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70 人影
「……結局さっきのは俺の気のせいだったのかな?」
「なにがだ? つけられてたってやつ?」
ことが終わり、下着姿のまま冷蔵庫から麦茶を取り出している翔の後ろ姿を見つめながら、ぶり返してきた不安を少し溢した。
「気のせいだよ」と俺は言ってほしかったのかもしれない。
「あぁ、俺が来た時には誰もいなかったように思えたけど、でも理玖が感じた気配は気のせいなんかじゃなかったんだろ?」
そう言って俺の顔を覗き込んでくる翔から少しだけ目を逸らす。翔といる安心感から、あの時に感じた恐怖心を無かったことにしようとしていたけど、正直言って不安は拭えていなかった。
「やっぱそうだよね……んん……嫌だな」
「大丈夫だよ。俺がいるし伊吹さんだってついてる。ここだってすぐに引き払うんだし」
過去にしてきた自分の行いに漠然と心当たりはあるものの、今更という気持ちが否めない。翔がいくら「大丈夫だ」と言ってくれても、仄暗い嫌な気配がじわじわと首を絞めてくるようだった。
翌朝、一旦家に帰るという翔を見送るため一緒に部屋を出た──
アパートの階段を下り、突然視界に入ってきた人影にどきりとする。その人物がパッと振り返った途端、俺の心臓はギュッと掴まれたように縮こまった。
薄汚れたアパートの壁に寄りかかるようにして立ち、陽の当たる爽やかな朝にそぐわない異質な空気を纏っている。覇気もなくただそこに突っ立って一点をじっと見つめていた女は、紛れもなく俺を捨て失踪していた母だった。驚きもさることながら、その母の姿が一緒に生活をしていた頃の姿とは全く違っていたことに俺は動揺を隠せない。艶のなくなった不揃いに伸び切った髪。以前はなかった白髪も目立つ。頬もこけ、体も一回りくらい小さくなったのではないかと思うほど痩せ細っていた。唯一の家族だったはずのこの人と目が合った瞬間、俺は恐怖心から小さな悲鳴に似た声をあげてしまった。
なぜ今更、母がここにいるのか理解に苦しむ。あの日、僅かな金だけを残し母が出て行ってからどれだけの年月が経過したか。もう俺の中ではこの人は「母親」なんかではなく、赤の他人だ。
「理玖……」
カサカサな声でそう言った母が一歩俺に近づいた。咄嗟に俺は翔を自分の背後に隠すように前に出る。この人に翔を会わせたらいけないと本能が警告していた。恐怖と動揺、そして湧き上がってくる怒りで俺は母から目が離せず、とにかくここにいる翔にどう言ったらいいのかパニックになりながら後ずさった。
昨晩のあの気配は母だったのか。「やっと……」と呟いたのを聞き逃さなかった俺は、ここしばらくの間ずっと俺のことをつけていたのは母だったのだと確信した。俺のことを監視していたのか、考えれば考えるほど気持ちが悪い。俺の只事じゃない様子に、庇われる形になっていた翔が前に出る。瞬間、驚くほど機敏に母は翔に向かって駆け出した。
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