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第6話
二学期が始まって、少しした頃から、僕の周りで異変が起き始めた。
今までも、僕をちらちら見ながら、何かこそこそと言われることはあった。だけど、そうしてるみんなの顔に、明らかな嫌悪や悪意が見えるような気がしていた。人の機微にうといのはよくわかっていて、努力してもわからないものはわからないから、彼の隣にいる時間は以外は出来る限り、本の世界に逃げ込むことにしていた。
ふとある時、筆箱の中から、一本の色ペンがなくなっていることに気づいた。
どこかで落としたのだろうと思って、部屋中を探したけど、見つからなかった。彼の部屋で宿題をやった時に落としてしまったのだろうと思ったけど、それでもなかった。教室や学校にそういった落とし物は届いていなかったらしい。特に特徴のないただのペン。
彼になくしてしまった、と話をしたら、その色ペンの十色セットをプレゼントされた。他の色は使わないのに、と申し訳なくなったが、僕に贈り物をして、嬉しそうに笑う彼が好きで、ありがたくもらったのだ。そのうちの、授業でよく使う色を二本ほどペンケースにいれておいたら、今度は、その二本がなくなった。
不可解に思っていると、家で授業の復習をしようとしていたら、授業用ノートが数ページなくなっていることに気づいた。根本をよく見ると、きれいに破られた跡がある。この時に、ぞ、と背筋が凍ったのをよく覚えている。
自然に破れたのではない。もちろん、僕が破ったわけではない。
誰かが、僕のノートを故意的に破ったのだ。
すると、今度は筆箱自体がなくなった。
こんなことをされる心当たりがない。何かあるなら教えてほしい。でも、教室で、辺りを見回しても、僕を遠くの方でちらちら見ては、逃げていくクラスメイトばかりで、何もわからなかった。
怖い。
教室に入る一歩が、鉛玉をつけられたかのように重くなっていった。
教室の前で固まっている僕に気づいた担任の先生が声をかけてくれた。その時に、物がなくなったり、壊されていることを伝えると、すぐにみんなに話をしてくれて、しばらくはそれが止んだ。それでも、僕が周囲の人の目に敏感にならざるを得なくて、誰かが笑っていると、僕のことを笑っている気がして、教室にいるのが苦しくなっていった。
「聖、なんかあった?」
いつものように、週末は彼の部屋で過ごしていた。
大好きな本を、彼が貸してくれたのを読んでいたのだが、ぼー、としてしまい、床にそれを落してしまったのを彼は見過ごさなかった。
「なんだか、最近上の空なことが多い。どうした?」
ソファに並んで、本を読んでいた彼は、難しそうな社会学の本をたたみ、僕の手を握った。
「だ、大丈夫。何にもないよ」
へら、と笑えたつもりだった。
しかし、彼は、僕を逃がさなかった。
「…俺との、約束覚えてるよな」
鋭い目つきで言われて、怖くて、ぶわ、と汗が噴き出た。
「ご、ごめんなさいっ」
何がなんだかわからないけど、つい、謝罪の言葉が出てしまった。怖い。とにかくそうした感情しかなかった。自分の鼓動があまりにも大きくて、彼の傷ついた顔に気づく余裕がなかった。
「聖…?」
「ご、ごめんなさい…ごめんなさい…」
頭がどんどん下がっていって、うずくまるように項垂れてしまう。
ぶつぶつと同じことを唱える僕は、そ、と優しく背中を撫でられて、顔をあげることができた。
「聖、どうしたんだ…」
「え…あ…」
眉根を寄せて、深い瞳が心配そうに僕を映していた。は、と意識が戻ってきて、なんだっけ…と頭を回すがぼんやりとしてしまって、何がなんだか自分でもよくわからなくなっていた。
肩を引き寄せられて、温かな身体から体温をわけてもらって、ようやく自分の身体冷え切っていたことも、震えていたことにも気づいた。
「聖、大丈夫だから」
俺がいるから、と抱き寄せて、冷たい指先を丁寧に撫でる彼の優しさに固まった心がほぐれていくようだった。何度も、大丈夫。と低く響く柔らかい声で唱えられる。こめかみに優しくキスをされる。浅い呼吸が、だんだん深く、ゆっくりとなっていく。身体の力が抜けていき、僕は彼にすがるように抱き着いた。首に腕を回して、抱き寄せると、彼も背中に手を回して、力強く抱きしめてくれる。深呼吸すると、ほんのり、彼から甘い匂いがする。たまに、匂う、彼の匂い。いい匂い。この匂いをわけてもらうと、すごく、落ち着く。
「さく…」
彼をそっと呼ぶと、腕の力が緩まる。
美しいとがった顎に、そ、と指で触れる。ゆったりと、瞳を閉じると、唇が溶けあう。慰めるように、優しく、何度も、淡く唇を吸い合う。
泣いているわけでもないのに、彼が僕の目元にキスをする。昔から、頬の辺りにいつもキスをされるが、最近になって、僕の右目の下にあるほくろに口づけをしているのだと気づいた。
「ごめんね…」
深い青い瞳がすぐ近くにある。彼にだけ聞こえるように囁く。
「謝るな」
彼も同じように囁くと、また唇を吸われた。
「何があった」
鼻先に、ちゅ、とキスを落してから、彼は僕に聞いた。言葉につまって、俯きかけた顎を彼が持ち上げる。目線をあわせられると、じ、と深い瞳が僕を見透かすように見つめていた。
「…怒らない?」
どうしよう。と、この一瞬で、ここ最近のことが走馬灯のように、頭の中を巡った。
肯定するかのように、彼は僕に口づけをする。じぃん、と甘く身体が痺れて、吐息がこぼれた。
「実はね…」
そのおかげで、頭がすぅ、と冴えていくのがわかった。
「この前、あそこの花瓶、割っちゃったの僕なんだ…」
窓際を指差すと、そこには、今は立派なバラが生けられていた。先週までは秋の桜が生けられていたが、その花瓶は、透明で分厚く重い花瓶だった。本当は、風が強くて、窓を閉めようと近づいた時に、カーテンの留め具がはずれて、それに巻き込まれて、落ちて割れてしまった。大きな音がして、急いで彼が部屋に駆け付けた時には、僕の目の前で花瓶が割れていた。彼は一番に僕に駆け寄って、けがをしてないかを細かく入念に確認してくれた。その愛情に気づけないほど、もう僕は子どもではなかった。そうした、彼との時間の中の、一つひとつの出来事が、僕の唯一の生きる意味だった。
今、児童会の引き継ぎで忙しい彼に、これ以上負担をかけることはしたくなかった。迷惑は、かけたくなかった。彼の隣にずっといたいからこそ、迷惑だと思われたくなかった。
「本当にそんなことか?」
彼は、肩眉をあげてそう尋ねた。
「ごめんね。嘘ついて」
これは、本当。
彼との約束を思い出す。児童会に立候補するかわりに、俺に嘘はつくなと約束をした。
それを、破ってしまったことに、ちくり、とどこかが痛んだ。
「許して、くれる?」
ちら、と見上げると、彼はしばらく、じ、と僕を見つめたあとに、眉を下げて笑った。
「許さない」
言葉がきついのに、彼はもうくすくす笑っていた。それに、ほ、と胸を撫でおろす。えー?と僕も笑いながら返す。
「悪いと思っているなら、それ相応のお返しがあるだろ?」
彼は最近、こういう大人っぽいいたずらをするようになった。
僕は、それが苦手だった。だから、口を引き結んで、目をぱちくりと何度も瞬いてしまう。
「えー…」
これからのことを考えると、じわ、と頬が染まっていくのがわかった。
「ほら」
ん、と彼は目をつむって、顔を寄せた。そして、じっと僕が動くのを待つのだ。恥ずかしいから、苦手なのに。それをわかっていて、彼は迫っているのだろうか。
「さくぅ…」
「早く」
怖気づいていると、長い指先が彼の唇を叩いた。
長い睫毛が、彼の頬に影をつくっている。それを、見ながら、ゆったりと瞼を降ろす。そして、吐息がぶつからないように、息を止める。なんだかむずがゆくて、つい、唇を一度舐めてしまう。その湿ったままで、彼の柔らかいそれに合わせた。その瞬間に、長い腕が僕を抱き寄せて、離さない。
「んっ、んんー!」
胸を押すのに、びくともしない。彼は、強く僕の唇を吸う。ちゅぽ、と離れた瞬間に、抗議しようと口を開くと、それを待ってましたと言わんばかりに、角度を変えてすばやく、また唇を塞がれてしまう。そして、彼の大きい口に食べられてしまい、熱い舌が僕をいじめてくる。舌の淵を、ざりり、と彼のが舐めると、思わず声が鼻から抜けてしまう。それがまた恥ずかしくて、頭から湯気が出そうだった。やめて、と舌を追い出そうとすると、逆に絡めとられてしまって、余計に動けなくなってしまう。じゅ、じゅ、と何度も舌を吸われて、僕はもう震えることと、息継ぎと共に恥ずかしい声を出すことしかできなくなってしまう。
さらに、最近、困ることがある。
「んぅっ!」
引き寄せられて、彼の膝の上に横向きで乗る形になると、太ももに、ごり、と何か熱いものを当てられる。当たらないように身じろぐと、また抱き寄せられて、それを当てられる。
思わず目を見開くと、うっとりと、欲が潜む瞳で僕を試すように見つめていた。恥ずかしくて、目をきつくつむると、ズボンの上から、太ももの辺りを、大きな手のひらが、するり、と撫でる。身体が大げさに反応して、内腿を強く閉じる。その様子に気を良くしたのは、何度もそうしてくる。
「も、やぁっ、ん、ぅ」
「聖…」
なんだか怖くて、ぼろり、と涙が溢れるのを見て、彼はようやく解放してくれる。肩で息を吸って、酸欠のせいかくらくらする。落ち着くのを待っている間も、彼は僕のつむじや、頬に唇を寄せる。ぽお、とかすむ意識で彼にもたれかかる。
「聖」
名前を呼ばれて、ぼんやりするまま、彼を見上げると思ったよりも真剣な顔つきがそこにはあった。
「もう、嘘つくなよ」
眉を下げて寂しそうにそうつぶやく彼に、また身体の奥がちくん、と強く痛んだ。それを悟られないように、首に腕を回して、頬を擦り寄せた。
「うん…ごめんね…」
耳裏を、ちう、と吸われて、彼も僕を抱き込む。
ごめんね、さく…
きっと、僕はまた、約束を破ってしまう気がしていた。
なぜなら、彼に迷惑だと思われたくなかったし、ずっと隣にいたかったから。
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