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第14話 デートの場所は〈side大城〉
インターホンの音が軽やかに響く。
『駅につきましたので、直接伺います』という連絡をもらってから五分程度。篠崎は、迷わず俺の家まで辿り着いたようだ。エントランスに設置されたインターホンのカメラに映った篠崎の姿にドキドキしながら、俺は「はい、どうぞ」と呼びかけてロックを開けた。
今日は俺の家で会うことになった。
夜だと俺が色々間違えてしまいそうなので、昼食を共にするという約束で。
俺は大学時代から自炊をしていたため、洒落っ気のない料理くらいならば一通りできる。
篠崎と出会い、男遊びを控えるようになった頃。
暇を持て余していたある週末、たまたま目にしたインド映画に出てきたカレーがあまりにも旨そうだったので、スパイスからカレーを作ってみることにした。
そのカレーは、初心者にしては素晴らしい出来栄えだった。そこからすっかりスパイス集めにハマって、さまざまなカレーを作るようになってからは早かった。
タイ料理やバリ料理といったアジアン風の料理に一通り手を出したあと、俺は和食を作ることにハマった。異国料理ばかり手を出していたので、流石に胃袋が疲れてきたのかもしれない。
調理動画を参考にしながら丁寧に出汁を取ることからはじめた。土鍋で米を炊き、味噌汁や煮物、焼き物などを丁寧に作って食べる時間はとても充実していた。それに、料理を作るという経験から得たアイディアを仕事に活かすこともできて、一石二鳥だ。
いや、雑談の中でこのネタに篠崎が反応してくれたのだから、一石三鳥か。
一人で作って食べるだけではつまらないので、俺は画像中心SNSのミンスタグラムに自作した料理をアップしている。会社のそばで昼食を食べた時にその話題になり、アカウントを教えてみた。
すると篠崎は目を丸くして「めちゃくちゃ美味しそうじゃないですか。盛り付けも本格的だし、すごい……!」と驚きをあらわにしていた。
なんてことない写真をただ載せただけなのにベタ褒めされて舞い上がってしまった俺は、下心を抱く間もなく「じゃあ、今度うちに食いにくる?」と、食い気味に篠崎を家に誘ったのだった。
その時の篠崎の反応も、実に普通だった。「はい、ぜひ!」とわくわくした顔をしていて、俺の家でふたりきりになるということに、なんの懸念も抱いていないように見えたのだが……。
「お……お邪魔します」
「あ、うん。どうぞ……」
——……めちゃくちゃ緊張してるじゃん。
おっかなびっくりといった様子で俺の部屋に上がり込んだ篠崎の顔は、明らかに緊張で強張っている。「差し入れです」と差し出した紙袋を持つ手も微かに震えていた。
その様子に若干のショックをうけつつも、やはりいきなり家に誘うのは早すぎたか……と、己の軽率さを悔やむ。
だがリビングに通すと、篠崎は「わぁ」と顔を輝かせ、窓のほうへ歩み寄った。
俺の部屋は25階建マンションの20階にある。マンションの真下には小さな公園があり、そのすぐそばには川が流れていて、都会から近い割には静かな場所だ。
「眺めがいいなぁ。すごいですね!」
「まぁ、会社ほどじゃないけどな。夜景もけっこう綺麗なんだ」
「へえ、いいなぁ。それにすごく広いですね。ひょっとしてご購入されているとか……?」
「うん、買った。俺は結婚しないし、ライフスタイルが大きく変わることもないだろうから、いいとこ見つけたら早めに買おうって、わりと若い頃から考えててさ」
「あ……なるほど。そうなんですね」
俺の言葉に、篠崎がやや面食らったような顔をしている。
ああ、そうか。篠崎はノンケとしての人生を歩んできたわけだから、結婚や子育てというイベントでライフスタイルががらりと変わる未来を、ごく普通の未来として思い描くことがあったかもしれない。
だが俺は割と早いうちから、一生一人で生きていくつもりでいた。社会人になったらすぐに、長く住める家を探そうと考えていたし、実際そうした。
すると、少し聞きづらそうに篠崎がこう尋ねてきた。
「あの……大城さんて、ご家族は?」
「両親は、俺が中学生の頃に事故で死んでる。そこからは祖父が俺を引き取って育ててくれたんだ。祖父も、俺が社会人になるちょっと前に死んじゃって、今はまぁ、ひとりかな」
「あ……そうだったんですね」
「親戚はどっかにいるんだろうけど、ほとんど会う機会もないし。……って、そんな気まずい顔しなくてもいいよ。ごめんな、いきなりこんな話」
「い、いえ! 聞いたのは僕なので……!」
しきりに恐縮している篠崎に、肩をすくめて笑って見せた。
「ま、こういう暮らしも気楽でいいよ。なんか飲む? ソファにでも座ってて」
「あ、はい。ありがとうございます」
窓際に置いたソファを勧めておいて、俺はキッチンに立って湯を沸かし始めた。だが篠崎はソファには座らず、壁側の収納棚の方へ吸い寄せられるように近づいていった。左手の壁には一面大きな棚が造りつけられていて、俺はそこに本を並べている。リビングに置いているのはビジネス書や経済誌、そして小説の類だ。漫画本などは寝室の本棚に並べてある。
「へ〜」とか「あ、これ……」など呟きながら本の背表紙を眺めている篠崎の姿を、俺はしげしげと観察する。
——私服、意外とカジュアルなんだな……めっちゃくちゃ可愛い。すげー若く見えるし。
普段はスーツ姿しか見たことがないため、篠崎の私服姿は新鮮だ。
ざっくりとしたシルエットの白Tシャツだが、胸に入ったワッペン風のロゴは若者が好むオシャレブランドのそれだ。Tシャツと細身の黒パンツというラフな格好だが、篠崎の身にまとう雰囲気もあいまって綺麗めにまとまっている。
——大学生っていっても通じそうだな。やばいな、可愛すぎるんだが……。
「大城さん? お湯、沸いてるみたいですよ?」
「……え? あっ、ああ、うん」
ふと我に返ると、火にかけていたケトルがピーピー不満げな声をあげながら蒸気を噴き出している。慌てて火を止めていると、篠崎がゆっくりとキッチンに近づいてきた。
「すごい、急須でお茶を淹れてもらえるなんて……ああ、いい香りだなあ」
「今日は和食にしたから、ちょっと和で統一しようと思って」
「ありがとうございます、すごく楽しみにしてたんです」
「篠崎は舌が肥えてそうだから、ちょっと緊張するけどな」
少年時代を高野家で育ったのだから、素晴らしく上品な料理に囲まれながら成長したことは間違いないだろう。俺のそういう考えを汲み取ったのか、篠崎はちょっと肩をすくめて微笑んだ。……可愛い。
「そんなことないですよ。家のほうのご飯はわりと普通でしたから」
「へぇ、そうなの?」
「年の離れた上の兄さんたちとはあまり一緒に食事したことありませんでしたし。由一郎と二人ってことが多かったので、お手伝いさんたちも育ち盛りの男子向けメニューを作ってくれましたから」
「へぇ、そうだったんだな」
ひょこ、と高野の顔が脳裡にちらつく。だが二人の関係性を知った今は、嫉妬などもう感じない。
むしろ『篠崎を東京へ連れ出してきてくれてありがとう、お兄様』とお礼を言いたいくらいだが……。
「あ、あのさ。高野さんは、篠崎が俺とこうなったこと知ってるのか?」
「いえ……言ってません。多分すごくうるさいので」
「そうだよな……」
聞けば、高野は東京に展開している『こうのや』の姉妹店『こうのや はなれ』で仕事をしているという。てっきり京都に住んでいるものと思っていたが、東京に住まいがあるらしい。いつどこででくわしてもおかしくはない距離にいるとなると、なんとなく緊張してしまう。
——”お試し”じゃなく正式に付き合えるようになったときは、きちんと挨拶しておきたいけど……。
俺の下心を見抜いていた高野に、始まったばかりの時間を邪魔されたくはない。
手を伸ばせば届く距離に私服姿の篠崎がいて、俺の淹れたお茶を美味そうに飲んでいる。目の前に広がる光景があまりにも幸せで、昼食を食べる前から胸がいっぱいになってしまった。
「なんか、お腹空いてきちゃったなぁ。さっきから出汁のいい香りがして……」
「そう? じゃあ食べよっか。篠崎の口に合うといいんだけど」
「絶対合いますよ、いい匂いですもん。手伝ってもいいですか?」
「うん、頼む」
座って待っていてもらおうと思っていたが、手伝ってもらったほうが会話が弾みそうだ。
そこそこ広いシステムキッチンにふ並んで立つだけでも幸せで、腹の奥底のほうでゆらめいていた下心がきれいさっぱり洗い流されていくようだった。
「キッチンすごく綺麗だなぁ、さすが大城さんって感じです」
「いや、キッチンも家も昨日めちゃくちゃ掃除したんだよ。篠崎が来てくれるから、きれいにしとかないとなって」
「え? ……あ、そうなんですね。……へへ」
となりで手を洗っていた篠崎が、頬を赤らめて笑みを浮かべている。照れているのだろうか。
今日はワイシャツ姿ではないから、首筋までうっすら赤く染まっているのがわかってしまい……ついさっき清々しく洗い流されたはずの俺の下心に、ふたたび火がついてしまった。
——馬鹿か俺。これから昼飯を食うだけなんだ、食事するだけなんだぞ。俺の手料理を振る舞うだけ……!!
笑顔の裏で下心をめったうちにして自制心を保ちつつ、味見したいという篠崎に、出汁を小皿にすくって手渡した。
ほんのりピンク色の唇に触れた小皿が傾き、俺の作った淡い黄金色の出汁が篠崎の口の中に流れ込んでいく。
——うわ、エロ……………………って、なんでだよ!!! 篠崎はただ味見してるだけだろうが!? どんだけ欲求不満なんだよ俺!!
飢えすぎている自分に引く。だが、俺が手ずから作ったものを篠崎が口にしているというだけで、どうしてこうも興奮してしまうのか……。
「うまっ……これ一から大城さんが作ったんですか!?」
「そっ……そうなんだよ。つい張り切っちゃってさ」
顔を輝かせてパッと俺を見上げる篠崎の可愛さに内心悶絶しつつ、俺は務めて爽やかな笑顔を浮かべた。
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