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第十九章 7

 春休みに入ると樹の長時間のバイト生活が始まった。  朝から夕方までか、昼前から夜まで。一日の時もある。  どのシフトかわからない。  わざわざラインで『今日はどんなシフト?』なんて毎日聞くのは気持ち悪く思われるだろう。『お休みはいつ?』というのも気軽に聞けないでいた。  帰って来そうな時間に然り気無く外に出てみたり、自室の窓から覗いてみたりするが。 (いっくん。最近すぐに帰ってきてないような気がするんだけど……。  もしかして……バイトの後に『彼女』とデート!)  そんなことを考えては落ち込む日々。 (あの時訊きたかったこと。  まだ訊けてないんだよなぁ)  その『彼女』との出会いはもしかしたら。  それを訊いてどうなるってこともないんだけど。  自分が辛くなるだけのような気もするんだけど。  また『彼女』に会ってしまうかも知れない。  そう思いながらも、僕はBITTER SWEETに向かっている。  大通りから中の細い道へ入り、高級感のある住宅街を歩いて行く。  迷うこともなくなるくらいには通っているBITTER SWEETの白い建物が見えて来た。 (あれ?)  ふと不審に思う。  夜になるとイルミネーションが綺麗な白い塀に数人の男たちが寄りかかっている。  この辺りでは見たことのない一見して柄の悪そうな男たちだ。  どうしようか迷ったが、別に声を掛けられることもないだろうと思い、そのまま前を通り抜けて門を(くぐ)った。 「いらっしゃいませ」  いつも通りに樹の声がする。  でも。 「ナナ」  僕を見るなり顔を顰めた。 (何だろう。今の顔)  最初にここに訪れた日以来こんな顔をされたことはなかった。  不思議に思い、つい彼を凝視してしまう。 「あれ? いっくんどうしたの、それ? なんかぼろ……」  『ぼろぼろ』と言い掛けて止めた。  そうなのだ。  口の端、それから、長袖シャツからちらっと見える場所に絆創膏。 「なんでもねぇ。気にするな」  口の絆創膏を押さえてからぼそっと言った。  気にするな、と言われても気になる。でもそれ以上は突っ込んではいけない雰囲気だった。  いつも通りカウンターに向かう。  店内は昼のピーク時を過ぎたとはいえ、何故かいつもより閑散としているような印象だった。 「いらっしゃい、七星くん」  カウンターの中から店長がこれまたいつも通りに、にこにこしながら声を掛けてくれる。  そらからやや顔を近づけ、 「外、大丈夫だった?」  僕にだけ聞こえるような小さな声で言った。 「え?」 「外に柄の悪い連中いなかった?」 「……いました」  僕も店長にだけ聞こえるような声で答えた。 「なんか最近良くいるんだよ。しかも、入れ替わり立ち替わり。だからちょっとねぇ……」  店長は店内を見遣った。  どうやら閑散としているように見えた理由は、これらしい。  樹がカウンターに入ってきていつも通り僕の飲み物を作ってくれたものの、今日はラテアートはなし。 「俺今日遅いから、お前早めに帰れ」  去り際言い捨てる。 (いっくん……どうしたんだろう。  急に前に戻っちゃったみたいな)  切ない気持ちで飲んだカフェラテは、いつもより苦い気がした。  結局三十分程で僕は席を立った。  会計は仏頂面の樹。  釣銭を受けとる僕の手首を強く掴んだ。 「ナナ、お前──暫くここに来るな」 「え…………」  突き放されたような言い方に、僕はそれ以上何も言えなかった。

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