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第6話

運動部の人間と走るとエラい目に遭う。久世はそれを嫌というほどに思い知った。軽いダッシュと上月は言ったが、久世にとっては人生初の全力疾走と言っても過言ではない。 先に行ってくれと言いたかったのに、上月は久世の腕を掴んでダッシュ。問答無用の所業だ。 足が縺れる!転ぶ!と叫んでも、久世は後ちょっとなんていう、ちょっとちょっと詐欺みたいなことをして遂に学校までダッシュさせた。 きっと、将来、ここまで走り込むことなんてない。息も絶え絶え、もしかしたらこのまま死ぬかもしれないと物騒なことを思いながら、久世はへろへろのまま教室に辿り着いた。 久世の前の席は空席のまま。這う様にして席に辿り着いて、息を整えていると予鈴が鳴った。そして、神が来た。思わず身体が強ばって、息を呑んだ。 だが神は久世を見ても表情を変えなかった。そして何も言わずに席に着くと、鞄を漁って久世の机に紙を滑らした。 「…へ」 全力疾走のおかげで息がし難くて、返事が間抜け。顔をあげると同時に担任が教室に入って来て、目に入ったのは神の背中だった。 『24日、17時に駅前広場に来て』 左上がりの文字。それを見ながら久世はモロを膝に抱いて、ぼんやりしていた。修了式から翌日は土日。そして、そのまま年末に入る。 久世の学校は珍しいことに、その間は学校がない。推薦校というだけあって、実は寮生活の人間も少なからず居る。 そして、その生徒達が一斉に帰郷するので、クリスマスから正月三が日まで部活動は一斉に休みになるのだ。 明日、どうすればいいのか。 神とは結局、あれから何も話さなかった。何となく、話せる様な雰囲気ではなかった。 修了式はすぐ終わって、帰りは上月が送ってくれた。送らなくていいとは言えなかった。 情けないことに、昼間でもサラリーマン風の男に畏怖してしまう自分が居たからだ。 「誉!」 がらっと襖が乱暴に開けられて、モロがびくっと起き上がる。モロは杏が苦手で、すぐにどこかに姿を隠した。 「杏、モロがびっくりするから静かに開けてって」 「もう、明日、あたし早めに帰るから買い出し」 「あー」 久世の家はクリスマスは家族で過ごすのが習慣だ。販売促進部の杏は多忙だが、この時ばかりはどうにか時間を作って来る。 付き合っている人間が居ても、それを無視して家族優先。昔、杏がやさぐれていたときはなかったこと。その罪滅ぼしか。 「ケーキは?」 「予約したわよって、なにこれ?」 杏がふいに、久世の横に置いていた手紙を手に取った。 「あ!杏!!」 慌ててそれを取り返そうと立ち上がるが、杏は素早く久世の腕を掴んでぐるりと後ろに回して床に転がした。 俯せにどんと床に叩き付けられ、ぐーっと声を上げたその久世の身体の上に杏が馬乗りになった。 さすが、昔取った杵柄と言うべきか。体格では久世の方が全然大きいのに、それを全く感じさせないほどの技。 久世が鈍臭いのもあるだろうけども…。 「なにー、ラブレターですかー?久世誉くん。ちょっと色気づいたー?」 「だめだって!杏!!やめろって!!」 「はいはい。でも、愛想ないわねー。もっとクリスマスチックな便せんとかカードじゃないわけー」 そんな物で神に渡されたら、久世はさすがに青くなる。相手が誰か分かっていない杏は好き勝手言って、手紙を開けた。 「なになにー。『24日、17時に駅前広場に来て』だけ?なんだそれ。え?龍宮寺…神音」 怯んだ杏の身体を、自分の身体を起こして撥ね除ける。力で敵わなくても、軽い杏は反対に床に転がった。 「返せよ!」 ばっと手紙を奪い取って、机の引き出しに投げ入れた。後ろめたいことなんてない、別に手紙に好きだとかそんなこと一言も書かれてなかった。 でも、何故か後ろめたくて久世はクソッと悪態を垂れた。 「誉」 杏が長い髪を耳にかけ、すとんと床に座った。居心地の悪い久世は、つっ立ったまま動かなかった。 「誉、座んな」 びしっと言われ、肩がびくっと震えた。結局、どう頑張っても杏には敵わないのだ。 杏が父親に一目置いていたように、久世は杏に父親よりも一目置いていた。多感な時期に、あんなとんでもない姿を見せられて来たトラウマか。 久世は嘆息すると諦めた様に、杏の前にすとんと座った。 「それ、どういうこと?」 「知らない」 「知らないじゃないでしょ?神音君と何かあった?」 「……」 「誉、隠しごとなしでしょ?」 そうだ。隠しごとはしない。父親が死んだ時、杏が生まれ変わって行った家族会議でそう決めた。 隠しごとはしない。なんでも相談する。 それを、久世は一度破った。あの夏の日のこと。結局、警察が来てバレてしまったが…。 「誉、言いたくない様なこと?神音くんに何かされた?」 「神はそんなことしない!」 言って、あっ、となった。その顔を見て、杏は久世の頭を撫でた。 「学校休んでも、母さんもあたしも何も言わなかったのは、誉が自分から話してくれるの待ってんだよ?タイミングとかあるでしょ?誉はそういうの時間かかるし」 「…うん」 「で?神音くんは何だってこんなものを?」 「つ、付き合ってって」 「え?何?付き合ってんの?あんた達」 「ち、違う!」 慌てて否定して、俯く。じんわり汗を掻いて、唇を噛み締めた。 どうしても、そういう”男同士”とか”男に”とか相手が同性の話に後ろ暗くなる。耳の中で蝉が鳴いて、少し苛立った様に耳を叩いた。 「誉、」 「運動部の人間と走るとエラい目に遭う。久世はそれを嫌というほどに思い知った。 軽いダッシュと上月は言ったが、久世にとっては人生初の全力疾走と言っても過言ではない。 先に行ってくれと言いたかったのに、上月は久世の腕を掴んでダッシュ。問答無用の所業だ。 足が縺れる!転ぶ!と叫んでも、久世は後ちょっとなんていう、ちょっとちょっと詐欺みたいなことをして遂に学校までダッシュさせた。 きっと、将来、ここまで走り込むことなんてない。 息も絶え絶え、もしかしたらこのまま死ぬかもしれないと物騒なことを思いながら、久世はへろへろのまま教室に辿り着いた。 久世の前の席は空席のまま。這う様にして席に辿り着いて、息を整えていると予鈴が鳴った。 そして、神が来た。思わず身体が強ばって、息を呑んだ。 が、神は久世を見ても表情を変えなかった。そして何も言わずに席に着くと、鞄を漁って久世の机に紙を滑らした。 「・・・・・・へ」 全力疾走のおかげで息がし難くて、返事が間抜け。顔をあげると同時に担任が教室に入って来て、目に入ったのは神の背中だった。 『24日、17時に駅前広場に来て』 左上がりの文字。それを見ながら久世はモロを膝に抱いて、ぼんやりしていた。 修了式から翌日は祝日に土日。そして、そのまま年末に入る。 久世の学校は珍しいことに、その間は学校がない。推薦校というだけあって、実は寮生活の人間も少なからず居る。 そして、その生徒達が一斉に帰郷するので、クリスマスから正月三が日まで部活動は一斉に休みになるのだ。 明日、どうすればいいのか。 神とは結局、あれから何も話さなかった。何となく、話せる様な雰囲気ではなかった。 修了式はすぐ終わって、帰りは上月が送ってくれた。送らなくていいとは言えなかった。 情けないことに、昼間でもサラリーマン風の男に畏怖してしまう自分が居たからだ。 「誉!」 がらっと襖が乱暴に開けられて、モロがびくっと起き上がる。 モロは杏が苦手で、すぐにどこかに姿を隠した。 「杏、モロがびっくりするから静かに開けてって」 「もう、明日、あたし早めに帰るから買い出し」 「あー」 久世の家はクリスマスは家族で過ごすのが習慣だ。販売促進部の杏は多忙だが、この時ばかりはどうにか時間を作って来る。 付き合っている人間が居ても、それを無視して家族優先。 昔、杏がやさぐれていたときはなかったこと。その罪滅ぼしか。 「・・・ケーキは?」 「予約したわよ・・・なにこれ?」 杏がふいに、久世の横に置いていた手紙を手に取った。 「あ!杏!!」 慌ててそれを取り返そうと立ち上がるが、杏は素早く久世の腕を掴んでぐるりと後ろに回して床に転がした。 俯せにどんと床に叩き付けられ、ぐーっと声を上げたその久世の身体の上に杏が馬乗りになった。 さすが、昔取った杵柄と言うべきか。体格では久世の方が全然大きいのに、それを全く感じさせないほどの技。 久世が鈍臭いのもあるだろうけども・・・。 「なにー、ラブレターですかー?久世誉くん。ちょっと色気づいたー?」 「だめだって!杏!!やめろって!!」 「はいはい。でも、愛想ないわねー。もっとクリスマスチックな便せんとかカードじゃないわけー」 そんな物で神に渡されたら、久世はさすがに青くなる。 相手が誰か分かっていない杏は好き勝手言って、手紙を開けた。 「なになにー。『24日、17時に駅前広場に来て』だけ?なんだそれ。・・・え?龍宮寺・・・神音」 怯んだ杏の身体を、自分の身体を起こして撥ね除ける。力で敵わなくても、軽い杏は反対に床に転がった。 「返せよ!」 ばっと手紙を奪い取って、机の引き出しに投げ入れた。 後ろめたいことなんてない、別に手紙に好きだとかそんなこと一言も書かれてなかった。 でも、何故か後ろめたくて久世はクソッと悪態を垂れた。 「・・・誉」 杏が長い髪を耳にかけ、すとんと床に座った。 居心地の悪い久世は、つっ立ったまま動かなかった。 「誉、座んな」 びしっと言われ、肩がびくっと震えた。結局、どう頑張っても杏には敵わないのだ。 杏が父親に一目置いていたように、久世は杏に父親よりも一目置いていた。 多感な時期に、あんなとんでもない姿を見せられて来たトラウマか。 久世は嘆息すると諦めた様に、杏の前にすとんと座った。 「それ、どういうこと?」 「・・・知らない」 「知らないじゃないでしょ?神音君と何かあった?」 「・・・・・・」 「誉・・・隠しごとなしでしょ?」 そうだ。隠しごとはしない。父親が死んだ時、杏が生まれ変わって行った家族会議でそう決めた。 隠しごとはしない。なんでも相談する。 それを、久世は一度破った。 あの夏の日のこと。結局、警察が来てバレてしまったが・・・。 「誉、言いたくない様なこと?神音くんに何かされた?」 「神はそんなことしない!」 言って、あっ、となった。 その顔を見て、杏は久世の頭を撫でた。 「学校休んでも、母さんもあたしも何も言わなかったのは、誉が自分から話してくれるの待ってんだよ?タイミングとかあるでしょ?誉はそういうの時間かかるし」 「・・・うん」 「で?神音くんは何だってこんなものを?」 「・・・付き合ってって」 「え?何?付き合ってんの?あんた達」 「ち、違う!」 慌てて否定して、俯く。じんわり汗を掻いて、唇を噛み締めた。 どうしても、そういう”男同士”とか”男に”とか相手が同性の話に後ろ暗くなる。 耳の中で蝉が鳴いて、少し苛立った様に耳を叩いた。 「誉」 「龍宮寺が、つ、付き合ってって」 「へぇ、そうなんだー。モテそうなのに、フリーだったのね。で、あんたはなんて?」 「でって、は、走って逃げた」 「ああ!?」 ドスの利いた声に顔を上げる。怒り心頭の杏の顔に、ぎょっとなった。 「逃げたぁー!?」 「だ、だって、いきなりで」 「いきなりでしょ!?告白するって何日も前から宣言する馬鹿がどこに居んのよ!?」 「でも、龍宮寺は全然、そんな素振りとか…!」 「そんなもん出したら、あんた逃げるでしょうが!!根性なしなんだから!!!」 何気に酷いことを言われているのも気が付かず、久世は”でも…”と繰り返した。それに杏は大袈裟なため息をついて、ジャージのポケットから出した煙草を銜えた。 俺の部屋で吸うなよ!なんて言えない。普段、久世の部屋で吸わない杏が煙草を銜えるときは、ブチギレモードの時だ。 久世は諦めて押し入れを開けて、杏専用の蓋付きの灰皿を差し出した。 「誉さー、神音くんっていい子だよ?」 「分かってるよ」 「あんたみたいに暗くて、昔のことばっか引き摺る男をいいって言ってくれてんのよ?」 「あ、杏」 それは酷いだろと、じとっと見つめる。だが杏は構わず、ふーっと煙を燻らす。 「誉、好きな子いる?」 「なんだよ、急に」 「いいから答えな。好きな女の子よ。居たことある?今までに?」 杏の言葉にうっと詰まる。 「そ、そういうの、分かんないって」 「そう?今まで?その年で一回でもいいなって思ったことないの?芸能人でもグラビアアイドルでも、どっかの花屋の店員でもいいのよ?好きとかじゃなくても、ちょっといいなとか、可愛いなとか目で追うとか。ないの?」 「何だよ、だ、だめなのかよ」 「じゃあ男の子は?」 「え?」 ぱっと頭に浮かんだのは、あのトラックを走る神の姿だ。長い腕と足、動く筋肉と筋と髪。長い指と爪。 かっと顔が熱くなり、思わず俯いた。その久世の様子に、杏がにやっと笑ったのを久世は知らない。 「で?いるの?」 「何だよ、もう。今、それ関係ないだろ?」 「あたしね、ああ、変な意味じゃないのよ。あー、あんたって女の子と恋愛するより、男の子と恋愛する方が向いてると思う」 「杏!」 「だーかーらー、変な意味じゃないって」 ふーっと煙を顔に浴びせられ、咽せる。それを杏はけたけた笑った。 「何でもそういう、悪い方に取るのやめな。そういうとこが卑屈っていうのよ。昔は昔。今は今。いつまでも後ろばっかり見てても、何も変わんないよ?」 「でも、杏」 「明日、行きなさい。いいわね?買い出しはあたしと母さんでやるから。家でのイベントなんて帰ってから出来るんだから、ちゃんと話さないと神音くんも可哀相よ。もし誉が神音くんにそういう感情を持てない、女の子を好きになったことはないけど女の子を好きになりたいと思ってるなら、そうやってきちんと神音くんに話してあげないと。いい?誉。逃げてばっかりじゃ始まらないんだよ?神音くんも誉と向き合いたいから手紙くれたんだ。誉も男なんだから、腹決めな」 杏はそう言って、久世の頭を撫でた。 翌朝、久世は寒さで目が覚めた。昨日の晩のニュースではホワイトクリスマスになるかもしれないと言っていた。 寒冷前線が日本を覆っているらしく、その名もクリスマス寒波。何でもクリスマスって付ければいいものじゃないぞと思いながらも、その予報は見事に当たった。 底冷えが半端ない。久世はモロをぎゅーっと抱き締めた。そうしていても仕方がない。久世はどうにか布団から這い出た。 顔を洗って歯を磨き、服を着替えて下に降りる。すると、みそ汁の香りが鼻を擽った。 「おはよー」 その匂いに釣られて居間に顔を出すと、卓袱台には朝食が並べられていた。 「あら、おはよう。誉」 寝ぼけ顔の久世に雛がにっこり笑う。久世はぼんやりした頭のまま、卓袱台の前に置かれたストーブの前で猫の様に丸くなった。 「こら!誉!」 「あー、ごめん。起きる」 冬の朝は苦手で仕方ない。久世は重たい身体を起こして座布団に座る。そして半纏を羽織って箸をとった。 「いただきます」 小さい声で言って久世はみそ汁を啜る。お腹から温もる感じに満足して、目を閉じた。 「誉、今日出かけるんだよね?」 「ああ、うん」 雛が久世の前に座って、一緒に食事をとり始める。杏はとっくに仕事に出た様で、姿が見えなかった。 「誉、今日は遅い?」 「うーん」 「誉は買い出し行けないって聞いたんだけど?杏に」 「うーん」 「誉!」 ぱんっと卓袱台を叩かれ、びくっとする。 「あ、はい」 「そういうとこ、お父さんにそっくり!本当に適当!」 「あー、ごめん。えーっと、なんだっけ?」 へらっと笑うと、また、もう!と怒られた。 15時を過ぎた頃に、買い出しに行けない久世の代わりに雛が買い出しに出た。1時間くらいで帰ると言われ、久世は部屋に戻ってスケッチブックを開いた。 「モロー」 呼ぶと、にゃーんと鳴いてモロがどこからともなく現れる。久世はモロを抱き上げると、自分の胡座のすっぽり開いた空間にモロを置いた。 モロはそこで丸くなると、満足げに目を閉じた。久世はスケッチブックとペンを持ち、その姿を描き始めた。 神は久世に付き合ってくれと言った。そして、上月は神がゲイだと言った。更に、杏には男と恋愛するほうがいいと言われた。 「恋愛ってなに」 自問する。神と向き合えと言われても、どう向き合えばいいのか分からない。そもそも、神を見ていたのは綺麗だったからだ。 恋愛とか誰かを好きになるっていうのは、一緒に居てドキドキしたり、緊張したり。毎日その相手のことで、頭がいっぱいになるものなんじゃないのか? だが残念ながら久世は、”綺麗”と思った神が席替えで前になって初めて喋った時も、”馬鹿だな”と思っただけだった。 ドキドキとかじゃなく、喋ると馬鹿っぽいなが神に対する感情。失礼極まりないことだ。 大体、神はいつから久世を好きなのか。そんな素振り、微塵も感じなかった。上月と三人、ちょっと仲の良い三人組みたいになってたのに。 「あー、もう、わかんねー」 久世はスケッチブックとペンを投げて、そこにゴロンと上半身を倒した。 モロはぴくっと顔を上げたが、胡座を組んだままの中、また顔を下げて目を閉じた。

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