1 / 2
第1話
蒸し暑さが一番きつい真昼の休日だった。
数日前、幼馴染の蓮多(れんた)から『話したいことがある』とラインを受け取った花代は、よく利用するカラオケ店に3時間ほど予約を入れ、受付前で彼を待っていた。
蓮多と花代はアニメやアマチュア創作の漫画、小説などを好む、所謂オタクと呼ばれるものの一部に属している。
同じ趣味の人間が周りにいないので、幼なじみからの腐れ縁でつるんでいた。
待ち合わせ場所について、最初に花代はカフェを提案したのだが、蓮多から『ほかの誰にも聞かれたくない』と渋られた。
それなら自分で場所を指定すれば良いものだが、蓮多はそういうところに気がつかない。
ついでに言うと、彼は約束の時間通りに現れた試しがない。
何やかや言い訳をしながらだいたい20〜40分ほど遅れてくる。
身支度に時間がかかってるのかと言うとそうでもなく、いつもヨレヨレの服と寝癖がついたままの頭でくる。
自分から一般常識人の皮をかぶる事を放棄しているタイプだ。
『オタクは一般人より一般人であれ』が主義の花代はそれなりに小綺麗な身なりであった。
ただ、ご同業が見れば『ああ』と思うようなオーラは少々漏れている。
「カヨちゃん」
後から声をかけられて、花代はエッと振り向いた。
待ち合わせの5分前だったからだ。
そしてさらに目をむいた。
そこには蓮多の面影を持つ身綺麗な男がいた。
伸び気味テカり気味だった髪は流行りの可愛い系男子風にカットされていた。
髪型を整えたら本当は美形でしたの実例が目の前にいた。
汗臭さがこびりついてクタクタになったものではない新鮮な布地のTシャツに、シワの付いてないデニム。
元の色がちゃんと分かるスニーカー。足首から見える靴下もどうやら新しく、きっと踵は薄くなってなどいないだろう。
頭から爪先まで見たあと、花代は恐る恐る訪ねた。
「……お前だれ?」
「レンタレンタ」
小声で答えた青年は心細げに笑った。
その仕草に仄かな色気をかぎ取って、花代は再び「……お前誰」とつぶやいた。
個室に入ってスピーカーのボリュームを落とし、花代は蓮多の向かいにドカッと座った。
「で?何があったね」
その勢いに押されながら蓮多はもごもごと何やら聞き取れないことを言う。
先日までの蓮多がやると典型的な人見知りオタクだったのが、いま目の前の彼はその仕草も絵になった。
「おいおいおいやめろやめろ、可愛いことすんな目の奥が焦げる」
花代は顔をそらして鼻根をもんだ。
「ごめ……。えと。先々週花代ちゃんから本を受け取ったよね。そのときの本の一つについて聞きたいことがあってさ。ええと」
そう言いながら、蓮多はリュックの中に手を入れた。
人と接することが極苦手な蓮多は、いつもそのイベントに行く花代に代理で本を買ってもらっていた。
花代がその戦利品を蓮多に渡したのが先々週の出来事だった。
「ああ。……蓮くんその時にはまだ絵に描いたような鶏ガラオタクだったじゃん。いったい何があったのさ」
「鶏ガラひどい。えと、本どれも面白かった。ありがとう」
蓮多の注文はいつもBL作品だ。
一次創作でも二次創作でも、漫画でも小説でも、甘々でエグめの成人向け描写があるのを好む。
彼は現実でも同性に好意をよせる気質だ。
「この本なんだけど」
蓮多が出した物を花代は二度見した。
そのコピー本は薄いピンクの表紙に明朝体でタイトルと作家名だけが印刷されている。
『笑覧』/どすこいバンビ
「タイトルは内容とは関係が無いみたいで、たぶん作者が自嘲でつけたのだと思うんだけどね」
本はだいたい50ページほどに見えた。
「あ、あー……それ。それアタシ内容は見なかったけど、ペーパーのテーブルにね、無料配布って書いて置いてあったから。読んだことないジャンルなら、ほら。ジャンル開拓にもなるかと思ってさ。……やっぱ好き系の話をじゃなかった?や、ま、まず見た目がそそらないよね。なんつーか?」
花代は焦った口調で何故か弁解し始めた。
少し目も泳いでいる。
挙動が怪しくなった花代を不思議そうに見ながら、蓮多は首を振った。
「ううん。受け取った本の中でこの話が一番好きだったんだ」
「ヒエュッッ……?」
花代の口からひっくり返った呼吸音が出た。
「この本ね。異世界召喚された男の子が魔法学者になって、やがて魔界の同族からも冷淡と噂される魔族の剣士と恋愛するんだけど。出会いまでの描写がどちら側からも丁寧で繊細で」
「ンッ、ウンッ……」
「魔族の剣士が、その、花代ちゃんにだから言えるんだけど、このキャラが僕すごい好きで。ほんとに。冷淡は寂しがりの裏返しで本当はとても独占欲が強いっていうのを匂わせてて……。でもね」
蓮多はそう言って、目を伏せた。
「小説、途中から印刷されてないんだ。一目惚れしあったのを口に出せないまま、迷いの森でお互いの仲間とはぐれて、入り込んだら出られないと噂される遺跡の中で二人出会って。残りのページは半分くらいあるのに、そこから先が書いてなくて真っ白なんだ。印刷ミスとか乱丁とかなのかわからないけど」
その様子を見て花代も目を伏せた。
気まずそうな顔で、それから意を決したように「蓮くん、それね」と言いかけた。
が、それはかぶってきた蓮多の言葉で飲み込まれた。
「だけどね。そこまで読んだ日の夜から、続きを夢に見るんだ。ぼ、僕が魔法学者になってて」
言って蓮多は頬をサッと染めた。
「そ、そ、その、こんなの、花代ちゃんにしか言えない。花代ちゃんは笑わないから。……少しづつね、夢の中で続くんだ。最初の夢は遺跡の中で少しづつ会話をして二人の間で脱出できるまで休戦と決める。次の夢は遺跡から脱出できないか二人でずっとあちこち歩いた。その次は、その、疲れて二人で休んで、少しまた色々なことを話して。そうやって少しづつ仲良くなっていった。そしたらね」
彼は、本の最後のページを開いた。
花代はそれを見て、エッとうめいた。
蓮多の話が本当なら、最後のページは真っ白のはずだった。
けれどそのページは端まで字で埋まっていた。
★★★★
水が近くにあるのは幸いだった。
月明かりの中、オスバルトは川のせせらぎを聞きながらそう考えた。
ここには果実がなる木もたくさん生えている。
近辺は小動物ばかりで危険な獣が生息していないのもここ数日の探索でわかっていた。
狩りや釣りをすれば食料はしのげる。水もある。
これらがなくても魔族の自分はしばらくしのげるが、人間はそうも行かないだろう。
一度足を踏み入れると二度と出られぬ禁じられた遺跡……それは遺跡の内部にある結界のせいだった。
疎い者ならば結界を解けず、永久にこの中をさまようことになる。
だが、自分は結界を破壊するまでの魔力を得ている。
そして、共にいる人間の青年は魔法学者。この分野の専門家だ。
自分たちはいつでも脱出できる。逆に結界を強化して、このまま種族のしがらみに囚われず二人きりでいることもできるのだ。
「オスバルト」
まるで剣の先のように鋭い目が、名を呼ばれたとたん少し柔らかな形になった。
「レンテ」
普段は魔物仲間すら威圧するほどなのに、いま名を呼び返した声は穏やかだ。
寝床に使っている遺跡の一つからこちらを見るレンテは、月光の下でいつにもまして清廉、繊細に見えた。
先ほど……夜が訪れる少し前、夕闇に影を溶かしながら交わした衝動的な口付けは、これから二人の間に甘やかな無二の花を開かせようとしていた。
★★★★
「どういうことやあ!」
花代は野太い声を上げた。
蓮多は両手で顔を覆っていた。
「続きがね……」
「蓮くんが書いたの?」
花代の問いに蓮多は首をぶんぶん振った。
「夢を、見るたび本のほうも。ええと、見た分、あの、行がふえてくんだ……嘘じゃない……ほんとだよ」
夢と並行して物語の内容も増えていったというのだ。
蓮多の嘘か自分の妄想か二人して幻覚を見てるのかは置いといて、花代は蓮多が急に可愛くなった理由を悟った。
「……恋か。恋をしたのか。少年」
「は、はずいから言わないで……」
抱きしめたリュックに顔を埋める蓮多をもう少しいじりたい気もしたが、それよりも花代は最後の数行を読み直して大変なことに気がついた。
「キスし……いやキス後かい。ッてか無二の花ってなんじゃい」
花代は蓮多を見た。
可愛くなった成人男子はまだ顔をあげられていない。
「と、とりあえずさ。ここまで読み終わったのっていつ?」
「相談したいって連絡した日……」
蓮多は消えそうな声で答えた。
オスバルトと出会った最初の時もこんなポソポソ喋りだったのかなレンテ。
「夢では、それから続きを見てるの?」
その問いに蓮多はようやく顔を上げ、また激しく首を振った。
「見てない。見てないんだ。あっ、でも夢自体は見てる。えと、つまり……ずっと、夕方にファーストキスをして、夜にバルを呼ぶとこまでの夢を、繰り返し繰り返しずっと。全く同じではなくて箇所箇所違うセリフだったりするけど、大筋は同じ」
おいおいおいおい夢の繰り返し再生してるうちに愛称呼びになってんかよ。
花代は喉元まで出た言葉を飲み込んだ。
「バルとはずっと夢で逢ってるけど、そのままで……いやあのそのままでもいいんだけどっ、続いてもいいし、てか続いてほしいし。
それでね、この本の作者『どすこいバンビ』について調べようと思ったんだ。
でも奥付にはペンネームだけで、SNSのアカウントとか利用した印刷所とか、発行日とか、そういう情報が何もなくて。
で、ペンネームで検索してもそれらしい人には行き当らないんだ。
花代ちゃんの知ってる人かと思って、もしそうだったらファンレターやDMのおくり先を教えてもらいたくて」
普段の蓮多がどれほど内気かを知っている花代には、自分から進んで人と関わろうとする今日の彼がまるっきり別人のようだった。
花代は「うぐぐ」とか「んおお」とかうなって天を仰いだり、何事か葛藤するように額を抑えていたが、しばらくしてから頷いた。
「うぐ……こ、この本の作家は、私も知らない。だから私もオタ仲間に聞いて調べてみるね……あんま期待はしないでほしいけど。……オスバルトのことを好きなまま、もうちょっと待ってあげてね」
花代の返事に蓮多はぱあっと微笑んだ。
「俺ずっと好きだよ、ずっと待つよ。バルのこと」
幼馴染の強烈なはにかみ笑顔と声から滲み出る純度の高い感情に、花代の心の視床下部と鼓膜が焼き切れた。
帰宅して、花代はすぐにPCを立ち上げた。
机の脇に適当に平積みしてる落書きノートの何冊かから、当時思いついたまま書いたメモを真剣に探した。
ここまで花代と蓮多のやり取りに付き合ってくださった諸姉諸兄は、もうお気づきになっているかもしれない。
『笑覧』は花代が書いたものだった。
いつかサークル側で参加したいと思いながら、いつも作品は書きかけで止まってしまう。
『笑覧』も想像力と持久力が続かず途中になってしまった作品だ。
それでも自分が作った設定の中では一番のお気に入りで、自分用に見た目だけ形にしたものの、やはり誰かに読んでほしくて『無料配布』と偽って蓮多へ渡す荷物に紛れさせたのだ。
蓮多の好みであるのは当然だ。身近に読んでくれそうなのは彼しか思いつかず、花代が考える設定はいつも蓮多を対象にしたものだから。
あの半端な本と蓮多の間に実際に何が起こっているのか、花代にはわからない。
が、蓮多はあの物語のオスバルトに人生初の恋をし、あんなにも変わったのだ。
えらいことをしてしまった、今回ばかりは「もう思いつかなーい」と投げ出してはいけない、と花代は思った。
幼馴染の大切な恋が自分の指先に乗っている。
『朗報!おつおつ。元気?どすこいバンビさんと連絡ついたよ!』
蓮多のスマホに花代からのメッセージが入ったのは、三日後のことだった。
『どすこいバンビさんね、どうやら色々事情があってとってもとっても投げやりになってた時期だったんだって。
わざと半端な本を作って、どうせ誰も持って行かないだろって無料配布で置いちゃったんだって。
読んでくれる人がいるなんて思わなかったって。
どうお詫びをしていいのかわからないって。
で、「本に夢と同じ内容で続きが出る」って言ったらこっちの正気を疑われそうだから「友人があなたの作品をにとてもハマって、遺跡で二人が再開したところから初キスまで自力で妄想して、やっぱり続きが読みたいって苦しんでいます」と伝えました。
そしたらね、どすこいバンビさんが蓮くんの夢の……夕方のキス後、夜のところから?そこから続きを投稿小説サイトに書くって言ってくれたの。
そして「ひとまず一話進みました。ご友人にどうかお知らせください」ってさっき連絡もらったので、小説サイトと作家さんのホーム閲覧パスを送るね。
パスワードは全話共通だそうです。barurenだって。
あと、口下手でお返事とか苦手なので申し訳ないけどコメントやDMは遠慮してほしいそうです。
でも「オスバルトを好きになってくれて本当にありがとう。うれしいです」って。』
メッセージにあった小説サイトを開くと、どすこいバンビのホームの作品一覧に一つだけ作品があった。
『魔界でも悪名高い魔族剣士に溺愛されすぎてます 旧題 笑覧 』
そこをタップすると概要欄に『レンテへ 感謝を込めて』とだけ記されてあった。
目次には一話更新されてある。
新たな話を読んだ夜、蓮多は物語の内容と同じ夢を見た。
いや、不安に待った期間分の焦れも入っていたのかもしれない。
オスバルトは自分を呼んだレンテのもとまで行き、彼を抱きしめ夕方のとは違う噛みつくようなキスをした。
驚いた顔のレンテにオスバルトは嬉しそうに微笑み、心地よい低音の声で彼の耳元にささやいた。
「幾日この時を待ったことか。お前に近寄れず焦らされ尽くしたこの日々の間に、俺はお前への想いを改めて自覚し、確信したのだ。レンテ」
原作よりも情熱的なセリフだ。
平静を装っていても溜め込み続けた渇きがオスバルトの深い緋眼に浮かんでいた。
先の展開を知っている蓮多……レンテだが、そのオスバルトの隠さぬ『雄』の気配を見たとたん言葉にならない痺れが背骨の上をなぞるように流れていった。
二人の唇はまた重なり、月明かりは彼らを隠すように雲に消えた。その夜は殊更長かった。
目が覚めてもまだ夢か現実か区別がつかず、蓮多はぼんやりと天井を見つめていた。
だがその内に、体が鈍く痛むことに気が付いた。
夢の中で認識してた感覚だと思っていたが、一度実際に知った痛みでないものを夢で感じることがあるだろうか……そこまで考えて、現実に体に感じる痛みだと分かった。
恐る恐る身を起こし、自分の下腹部を見る。
パジャマと兼用している下着、腿、シーツに、普段夢精でこぼしてしまう量以上の精液と、それから赤いものがにじんでいた。
慌てて鏡を見ると、鎖骨や胸にいくつも小さな痣が付いていた。
微睡から一変、蓮多は青ざめ、動揺の表情を浮かべ立ち尽くした。
だが、その痣の一つ一つを震える指で触れてゆくうちに、夢でのことが蘇ってくる。
彼の指と舌と性器が、今痛みを感じている所へ何度も入れられたのだ。
初めてだと言うのに、自分も口をバルの……。
そう考えた時、腰の奥から内股へ、粘りのある液体がゆっくりとたれてきた。
彼は一瞬固まったが、やがて、バル……と震える声を漏らし、熱っぽい溜息を付いて、うっとりと瞼をとじていた。
二か月後、蓮多を歌に誘った花代は、また更に見違えた幼馴染を五度見くらいした。
見た目は前回と同じく可愛いままなのだが、色っぽさが格段に増していた。
「ウヘァ。一緒に歩いてても女子のあたしが霞む色気だよ」
「え、なに?」
「なんでもねえやい」
やあやあやあ、ずいぶん可愛がられてんじゃねーの。
いやベタベタ甘々ねっとりズブズブの筋書きをつけてるのはオメエだろ。え、どすこいバンビさんよぉ。
自分の中で一人ツッコミして茶化しながら、それでも推しに愛される小説でここまで変わるだろうかと、蓮多の様子に花代は少しだけ怖くなった。
「夢はまだ見ているの」
カラオケの個室に入ってから花代が聞くと、蓮多は微笑んで頷いた。
「私もね、えと、たまに読みに行くよ。けっこう話が更新されたね。だいたい二週に一回の更新だけど、時々月一回の時とか。そういう時ってずっと同じ夢繰り返し見てるの?」
「うん。でも、前みたいに焦れる気持ちはあまりないよ。繰り返されるのを僕もバルも楽しめるようになった」
ふうん、と相槌を打ちながら、花代は三週間に更新した最新話の内容を思い出していた。
オスバルトとレンテは遺跡でしばらく時を過ごしたが、やはりはぐれた仲間達をそのままにしておくことができずに一旦お互いのパーティへ戻ることにした。
SNSから再開した物語は、遺跡近辺での肉欲寄りなスローライフというか新婚生活をおくる内容で、最新話のラストで二人は再会を誓う言葉を交わす。
早く話を進めてあげないと二人はもうしばらく別れを惜しみ続けなければならないのだが、まだ話がうまく浮かばないのだ。
どうやって再会させようか、どんな出来事をきっかけにしようか。
今日、別れを言い続けなければならないことを悲しんでいる蓮多を見て自分に発破をかける下心があったのだが、今の彼はそれも楽しんでいる。
こんなに楽しんでくれてんなら、もう一週間くらい伸びても平気かな……と自分に甘いことを考え始めた時だった。
花代は、蓮多の左手に目を止めた。
薬指にぐるりと模様のようなものが入っていた。
「それ、タトゥーシール?」
花代が聞くと蓮多はその指を見て、ううん、と首を振った。
緋色の繊細な模様だ。それが皮膚の上にまるで指輪のように描かれていた。
「バルがつけてくれた」
蓮多は嬉しそうにその指を眺めた。
「繰り返しの夢は箇所箇所違う時があるって前言ったよね。僕たちずっと再会の約束を言い合ってたんだけど、一昨日くらいかな。バルが小説通り『しばしの別れだが、心は常に我が伴侶の傍らに』といった後にね。いつもはそこで夢が終わるのに、その日はバルが俺の手を取って、この指にキスをしたんだ。そしたらバルの瞳と同じ色のこの指輪紋章が。どれだけ離れていてもこの紋章を通して言葉を交わすことができるって。毎日話すのは勿論、何かあったらこれで俺を呼べっていてくれて」
なるほど、オリジナルの推しグッズってやつか……ヘナタトゥーとかかな。センスいいなぁ。
花代は蓮多の言葉からそう判断した。
眠りから覚めるたび彼の身にオスバルトの痕跡が残っているなんて、当然思いもしなかった。
「素敵なアイディアだね!作家さんに伝えとくね。筋書きからはみ出たエピソードだけにするのは勿体ないよ」
そう言いながら、花代は蓮多の夢の中のオスバルトを心の中で拝んだ。
美味しいアイディアをありがとう。そのネタで話を作れそう。恩に着るよオスバルト!
花代と別れての帰り道、蓮多は数人の男に囲まれた。
最近このようなことがよくあった。
本人は気づいていないが、夢でオスバルトと身体を合わせるようになってから身についたただならぬ色気と、気の弱そうな見た目が、こういった輩を惹きつけた。
それでも蓮多が強姦されるようなことは無かった。
彼に手を伸ばした者は、直後に何かしらトラブルが起こる。
どこからともなく飛んできた大きな蛾が顔にぶつかったり、なにもないのにつまずいて骨折したり、警官が通りかかったり。
その隙に蓮多は逃げるのだ。
今もまた、蓮多に目をつけた男たちの一人が、別のチンピラグループにぶつかり小競り合いが始まった。蓮多がその場から離れても、誰も気が付かない。
心配をかけるので、今回、花代には言わなかったことがある。
実は、蓮多は数日前にバイトを辞めていた。
スーパーでの品出しが主な業務だが、店内に商品を並べていた時に男性客に目をつけられてバックヤードまで立ち入られ、関係を拒否すると言いがかりのクレームを山のように入れられたのだ。
「一番悪いのは向こうだが、お前もさあ。その男を誘うような顔してるから悪いんだぞ」
フロアマネージャーのその一言で蓮多はスーパーをやめた。
なぜか次の仕事を探す焦りは無かった。
余談だが、店長の耳にクレームが入った翌日、例の客は通勤中に顔から転んで眼鏡の金具で大怪我をし、フロアマネージャーは蓮多がやめた翌日に品出しをしていて両膝の皿を割ったらしい。
物語は、離れ離れになった二人が紋章を通してひそかに言葉を交わすエピソードがいくつか続いた。
ベッドの中でその日あったことをお互いに喋りあいながら眠りに落ちたり、魔界と人間界で起きたちょっとした事件を紋章を通じたチームプレーで解決したり、気が昂った夜にお互いの声を聞きながら共に慰めあったり。
ときには、堪らえられなくなったオスデバルトがそっとレンテの部屋に現れることもあった。
その指輪ネタで二カ月ほど乗り切り、そろそろ次の展開を考えねばと頭を悩ませながら、花代は冬の大イベントも月末に迫っていることに気が付いた。
急いで蓮多に同人誌の買い出し希望はないかメッセージを送る。
その返答は……いや、返答に代わるものは、花代のスマホではなく別のところに送られてきた。
小説を載せている投稿サイトのDMだった。
それを見つけた時、花代はヘエッ?と思わず声を出した。
どすこいバンビのホームにはDMもコメントも受け付けないよう設定したはずだ。
何かのエラーで設定が変わった?と考えながら『メッセージが届いています』の項目をクリックする。
『我が伴侶の幼馴染殿へ』
「はい?」
メッセージのタイトルの意味が呑み込めず、花代はまた声に出して聞き返した。
『親愛なる作者殿。
貴殿に書きかけで生み出された時、俺は一塊の無であった。
だが貴殿のいたずらで、世界でただひとり蓮多が俺を見つけた時から、俺の目は物を映し、息をし、姿を得た。
その時の俺の喜びは作者の貴殿でもわかるまい。
レンテを物語の中でだけ愛するつもりであったが、あれを求める想いは抑えきれなくなり、俺は夢の外の蓮多にまでも手を伸ばした。
この外にまで我が力を及ぼせた事例に関しては、俺自身でも未だに信じ難く、奇跡が起こったとしか言いようがない。
物語が綴れず苦悩する貴殿に紋章指輪のアイディアをプレゼントしたことがあっただろう。
あれは蓮多の人生の全部まで自分のものにしては気が引けるという理由で、貴殿の筋書きのなかに収まっていようと、柄にもなく気弱になった俺の足掻きであった。
だが作者殿。
蓮多に浮気を促すのであれば話は別だ。
むろん貴殿の提案にそんな意図はなかっただろう。
しかし俺にとっては蓮多に他のそのような類の本の希望を尋ねるのは『他の男を求める気はないか』と言っているのと同じ事。
俺は蓮多ごとレンテを伴侶として迎えさせていただくことにした。
よって貴殿の筋書きから完全に抜け出すという報告のために、今回この文書を送った。
今後貴殿が我らの物語を書いても、貴殿らの言葉で例えるなら我々の二次創作になるということを理解していただく。
もし貴殿が望むのなら、我々がこれから紡いでゆく物語を時々こちらに報告しよう。
物語の概要欄に希望の旨を記せば、いつでも答えることを約束する。
酷い仕打ちとなるが許されよ。
もう俺は蓮多とレンテを自分だけのものにしたいのだ』
花代がそれを詠み終えたとたん、ツンッと音がしてパソコンの画面が赤一色になった。
それは一瞬のことで、驚いて悲鳴を上げたときには文面は消え、画面はDM一覧に戻っていた。
メールボックスは空になっていた。
ついさっきまで読んでいた物は既読にも未読にも無く、恐る恐る設定を開くと、DMとコメントの受け付けはオフのままだった。
その後すぐに花代は蓮多へ電話をかけたが、彼が応答することはなかった。
スマホも財布も靴も部屋に置いたまま、蓮多は行方不明になった。
最近連絡を取り合っていたという事と、異性で一番親しい間柄というのもあって、花代は警察から蓮多と恋人同士ではないかと随分疑われたりした。
後に蓮多の親から聞いた話だが、窓の鍵が開いており、部屋の中からは蓮多より大きなサイズの足跡が見つかったそうだ。
人数は不明。
だがその足跡があるのは彼の部屋の中だけで、アパートの周りにそれらしいものは発見されず、警察犬も部屋の外にでた途端に臭いを追えなくなったという。
蓮多の両親は、警察から『寝室に激しい情交のあとがあった』とも聞かされたらしい。
『激しい』とわざわざ付いたくらいだから部屋の中は尋常な状態ではなかったのかもしれない。
シーツからは、蓮多のもの以外に別の男性の体液が見つかっている。
元バイト先の証言で、よくナンパされたりストーカーがついていたという話も入ってきた。
そういったものに侵入され、乱暴されて連れ去られたか。
逆に誰かを乱暴して行方をくらませたか。
または誰にも知らせてない恋人とどこかへ駆け落ちしたのか。
なにかの事件に巻き込まれたのか。
それとも、まったく予想もつかない別の理由か。
花代個人のこととしては、スマホの解析が進むに連れ、どすこいバンビについての一連の顛末も警察に話さねばならなかった他、いち資料として例のコピー本と投稿サイトへの小説データも捜査を担当している刑事に提出しなければならなかったことが、幼馴染の失踪とは別枠でかなり凹んだ。
蓮多は見つからなかった。
数年たった今も未解決のままだ。
花代はまだ小説を書きつづけている。
前ほど頻繁ではないが、追い立てられなくなった分落ち着いてストーリーを組むことができるようになった。
今夜もようやく新しい話がひとつ書きあがり、投稿サイトに更新した。
自分が贔屓にしている作家の新作をまわり、三十分ほどして自分のホームに戻る。
そして、話を更新するたびに必ずつく閲覧者数『1』を確認した。
蓮多の失踪以来、あの日届いたDMは、もしかして自分の幻覚だったのではと何度も考える。
蓮多が小説と現実の境を見失ってゆくのに影響されて、自分もあの頃少しおかしくなっていたのではと今も考えている。
けれど、『1』がつくのだ。
パスワードを知る人間は一人しかいないのに、いつも必ず一人、話を読みに来る。
これは彼か。違う誰かが。誰でもないのか。
呟きその画面をじっと見つめながら、花代は『1』の向こうにいる何かへ思いを馳せた。
向こうからの物語の報告を求める勇気はまだ無い。
概要欄を開くが、いつも結局何も追記できないまま戻してしまう。
もし知りたいといったって、『希望の旨』とは何をどう書けばいいのか。
丁寧にかしこまって?それとも……?
『やっぱりちょっと教えてほしいな!』
蓮多相手に話すように打ち込んでみて、いやいやと首をふる。
あれは幻、私の気のせいだった……。
一人笑って、その文を消そうと指をキーに伸ばしかける。
タン
概要欄が更新された。
花代は固まった。
自分はまだなんのキーにも触れてない。Enterは押していない。
だが概要欄に今打ち込んだ文章が載った。
コトン、ギシ、カタ……部屋の何処かから小さな音が聞こえはじめた。
ともだちにシェアしよう!