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第3話 リロン

「マジで?俺、そっちに見える?こんなに女の子が好きなのに?じゃあ、男もトライしてみよっかな。いけるかな?いける気がするな」 ジロウはゲラゲラと笑いながらキッチンに消え、また新しいビールを手に戻ってきた。 やはりジロウは男に興味があるタイプではないのか。最初にリロンが感じていた通りである。 「…やっぱりね。女好きなのは、わかってたんだ。ジロウさんの香水はトムフォードのタバコバニラでしょ?だけど今はそれにファッキンファブュラスが混じってる。ファッキンファブュラスも同じトムフォードの香水だけど、女性と絡んできたから混じってる感じ。うーん、しかもその女性はジロウさんよりちょっと年上だね」 「すげぇ!よくわかったな」 「今日、昼過ぎ…15時頃あのホームに降りて、別の電車に乗り換えたよね?それで女性の香水を纏って上機嫌で夜に帰ってきたってわけでしょ」 タイプは違うが、リロンはジロウを同業者なのかもしれないと思った。 リロンの生業《なりわい》には名前はない。 頑張って名前をつけるならば、情人、愛人、ジゴロといったところだろう。 だけど、どの名前もピッタリと当てはまるものではない。それは、ご婦人と体の関係が無いからだ。 リロンの生業は、年上のご婦人に東京で拾われること。拾われたら自分の名前を伝え契約を結ぶ。ご婦人を寂しくさせないことが契約内容であり仕事だ。 ご婦人と生活を始めると、何も不自由することなく過ごせる。洋服も食べ物も寝起きする所も、何でも与えてくれていた。そして、寂しくさせない代わりに、教養やマナーを優しく教えてくれる。 楽しく食事を共に取り、時にキスをして、ベッドで一緒に寝て、パーティがあればエスコートする。それがリロンの生業だ。今、お世話になっていた人もそう。その前の人も、更にその前の人も同じだ。 そんな年上のご婦人たちが東京には多くいる。その人たちは、リロンのような若い男を飼うのが遊びだ。知識や教養、マナーを覚えさせる遊びをしている。それが彼女たちのステイタスであり、楽しみである。 そして共に生活をし、退屈させない、寂しくさせない。だけど、ご婦人たちのセックスの相手はしない。 ご婦人たちもリロンのように、綺麗で繊細で若く未熟な男にはセックスアピールを感じないため、セックスをする時は、色気があり、体力もあるそれ専門の男たちと他で潤している。 契約をしたご婦人とは、片時も離れずそばにいて同じ家で生活をするが、ご婦人から契約終了を言い渡されたら、後腐れなく即座に家を出て行く。ここまでが、ご婦人たちとの契約というものだった。 長い時は数年間、短い時は数ヶ月。その度に、リロンは東京の地下鉄駅ホームでご婦人たちと偶然知り合いになれるように、ジッとホームベンチに座り待っているのだった。 「リロン、すげえな。俺のことあの駅で見てた?一瞬のすれ違いで香水も当てて、絡んできた女の香水も年齢もわかるのか…」 ジロウは、腕を組み感心しているような顔でリロンを見る。 「ジロウさんだって、俺のこと見てたんでしょ?昼過ぎからあそこに座ってたなんて言うくらいだから」 「うん?ああ、見たよ。あの辺、ベンチに点々と座ってるよな、お前の同業者みたいな奴らが。六本木にもいるだろ?ちょっと毛色が違うタイプか、六本木だと。銀座はマダムたちが多いから、マダム狙いか?」 やっぱりそうか。ジロウはわかっていてリロンに声をかけていた。胡散臭い男だ。 「うん、まぁね…ジロウさんはそっち?」 リロンはジロウも同じだと思った。ジロウは、背が高くてワイルドであり、彫りが深い顔立ちのイケメンである。体型にも気をつけているようで、ワークアウトは欠かさず行っているのが服の上からでもわかった。 多分、セックスの方だ。ご婦人たちが求めるセックスを生業とする専門の方だと思い、そっち?と聞いた。 「そっちって?あっちとか、そっちとか、そんなのあの界隈にルールがあるのか?」 すっとぼけた感じでジロウがリロンに質問で返す。 「とぼけちゃって…ジロウさんくらいだと受け持ってる人いっぱいいるんじゃない?俺はそっちはやらないから、よくわかんないけど。自分の香水と相手の香水のブランドを合わせるワザを持ってるなんて、かなり高度なテクニックだと思うけど?」 寝る相手に合わせて香水まで考えるのはプロであり、男女の香水が混じり合ってひとつの匂いになるように、ジロウは計算していると感じる。 さすがだなと、賞賛するように言うとジロウは更に爆笑していた。 「お前、ウケる。人のことよく見てるようで、本当は全然見てないんだな」 大きな声で笑われ楽しそうにしているジロウを見て、リロンはカチンときてしまった。 「俺は誰よりも他人のことをよく観察してるよ。それが生業だしね。喋らなくても相手の気持ちを察して、サポートしてあげないといけないから」 リロンは他人をよく見ているからこそ、この生業で生活している。 色々なご婦人と契約してきた。どの人もリロンを可愛がり、教えてくれたことはたくさんある。教養やマナーが身につき、人との距離感や人の心の動きなど、瞬時に察することが出来るようになった。だからこそ、相手が何をして欲しいのか、ちょっとした仕草や声のトーンでわかるようになり、今ではそれが体に染み付いている。 「観察?そんなことしてどうすんだよ。言葉に出して伝え合わないとわかんないぜ?何か聞きたいことがあれば、観察なんてしないで、聞けばいいじゃん。コミュニケーションだろ?人と人は話をして分かり合えるんじゃないのか?」 「感情は言葉よりも、それ以外の手段の方が伝わりやすいって知ってる?例えば『7-38-55のルール』って言われてるやつ。話をしている相手に与える影響は、言語が7%、聴覚が38%、視覚が55%なんだって。だから誰かを口説こうとする時に、言葉で相手に伝わるのは、たった7%なんだよ」 「ふーん…それって割合の話だろ?言語のパーセントが少なくても言葉は必要だろうし。じゃあ、聴覚とか視覚ってなんだよ」 「動作とか、相手との間の取り方とか、表情とか。それとため息とか、声のトーンとか。だから言葉なんかより、それ以外のそんな手段の方が大切なんだよ。相手の気持ちを先回りして考えられるようなこと。だから俺は他人をよく観察してて、言葉以外の方を大切にしてる。ジロウさんだってそうでしょ?」 「そんな難しいこと考えて生活してんの?ジッと観察なんて、くっらぁ〜…お前、綺麗で涼しい顔して根は暗いんだな。でも、そっか…そうなのか、言葉よりもボディランゲージの方がパーセンテージは高い割合ってことは、いけるな…俺は無意識に成功してるかも。いつもボディランゲージ優先だからさ。可愛い子に会ったら連絡先聞いて、時間があればそのまま遊んじゃうし。言葉よりパッションよ。ノリ?っつうか、ボディランゲージが挨拶だしぃ?」 「いや、俺が言ってることと、だいぶ違うけど…」 暗いとは、初めて人から言われたことである。しかもジロウに向かい『あなたにはわからないでしょうが…』と、皮肉を込めて言い始めた観察力のことを、ジロウ的にはポジティブに受け止めたようだ。 ジロウは見た目のままラテンのノリ。そりゃ、ラテンからみたらリロンは暗いだろう。それでも、ここ日本では人並みだけどと思う。 何かまたシャッフルで曲流せよと、ジロウが言うのでスマホをテーブルの上に置き、音楽をシャッフルさせた。 SZAが流れ出す。 確かこれは失恋の曲だったはず。 ジロウは歌詞なんかお構いなしのようで、フォーッと声を上げ踊りながら、またキッチンに消えていく。 「お腹どお?いっぱいになった?何か他にも食べるか?」 「ううん。ありがとう、もうお腹いっぱいになったよ」 「OK!じゃあ、ワイン付き合えよ。そんで?お前のその暗い話をもっと聞かせてくれ」 ワインを手にしたジロウに誘われる。 「物好き…」 最終電車もないし、帰るところもないから今日だけは、ここで胡散臭いけどノリのいい男に付き合おうとリロンは決めた。

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