1 / 9
第1話
「俺はあなたのことをなんて呼べばいいでしょうか」
「はあ?」
蘭吉継は真顔で、親会社の社長である厚木聡実に聞いた。
吉継は、実業団に所属するバレーボールの選手であり、チーム内で起きたダイナミクス絡みの傷害事件の被害者だ。本人にあまり被害者意識はない。
厚木は第一発見者であることから、被害者である吉継の選手としてのサポート、ダイナミクスに関わる性の安定を名目に、私邸の一室を彼の療養のために明け渡していた。マスコミ避けである。
厚木は、吉継のことを少し頭が緩くておかしなやつだと思っている。
しかし、彼のSubとしての貪欲さと、被害者意識のない感受性の愚鈍さは、思いの外厚木の好みに合った。
「これからお世話になるので、どう呼べばいいのか気になりました」
初対面で、”ご主人様”と呼ぼうとしたことを思い出す。
「厚木でいい」
「わかりました厚木さん」
そう言って厚木に近づいて跪く。
「これからよろしくおねがいします」
足先にキスされた厚木は、虫酸が走るとはこういうことを言うのだという模範解答を得た。
吉継は、私邸の一つである”藍”に住まわせている。
”藍”という名は、厚木の祖母が藍染めを気に入り付けた名前である。
他には、”柘榴”や”藤”など一貫性のない、思いつきで付けたと思われる名前の邸宅がある。
厚木は出社すると、一日のスケジュール確認をすることが日課だが、それに吉継の療養について経過報告を受けることが加わった。
「蘭さんは、本を読んだりストレッチをしたり、静かに過ごされています。体調面も良好です」
「ああ」
吉継は、今日から週に二回、療法士とプレイをしてSubの欲求を発散させることになっている。模範プレイを通じて、彼のSub性についての評価を行う。
厚木は吉継とプレイをしてみて直感的に、”頭がおかしい”と烙印を押したが、専門家の目を通せばまた違った評価が得られるだろう。
吉継に合ったプレイを提供し、Sub性の安定を図る。
その後、選手としてのサポートや職業の斡旋をする予定になっていた。
半年、長くても一年以内には社会復帰ができるだろうとの見立てである。
「今日から療法士が付くことは知っているのか」
「はい、厚木さんのことを気にしていました」
「俺を?」
「はい、どうしていますか、と毎日聞いていまして。今朝も」
「…」
「社長業を真面目にこなしていますとお伝えしています」
「社畜だとも加えておけ」
厚木は大手不動産会社の社長をしているが、二十五歳と若く、ほとんどお飾りである。そのうえ態度は横柄なので、重鎮たちからはすこぶる評判が悪い。
父が会長として目を光らせている間に、社長としての地位を確立できるかが厚木の課題である。
厚木が”藍”に立ち寄ったのは、それから一週間後だった。
ともだちにシェアしよう!