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第1話
「だから、シンさんはわかってないんすよ」
「何が…?」
うわ、ヤダねー。コイツ早々に絡んで来やがった。
「経営者の気持ち。俺だって苦労してるんすよ?遊んでる訳じゃない…」
「ん、だろうね。経営者だしね」
勢い良くジョッキが置かれるのを居た堪れ無いとばかりに見守る部下達数名。
「でもさぁ、赤嶺。朝4時に叩き起こされて迎えに来てやった先輩に対して…わかってないって何がよ?いい加減に帰りやがれっての!」
身勝手な言い分に頭に来てしまい思わず俺は聞き分けのない後輩の頭を叩く。
「「しゃ、社長…!お願いしますよ〜!慎一さんに迎えに来て頂いたんですから帰りましょう?!」」
相当駄々を捏ねたであろう目の前の男に呆れ、俺は部下達に帰宅するように促す。
「…ったく、君らも大変だね。こんな我儘社長に振り回されてさ。良いよ、後は俺がやっておくからもう帰りな。起きたら社長に詫び入れさせるからさ。お疲れサン」
余りにも気の毒で酔っ払いを引受けると気不味そうに部下達が帰り支度を始める。
「あ!アンタはまたそうやって若い男をたぶらかしてる!ダメダメ、そんな風に優しくしちゃ」
タバコに火を点けようとしたところで長い腕が絡み付いて来る。あっという間に鉛が背中に張り付いた。
「ぐ、ぐるし、赤嶺…!何、何、やめろって」
痛いくらいに力強く抱き締められ首筋にキスが幾度も落ちてくる。セクハラにしても酷い。
「シンさん、俺だけが可愛いって言ってよ。俺が一番好きって言って下さいよ、シンさん」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら額を擦り付ける様子にぐったりと体の力が抜ける。
「もう、面倒くせぇな。女かよ?!お前は、俺のなんなの?!」
「シンさんが一番好きって言ってくれなきゃ、帰らない。だって不公平でしょ。いつだって俺ばっかり、アンタの為に走り回って仕事して」
「はぁ?お前何言ってんの仕事は俺に関係無い」
「関係ある」
「ねぇよ、バカ!それに嫁サン持ちのお前にガタガタ言われる筋合いねーよ」
「…もう、離婚するもん」
「まだ籍入ってんだろ、四回目」
「シンさん、好きって言って?お前が一番好きって言ってくれなきゃ…もう俺仕事頑張れない」
年商億稼いでる会社の代表とは思えない有様だ。尚もじめじめと泣き言を言うバカな後輩に呆れ果て仕方なく要求をのむことにする。
「…だぁ、もう、面倒くせぇな。ハイハイ、お前が一番好きだよ」
「…本当に?俺が一番?」
「ああ。お前が一番」
「…本当に?」
「…ん、本当に」
「なら、許してあげますよ。シンさん…」
暫くして背中から寝息が聞こえ、漸く我儘社長の拘束が緩む。
「マスター、ごめんねー。毎度の事ながらこのバカ絡み酒になったら、こうなんだよ」
「……はぁ、慎一くんも大変だねぇ」
目の前に珈琲が置かれる。マスターの心遣いに感謝しつつカップに口をつけた。
「いや、毎回本気ですんません。このバカにはよく言っておきますから…マスター上がって良いすよ。昼まで多分コイツ起きないから。ソファだけ貸して下さい」
「えぇ!?逆にいつもごめんね。慎一くんが店閉めてくれるの助かるよ。赤嶺くんがビルオーナーだから僕は問題無いんだけどさ。ありがとう」
「テナント料、負けさせてやりますから安心して下さい」
「はは、いつもありがとうね」
勝手に約束を取り付けてしまうと散々迷惑を掛けたマスターが帰り支度を始める。
毎度の事ながら困ったものだ。
二人だけのホールにバカの鼾が響いていた。
END
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