくらいには居眠りしてくれた。
書物庫で章はがむしゃらに〝帰り道〟を探した。
(帰らなきゃ、俺、とんでもないことに巻き込まれてしまう……!)
昼間、自分が能力者ではないと判明するやいなや、神官たちの態度がきつくなり「次の計画に移行しよう」などと話し始めた。
その〝王を覚醒させるための次の計画〟の全容に、章は恐ろしくなって逃げ出したのだ。
「誰だ」
低く静かな声がして、章は棚の下に身体を隠した。
「咎めはしない、出てきなさい」
聞き覚えのある、心地のいい低い声だった。
「……あ、アスラン?」
章は棚から顔を出す。
燭台を手にしたアスランが、ぱっと表情を明るくした。
「なんだショウか。こんばんは。こんな時間にどうしたの、てっきり侵入者かと」
なぜかその笑顔にほっとして、章は立ち上がって一礼した。夜もいるということは、きっと彼はこの書物庫の警備担当なのだろう。
「ごめん。俺、泥棒とかじゃなくて」
「そんなの分かっているよ、どうしたの冷えるだろう。ほら」
アスランはそう言って立ちすくむ章に、厚手のストールをかけてくれた。
優しい言葉と仕草に鼻がツンと痛くなった。
この数時間で起きたことが、急に蘇って息が詰まる。
突然引きずり込まれた知らない世界で、章が「ハズレ神子」だと分かると手の平を返したように冷たくなった神官たち。さらにこれから起きようとしている国王をめぐる〝花嫁レース〟――。
ぽたっ……と涙が頬に落ちる。優しいアスランに、思わずこう言ってしまった。
「……俺を日本に帰して……」
おやおや、とアスランが章の肩を抱き、椅子に座らせてくれた。
涙の理由を問われたので、章は今日起きたことを全てアスランに話した。
自分が手違いで召喚された、能力のない〝ハズレ神子〟だったこと。自分の第二の性がベータだと言われたこと、そしてこれから起きる面倒事――。
「……国王の番候補を集めて、競わせる?」
アスランも目を瞠って復唱していた。
章は小さくうなずいた。
神子の召喚が失敗した際の計画が、神殿にはあったのだ。
国中から容姿端麗で優秀なオメガを集めて、国王の番候補として競わせる……という。明日からその招集が始まるのだと聞かされた。
国王が番を得ることで『未来を見る』力が開花するのでは、という有識者の進言があったのだという。
「なんとくだらない」
「……そこに俺も入れと言われたんだ……優秀な候補が集まるから、俺が選ばれる可能性は低いだろうけど、神官長が強く推して……」
そんなのできるわけがないと章は固辞したが、住み処なしの無職でこのまま街に放置、と、衣食住が保証された番候補としての生活――の二択を迫られたのだ。
「俺、顔も見たことないおじさんの『つがい』っていうのになるために、他の人と競わないといけないだなんて……しかも、元の世界に戻す方法はないから、レースに負けたら住所不定無職だって……ううっ……」
章は袖口で涙を拭った。
話を親身になって聞いてくれていたアスランが「おじさん」と意味深に復唱している。
「こういう物語、俺読んだことあるんだ。異世界に召喚された主人公は大活躍するんだよ……なのに俺ときたら能無しのハズレ神子だって。物語みたいに活躍するなんて無理なんだよ」
だから逃げようと思った、と打ち明ける。
章の肩をアスランがそっと抱いて、さすってくれた。
「ショウ、たぶんここには帰り道はないと思うんだ」
そうだろうな、と章も思う。
「でも、帰るヒントなら見つかるかもしれない」
アスランはそばに置いていた燭台を壁に照らした。浮かび上がるのはおびただしい数の書物。
「そうか、文献か……!」
章はそばにあった本を開いてみる。しかし、書かれていた文字は読めなかった。ただし見覚えはあった。最初に図書館に持ち込まれた、あの書物と同じ言語なのだ。
「読めないの? 話せるのに?」
アスランに言われて気づく。みんなが日本を話しているのではなく、自分が現地語でコミュニケーションが取れているのだ、と。
アスランが何冊か運んできてくれた。
「これは精霊の解説本、これは神獣の伝説が記された本、これは精霊魔法薬学の本――」
どれも自分の世界にはないものばかりで、章の好奇心がむくむくと膨らんでいく。
アスランは、ここにある本は全て読破したという。神殿に関する本もあると教えてくれた。さすが王宮の書物庫を任される人物だ。
「ああ、ごめん。全て読破したと言ったけれど一部訂正するよ。奥の書架にある本は古すぎて読んでない……というか読めない」
奥の書架に案内されると、ボロボロの本が雑に積まれていた。この書物庫の三分の一は占めるのではないだろうか。中には大胆に中身が飛び出た本や、背表紙がふにゃふにゃで縦に保管することすら難しい本もあった。
「貴重な記録だろうに、こんなにぼろぼろだなんてかわいそうだな。帰る方法が書かれた本があったとしても無事かどうか。きちんと修復されてるといいんだけど」
「修復? そんなことする人はいないよ。本は傷むものだ、読めなくなったらそれまで。この書架の本も近く処分される」
そういう文化なのだろう。神官たちの話を聞いていても口伝が多かった。あまり歴史資料を重視しないようだ。
「本って修復できるんだよ、俺はそういう仕事もしてた」
「本当に? すごいね、見てみたいな」
じゃあ、こうしないか、とアスランが提案する。
「自分の世界に帰る文献は見つけられたとしても読まなければならないよね? 私が読み書きを教えるよ」
いいの、と章の首がにゅっと伸びる。
「もちろん。話せるならきっと読み書きもすぐ覚えられる。代わりに、私が気になっている本を修復してくれないか」
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