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第30話

 次の日、なんだか心地よくて目を覚ますと、すぐそこに彼がいて、微笑みながら、僕の髪や頬を撫でていた。 「おはよう、聖」  穏やかな朝の時間に、ゆったりと瞬きをしながら、僕の頬は勝手にゆるんだ。 「おはよう」  すると、彼はさらに笑みを深めて、身を乗り出して、僕の黒子にキスをした。そして、目が合うと、唇にお互い吸い付いた。  そのあと、何度か交わってから、ようやく昼過ぎに重い体で一緒に風呂に入った。生徒会用の部屋よりかはこじんまりしたように見えたが、一般的なものと比較すれば充分の広さがあり、浴槽は二人でゆったりと浸かれる広さだった。そこでも、彼は僕に甘いいたずらを何度も仕掛けてきて、のぼせる直前でようやく彼が射精して終わりを迎えた。  風呂を出ると、のぼせた僕の身体を拭いて、バスローブを着させ、ソファに降ろしてくれた。されるがままに、ソファにもたれていると、冷たい水を持ってきてくれて、少しずつ飲む。その間も、隣に座った彼は、僕を抱き寄せて、髪を撫でたり頬にキスをしたりと絶え間なく甘い時間を過ごさせる。それが、くすぐったくて恥ずかしいのに、僕は何も言えずに受け入れていた。今、この時間を大切にしようと今の彼の顔で見る、初めての緩み切った笑顔をしっかりと見上げて、頭と心に刻みつけようとその口元に触れた。嫌がらずに僕に好きなようにさせる彼は、僕の唇を人差し指の先で、とんとん、と軽く叩いた。  それが、昔からの合図だった。  聖からキスして。  昔からそう教えられた。カップを零さないように、目の前のローテーブルに置いてから、ゆったりとソファにくつろぎ、背もたれに肘をかけ手で頭を支えて、こちらを見つめる彼にそっと身体を伸ばして、キスをした。触れるだけのキスなのに、瞼をあげると彼は、いつもは鋭くとがった眦を、甘く垂れさせて赤く染めていた。顎を掬われ、身体を抱き寄せられる。唇を覆われて、身動きをとれなくなってしまう。身体を彼に預けてしまうが、嬉しそうに彼は僕を膝の上に乗せる。彼の太腿にかけた膝を何度も親指で優しく撫でてくれる。それだけで、一日かけて教え込まれた身体は、ぴくぴくと小さく反応してしまう。 「聖…」  大きな舌が歯列の裏をなぞって出ていくと、伝った唾液が彼の唇で光っていた。いつもは冷たい色をしている顔も、ほんのりと染まり、唇は赤く艶やかっただった。光るそこに、そっと唇で吸い付くと、彼はさらに頬を緩めて、僕の唇を舐めた。 「ぁう…」  思わず身体が震えて、声が漏れてしまうと、ぎらり、と瞳の色を変えて、彼は僕を横抱きに抱えて立ち上がった。いきなりの浮遊感の目の前の大きな身体にしがみついた僕の、こめかみや頬、目元に淡く吸い付きながら移動をする。そして、せっかく出てきたばかりのベッドに逆戻りをしてしまう。バスローブの狭間から手のひらが入ってきて、僕の骨や筋をなぞるように擦り上がってくる。 「ぁ…、も、今日は、むり…ぃん…」  もう、昨日の昼頃から、意識がある間はずっと睦ぎあっていた。先ほどの風呂場でも、なかなか射精できずに散々泣かされた。ようやく出たと思っても、ほぼ透明のものが少量しかでない。それでも、彼のものは、勢いよく白濁とさせたものをびゅうびゅうと出す。  無理だと言った舌を、吸い付いて引きずり出し、彼の口内で弄ばれる。白くとがった犬歯が僕の舌に柔く歯を立てた。アルファらしい、発達した立派な犬歯。強い性欲も、アルファらしい生殖力の強さなのだ。まざまざと、彼がアルファとして如何に優秀かを見せつけられるようだった。  誰もが振り向く圧倒的アルファが、今、僕の目の前でじりつき、バスローブの上から、必死に腰を揺らめかしておねだりをしてくる。ただの、ベータの僕なんかに。  ぞくり、と背中を何かが駆け上がる。背徳感と、優越感と、罪悪感と。  いつも冷酷に僕を見下ろしていた瞳は、優しく細められ、深い深い海の色で輝いていた。薄い唇は、艶やかに染まり、僕の名前を、その低く身体の奥まで震わせるバリトンで柔らかく囁く。彼の胸元をなぞると、しっとりと汗ばんでいる。それは、僕を全身で求めてくれているような気がして、心音がさらに強くなる。  彼のバスローブの紐を解くと、相変わらず立派に勃ちあがった彼の分身が現れる。  今だけでいい。  きっと、彼の気まぐれなのだ。  僕は、二番目にも三番目にも慣れないような、ただのおもちゃなのだ。  それでもいい。  今だけは、彼は僕を求めてくれている。  溢れる涙を見られないように、彼を抱き寄せると、素直に抱かれてくれる。肩口の柔らかなバスローブに涙を吸わせるように、頬を擦り寄せると、彼も力強く僕を抱き寄せて、耳裏に鼻先を埋めた。 「聖の匂いだ…」  彼が独り言のようにつぶやくと、熱い吐息が首筋を撫でて、くすぐったい。くすくす、と笑いながら、彼の襟足をさらさらと指先で遊ぶ。彼もくすぐったそうに、子どものようにくすくす笑う。まるで、あの頃に戻ったようで、またじんわりと涙が滲んできてしまう。 「聖の匂い。聖だけの、いい匂い」 「んぅ…っ」  ぢゅ、と強く吸われて、項を彼の爪先がかりり、と淡く掻く。弱いそこに彼の体温を感じるだけでも、全身がざわめく。足の爪先がぴん、と立ち上がり、ふるふると震える。無意識に、足の間にいる彼の脇腹を、きゅう、と締めてしまうと、大きな手のひらが僕の臀部を簡単に包み込み、揉みしだく。 「聖…」  そう熱く囁かれてしまうと、僕は何もできなくなってしまう。彼の身体から溢れ出る濃密は甘い匂いと、熱に促されるままに、うっとりと瞼を降ろした。  その匂いの中に、かすかに感じる、まとわりつくような嫌に甘ったるく主張の強い、オメガの匂いに気づかないふりをして。  それからの記憶は曖昧だった。ずっと彼と触れ合いながら、食事をとったり風呂に入ったりした。それ以外の時間は、ずっとつながっていた。何度も意識を飛ばすが、目を覚めると彼はずっと僕をあやすように撫でたり、キスをしていたり、時には挿入してゆさぶっていたりした。僕と目が合うと、とろける笑みで僕の名前を囁いた。  そうした爛れた時間を、どれだけ過ごしたのか僕にはわからなかった。窓ガラスから、日差しが入っていると思ったら、次には真っ暗な闇の中だった。そんなことは気にならなかった。僕の目の前に彼がいて、彼が僕を見ていた。何度も何度も、愛し合う二人のように身体を交わらせて、キスをした。  夢のようなこの時間が、ずっと続けばいいのに。そう思っていたから、僕も彼を抱きしめて、キスをした。意識を飛ばしてしまい、は、と急いで起きると、暗闇の中で彼を探す。すぐ後ろで僕を抱きしめて、寝息を立てていることに気づいて、嬉しくてさみしくて、離れたくなくて、涙をこぼしながら彼の腕の中で潜り込んで瞼を閉じた。彼の心地よい心音が愛おしくて、ずっと聞いていたくて、僕だけのものにしたいと思ってしまう自分の図々しさに嫌悪して、また涙を流す。  僕たちの蜜月は、終わりを迎えてしまう。  珍しく、明け方に目が覚めると、すでに彼も起きていた。目が合うと、微笑まれてキスをする。当たり前のように、お互いの身体を触りあって、揺さぶりあった。最近の流れだと、もっとと強請られるところのはずが、彼はあっさりと身を引いた。 「今日、終業式だからさ」  僕の額を撫でて、キスを落してから彼はベッドから立ち上がった。クローゼットを開けて、衣類を取り出す。かがんでボクサーパンツを履く彼の後ろに、震える膝でなんとか立ち上がって、そっと抱き着く。肌は、すっかりなじんだもので、しっとりと心地よい。逞しい背中に頬をよせると、ふんわりと甘い匂いが鼻腔をくすぐる。 「なんだよ聖」  ふふ、と彼は笑って、とくとくと心音を鳴らす。瞼を降ろして、腕に力を入れると、彼が僕の指をくすぐるように撫でると簡単に腕の中で身体が反転されて、正面から抱きしめられる。つむじの辺りに口づけを落されて、彼は機嫌良さそうに笑い、ぎゅう、と僕を抱き寄せる。僕も背中に手を回して、必死に抱き寄せる。そして、目の前にある鎖骨のあたりに、強く吸い付いた。ちゅ、と唇が離れると、赤く痕が残っていた。彼を見上げると、その痕に気づいたようで、頬を染めて微笑む。 「もっと強く吸え」  僕は充分強く吸ったのだが、彼はもっと、と強請ってくる。言われた通りに、もう少し上の首筋の辺りに強く吸い付いた。歯に少し皮膚が食い込んでから離すと、先ほどよりも深い色をした鬱血痕ができた。それを、指先で触れる。  僕のだ、っていう証明みたい。  なんだか嬉しくて、彼を見上げると同じように瞳を輝かせてくれていた。 「じゃあ、俺も」  そういって僕を抱き寄せて、首を伸ばした彼は、項の辺りに強く強く吸い付いた。痛みを感じて肩をすくめるが、彼は何度も繰り返した。散々、情事の間に身体中に、痕をつけたのにまだつけてくる彼の行為に多幸感すら感じる。もう膝から力が抜ける、という寸前で彼は唇を離してくれた。うっとりと息があがった僕の唇を舐めて彼は身体を起した。 「聖も着替えろ」  片手で僕を抱き寄せたまま、彼はクローゼットの中に手を差し込んで、ひとつのハンガーを取り出した。そこには、ワイシャツとスラックスがかかっていて、おまけにニットベストもついていた。そのあと、引き出しから、彼と同じ新品の状態の下着を取り出して、僕の足もとにしゃがんだ。僕の右ふくらはぎを撫でるように包むと、肩に手を置くように目線でうながされたので、その通りに、手を置いて、右足を浮かせる。反対も同様に行い、その下着を僕に履かせる。立ち上がると、満足そうに、下着のウエストゴムをなぞって、僕の臀部を柔く揉んだ。 「んう…」  それだけで腹の奥が燃えるように熱くなり、ぴくん、と身体が揺れてしまうのを彼は片方の眉をあげながら、耳朶に軽く歯を立てた。 「いけない子だ」  ぴちゃ、と舌で水音と、彼のかすれたバリトンが鼓膜を揺らし、たまらず身体が震える。何もできずに、息を整えるだけで固まったいると、彼は僕にシャツを羽織らせて、丁寧に着させてくれた。ボタンもぴっちり一番上まで止められる。僕がぼんやりとしている間に、彼は手早く、自分でスラックスを履き、シャツを羽織った。 「僕、やる…」  ボタンを留める指に触れると、彼は頬をさらにゆるませて、僕に任せてくれた。急に不器用になった指は、一つひとつのボタンを留めるのに時間がかかった。その間、彼は僕の頭や頬、耳などを撫でて楽しんでいた。僕がつけた痕がぎりぎり見えないくらいの第二ボタンまで留めると、今度はネクタイを渡される。演台に上がる彼は、ネクタイを結ぶ礼儀を忘れない。彼の首裏に手を回して、襟を立てると、ちゅ、と唇を吸われてしまう。 「もう…」  集中できなくて、口をへの字に曲げると、少年のように彼は声を出して笑った。大人の顔つきなのに、あどけない笑みを見せる彼を見られるなんて、思いもしなかった。本当に夢なのではないか、と疑ってしまう。  夢かもしれない彼をじっと見つめていると、またいたずらっ子のような笑みをして、僕の太腿裏をいやらしい手つきで撫で始め、最後に割れ目をなぞられる。 「んぁ…っ」  かくん、と膝が折れて、彼の胸元に飛び込んでしまう。それを簡単に抱きとめて、彼は守ってくれた。そして、くすくすと頭上で笑っている。 「もう、無理っ」  彼の胸板を押すと簡単に腕はほどかれて、僕はよたつきながらもベッドに腰掛けた。内腿がやんわりと桃色に染まっている気がして、恥ずかしてく摺り寄せる。その脇に彼がやってきて、膝をついた。 「ごめんって。ほら、ネクタイ」  僕の手を掴んで、ネクタイに触れさせる。早く、と口元をほころばせながら彼が僕の太腿を撫でる。恥ずかしくて、早く離れてくれるなら、とネクタイを結び始める。人に結ぶのははじめてで、頭を必死で動かしながらネクタイを操る。ネクタイと格闘する僕を、しあわせそうに微笑みながら見つめる彼には、気づかないふりをしながら。  早く離れてほしいのに、離れてほしくない。ずっと、ここにいてほしい。  でも、彼を見送らないと、という少しの理性で、いつもの倍の時間をかけて、最後に結び目を上げた。 「苦しくない?」  ようやくネクタイから視線をあげると、彼の瞳がすぐそこにあって、簡単に唇を奪われてしまう。 「大丈夫」  唇が触れ合いながら彼がそう甘く囁くから、僕は太腿を撫でる彼の指に自分の指を絡めながら、もう一度瞼を降ろして、唇をとがらせた。淡く食むように僕を甘やかす。親指の付け根を丁寧に撫でられて、背筋がぞくぞくと痺れる。鼻から吐息が漏れだす頃に、彼は離れていった。そして、僕の足をとり、靴下とスラックスを履かせてくれる。立ち上がった彼が僕の腕をとり、軽い力で立ち上がらせると、抱きとめながら、シャツを身体に撫でつけ、バックルをとめる。頭からすっぽりと、新品のようにきれいなニットベストを被らせる。ここに連れてこられた時、僕はベストを着用していなかったから、これはこの部屋に用意されたものだろう。身に着けているスラックスもシャツも、僕のものかもしれないが、あまりにもぴっちりとノリが効いていて、新品のようだ。しかし、どれも、サイズは僕にぴったりだった。  気になって聞こうと顔をあげるが、彼が本当に優しい顔が僕の顔を撫でるから、どうでもよくなる。僕のために用意をしてくれていた、なら嬉しい。そう微笑み返して、頬を撫でると、そうすることが自然のように唇を合わせる。 (さく…)  心の中で何度も彼を呼ぶ。 (大好きだよ…)  何度も囁く。  でも、口には出せない。  出してしまったら、きっと、この夢が覚めてしまう気がしていた。  だから、都合の悪いことは聞かない。本当は、それが一番聞きたいことなのかもしれないけど、僕は、この一時に浸っていたかった。  大好きな彼の腕の中で、恋人のように大切にされる甘い時間の最後を。  きっと、この部屋を出たら、全部終わり。  彼はもとの場所に戻っていく。  人々を導く先頭に立ち、たくさんの美しいアルファとオメガに囲まれて、賞賛を浴びる。僕なんかが手の届かないところへ。 (大好き、大好きだよ)  ワイシャツ越しに、何日も僕を魅了した肌に頬を擦り寄せる。涙が滲まないように必死に我慢しながら。

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