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第12話 不器用か〈side大城〉

 スプレッドシートが表示されたラップトップの向こう側に、篠崎がいる。  企画部にはデスクトップ型のパソコンは部長席にしかなく、社員にはそれぞれノートパソコンが貸与される。窓が大きく、円形や楕円形のテーブルが圧迫感なく配置され、部屋のそこここに観葉植物の置かれた心地のいい空間だ。  うちの部では、関わっている仕事の内容によって、一定期間ごとに席替えが催される。  幸い……というべきかなんというべきか、篠崎と俺の席は今比較的距離がある。とはいえ、オフィスを見渡せばすぐ視界の中に篠崎がいるという状況だ。それはこれまでと変わらないことなのだが……。  ——……どうしよ、俺、今どんな顔して仕事してんだろ。社会人の顔できてんのかな……。  お試し交際を許されてから一週間が経った。  一応付き合っているという関係になれたのに、篠崎のことを意識しすぎている俺は、これまで以上に公私混同しないよう努めてしまっている状況だ。  なので、恋人らしいことは何一つできていない。  こういう清い関係から始まる恋も初めてだし、社内恋愛というのも初めての経験だ。気を抜けば思い切り公私混同してしまいそうで恐ろしく、俺は常に気を張り詰めて仕事をしていた。  ——いや、不器用すぎかよ。このままずっとこんな感じじゃ、篠崎だって不安になるだろ。俺から付き合ってっていっときながら放置とかありえないし……かといって、いきなり手を出すわけにもいかないし。  ゲイバーにデビューしたのは大学三年生。就職活動のストレス発散もかねて初めて足を踏み込んだ。  その場に不慣れで初々しい空気を醸し出していたせいか、すぐに男たちが寄ってきた。  ひょっとすると、ここで『恋人』が見つかるかもしれないと淡い期待を抱いていたけれど、始まったのは、セックスありきの刹那の関係だった。  容姿や雰囲気で選び、選ばれ、言葉を交わして、お互いそそるものがあればホテルに行って——……大学生だった頃の俺にとって、それは驚くほどに乾いた大人の関係だった。  だけど篠崎とは、もっときちんとした手順を踏んで、ゆっくり関係性を深めていきたい。あわよくば、人生を共に歩けるようなパートナーになれたらいいなと淡い期待を抱いてしまうくらい篠崎に惚れているし、信頼もしている。  ——てか、セックスありきじゃなかったら、どうやって誘えばいいんだ?   もちろんセックスはしたい。死ぬほどしたい。  同僚だからという理由で理性のブレーキが効いていたけれど、篠崎は俺の申し出にOKをくれた。ということは、うまくいけば、いずれそういう関係になれる日がくるかもしれないということだ。  思い切りブレーキを踏み続けなくともよくなった途端、篠崎の唇の柔らかさや、酔い乱れてはだけた白い肌の香りを思い出し、俺は幾度となく夢想の中で篠崎を抱いた。  シチュエーションはさまざまだ。  俺の家、誰もいないオフィス、会議室、飲み会途中のトイレの個室——……これまで性欲を忘れていたかのようだった俺の下半身には、いまや漲りすぎるほどの力が漲ってしまうようになり、俺を余計に悩ませている。  ——はぁ……つらい。仕事中はまだマシだけど、これでうっかりふたりきりになったら、俺は何をしでかすかわかんないぞ……。  ちらっとモニターから視線を上げると、隣のテーブルで女性社員たちと会話をしている篠崎の背中が見える。  女性社員たちは年齢も働き方も性格も様々だが、食べ歩きという共通の趣味で皆とても仲が良い。この週末も中華街へ行ってきたらしく、カフェスペースにはお土産の箱が置かれていた。  女性陣のよもやま話に、愛想のいい笑みを浮かべながら相槌を打っている篠崎の後ろ姿は惚れ惚れするほどに綺麗で、目が離せなくなってしまう。  ——でも俺……付き合ってんだよな、篠崎と。なんか未だに信じられないな……。 「大城さん、どしたんすか?」 「…………えっ?」 「眉間のシワすごいっすよ。こっわい顔で篠崎睨んじゃって、あいつ何かやらかしたんですか?」  ひょい、と俺の視界に割り込んできたのは、篠崎と同期の男性社員・吉岡 (みつる)だ。  要領よく仕事をするタイプの男だが、酔うとキス魔になる要注意人物でもある。  飲み会の時に篠崎がちょっかいを出されていないか、いつもさりげなく見張っていたが、今のところ無事のようだ。ちなみに、酔った部長はしょっちゅう吉岡にキスをされている。(双方覚えてない様子だが) 「あれだよあれ、眼精疲労。あー、疲れた」 「へー大変すね、お疲れ様っす」 「サンキュ。まったく労りの気持ちが感じられないけど」  いつもの調子で淡々と受け答えをしつつ、そのまま吉岡を含む四人のスタッフと、既出商品のリニューアル企画の件についてのミーティングを始めた。  近々開発部と広報部との会議が行われるため、それまでに企画部としての考えをまとめておかねばならない。  クリエイティブな作業の妨げにならないよう、部長以下の社員に肩書きをつけないというのが企画部の方針だ。肩書きや上下関係を意識させず、フラットな人間関係の中で、自由な発想をもって新商品を生み出してほしいという考えらしい。ちなみに吉岡は特にフラットな態度で接してくる。 「ねえ大城さん、次こそ合コン来てくださいよ」 「しつこいなぁ、行かねーって言ってんだろ」  ミーティングが終わった途端、吉岡がパンパンと俺に向かって手を合わせてきた。 「ねぇなんでですか? 行きましょうよぉ、大城さん来てくれたら絶対盛り上がるのに」 「お前、こないだマッチングアプリでいい子と知り合ったって言ってたじゃん。その子はどうなったんだよ」 「いや、合ってみたら全然プロフと顔違うしそんな話も盛り上がんないしで……。やっぱダメっすね、人間、一度は顔を合わさないとだめっすね」  吉岡はマッチングアプリで相手を探してデートを繰り返しているようだが、なかなか恋人関係に進める女性と出会えないらしく、しょっちゅう嘆きを聞かされている。  相手と連絡が途絶えるたびにこうして合コンに誘ってくるのが面倒だが、それ以外はまぁ、可愛い後輩の一人だ。 「大城さんて、実際のとこどーなんすか? やっぱ彼女いるんでしょ? 紹介してくださいよ」 「なんでお前に紹介しなきゃいけないんだよ」 「彼女さんづてに、新しい出会いをもたらして欲しいんす! お願いしますよぉ」 「出会い出会いって……お前はほんとそればっかりだなぁ」 「だって俺、寂しいのやなんすもん。仕事もプライベートも、どっちも充実させたいんすよ。結婚もしたいし」 「なるほどね」  ごく自然な欲求だな、と俺は思った。  俺にも、寂しさを紛らわせたい時はあった。バーで相手を探し、相性がよければしばらくセフレになった。  一瞬の渇きは癒せても、不安定で不誠実な関係性は長続きするはずもない。俺はだんだん、そういう関係に疲れてしまった。

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