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第25話
後ろで控え目にドアが開く音がして、リビングの光が足元に差し込む。何も言わずに、彼は静かに近づいてくる。そっと、肩に手のひらが乗せられる。彼の体温に、ぴくりと肩が揺れる。もう片方の肩にも手が置かれ、優しく二の腕をなぞり、背後から抱き寄せられた。
どうして。
優しく、肩を親指が撫でる。何度も、繰り返し。慰めるかのように。
耳元にかかる彼の吐息に、バカな身体は勝手に反応してしまう。頬が摺り寄せられて、熱い体温が感じられて、涙がにじんだ。
柔く頬を吸われて、硬い手のひらに顔を包まれる。後ろを振り返るように動かされて、ゆがんだ視界に彼の顔が映る。ほろ、と一つ雫が落ちてクリアになった視界の中には、逆光でよくは見えないけれど、不安そうに揺らぐ彼の瞳が見えた気がした。唇を食むように、合わせられる。噛んでいた下唇を甘く吸われると、吐息がこぼれた。あまりにもか細く震える吐息は痛々しくも思えた。
腕の中で身体を回して、彼と向き合うようにすると、腰を寄せられて、唇を何度も重ねる。薄いワイシャツ越しに、彼のたくましい身体を感じて、身体の奥がじりつく。くしゃりとシャツを握ると、彼の舌が僕の舌裏をなぞった。
「ん、ぁ…っ」
頬裏を舐めつくす舌を甘噛みすると、彼は僕の身体を強く抱きしめながら、ベッドへ倒れ込んだ。軽く唇を吸われると、離れていった。鼻先が触れ合う距離で、じっと青い瞳が僕を見下ろす。
前髪を耳にかけるように何度も優しく指先で撫でられて、手のひらで頬をなぞられる。宝物にするかのような手つきに、涙がまた溢れる。それを、嬉しいとまだ勘違いしている自分が情けなくて、彼のシャツをまた握りしめてしまう。
「…どうして、泣いている」
かすれた声で聞かれる。子どもをあやすように優しく。溢れる涙を唇で受け止めながら。
それが、また僕の息を苦しくさせて、涙を止まらなくさせる。
「なあ…、どうして…」
そう間近で聞く彼の瞳からは、都合の良い解釈しかできなかった。まるで、僕の答えに期待しているかのような、でも不安げな瞳が揺れているように思えた。
震える指先で、彼の両頬に触れる。僕を、じっと観察し、待っている彼の頬を、何度も撫でた。あの時よりも、引き締まって清廉された輪郭になっている。触れる鼻先は高く、筋が通っている。かっこいい。
本当に、かっこいい。他にこんなにかっこいい人はいない。
だからこそ、自分なんかが釣り合うはずもなくて、嗚咽が漏れそうになる。それが伝わってしまうのが怖くて、首を伸ばして、すぐそこにある唇に吸い付いた。ゆったりと角度をかえてキスをすると、彼が大きな口を開けて、舌を差し込んで枕に僕を固定した。
大きな手のひらは、先ほど顔を撫でていた優しいものと同じだと思えないほど性急に、僕のパジャマの下に潜り込み、あばらをなぞって、僕の胸を揉んだ。僕は、彼から離れたくなくて、首に腕を回して、必死にキスに応えた。拙いキスだったと思う。それでも、彼は懸命に、伸ばされた僕の舌を舐めたり吸ったりして愛撫してくれる。それと同時に、乳首を爪先で軽くひっかかれる。その強い刺激に、思わず腰が浮いてしまうと、彼のそれが硬さを持っていることに気づいてしまう。すぐに腰を引いたが、僕は考え直して、彼のそこに自分のそれを当てるように腰を揺らめかせた。
彼は、眉間に皺を寄せてから、強く僕の舌を吸って離れていく。
「あ…っ、や…」
その唇が恋しくて、急いで僕はまた口づけをした。舌で彼の薄い唇をなぞる。割れ目に沿わせれば、彼は口を開いて僕を迎え入れてくれた。れろ、と彼の大きな舌を唾液を含ませて舐める。熱いその温度に、腹の奥がじゅん、と湿るような感覚があった。出てきたその舌に、何度も吸い付いて、唾液を飲み込む。頭皮に指を指しこんで、必死に彼が逃げないようにキスをする。
そんな情けない僕を、彼は潤んだ瞳を細めて、頬を赤らめていた。カチャカチャとバックルを外す音がして、彼のスラックスが乱暴にベッド横に脱ぎ捨てられた。する、と臀部を撫でられて、身体が弾むと、パンツごと簡単に脱がされてしまう。そして、内腿を摺り寄せていた僕の膝裏に手を指し込み、ぐい、と力強く持ち上げられてすべてを彼にさらけ出す格好にさせられてしまう。恥ずかしさに、唇が引けると、今度は彼が逃がさないとばかりに追いかけて、舌根まで舐めまわしてくる。誰にも触れられない弱いそこを簡単に舐められてしまい、ぞぞぞ、と背筋に電流が走る。快感に指先がうまく動かずに固まって、シーツの上に落ちると、その上に長い指がなぞって這いあがってくる。ぎゅう、と僕の指に絡めて力強く握られると、嬉しくてまた涙がこぼれた。
もう片方の手が僕の顎を伝う唾液を拭って、後ろに触れられる。その時、彼は少し目を見開いたが、僕が口づけを強請るので、すぐに瞼を降ろしてキスをしながら、指を孔に差し入れた。ぬぷりと簡単に彼の指を飲み込んで、ナカへと誘う。慣れた手つきで、彼の指は腹側をなぞり、すぐに僕の弱くなるしこりを見つけてしまった。
「あぁっ、ん、む、っ、あぅ」
声に上げて少しでも身体の熱を逃がしたいのに、彼がそれを許してくれない。肩に固まっている手を置いて、軽く押すと滑った指が絡んできて、シーツに貼り付けられてしまう。両手も拘束されてしまい、どうすることもできない状況が苦しいのに、身体は悦びと取っている。
双丘の割れ目にぬめる熱がなぞる。驚いて身体が跳ねるが、それよりも、ひくん、と腹の奥が疼いたことの方がありあり自分でわかってしまった。きゅうと内腿で彼の腰を挟むと、その逞しい腰が前後に揺れ出す。ぬる、ぬる、と先端からぬめりを出す彼の肉棒が、僕の孔を撫でる。そこがまるで、唇と同じように彼に吸い付いてしまうような感覚があり、さらに身体の火照りが温度を増す。たまらなくて、僕もシーツに踏ん張って、腰を前後に揺らしてしまう。ぎ、ぎ、と淡くベッドの音が鳴り、僕らの荒い鼻息と痺れ出す唇と舌が交わる水音が部屋に響く。上半身は、体重がかかってぴたりとくっついて、心音が伝わりあう。彼の早い心音が心地よくて涙が溢れる。
「ん、っ、んぅ、い、ぇて…」
唇の隙間から伝えると、最後に口内を舌が一周して、離れていく。糸が僕らをつなぎ、僕は唇と舌がじんじんと痺れて、上手に閉じることができなかった。
「いれ、て…」
小さく囁くと、彼は僕の濡れた頬に頬をこすり合わせて、何度も涙を吸い取ってから、ゆっくりと硬いペニスを挿入してきた。
「あ、あ、あ…」
あまりの質量に身体が硬くなりそうになるのを、彼は腰を止めて、顔中にキスをして僕が一息ついた後に、少しずつ突き入れる。ずにゅずにゅ、と男の孔とは思えないほど、簡単に飲み込んでいく自分の身体に驚きつつも、感謝の気持ちも沸き立つ。
彼を受け入れてくれて、ありがとう。思わずそう思ってしまった。
もう、気持ちは止められなかった。
手を動かそうとするが、彼がその動きに気づくと指先に力を込めて、さらにベッドに沈ませた。
「手、離して…」
「どうして」
はあはあ、と胸で息をしていると彼がまっすぐ僕を見下ろして問い返した。冷たい声色だったけれど、それに怯えるほど、今の僕は余裕がなかった。
「ぎゅうしたい…」
つ、と唾液が口の端からさらに伝い落ちていく。生理的な涙も含まれて、眦から雫がこぼれると、一瞬、大きく瞠目した彼は、指の力を抜いてくれた。その間に、だるい腕を持ち上げて彼の首に腕を回して、ぴったりと身体をくっつける。いつの間にかお互い裸になっており、汗ばんだ肌と肌が触れ合って、溶け合って、一緒になれている今がしあわせで、息がつまる。
(好き…)
ぐぅ、とナカで彼の質量が増していくのに、少しの痛みと大きな充足感があって、きゅう、と奥が締まってしまう。より彼の熱量や大きさを感じて、身体の悦が増していく。動いていないのに、大きな快感の波が幾重にもなって僕を飲み込んでいく。
(好き、大好きだよ…)
泣きすぎてつまった鼻が息を飲んだ瞬間に、少しだけ抜けると、濃密な甘い匂いが身体に流れ込んできた。首の後ろがびりびりと強く痺れる。
「んぅ、ん、うう…っ、は、ぁ…」
ぴく、ぴく、と身体が震える。内腿が痙攣するかのように揺れる。あまりにも強い快感が怖くて、彼にさらに強くしがみつく。
(ずっと一緒にいたい…)
「聖」
鼓膜を伝わって、かすれた低い声が届いて、目を見張る。
(名前、呼ばれた…?)
腕の力を抜いて、顔を見上げる。眉を寄せて、眦を染めて汗を流す彼は、壮絶な色香を放っていた。僕の黒子を撫でて、涙を払うと、彼は柔く微笑んだ。
「聖」
欲に燃えた熱い瞳は焦がすように僕を一心に見つめている。
この瞳で、彼に名前を呼んでもらえた。
そう思うと、彼と過ごした歳月が、ダムが決壊したかのように流れ込んでくる。
大好きだった。
隣にいてくれるだけで、勝手に顔をゆるんで笑ってしまう。
隣で全く同じように笑っている彼がいて、嬉しくて駆け出してしまいそうだった。
学校の中で、二人だけの秘密基地をつくって、たくさんキスをした。
ドキドキして、わくわくして、大好きだった。
僕の全部が、この人のためにあるんだって、本当に思っていた。
ずっと一緒にいたいって、心の底から思ってた。
(大好きだよ、さく…)
「泣くな」
甘く耳元で囁かれて、背中がぴくんと跳ねてしまう。きゅう、とナカが反応してしまうと、今の行為の生々しさを思い出してしまう。
今なら。
(今なら、溶けてなくなってしまいたい)
溶けて、彼と混ざって、消えてしまいたい。
ずっと、一緒にいたい。
(どうして)
心の中でずっと押し込んできた黒い部分が涙と一緒に溢れ出てしまいそうだった。
だから、そうなる前に、快楽に堕ちてしまいたかった。でも、彼は、泣きじゃくる僕を慰めて、じっと我慢して、動かない。顔中にキスをして、温かく慰めてくれる。
(そんなことしないで)
前みたいに、乱暴にして。
乱暴に、怖くさせて。
でないと、恨んでしまうから。
(どうして、さくはアルファなの)
嫌いにさせて。
これ以上、好きにさせないで。
(どうして、僕は、オメガじゃないの)
あの時から、ずっと心で渦巻いていたことを鎮めようとする。その分、涙を流して、腰をゆする。
「うご、ぃて…」
きれいに締まっている彼の脇腹をそろり、と撫でて、頬にキスをする。彼は、ぐり、と僕のナカをねじるように先端を蠢かして、抽挿を始める。
「あっあ…っ」
ぞわ、と身体を快感が這いまわる。それでいっぱいにしたい。
僕の叶わない願いなんか、今日でなくなってしまえばいいのに。
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