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第8話
― 新宿二丁目バー『Lewis』 ―
間接照明がムーディーに演出するカウンターにて、バーテンダーの制服に着替えた薫がギャル二人組を接待する。
「口コミ読んでずっと来てみたかったの」
「若くてイケメンの店員さんがいるってホントだったんだ~足のばした甲斐あったね」
「ありがとうございます。普段はどこで飲んでるんですか」
「渋谷かな」
「柑橘系の甘口カクテルが好きなの、ジュースみたいに飲めるでしょ。ほらアレなんてったっけ、カオス……」
「カシスオレンジ?」
「そーそー」
「じゃあファジーネーブルはいかがでしょうか?カクテルというよりフレッシュジュースみたいに飲み口爽やかでイケますよ、色も綺麗で女の子人気高いし。ピーチリキュールとオレンジジュースがベースでアルコール度数は5パーセントです」
「わ~おいしそ~それにする!」
「私はクリーミーなのがいいな~」
「でしたらモーツァルトミルクをおすすめします、チョコリキュールと牛乳を混ぜて作るチョコ味のカクテルでアルコール度数は8パーセント以下」
「モーツァルトって音楽室の肖像の?」
「変な名前~」
「モーツァルトの生まれ故郷のオーストリア・ザルツブルクで製造されたそうです。他にもモーツアルトアイスクリームやモーツアルトミルクシェークなんかがありますよ、飲んでみますか」
「飲む飲む!」
頬を染め感嘆符を連発する女の子たちに対し、薫が「かしこまりました」と甘い笑顔を向ける。
それを観察していたママがきっぱり断言する。
「薫くんは天然たらしね。あの子を採用してから女の子のお客さんが急増したわ、みんなレビューにホイホイ釣られてくるのよ。女子ってほら、メンクイでミーハーでしょ?まだ若いのに知識が豊富で腕も確か、拾い物だわ」
「そのレビューママが仕込んだサクラじゃねえの」
「失礼ねェ、ガチでマジな評価よ」
ドヤ顔で得意がるママをよそに、遊輔はカウンターの端でウィスキーの水割りを飲んでいた。記者になりたての頃から通ってるせいかお互い気心知れており、遠慮なく軽口交わせる間柄だ。
女の子たちにカクテルを出して戻ってきた薫が、あきれ顔で遊輔を見下ろす。
「飲みすぎじゃないですか。少しは自制してください」
「るっせ」
「店のツケで飲むお酒はおいしいですか」
「酒は酒、それ以上でも以下でもねえ。要は酔えりゃいんだよ」
「本ッ当どうしようもない男ねェ、結婚できないわけだわ。聞いた薫くん、遊輔ちゃんが大学の時付き合ってた元カノの話」
「いえ。なんかあったんですか」
ママが薫に耳打ちするのを遮り、まだ中身が入ったグラスの底をカウンターに叩き付ける。その後無言で背広の懐から一通のハガキを取り出し、滑らす。
ハガキを手に取った薫が無表情にコメントする。
「拝啓お日柄も良く云々……風祭遊輔様宛の結婚式の招待状ですね」
「そうだよ」
「元カノが結婚するからヤケ酒飲んでるんですか?うわぁ」
「『うわぁ』とかいうな」
「実際引くわよ、三十路で独身の男が何年も前に別れた元カノの事引きずってるなんて。そんなにいい女だったの?」
辛辣なツッコミに渋面を作り、ぬるくなった酒をちびちびなめる。
「別に将来考えてたとかじゃねェけど、今でもたまに会ってラブホ行く仲」
「ちょっと待って、付き合ってたのって大学の時ですよね」
「そうだけど」
「別れた原因は」
「俺の浮気とギャンブル癖。麻雀で負け込んだのがまずかった」
「お金借りたりしてないですよね」
遊輔が右手の五本指を立てる。しめて五万円。
「最低じゃないですか」
薫とママの顔に軽蔑が浮かぶ。遊輔がむきになり反論する。
「あっちも浮気してたぜ、お互い様じゃん」
「それから何年もずるずると……」
「都合よい女が都合よい男と都合よいセックスしてたんですね」
眉をひそめるママの隣で磨いたグラスを照明に翳し、退屈げに薫が呟く。
「本当に彼女だったんですか。セフレじゃないんですか」
「ちゃんと付き合ってたって」
「デートはどこに?」
「サイゼリヤ」
「出た、彼女をサイゼリヤに連れてく男」
「叙々苑にも行ったって俺のおごりで。金欠の時はおごってもらったけど」
「遊輔さんが金欠じゃない時ってあるんですか?やっぱりセフレですよそれ」
「この際セフレかどうかはどうでもいい」
「どうでもよくはないですよ」
「相変わらず倫理観死んでるわね、そんなんだからマスゴミ呼ばわりされちゃうのよ」
太いため息を吐いて去っていくママを見送り、鮮やかな手付きでシェイカーを振りだす。遊輔がしゃっくりをあげる。
「元同級生がどんどん身ィ固めておいてかれる気持ちわかるか?頼んでもねーのに子供の写真プリントした年賀はがき送り付けられんだぞ」
「年賀状くれる友達いたんですね」
「二・三枚は来る」
「在庫を処分したかったんでしょうね。結婚式は行くんですか」
向こうに座った女の子たちがカクテルを飲むのも忘れ、シェイカーを攪拌する薫に見とれる。
何をやっても嫌味な位絵になるヤツだ。
「披露宴は高級ホテルのホール貸し切り。一食浮くのは魅力だな」
「結構ショック受けてます?」
いまさらすぎる質問に苦笑してグラスに口付け、からなのに舌打ちをもらす。
遊輔には結婚願望がない。
恋人と家庭を持ちたいなどと終ぞ思った事はないし、好きな時に好きな女と遊べる生活を楽しんでいるが、三十をこえた頃から将来に対し漠然とした不安が付き纏うようになったのは否定できない。
「アイツ、でき婚だとさ」
肩口でシェイカーを構えた手が一瞬止まり、スムーズに再開される。
「心当たりは」
「ゴムしてたっての」
「外に出すのを避妊と勘違いしてる人種じゃなくて安心しました」
「人の親になるようなガラじゃねーしなれるとも思わねー」
「お父さんやってる遊輔さん、意外と似合いそうですよ」
「気持ち悪ィこと言うな」
「ああそっか、このさき一生誰とも結婚せず一人で生きて死んでくこと考えてセンチメンタルになっちゃったんですね。孤独死の相が浮かんでますもんね」
嫌なヤツ。
「見透かすんじゃねェよ。てか孤独死の相ってなんだ」
「その顔ですよ。ちゃんと寝てますか、また隈が濃くなってる」
「ほっとけ、目付きの悪さは生まれ付きだ」
腕枕の上に顎を置いて唸る。
遊輔は無造作にはねた黒髪と自堕落なスーツの着崩しが様になる塩顔の色男で、水商売の女にモテた。「落ち目のホストとインテリヤクザを足して割ったような見た目」と評したのはママだったか薫だったか、悔しいがその通りだ。
仏頂面で睨みを利かす遊輔に「図星か」とひとりごち、シェイカーを傾けて新しいグラスに中身を注ぎ、店の名前が印刷されたコースターを敷いて出す。すかさず指摘する。
「頼んでねえぞ」
「労えって言ったでしょ。おごりです」
薫が微笑んで促し、遊輔は澱んだカウンターを見下ろす。ライムの輪切りをグラスの縁に挟んだ、鮮やかなオレンジ色のカクテルだ。
「ノンアルかよ」
憎まれ口を叩いてストローを回す遊輔に、博識なバーテンが蘊蓄をたれる。
「シャーリー・テンプルはアメリカの人気子役にちなんだカクテルです。結婚後の名前にちなんだ、シャーリー・テンプル・ブラックのバリエーションも存在します」
「ウオッカをたらしゃダーティー・シャーリーになる」
大人の欲望で汚された少女たちに。
薫が言いたい事がわかった。遊輔はグラスを掴んで掲げ、一気に干す。青年がカウンターに身を乗り出し、耳元で低く囁く。
「勅使河原聖改め勅使河原誠の俳優生命はおしまいです。警察には匿名でタレこんでおきましたんで、近々本格的に捜査が始まるでしょうね。彼と仲良しの警視庁のお偉いさんも逃げられない」
富樫薫の本業はハッカーだ。それも凄腕の。遊輔はスマホを見、匿名掲示板のスレッドやSNSの反応をあらためていく。
『バンダースナッチ』の動画を視聴した連中は悪口雑言を尽くし、勅使河原聖を袋叩きにしていた。
「遊輔さんが頑張って張り込んでくれたからいい画が撮れました。百聞は一見にしかずですね」
「お前の手柄だろ」
「俺たちの手柄ですよ」
律儀な訂正に鼻白む。眼鏡のレンズに液晶の青白い光が反射し、横顔を翳らす。
「余罪がたんまりあったんで続々証拠が上がってますね。被害者の子も数人名乗り出たし、しばらく祭りが続きそうです」
ただのパパ活ならほうっておいた。ほうっておけなくなったのは勅使河原が中学生に手を出し、東南アジアの貧しい少女たちを買っている事実を掴んだから。
彼女たちは親に売られたのだ。
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