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第6話
「とっ捕まえろ!」
半グレが腰を上げるより早く、いちかばちかの賭けに打って出る。
お絞りを掴んで凍る悠馬の手からスマホをひったくり、テーブルをとびこえる。
「てめえ!」
ドアをぶち破った勢いで見張りをはねとばし、大音量の音楽が響く通路を全力疾走し出口をめざす。
余計な事をするんじゃなかったと今さら悔やんでも遅い。手遅れだ。
背後で怒号が炸裂し足音が殺到、殺気立った従業員と客たちが呼んでもないのにわらわら沸いて出る。
「何?泥棒?」
「予備の制服がなくなってる」
「部外者が紛れ込んだのか!?」
途中までは上手くいった。何食わぬ顔で従業員を装い、VIPルームに仕掛けた盗聴器を回収する計画だった。
まず最初にサウダージのサイトをハッキングし、従業員の個人情報を徹底的に調べ上げた。そのうちの一人が多額の借金を抱え、返済に追われているのを突き止めたのち接触。
報酬を払って手引きを頼み、裏口からまんまと潜入を果たしたまではいいものの、最後の最後にやらかした。後は盗聴器を回収して帰るだけだったのに……
悠馬と半グレが笑いながら見ていた胸糞悪い動画の断片がチラ付き、ぎりっと奥歯を噛み締める。
走りながらまどろっこしげにボタンを外し、片腕を振り抜いてベストを脱ぐ。
「スマホ返せ!」
「ぶっ殺してやる!」
サウダージのマップは事前に頭に叩き込んだ。従業員専用通路は一方通行、突き当たりのドアは裏路地に繋がっている。
風切る唸りを上げて飛来した酒瓶が耳朶を掠め、進行方向の床で割れ砕ける。
反射的にそばの消火器を掴み、バルブを全開にしたのち半グレ集団に向け噴射。
「ぎゃっ!」
「くそったれ、目が見えねえ!」
白い粉塵を浴び悶え苦しむ半グレ集団と悠馬の方へ、消火器を投げ飛ばす。
消火器を踏ん付けた連中がドミノ倒しに転ぶのに「よっしゃ」とガッツポーズ、裏口のドアを開けるや渾身の力で振り下ろされた鉄パイプが前髪を薙ぐ。
やっぱり先回りしていたか。
裏口で待ち伏せしていた残党が扇状に展開し、遊輔を包囲する。遅まきながら追い付いた悠馬が、肩で息をし詰め寄ってくる。
「誰だよおっさん。警察?スパイ?それとも」
「通りがかりの盗聴器セールスだよ」
「ンなもんがいてたまっか!」
「わかった落ち着け。お前が欲しいのはこのスマホだろ?俺だって命は惜しい、大人しく返すよ」
言うが早いか右手に握りこんだスマホを高く投げ上げる。チャンス到来。全員の視線が逸れた隙を突き、一番手前の若者の鳩尾を蹴り飛ばし、包囲網の綻びから転げだす。
悠馬が地面に突っ伏しスマホに飛び付くも、即座に表情が強張る。
「ふざけやがって、フェイクじゃねーか!」
「俺お得意のな」
こんな事もあろうかと用意してきたプリペイド携帯だ。中身は空っぽ。裏口は暗く、形状や大きさが似ていたからイケると踏んだ。
そろそろ潮時だ。
鉄パイプやゴム製の棍棒で武装した半グレの雪崩を躱し、ネオン瞬く表通りに飛び出す。
アスファルトを噛むタイヤの音が耳を劈き、目の前に滑り込んだ車の助手席が開く。
「乗ってください」
運転席に座った薫が笑顔で促す。助手席に飛び乗りドアを閉める。
「ナンバープレートは?」
「ご心配なく、すげ換えてます」
「犯罪じゃねえか」
「今さらでしょ」
「だな」
アクセルを踏んで車を出す。半グレたちが吹っ飛ばされて転がり、バックミラーの彼方に遠ざかっていく。
「Gを感じる」
「シートベルトちゃんと締めてくださいね。収穫は?」
「ほらよ」
ダッシュボードに戦利品を投げ出す。ハンドルを握る薫がチラリと目をやり口角を上げる。
「中村悠馬のスマホ?お手柄ですね」
「ヤベーもんが入ってる。あとで吸い出してくれ」
「了解しました。一言いいですか?」
「何」
「なんでベスト脱いじゃったんですか?遊輔さんのボーイ姿楽しみにしてたのに」
「お前を喜ばせんの癪だから」
苦々しげに吐き捨てリクライニングシートを倒す。
「意地悪ですね」
薫は遊輔から預かっていたスマホを返却する。窓の外を行き交うひとびともまた、皆俯いてスマホをいじっていた。
「服、後ろですよ」
「!ッで、腕攣った」
「運動不足ですね」
遊輔が苦労して後部シートに手を伸ばし、背広とズボンとシャツを引っ掴む。薫がシニカルな横顔を見せて呟く。
「……盗聴器仕掛けてくるだけでよかったのになんで欲張っちゃうかな」
「ありゃ事故だ」
「せっかく従業員のデータ引っ張ってきたのに。内通者が口割ったらどうするんですか?」
「大丈夫だよ偽名使ったし」
「防犯カメラにばっちり顔映っちゃってるじゃないですか。尻拭いする俺の身にもなってください」
「それなら問題ねえよ、連中の使用中はVIPルームのカメラ切ってある」
「え?」
虚を衝かれた薫に不敵な笑みを切り返す。
「違法ドラッグの取引現場が頭からケツまで映ってちゃやべーだろ?貸し切りで場所提供してる店も言い逃れできねえ」
「……なるほど」
「あの店はケルベロスがケツ持ちしてる。後ろ盾が損するこたしねーよ」
「通路のカメラは?」
「死角を通りゃごまかせる。事前に場所聞いてたし簡単簡単、仕上げに消火器ぶちまけた」
ダッシュボードに足をのせ、頭の後ろで手を組む遊輔を呆れ顔で見詰め、薫が苦笑いする。
「全く、逃げるのだけは上手ですね」
「だてに場数踏んでねえ」
「俺より十年余分に生きてますもんね」
「余分っていうな」
助手席でズボンを穿いて背広に袖を通す。その際ソフトパックのハイライトが零れ、ごく自然な手付きで一本抜いて唇に挟む。すかさず待ったがかかった。
「禁煙です」
「大目に見ろって」
「俺の車なんで。匂いとか付くの嫌なんですよ」
さらに追い討ちをかけられ、だらけきって背凭れをずり落ちていく。
「ハードな取材やり遂げたんだぜ?ちょっとは労え」
「好きでやってるんでしょ」
風祭遊輔と富樫薫の腐れ縁は一年前にはじまった。以来彼等はチームを組み、司法の裁きを逃れた権力者の犯罪を暴き続けている。
人呼んでバンダースナッチ。群にして個、個にして群の怪物。
「頼む、ニコチン補給しねーと禁断症状でるんだ」
「どんな?」
「貧乏揺すりとか手の震えとか。あとそうだ過呼吸」
「全然元気そうですけど」
「ッぐ、はーっ苦しい!」
胸をかいてもがき苦しむ遊輔に対し、あくまで冷静に薫が説明する。
「でしたら心療内科でやってる禁煙プログラムおすすめしますね、補助薬のニコチンパッチとバレニクリンには保険が適用されるようです。国民保険は入ってますか?支払い延滞したりは」
いらだちまぎれにダッシュボードを蹴り付ける。
「かわいくねーガキ」
「大人げない大人」
ふてくされる遊輔とは対照的に、彼を眺める薫の横顔には、ダメ男を甘やかしてもっとダメにする人たらしの笑みが揺蕩っていた。
フレームインしたそばから夜闇に乗じ後方に流れ去る雑踏が、儚い残像と化してテールランプに滲む。
助手席の窓が映し出すのは落ち目のホストとインテリヤクザを足して割ったような、やさぐれた見た目の三十路男。
その肩越しにチラ付くのは、色男と優男のバランスが完璧にとれたイケメンだ。
遊輔が皮肉っぽく独白する。
「タイトル付けんなら使用前・使用後だな」
「何のですか」
「……煙草?」
「やっぱ禁煙しましょうよ」
「できりゃとっくにやってる」
自分はもう手遅れなのだ、きっと。
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