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第27話

「なんでそんなこと言うの…」 「柊…?」  また、僕が言葉を間違えてしまった。それで、目の前の友達を傷つけてしまった。  もう終わりだ。  いつも僕の隣にいて、笑顔にさせてくれた。柊がいることで、ようやくあの寂しい図書室が温かくなったのに。  今度は、僕が涙が滲んできた。すると、柊は、僕の頬を包み、額を合わせた。 「もっと、自分のこと大切にしてよ」  お願いだから。  そう言って、柊は、一筋涙を流した。  柊は、僕を思って、涙してくれているのか。そう思うと、喉の奥が、ぐう、と絞られて、鼻がつんと痛む。 「先輩が嫌なことして、ごめんなさい…」 「いや、あれは僕が…」  傷ついている柊をなんとかしてあげたいと心から思った。だから、柊が抱いている誤解を何としてでも解きたかった。 「僕が悪いんだ…だから、柊は悪くない」 「違う、僕、先輩が嫌がってるのわかってた。でも、止められなかった…」  長い睫毛が音を立てそうにしながら、伏せられる。すると、下唇を噛み締めた柊からまた涙が頬を伝った。 「好きだから、やめたかったのに、好きだから止められなかったんだ…」  ごめん、と柊は、今度は包み込むように、その大きな身体にすっぽりと僕を収めた。逞しい胸元に当てた手のひらから、柊の早い心音が伝わってくる。 「ごめんなさい…」  ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、柊は何度も謝った。僕は、その胸元に耳を寄せる。どくん、どくん、と大きな音が聞こえる。柊が真剣に僕と向き合って、心からの言葉を伝えてくれているのを感じられる、身体の音色だった。 「柊、泣かないで」  広い背中に手を回してとんとん、とあやすように叩いたり、撫でたりする。 「柊は悪くないから。柊が嫌じゃなかったなら、それでいい」 「よくないよおおっ」  えーんっ!、と子ども顔負けに泣き出してしまって、なんだかおもしろくなってしまった。くすり、と笑ってしまう。 「しぇんぱい…僕のこと、きらいにならない?」 「ならないよ、なるはずない」  とんとん、と背中を叩くと、また思いっきり泣きだす。今度こそ、声をあげて笑ってしまった。柊はそれに安心したようで、泣きながら笑っていた。器用な男だ、と頬をぺちぺちと軽く打つと、少し身体を離して顔を覗き込ませてくれた。 「ははっ、何その顔」  ビン底眼鏡に隠されている端正な甘い顔立ちは、瞼を真っ赤に腫らして、見る影もなくなっていた。面白いから、両頬を押してやると、目の前の大型犬は素直にされるがままでいる。それを、可愛いと微笑ましく思えてしまう。またこうして過ごせる時間に、心底ほっとする。じわじわと足の指先から体温が戻ってきて、身体が弛緩すると、生きている心地がしてきた。 「先輩は、笑顔が一番いいでしゅ」  そのままで、柊は、泣きながら笑った。そんな健気な後輩が愛おしくて、ありがたくて、僕も涙がこぼれた。僕らはしばらく、一緒に泣きながら笑った。  そのあと、一緒に第二図書室に行き、カウンター裏から僕の荷物を柊から預かった。三時間目の授業に戻そうと僕は何度も背中を押したが、手をつないだ柊が一切離れなかったために、図書室で二人で並んで過ごした。三時間目の終わりのチャイムが鳴ると心底嫌そうな顔をしたが、またいつでも会えるから、と言い聞かして、実は知らなかった連絡先を交換して、柊を教室に送り出した。  柊がいない図書室は、やっぱり暗く冷たい。昼休みまで居たかったが、早く寮に帰りたかった。柊と一緒に過ごす時間に後ろ髪を引かれながら、僕は荷物を抱えて、校内が静まったタイミングで急ぎ足で昇降口へと向かった。  そのまま、寮にまっすぐ帰って、実家へ連絡をしよう。少し早いけれど、実家に帰省をしてしまおう。  そう決めて、ローファーに履き替えて、コンクリートを踏みしめた。  桜並木はすっかり蝉時雨となっていた。木陰はひんやりと涼しい、それに目を細めながら歩を進めていると、校門前で人影があることに気づいた。  小柄な少年が、背の高い男にしだれかかるようにして抱き合う恋人同士のようだった。どちらも、高等部の制服であった。見ては不躾だ、と視線を下げようとするが、僕はぞくり、と寒気がしてなんだか視線を逸らすことができなかった。 「ねえ、咲弥~」  金髪の少年は、見覚えのある男だった。あの甘ったるい声、仕草、そして匂い。すべてが覚えている。夢木美久だ。  ど、と心臓が嫌に大きく跳ねて、止まったように苦しくなった。じり、と足元で砂利をねじる音がしてしまう。それに気づいたように、彼がこちらを見た。目を見張ると、眼光を鈍く光らせてこちらを睨んだ。 「なあに、どうしっんうっ」  美久がこちらを振り返ろうとした瞬間、僕は息をするのを忘れた。  彼が、大きな手のひらで、美久の顔を固定すると、上を向かせて、唇を覆ったのだ。昨日、僕に何度も口づけた唇で。 「あんっ、どしたの、さく、んう…」  美久はうっとりと口づけに酔いしれながら、彼の身体をピンク色のきれいな爪のついた細い指でなぞる。臀部や腰回りを撫で、内腿辺りから上へと腕をあげていたが、美久の身体でどこを触っているのかは見えなかった。しかし、その間も、彼は僕を睨みつけており、僕はどんどん血の気が引いていく。がちがちと奥歯が鳴り出して、ずり落ちたカバンの紐をきつく握りしめた。 「あん、んん、さく、やぁ、あ…もっとぉ…んん…」  美久を抱きしめ直して、角度を変えてまたキスを深めた。そして、あの僕を気持ちよくさせた指で、美久の臀部の狭間をなぞった。それに、美久はぴくん、と背をそらせて、甘ったるく喘いだ。 「ああんっあんっ、やら、ここじゃあっ、あんっ、さくやぁ」  器用に舌を絡めながら、美久は可愛らしく喘いだ。風に乗って、美久のきつい匂いがここまで漂ってきて、僕は一気に校門を走り抜けた。彼らの後ろを通り抜けて。また、より一層高く、美久の声が聞こえた気がした。  どうして。  どうして。どうして。  あんなに、優しく撫でたのに。  あんなに、甘くキスをしたのに。  どうして。  どうして、他の人と、同じようにしてるの。  どうして、夢木美久なの。  僕を傷つけた人なのに。  どうして…、さく…。 「わっ」  息を切らし、全身から汗を滴らせながら、滲む視界で、寮がようやく見えてきた時だった。  急に、がくん、と身体が後ろに引かれた。あまりにも強い力で、倒れるがすぐに、硬い何かにぶつかった。それが何かを確認しようとする前に、強引に掴まれた腕を引っ張られる。 「いたっ」  痛みに顔をしかめると、ぼろりと涙が零れた。もつれる足もお構いなしにずんずんと長い脚で細い道を大通りへと進んでいく。 (なんで…、どうして…)  汗でワイシャツが張り付いている広い背中と、太陽光に反射して、きら、と光る項の汗。そして、昨日の夜、何度も撫でた、見た目よりも硬い髪の毛を見上げた。  風に乗って、先ほど逃げてきた香水のようなきつい匂いが漂ってくる。 (嫌だ…)  花の蜜のような、恍惚とする甘い匂いじゃない。 (嫌だ…)  僕を掴む手は、さっき違う男を抱きしめていた手だ。 「やだ…」  小さくかすれた声だった。情けない声だった。  それでも、彼には届いていたようで、瞬時に「黙れ」と背後からでもわかる、強い威圧のフェロモンと一緒に唸るように言い放たれる。まるで、頭を思い切り殴られたかのような衝撃が走る。もう何も言えなくて、出来なくて、彼の促す通りについていくことしか出来なかった。涙を止めることも、できなかった。

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