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第11話 ご提案、お受けしたく〈side篠崎〉

「いやしかし……兄弟だったとはな」  すぐに新しい酒とつまみが運ばれてきて、すこし寂しくなっていたテーブルが俄かに賑やかになりはじめた。喉を潤すためにビールばかり飲んでいたけれど、ようやく少し空腹を感じ始めている。大城さんに勧められるまま、僕は合掌して食事をすることにした。 「ちらっとそうだったらいいのになって考えたけど、言葉も違うし顔も似てないから、それはないだろって思ってたからさ」 「ふふ、確かに似てませんよね、全然」 「うん、似てない。ていうか、似てなくてよかったよ」 「そうですか? 大学時代は由一郎もけっこうモテてましたよ、フットサルうまかったし」 「へえ、意外」  フットサルチームに入ったと言えば、次の週には「僕も入ったで」とつきまとってくる由一郎が、いっときは鬱陶しくてならなかった。きっと由一郎は、高野家が僕を見張るために遣わしたスパイなのだと思い込んでいたときもあったけれど、他人になった僕を今更見張る必要がどこにあるのか。だんだんスパイ疑惑は鳴りをひそめていき、由一郎のことは、ただの”他大学の交流戦でよく会う先輩”と認識を改めたのだった。 「そういえば篠崎、全然関西弁出ないんだな。京都で暮らしてたのに」 「母が関東の生まれだったからかなぁ……お手伝いさんたちも標準語の人が多かったし。あとは意地ですかね、あそこには染まらないぞっていう」 「ああ……なるほど。すまん」  地雷を踏んでしまった自分を戒めるように、大城さんは手にしていたハイボールを一気飲みしている。僕は苦笑して首を振った。 「別にいいんですよ、もう。全部過去ですし、今はすごく毎日が充実していて楽しいので」 「そうか?」 「あ、でも、怒ってるときに関西弁出てるって由一郎に言われたことあるな……」 「えぇ? 篠崎でも怒ることあるのか!?」 「まれに……といっても、誰彼構わず怒り散らすわけじゃないですよ? 主に由一郎に怒るくらいで」 「へぇ……いいなぁ」 「え? なにがですか? 怒られるのが?」 「えっ!? い、いや別に?」  僕が首を傾げると、大城さんはわざとらしく「あははは」と笑い、取り繕うようにグラスを傾けようとした。が、さっき一気飲みをしていたので中は空っぽだ。今度は僕がタブレットを操作して、新しいものを注文する。 「そういえば大城さん、部活なにやってたんですか?」 「俺? 俺はバスケ部。小中高とずっとな」 「へえ、似合いますね。ポジションてどこだったんですか?」 「センター。昔から、けっこうでかいほうだったから」 「うわ、強そうだなぁ。大城さんて顔も凛々しいから、試合中に睨まれたら相手ビビりそうですね」 「えっ? あははっ、そうだな。それ、よく言われてたわ」  大城さんのリラックスが伝わってきているのか、僕も心地よく酔い始めていた。  出会ってからずっと、ほとんど仕事の話しかしたことがなかったから、大城さんの青春時代の話はとても新鮮で、楽しかった。  それに、大城さんの態度もいつもと全然違う。会社の飲み会などでは、大城さんはいつも場を仕切ったり酔っ払いを整理するポジションにいることが多いため、こうしてのんびり飲んでいる大城さんを見るのは初めてな気がする。  特に部活の話をしているときの大城さんは、まるで高校生のように屈託のない笑顔を浮かべるのだ。クールな先輩としての表情をしていない大城さんの表情を、この数日でずいぶんたくさん見てきた気がする。  ——仕事中だと笑ってても怖い時あるけど、今はすごく楽しそうだなぁ。  無防備に笑う姿を見せてくれていることが、なんだかすごく嬉しかった。食事の美味しさもあって会話が弾み、これまでどこか遠くに感じていた大城さんの存在が、どんどん近しいものに感じられるようになっている。  ——いいなぁ、この人に選んでもらえる人は。こんな笑顔を毎日見られて、この声で毎日話しかけてもらえて、幸せだろうなぁ……。  美味しくて楽しい時間が過ぎてゆく。だんだん、僕はふわふわした気持ちになってきた。  大阪での酒の席とは大違いだ。僕は決して話し上手なほうではないけれど、大城さんといると会話が弾む。同期たちと囲むテーブルも楽しいけれど、この人といると、どうしてこんなに居心地がいいのだろう。  ——話し上手で、聞き上手だからだろうなぁ。大城さんと飲むの、すごく楽しい……。 「篠崎、大丈夫か? 今日は潰れんなよ〜」 「あはは〜大丈夫ですよ」  冗談めかした口調でそんなことを言う大城さんにへらりと笑って見せ、グラスに残っていた酒を飲み干した。  すると、すかさず湯呑みが渡される。お茶の香りが涼やかに鼻腔をくすぐった。 「あ、お茶……ありがとうございます」  手のひらで湯呑みを温める。お茶の香りに楽しい時間の終わりを突きつけられているようで、僕は無性に寂しくなってきた。  次、こうして大城さんとゆっくり話ができる時間が持てるのはいつだろう。今回は僕の事情を聞きたいということでこの席が設けられたけれど、こんな機会、そう何度も訪れるものではない。  次は僕から誘ってもいいのだろうか。誘ったら、大城さんは来てくれるのだろうか。誘う口実はどうすればいいんだろう。  ——もうちょっと、一緒にいたいなぁ……。 「おいおい、寝るなよ? 篠崎んち知らないから、この間みたいに送ってやれないし」 「ああ……この間はすみません。大城さんてほんと力持ちですよね、僕をベッドまで運ぶの、大変だったんじゃないですか?」 「いや……それは気にしなくていい、けど」  微笑んでいた大城さんの目が、わずかに訝しげに細められる。  よほど手間をかけてしまったのだろう、貧相な僕の身体とはいえ、脱力した成人男性の肉体を運ぶのは大変だ。    迷惑をかけてしまったことを改めて謝ろうとすると……大城さんはいつになく低い声で、僕に質問を投げかけてきた。 「篠崎。ひょっとして覚えてる?」 「何をですか?」 「俺に……キスされたこと」 「ぅっ……!?」  不意打ちでド直球に投げかけられた問いに、僕は硬直した。  ガバッと顔を上げると、ちょっと眉を寄せた困り顔で、大城さんが僕をじっと見つめている。  この場面ではどう振る舞えば正解だ? はぐらかせばいいのか? 笑って誤魔化せばいいのか? すっとぼけたふりをして、「何のことですか?」と不思議そうな顔をすればいいのか!?  そんなことをぐるぐる考えているうちに刻一刻と時間は過ぎ——……大城さんが「……やっぱりそうだったか」とため息をついた。 「す、すみません……!! 嘘をつくつもりはなかったんですけど、ああいった場合、どう振る舞えばいいのかわからなくて……!」 「い、いや……篠崎は悪くない。悪いのは全面的に俺だから、謝らないでくれ」 「……」    個室の中ものすごい空気になり、いたたまれず俯いた。すると、もぞ……と大城さんが居住まいを正す衣擦れの音が聞こえてくる。 「篠崎」 「……は、はい」 「悪かった、あんなことをして」 「え……?」 「酔ってたからって、お前の意志関係なくあんなことをして……本当に、ごめん」  顔を上げると、大城さんの真剣な眼差しがすぐそこにあった。謝罪の言葉を口にしているのに、大城さんの瞳は熱をはらんでいるように見え、僕の心臓は大きく跳ねた。 「このタイミングで言うのはどうかと思うけど、聞いてほしいことがある」 「は、はい。なんでしょうか……」 「篠崎のことが好きだ。お前が入社したての頃から、ずっと。ずっと……好きだった」  耳を疑うような台詞が大城さんの口から飛び出して、僕は唖然としてしまった。きっと、ものすごく間抜けな顔をしているに違いない。 「……はい……?」  大城さんは苦笑を浮かべ、とつとつとこう語った。 「篠崎が俺のことを人として慕ってくれてるのは知ってるし、すごく嬉しい。……だけど、俺の好きはそういう意味じゃない」  強い視線でまっすぐに射抜かれて、心臓を鷲掴みにされたかのように背筋が伸びる。  目線は強いが、大城さんの表情にはあいもかわらず強い緊張が見て取れた。僕なんかを相手に、どうしてそんなに自信のなさそうな顔をするのだろうかと不思議になるくらいに……。 「俺は今、玉砕覚悟で告白してる。気持ち悪いとか、怖いと思うんならきっぱり断ってくれ。異動も考えてるし、篠崎の迷惑にならないよう最大限配慮する。でも、もし……望みがあるなら」  テーブルの上に置かれた大城さんの拳が、ぎゅっと強く握りしめられる。固く握られた拳が微かに震えているように見えるのは、気のせいだろうか。 「……ちょっとでも望みがあるなら、試しに、俺と付き合ってみてくれないかな」 「へ……」 「もし付き合ってみて、無理だったら言ってくれ。俺はちゃんと諦める。どうしても無理って感じじゃないなら、ちょっとでもチャンスが欲しい」  切実な口調で一息にそう言い募ったあと、大城さんは自嘲めいた笑みを浮かべた。 「……って、どんだけ必死なんだよ俺。はは……ダサいな」  ため息混じりにそう言って、大城さんはくしゃりと前髪をかき上げる。その色っぽい仕草や、僕に向けて放たれた言葉の全てが、僕の胸を熱く掻き立てた。 「ダサくなんてないです! かっこいいですよ、いつも!」 「……はは、慰めてくれてる? ごめんな、気ぃ遣わせて」 「慰めとかじゃなくて……!! その、僕だって……僕も……」  溢れ出しそうな気持ちに、言葉が全く追いついてこない。  一番大きいのは驚きという感情だが、接戦で追い上げているのは紛れもなく”嬉しい”という感情だった。  大城さんのことはもちろん好きだ。尊敬できて、頼れる先輩だ。  だけどあのキスで、僕の心は大きく揺さぶられた。たった数日の間で、僕はたくさんの新しい大城さんの表情を知った。たったそれだけで……と自分でも呆れてしまうけれど、僕は、この人のことをもっと知りたくなってしまったし、あのキスの続きだって、知ってみたいと思うようになってしまった。 「お受けできたらと思います。その……お試しで付き合うという、ご提案を」 「……え? ほ、本当に!?」 「はい……。僕でよければ、よろしくお願いします」 「うわ……まじか。……うわ」  小さく頭を下げたあとに恐る恐る視線を上げると、大城さんの目がキラキラと輝いていた。  拳で口を覆いつつ何度も「え? 本当に……? 本当にいいのか?」と問いかけてくる大城さんに、僕はこくりと深く頷く。  そのとき大城さんが浮かべたとろけるような笑顔がものすごく可愛くて、心臓が痛いほどに暴れている。  緊張でこわばっていた僕の頬も、ようやく緩んだ。

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