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第四章 6

   だって、樹が睨んでるから。  待っていてくれた……!  そう思って、駆け寄ろうとした足は、その場に縫い止められように動かなくなった。  いっくん。  心の中でしか名前を呼べない。  樹の唇が動いた。 『ナナ』  と。  声は聞こえない。  項垂れ、ポケットに手を突っ込むと、向きを変えて一人で歩いて行ってしまった。 ★ ★  その道を境に、学区が変わる。  道の反対側に住む樹と僕とは、違う中学校に通う。  もう同じクラスになることもないし、廊下で偶然すれ違うようなこともない。  卒業前に元に戻らなかった関係は、もう一生繋がらない可能性は高い。  たった五、六歩のその道の先が、果てしなく遠いもののように感じた。 「あ、いっくんだよ。ティラ」  自室の出窓に頬杖を突いて樹の家を眺めるのが癖になった。そんな時はだいたいティラミスが話し相手。  たまに樹の姿を見ることが出来る。  こんなにすぐ近くに住んでいるのに、外で偶然会うことがそうそうないのは、本当に不思議だ。  中学に入学してから二年半。  外で見かけたのは数度。それも遠い背中ばかりだ。 「今、学校から帰って来たのかな~」  夕方五時過ぎ。外はもうかなり暗い。  街灯に照らされた樹は、どうやらK中学の制服を着ているようだ。 「いっくんの学ラン姿、間近で見てみたかったなぁ。きっと格好いいだろうな。ね、ティラ」 「にゃあ!」  坂の途中にあるこの家の東側は、道路からかなり高いところにある。二階の自室の窓から見ると、人は小さく、顔の造作なんかは全く確認できない。  樹が家の中に入ると、暗かった城河家に明かりが灯った。  ティラを抱き上げ、一緒にベッドに転がる。 「いっくん、受験勉強頑張ってるかな~。何処の高校行くんだろ」  六年生になった頃、樹はK中の野球部に入るんだと言っていた。K中の野球部は強い。それから、スポーツ推薦で野球の強い私立の高校に行くんだって。  それを思い出した。 「野球の強い私立の高校……一緒の学校になんか、なるはずないか」      きっとK中で、野球頑張ってたんだろうな……。  K中学校は部活の盛んな学校である反面、に関わったような穏やかでない生徒もいて評判が良くない部分もある。  それに比べて僕の通っているM中学校は、全体的にのんびりとした穏やかな学校だ。  僕のような性格でも、特に苛めに合うようなこともなく過ごしてきた。  ただ、やっぱり親しい友だちは出来ず、部活にも入っていない僕は、とにかく勉強しかすることがなかった。  今の志望校は、この辺りでは一番偏差値の高いN高校だ。  でも。  たぶん自分の性格が災いして、そこは受けないような気がする。  どっちにしても……。 「いっくんと同じ高校行きたかったな……見ることができるだけでもいいんだ……ねぇ、ティラ」  見ると、ティラは僕の胸の辺りで丸まって寝ていた。

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