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世界が続く限り

 よく登場するキャラだが、名前が載らないモブというものがある。  彼もその一人だ。  どすこいバンビが書き続ける小説で名が出ることはなかったが、彼の名はルビークという。  オスバルトのよきライバルポジションの魔族剣士だが、特別に描写されたのは、物語の中では彼の強さを説明するために書きこまれたほんの数行。  十年に一度の武闘大会において、 『当て身のみで勝ち抜いてきたオスバルトが、最終決戦ではさすが剣を鞘から抜いた。だが、それだけだ。剣は使ったが、それまでの試合と変わらず数分で相手に膝をつかせたのである。』 という、これだけだった。  その後はオスバルトの一番の使い走り……基、部下として動いているが、小説の中では『部下』としか表記されなかった。  そんなルビークは、ここ数カ月の間に知った自分のボスの素顔を以外に思っていた。  淡白で冷酷だと思っていたその男は、とある人間の魔法学者を愛した。  彼と迷いの森に消えていた数週間のあいだに何があったのか、その魔法学者といる時は微笑み、優しい声をだした。  彼を我が伴侶、我が妻と呼んではばからず、毎夜、逢瀬のために魔法を使わねば行きつけぬ遠い場所に出かけてゆく。  ある日、供をするよう命じられたルビークは、オスバルトが移動にずいぶん難しい魔法を使っていることに気が付いた。  身を二つに分けている。  そのうちの一つはそれ程遠くない人間国にいる魔法学者レンテのもとへ。  もう一つは、高度な魔法を使わねばたどり着けない別の世界にいる青年のもとだった。  それはもう一つの世界のレンテだという。  体質があまり魔法向きでないルビークは、オスバルトの魔法を幾重も繰り返し浴びてたどり着いたせいか、その世界ではオスバルト以外にはあまり視覚が利かなかった。  ゆえに、その青年がレンテと瓜二つだと言われてもよく分からなかった。  彼が同行を命じられた理由は、もう一人のレンテ……蓮多の警護だった。  俺がこの世界にいない時間、蓮多を守っていろ。  そう言ってこの世界での眠ったままの蓮多と初夜を済ませた後、オスバルトはルビークの中の魔力を強引に増やし、いくつかのスキルをねじ込んで元の世界に戻ってしまった。  おかげでいくつかの魔法は使えるようになったが、向いていない体を無理矢理作り変えられたものだから、引き換えに視覚に続いて聴覚も怪しくなった。  無茶すぎるだろ。  叫びたいのをこらえ、その日からルビークは魔法で透明になり蓮多を警護した。  元ライバル同士で多少砕けた言葉使いは許されているが、立場は部下だ。  命令に逆らうと、下手したら一族をつぶされかねない。  蓮多にちょっかいをかける者、危害を加えようとする者にはやり過ぎない程度に仕置きをした。  一日ずっと透明でいるのは疲れるが、よっぽどの事がない限り夜中にはオスバルトが蓮多を抱きにくるので、その間に物入の上に潜って休養すればよかった。    そんなある日、蓮多のもとに届いた重要人物からの文書がオスバルトの気分を大層害したようだった。 「ルビーク。お前にもう少し魔力スキルをくれてやる」 スマホとかいう光る小さな板に流れた文書を見ながら、オスバルトはどの戦でも出したことがないほど冷たい声で言った。 「ああ?何があった」 「今宵をもって蓮多も我らの世界に連れてゆく。お前は花代の傍で今までと同じく過ごせ」 眠る蓮多を見つめ前髪に触れながら、オスバルトはルビークを見もせずもう片方の指を鳴らした。  ルビークの中に追加の魔力がメリメリと入り込んでくる。 「いぎっ……くはッ……!」 急に胸の奥で熱の塊がはじけたような感覚になり、ルビークは咳込んだ。 「我々は花代の世界線から離脱するが、あれでも一応我々の創造主だ。もし急に命を落としでもしたら、多少は我々の世界にも影響があるかもしれない」 「や……いや、待て、待て。それはつまりカヨが天寿を全うするまで俺は元の世界に戻れないという事か?冗談だろう」 呼吸を整え、そう聞きながらも、ルビークはオスバルトがレンテ以外の者に冗談など言わないことを知っている。  思った通りオスバルトは『それがどうした』と言わんばかりの目でルビークを見た。  第一のパシリ基、部下は、そこで怯まない。 「なあ。カヨも俺達の世界に連れて行かないか。ここでもし俺一人の手に負えないような大事故や天災が起こったらどうする。向こうの安全な場所で、目の届く所にいてもらわないか。それにお前の細君も知らない世界に一人じゃ心細いだろう。カヨに話し相手になってもらえばいい。オスバルトなら人間の寿命を延ばす魔法も……勿論それはその細君にも使うつもりだろうが、それをカヨにも使ったらいいんだ。そうすれば俺たちの世界への影響も……」 「花代は俺よりも蓮多といた時間が長いのだぞ?」 オスバルトは何を愚かなことを、という顔で言い返した。  元ライバルだった上司が何を言っているのかわからず、その言葉を数秒かみ砕いたあとで、ルビークは眉間に深いしわを寄せた。 「え、やきもち?」 オスバルトが指を鳴らした。  とたんにまた魔力が流れ込み、ルビークは体が裂けそうになり悲鳴を上げた。    ひとまずオスバルトの気が変わるか蓮多が寂しがるかまで、ルビークはこのまま花代の身の回りを護ることになった。  とはいえ次の警護対象は、蓮多の時のように変な人間に絡まれることもない。  性格に問題もないようだ。  本当に、ただ傍で静かに見守るだけが仕事となった。  新しい物語を作る時だけ数日間寝食を忘れ、体にずいぶんな無理をさせる。心配事があるといえばその一つだった。  そういう暮らしがずっと、何年も続いた。  気が付かないようにしていても、長くわだかまっていたものは唐突に顔を出し、心を浸蝕してゆくものだ。  それまで見も知らなかった『カヨ』という人間を。ぼんやりとした影にしか見えない、声も妙な振動としてしか聞こえないそれを、ただただ見守り続けてきたルビークの胸の中に、ある日、抑えきれない寂しさが噴き出してきた。  知らないふりをしてきたその感情が爆発した原因は、オスバルトが唯一向こうの世界と通じ合う手段として許可した『オスバルトとレンテの近況報告』を求める文を、カヨが書きかけ、そして消したことだった。  自分が元いた世界の話を聞けるかもしれないという、胸の中に生まれたほんの少しの期待が瞬く間に消えたからだった。  帰りたい。  帰りたい。  カヨを見守るのは全然大変じゃないけれど、嫌いじゃないけれど。誰にも知られず気づかれることもなく、声を発することもできない。  それがこんなにも寂しく辛いなんて思わなかった。  次の日の夜、カヨはまたオスバルト宛の短いメッセージを打った。  考え込んでいるようだが、きっとまた消してしまうのだろう。  ルビークはこの世界の機械というものはよくわからない。  が、何年もカヨを見守ってきたので、簡単な操作は覚えている。  どの場所を押すと文を綴ることができるか、どの場所を押すと文章が上書きされるか。  見えない姿のままルビークはカヨの隣に座り、指を延ばした。  カヨがBackSpaceという所を押す前に、透明な指はEnterを押し、マウスで更新へ。  カヨが驚いた声を上げたようだった。それもルビークには振動でしか伝わらない。  パソコンの画面が赤い、オスバルトの瞳の色になる。  とうとう向こうの世界から、繋がってきた。  もう気配を消すのをやめて雑に立ち上がると、テーブルなどにぶつかって音がたった。  ルビークはおびえるカヨの手を取り、オスバルトが自分にねじ込んだ魔力のありったけを使って、向こうの世界と画面をつないでいる細い細い糸のような回路へ飛び込んだ。  帰れるかなどの確証はない。  ただ帰りたい一心だった。  花代が姿を消した事柄は『何年も前に姿を男性の幼馴染が行方不明に』と小さな見出しで一度だけ小さく新聞にのった。  この世界での二人の物語については、それが最後の記録だ。  

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