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最終話

にゃーん。 モロの声にハッとなる。目を開ければ、部屋は薄暗く久世は飛び起きた。 「は!?なにこれ」 どんだけ時間が経ったんだと、辺りを見渡す。モロが不思議そうな顔をしていたが、久世はバタバタと起き上がり部屋の電気を点けた。 「ええええ!?」 思わず、声を上げた。部屋の時計の時刻は18時15分。何が起こったのか分からずに、久世はその場にストンと座った。 一瞬、夢かと思ったがそんな都合のいい話はない。ただ単純明快なこと。寝過ごした。ここ数日の寝不足が、よりによって今日、跳ね返ってきたのだ。 きっと、神は帰っただろう。だって、1時間以上も過ぎてる。久世は嘆息すると、半纏を脱いで着替えを始めた。 「行って来る」 居間の雛に声をかける。モロをそこに下ろして、久世はマフラーを巻いた。 「誉、寒いから暖かくしていってよ。でも、えらく遅いお出かけね」 「うーん」 本当はもっと早い時間。時間を告げていれば雛に起こしてもらえたかもしれないが、今更、後悔してももう遅い。結局、こんなもんなんだと久世はダウンのポケットに手を突っ込んで居間を出た。 UGGのショートブーツを履いて、格子を開けると寒さが顔に突き刺さった。今にも雪が舞いそうな黒い空を見上げ、久世は外に出た。 駅前広場。久世の家から歩いてすぐの駅で電車に乗って、3つ目の駅で降りたところ。そこは大きな広場になっていて、待ち合わせをする人間が多い。 今更行ったところで居る訳はないが、とりあえず行ってみないことには気持ちが悪い。行って、居ないのを確認すればすっきりする。それを見て、雛にチキンでも買って帰れば良い。 そんなことを考えて、久世は駅を潜った。 ローカル線のせいもあって人が多くない電車の中は、幸せ満開のカップルがところどころに見られた。久世はそれを横目で見ながら、一生、ああいうのが出来ないのかもしれないと思った。 杏が言う様に、女の子じゃなく男と恋愛するタイプの人間なのかもしれない。でも、きっと、自分からアクションを起こす様な真似は死んでも出来ないだろうし、誰かを好きになるなんてこと久世は空を飛ぶくらいの曲芸だと思っていた。 結局、恋愛どころか誰かを好きになるっていうのが分からない。昔は昔と言われても、蝉はいつまでも久世の耳の中で鳴き続ける。 あの、薄暗い、汚い個室の中での短い時間は、久世にとっては地獄そのもので。舐め回された身体を皮が捲れるまで、ゴシゴシ洗った。毎日、毎日、そうして風呂場で泣いていた。 父親に知られなかっただけよかったかもしれない。 キキーッ!と大きな音を鳴らして、電車が停まる。久世はその駅で電車を降りた。 何故か、どくどくと鼓動が速まる。居る訳がない。そんなはずはないと思っていたのに、早足になった。混乱した。恋愛なんて分からない、誰かを好きとか分からない。思っているのに。 改札を抜け、外に飛び出し、辺りを見渡す。思った以上に人が多くて、久世は顔を顰めた。どこに居るのか、さっぱりわからない。 とりあえず歩き出す。待ち合わせによく使われるだけあって、誰も彼も人待ち顔だ。 神なら目立つと思うんだけど…。 いや、そもそも、もう居ないんだ。どれだけの時間を待ちぼうけさせたのか。居なくて当然。 久世は小さく息を吐いた。ドンッと人にぶつかられ、頭を下げながらその人の後ろ姿を見ていると人の波が一瞬途切れた。 その隙間に見えた姿に、つんと目の奥が痛くなった。すたすたと足を速めて、その前で立ち止まる。 「何で居るの」 広場の隅の花壇の縁で、頭を下げ小さくなっていた神に久世は言い放った。神がふっと顔を上げる。その頬も鼻も真っ赤で、それでも神は八重歯を見せて笑った。 「男は待つ生き物なんだって」 久世は唇を噛み、マフラーを取ると神の首に巻き付けた。そして、隣にちょこんと座った。コンクリートのそこは一気にジーンズの布地を通って、肌に突き刺さる様な冷たさを伝えた。 「待つって、限界があるだろ」 「たかだか2時間でしょ、全然でしょ」 「2時間だぞ?俺、寝てたんだから」 「そうなの?でも、時間とか勝手に決めたの俺だし」 「それでも!」 「でも、こうして来てくれた。俺にとっては、たった2時間だよ」 神はそう言って笑った。 「本当は来ない方に賭けてた」 「え?」 まさかの言葉に首を傾げた。神は久世が来ない方に賭けていて、久世は神が帰ったと確信に近い思いを持っていた。 どうなんだ、それ。久世は唇を尖らせた。 「侑太がくだらないこと話して。俺が小さい奴って久世にバレた」 「小さいってなに」 「自分を受け入れられずに、家族に当たり散らした」 「そんなの」 どうしても杏のあの悲惨さを知っているだけに、そんなのどうってことないことだろうと言いかけて口を噤んだ。 久世が悪戯された過去に拘って生きて来た様に、神にも自分を受け入れられないツライ時期があったのだ。どうってことないなんていう言葉で、片付くものではない。 「それに、久世の傷心につけ込んだ。別に、ああいうのがなくても…いつかは言いたいと思ったけど、久世、ガード堅いし。俺みたいな性癖の人間に嫌悪してると思ったから」 「嫌悪って」 「俺は別に、そんな…どっか連れ込んでどうにかしようとか思ってないけど、でも久世から見たら、恋愛対象が男っていう人間は、みんなそういう人間だっていうのがあるかもしれないって思って」 「そうじゃ…」 ないとも言えなかった。初めてそういうことをされた時は、TVに出てる”オネェキャラ”の芸能人にまで嫌悪したくらいだ。 だが、彼らは、彼女らは…なりに生きて来ている。必死に、自分と向き合って。過去の自分と向き合えない腑甲斐無い久世とは違う。 「あー、これ、クリスマスプレゼント?的なもの」 「え!?」 思わぬサプライズに、ぎょっとなった。そうか、クリスマスってそういうのもあるのかと思ったが、もちろん久世は手ぶらだ。 そんな事、思いつかなかったし、想像もしなかった。頭の片隅にさえなかった。 「ちょっと、俺、何も用意してない」 「まーまー、いいから」 混乱する久世を他所に、神は長方形の包みを押し付けた。 「開けて」 言われ包みを見る。どこかのショップで買った様な物でもない、簡素な包みだ。久世は首を傾げると、包みを開けた。 「あ、スケッチブック」 それは久世がいつか捨てたスケッチブックだった。あの、図書室で大槻に会った後に直ぐさま捨てたスケッチブック。 「どうして…」 「神だから」 「はぁ?」 何言ってんだと思って、久世はパラパラとスケッチブックを捲る。見覚えのあるスケッチが出て来た。だが、あの、モロのページはなかった。その変わり。 「ふふふ」 笑いが出る。久世のスケッチのあとに出て来たのは、モロのデッサン。だが久世が描いたものではないしデッサンと呼ぶにはあまりにも酷い。 一生懸命、久世の描いたモロの真似をしたと思われる、猫のイラストらしきもの。目と鼻と耳のバランスがバラバラで、ちょっとしたホラーみたいになっている。 「選択科目が音楽なの、よくわかった」 くすくす笑って、久世が言う。 「でも、見る人が見れば、ピカソだ!って言ってくれそうだね」 「えー?上手いでしょ。俺、そんなに絵、描いたのって小学校以来だもんね。龍宮寺神音の世界で一つしかないイラスト集だよ?」 胸を張って言われても困ると、最後のページを見て、久世はパタンとスケッチブックを閉じた。鏡を見なくても分かる、きっと、久世の顔は真っ赤だ。 「神って、案外、キザったらしい」 久世が唸る様に言うと、神は蕩ける様な笑みを浮かべた。何、この幸せで幸せでたまんないみたいな顔! 「誉って字、案外、難しい。で、ね、答えは?」 「はぁ?」 「言葉にしてほしいなら、今、ここで叫んでもいいよ?」 「ま、待ってよ!」 「俺は全然平気」 「俺は平気じゃない!」 「じゃあ、頷いてよ」 こいつー!と思ったところで、答えは出ているのだ。神の笑顔を見て、こっちまで何だか嬉しくなってしまうなんて、何だそれ! 久世はスケッチブックをぎゅーっと抱いて、もう!なんだよ!と文句たらたらだ。神はそんな久世を見て、ふふっと笑った。 『誉 好きです』 在り来たりのフレーズが白いページにでかでかと書かれていた。 ドラマで聞く様な気の利いた台詞じゃなく、映画で聞く様な感動的な台詞じゃない、本当に在り来たり。 捻りもなにもないのに、どうしてこんなにも胸が熱くなるのか。あー、これが恋かーと久世は思った。 いつまでも男が二人で、いかにもの雰囲気を醸し出しながらカップルだらけの広場に居座る訳にもいかずに、久世と神は歩き始めた。 ぴょこぴょこと柔らかそうな髪が、きょうは一段と陽気に動いているような気がする。 「神って上月と親戚なんだ」 「あー、うん。侑太のお母さんがうちの母親の妹の旦那の姉」 「遠いな!おい!」 「だから、似てないだろ?俺と侑太。血縁関係なんて怪しいもんだ」 「確かに似てないけど…」 そもそも言葉が違うだろ。あっちは本格的な関西弁だ。 「女連中で仲良くて。本当は関西に住んでたんだけど、親父さんの転勤でこっち来てからは本当に仲良い。ほら、うちは親父が留守がちだし、男しか居ないから、愚痴ったりとか遊んだりはそっちばっかりで」 「そうなの?」 「そう、だから俺が荒れた時に、奉公に出されちゃった」 へへへと神は笑った。 「神って、その、そういうことって」 「家族みんな知ってる」 「ええ!?」 大きな声を出してしまい、ばっと口を押さえた。静かな住宅街に久世の声がこだまする。神はそれを笑った。 「親父は知らないけど、兄貴達も母親も、みーんな知ってる」 「そう…か」 「あー、ちょっとだけ欲張っていい?」 「は?」 「手、繋ごう」 「…え?」 「誰も居ないから。人が来たら離す。一回目は最後に手痛いしっぺ返し喰らったから」 初めて神に告白された日の振り払ったことを言っているのか。神を見れば、いつか見た、緊張した顔。それに久世は笑って手を差し出した。 神はそれを見て、ぱっと花を咲かす様な顔を見せた。 「言うもんだねー」 神はそっと久世の手を握った。外は凄く寒いのに、神の手は熱くて、それが緊張からくるものだと少しの震えを感じ取ると、久世も感染した様に一気に緊張した。 「俺、男を誘う目をしてる」 「…はぁ?」 久世の突然の言葉に神が立ち止まり、眉間に皺を寄せた。まさに、何言い出してんだ?という顔。 「あの、あの日のリーマンに言われて。もしかして、そういう、男…に悪戯されるのって、俺の責任でもあるのかなって」 「っなわけねーだろ!!」 ぐっと手に力を入れられ、驚いて神の顔を見上げた。怒り心頭。初めて見た神の怒った顔だ。 「ちょ、ちょっと、俺もそのなに?男誘う目とかので、久世を好きって言ってると思ってんの?」 「え?ああ、いや。…ちょっと思った事もあるけど、違うってわかった」 「ちょっと、勘弁してよー」 はーっとため息をついて、神は頭を掻いた。 「ごめんね」 謝ると、神はしょぼくれながらも頷いた。そんな姿を可愛いなんて思うとこ事態、末期だ。恐ろしい。 「久世って、おしゃれだよな」 「え?」 再び歩き始めた頃に言われ、隣の神の少しだけ上にある顔を見上げた。 「それ、俺も欲しいなーって思ってたブーツだし、ダウンとかもめっちゃ人気のやつ、似合ってるし」 「ああ、これか。杏だよ、杏。俺は自分で服とか選ばないし、買わないし」 今日の久世の格好は、上から下まで杏の見立てだ。ブーツだって、ある日突然に買って来たもので、暖かいので気に入っているしダウンもそれと同じ日に貰ったものだ。言ってしまえば中のパーカーもジーンズも、全部、杏が揃えた。この日のためではなく、杏は常日頃からよく久世に服を買ってくれる。 「杏さんかー、いいなー。俺もネェちゃん欲しい」 「それは昔を知らないから言えるんだよ」 「そんなに凄かったのか?」 「スゴいなんてもんじゃないよ。今なんて面影ないくらい。俺、親父よりも先生よりもTVのホラーよりも何よりも、杏が怖かったもん」 「へぇ…」 「俺、ランドセル背負ってるのにさ。見知らぬ厳つい高校生に挨拶されるんだぜ?”おはようございます!”って」 「何だそれ」 「すごいだろ」 ふふっと笑うと、ぎゅっと手を握られた。久世が顔を上げると神の顔が近付いて来て、唇が当たったと思ったらガチッと歯が当たった。 「いた!!」 二人して声を上げた。 「もー。かっこ悪、俺。欲張りすぎると、こうしてしっぺ返し」 神は手を繋いでない方の手で顔を覆う。その耳が真っ赤で、久世は笑った。 「笑わないでよ」 神がムッとした顔を見せる。それに久世が手を伸ばして、その髪に触った。思った通り、指にくるんと絡んできて柔らかい髪だった。 「神音」 呼んで笑う、それに神は驚いた顔をして照れくさそうに笑った。自分が呼んでと言ったくせに。 そして二度目の、今度は歯も当たらない、ちゃんとしたキスをした。 「あがってく?」 久世の家の前で、神に聞くと神は首を振った。 「何か、親御さんに申し訳ない」 「なんだそれ」 「彼女の家に来た緊張感みたいな」 「何を今更、泊まっていったくせに」 「あ、あの時はまだ、好きメーターもマックスじゃなかったもん」 好きメーター?何だそれ。そんなものがあるのか? 「何だ、好きじゃなかったのか」 「は!?好きだって!!」 「おっかえりー!!!」 神の恥ずかしい大声が帰宅を知らせた様なものだ。二人の前の家の格子が、杏の声と共に盛大に開けられた。 「あ、杏」 片手にシャンパンを持っているのを見ると、出来上がっている。久世は神を見て、首を振った。 「諦めて。あがって。死にたくなかったら」 久世の言葉に、神は頷いた。 「あ…」 「え?」 「神音って香水付けてるの?」 「え?つけてない」 「じゃあ、これ、何の匂い?」 くんっと顔を近付けると、神が驚いて後ずさり。それに不満そうな顔を見せる久世。 久世という人間は、自分の柵が解けてしまうと砕けるのが早い。神はそれに気後れ気味だ。ここは間違いなく、シャンパン片手に喚いている杏と兄弟だと思った。 「で?何の匂い?」 「あー、母さんのアロマ」 「アロマ?」 「そう、アロマセラピストなんだ。母さん。だから家中、アロマ臭い」 「ああ、それで」 「誉ー!神音ー!早くしな!!!」 家の中から杏の声が聞こえる。それに神と久世は笑って、家に入っていった。 その二人を見届ける様に、空から白い粉雪が舞い降りた。 many thanx!!!! ここまでお付き合いありがとうございました!

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