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第1話

 「俺はあなたのことをなんて呼べばいいでしょうか」  「はあ?」  蘭吉継は真顔で、親会社の社長である厚木聡実に聞いた。  吉継は、実業団に所属するバレーボールの選手であり、チーム内で起きたダイナミクス絡みの傷害事件の被害者だ。本人にあまり被害者意識はない。  厚木は第一発見者であることから、被害者である吉継の選手としてのサポート、ダイナミクスに関わる性の安定を名目に、私邸の一室を彼の療養のために明け渡していた。マスコミ避けである。  厚木は、吉継のことを少し頭が緩くておかしなやつだと思っている。  しかし、彼のSubとしての貪欲さと、被害者意識のない感受性の愚鈍さは、思いの外厚木の好みに合った。  「これからお世話になるので、どう呼べばいいのか気になりました」  初対面で、”ご主人様”と呼ぼうとしたことを思い出す。  「厚木でいい」  「わかりました厚木さん」  そう言って厚木に近づいて跪く。  「これからよろしくおねがいします」  足先にキスされた厚木は、虫酸が走るとはこういうことを言うのだという模範解答を得た。  吉継は、私邸の一つである”藍”に住まわせている。  ”藍”という名は、厚木の祖母が藍染めを気に入り付けた名前である。  他には、”柘榴”や”藤”など一貫性のない、思いつきで付けたと思われる名前の邸宅がある。    厚木は出社すると、一日のスケジュール確認をすることが日課だが、それに吉継の療養について経過報告を受けることが加わった。  「蘭さんは、本を読んだりストレッチをしたり、静かに過ごされています。体調面も良好です」  「ああ」  吉継は、今日から週に二回、療法士とプレイをしてSubの欲求を発散させることになっている。模範プレイを通じて、彼のSub性についての評価を行う。  厚木は吉継とプレイをしてみて直感的に、”頭がおかしい”と烙印を押したが、専門家の目を通せばまた違った評価が得られるだろう。  吉継に合ったプレイを提供し、Sub性の安定を図る。  その後、選手としてのサポートや職業の斡旋をする予定になっていた。  半年、長くても一年以内には社会復帰ができるだろうとの見立てである。  「今日から療法士が付くことは知っているのか」  「はい、厚木さんのことを気にしていました」  「俺を?」  「はい、どうしていますか、と毎日聞いていまして。今朝も」  「…」  「社長業を真面目にこなしていますとお伝えしています」  「社畜だとも加えておけ」  厚木は大手不動産会社の社長をしているが、二十五歳と若く、ほとんどお飾りである。そのうえ態度は横柄なので、重鎮たちからはすこぶる評判が悪い。  父が会長として目を光らせている間に、社長としての地位を確立できるかが厚木の課題である。  厚木が”藍”に立ち寄ったのは、それから一週間後だった。

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