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第11話
世の中には二種類のハッカーがいる。ホワイトハッカーとブラックハットハッカーだ。
情報システムやインターネット、ハードウェアの機構に精通し、高度な技術と専門的な知識を持っているのが共通点。
しかしホワイトハッカーが企業に雇われ、時に政府や警察と組んで犯罪者の追跡にあたるのと対照的に、ブラックハットハッカーことクラッカーはハッキングに愉快犯的喜びを見出し、ストレス発散や腕試しをかねセキュリティに攻撃を仕掛けるため、その幼稚な精神性からスクリプトキディ……「スクリプト使いのお子様」とも揶揄される。
「お前はどっち?」
「灰色ですね」
二人が『フェアリー・フェラーの神業 #3』を視聴してから三日が経過した。
新宿二丁目バー『Lewis』。
時刻は夜2時、ドアノブに掛かった看板は「closed」に裏返されている。
ほろ酔い加減のママは終電に間に合うよう退勤し、片付いた店内には遊輔と薫しかいない。
隣り合ったスツールに腰掛け、遊輔はスマホを見返し、薫は愛用のノートパソコンのキーを叩く。立てたふたにはホットドッグを擬犬化した、謎のゆるキャラのステッカーが貼ってあった。
遊輔が咥え煙草の先を揺らし、キーからキーへ飛び移る薫の手元を覗き込む。
「前から気になってたんだけど」
「なんなりと」
「その変な犬のシールどこで売ってんの。ヴィレッジヴァンガード?」
ホットドッグが「BAW!」と吹き出しで吠える、ノートパソコンに顎をしゃくる。
「駆け出しイラストレーターの友人からの貰い物です」
「パソコンは?自分で作ったの」
「一からパーツ集めて組み立てるのはコスパ悪いし現実的じゃないですね。市販の組み立てキットやベアボーンキットを使えばできなくないけど、BTOノートパソコンをカスタマイズしたほうが早いんじゃないかな」
「何言ってんだかさっぱりわかんねえ」
「でしょうね」
「馬鹿にしてる?」
「無知で可愛いなあって和みました」
画面を見たまま微笑む。何十人もの女性客を虜にしてきた笑顔。
「ハッカーっていやお手製のパソコン使ってる偏見あっけど、案外そうでもねーのな」
「デスクトップは自作ですよ、夏休みの自由研究として提出したんです」
「待てよ何歳で?」
「小五の時に。学校まで持ってくの大変だったなあ、後で他のにすればよかったって反省しました」
「早熟」
液晶の照り返しを受けた瞳が青く冴え、眇めた眼差しが冷え込む。
「電気工学の専門卒の父の影響でしょうか。その後仕事が決まらずぶらぶらしてた所をスカウトされ芸能界入り……蓮見尊の経歴はいまさら説明するまでもないか」
後半は単なる独り言。薫が父親の話に言及するたび、遊輔はきまってバツ悪げに黙り込む。くだらない罪悪感のせいだ。
富樫薫の父親である実力派俳優・|蓮見尊《はすみたける》は、数年前に風祭遊輔に殺された。
遊輔は知り合いの風俗嬢に接触し、愛妻家で知られた尊の不倫記事をでっち上げ、そして……。
苦りきって煙草を噛み締める遊輔に、薫が意味深な流し目を送ってよこす。
「父がベランダから飛んだのは遊輔さんのせいじゃありませんよ」
鬱屈した考えを見抜いたように言い、そっけなく付け足す。
「もともと弱い人だったんです。植え込みからズレた場所に落ちたのもツイてなかった」
父親の最期を語る口調は淡々としていた。いっそ無関心に聞こえるほどに。
今を遡ること一年前、薫によって『Lewis』に監禁された遊輔は取引を持ちかけられた。
世の中にはびこる不正を憎み、復讐の一念に取り憑かれた薫は、自分の手足となり走り回ってくれるパートナーをさがしていたのだ。
蓮見尊をフェイクニュースで自殺に追い込んだ負い目がなければ、その息子の誘いなど断っていたかもしれない。
「……」
薫に対しひねた態度をとり続けているのは、遺族への後ろめたさをごまかすため。心のどこかでバンダースナッチの活動を罪滅ぼしとさえ考えている。
ネガティブ思考の汚染を避け、茶化す口調で話を替える。
「お前くらい腕が確かならアノニマスだって入れたのによ」
アノニマスは英語圏の匿名掲示板「4chan」を起源とするハッカー集団だ。サイバー空間のハクティビストを自称する彼等は社会的・政治的大義名分に則り行動する。余談ながらハクティビストとはハッカーと|活動家《アクティビスト》を掛け合わせた造語をさす。
薫があざやかにマウスをクリックし、唄うような節回しで呟く。
「我々はアノニマス。我々はレギオン。許さない。忘れない。待っていろ。厨二心をくすぐる合言葉ですね」
「|バンダースナッチ《うち》の口上もこっぱずかしさじゃどっこいどっこいだろ」
「幕開けはハッタリ利かせなきゃ視聴者の心を掴めません」
「ガイ・フォークスのマスクは気に入らねえか」
「うさぎの方が可愛いでしょ?スレンダーマンの仮装でパレードするのは楽しそうですけど」
「アラブの春に起因する反戦活動からネットいじめ主犯の晒し上げまで手広くやってるぜやっこさんたち」
遊輔が引用したのはカナダの女子学生が執拗なネットストーキングを受け自殺に追いやられた事件。アノニマスはいじめの主犯格の情報を全世界に公開し、被害者の仇を討った。
そのため一部では英雄視する向きもあるが、薫は異なる見解を持っているようだ。
「どれだけクズな犯罪者でも、正義を騙って集団で袋叩きにするのは好きじゃありません」
「どの口で……」
あきれる遊輔に対し限りなく笑顔を薄める。
「自分がクズだって知ってるクズの方が好感持てません?正義の味方だと思い上がった偽善者よりも」
「開き直んのもタチ悪ィぞ」
「私怨の正当化を正義と呼ぶのは欺瞞です。大前提として俺たちがやってる行為はれっきとした犯罪であるのをお忘れなく」
毒をもって毒を制し、悪をもって悪を誅す。
「俺の|相棒《共犯》は遊輔さんだけです。世間は外野に回ればいい」
結果的にリンチしてるじゃねえかよ、とは突っ込まずにおく。
人のこと言えた義理じゃねえが、コイツの正義感もだいぶ歪んでる。
優雅な手付きでキーボードを打鍵し、物憂げに口を開く。
「あれから俺なりに情報を集めました。中村悠馬が入手したスナッフフィルムは、ダークウェブのその手のサイトで取引されてたみたいですね」
「猟奇趣味の変態どものたまり場か。反吐がでる」
「記者ならn番部屋は当然ご存じですよね」
「胸糞悪ィ」
n番部屋事件とは2018年から2020年にかけ、韓国で起きた大規模サイバー犯罪。n番部屋と呼ばれる会員制サイトで児童ポルノや猟奇的な動画がやりとりされ、被害者数は当局が把握しているだけで880人に上る。
「女の股に蜘蛛突っ込んだり便器なめさす動画に鼻息荒げるなんざイカレてんね」
「だけどアレが存在した以上、後継サイトが生まれるのは簡単に想像付くでしょ」
「無法地帯だな。で、撮影者は?」
「残念ながらそこまで辿れませんでした、ガード固くて。海外のサーバー噛ませてますね」
「イコール殺人者なら身元が割れるようなヘマしねえか」
軽やかにインターキーを押したところ、真っ黒な背景に赤い字で「RED RUM」のタイトルが登場。オルゴール風にアレンジされたメリーさんの羊が流れ、もこもこした羊のGIFがのんびり横切っていく。
「レッドラムなのに赤くねえじゃん」
遊輔がケチを付ける。
「少々お待ちを」
牧歌的な旋律が突然狂いだし、一音一音が歪んで伸びきり、中央で止まった羊が爆発した。
「げ」
眼鏡がずり落ちる。
「赤くなりました」
陰惨に転調した音楽に合わせ、目玉と臓物がはみでたグロ羊がメーメー鳴きまくる。体毛は血で真っ赤。
「RUMだと思ったらBOMかよ」
「逆から読むと|murderer《人殺し》」
「お約束だなおい」
「トップのスレッド見てください、ここに投稿されてました」
「トピ主の名前は?」
「|妖精の木こり《フェアリー・フェラー》……本人かな。レスとか一切してないんで人となりは全くわかりませんけど」
しぶしぶ画面に目をやれば、青年が拷問・解体される動画に|匿名の集団《アノニマス》が狂喜していた。
『フェアリーフェラーの新作キタ!!』『待ってました』『野郎はイラネ。チェンジ』『フェイクじゃねえの』『加工した痕跡ねえぞ』『血とかモツとか生っぽい』
「全員下水に流してえ」
不愉快そうに吐き捨て、できれば否定してほしそうに聞く。
「ハンドルネームはクイーンのパクリ?」
「だと思います。動画でもかかってたし」
「ファンなのかー……」
「分母が大きければ一人二人異常者もまじってますって」
「フォローになってねえし」
「猫が好きな人に悪い人はいないって思い込んでるタイプですか?偏見ですよそれ、猫を溺愛する殺人鬼もクイーンが好きな殺人鬼も世の中普通にいますから。日和った先入観は捨ててください」
「猫好きな悪党はいてもいいけどクイーン狂いがガチの狂人はやなんだよ」
往生際悪い戯言を聞き流し鉄の洋梨をズーム。
「フェアリーフェラーはこれを彼に……」
薫が淡い嫌悪を眉間に刻む。
遊輔が度し難げに唸る。
「犯人はゲイのサディストかよくそったれ。入手経路からヤサ辿れねーか、中世の拷問具ならオークションに出品されて」
「レプリカですよ」
「だよな……」
「そっちは?何か掴んだんでしょ」
煙草を指の間に預け、せっかちに液晶をタップ。
「とりまここ一年の変死事件洗ってみた。候補ん中から男・推定年齢十代後半・拷問および性的暴行の痕跡ありで絞り込むと」
次に飛んだニュースサイトには、昨年十月に奥多摩の山林で死体となり発見された青年の記事が載っていた。
「被害者の名前は間宮春人十八歳、新宿在住のフリーター改め売り専の男娼。パパ活で荒稼ぎしてたみてえだな」
「犯人は逮捕されてないんですか」
「既婚の恋人が疑われたけどアリバイあったんであっさり釈放。てか覚えてるわこの事件、結構騒ぎになった。内容が内容だけに早い段階で規制敷かれて鎮火したけど」
大手新聞ならびにテレビは詳細を伏せたものの一部週刊誌や匿名掲示板に検屍結果が漏れ、何かのリンチじゃないか、はたまたシリアルキラーの手にかかったのではと当時は噂になった。
「動画の子、ネットに流出した写真と同じ顔だ。警察はこのこと」
「そりゃ掴んでんだろ、サイバー犯罪捜索班もアホじゃねえ。けど」
投稿された日付は一か月前。
間宮春人の死体発見から数えたら、もうすぐ一年がたとうとしている。
「一年以上犯人はフリーだった」
「証拠隠滅の時間はたっぷりあった」
「最悪引っ越しちまったかも。何より気になんのはナンバリング」
遊輔が三本指を立てる。
薫が無表情に続く。
「『フェアリー・フェラーの神業 #3』」
「間宮春人が三番目だとしたら、一番目と二番目がどこかにいる」
「連続殺人……」
厄介なことになった。
口には出さずに思い、現在進行系で増殖し続けるスレッドのログを漁り始める。
「第一弾第二弾をさがしてみます。フェアリーフェラーの慎重さを踏まえると、少なくとも数年のブランクはおくでしょうね」
「今度は十年遡って似た事件を洗い出すよ。間宮が最後に目撃されたバーにも行ってみる、近くにあんだ」
「わかるんですか?」
「超クールですげー記者だから」
しれっと答えてスマホをいじり、微妙な沈黙に耐えかねネタばらし。
「……なんて。ここに店の名前が書いてあったんだよ」
「間宮のSNS?」
プロフィールの写真はVサインする春人。タイムラインには行き付けのバーで仲間と撮った写真が何枚も投稿されている。隣に映ってるのが恋人の会社員だろうか、髭面のマスターに肩を抱かれ乾杯する青年に死相は見てとれない。
「コミュ力高そうですね」
「見習いてェな」
のんきな感想を挟んでさらに遡る。ツイートの頻度は一日二・三回程度、投稿されているのは他愛ない日常の呟きばかりだ。
『駐車場にねこ発見。ツナ缶やった。でっかくなれよ』
『はあ~幸せになりたい~』
『おかんから不在着信。うざっ』
『俺ってホント男見る目ない』
『ママに酒おごってもらった。おおきに、愛しとるで~』
『幼馴染から愚痴メール。地元のダチで連絡取り合ってるのはコイツだけ。上京してこい、泊めたるw』
一年前に途切れたツイートを見下ろし、遊輔が大胆不敵な計画を思い付く。
「お前二十二だよな」
「それが何か」
「間宮春人は十八で死んだ」
「若いですね」
「髪染めてちゃらちゃらしてっから結構大人っぽく見えるよな。はたち位に」
「言われてみれば……」
「二歳なら頑張りゃごまかせる」
薫が片眉を上げる。
遊輔がほくそ笑む。
「演技に自信あるか」
「遊輔さんよりは」
「いちいち引き合いにだすんじゃねーよ」
「ちょっと耳貸せ」と上向きに指を曲げる遊輔の方へ、好奇心と疑念を等分した表情で体を倒す。
その目がまん丸くなる。
「本気で言ってます?」
「犯人は現場に戻るのがミステリーの鉄則」
「リアルとフィクション混同しちゃだめですよ」
「記者の経験則だよ。知ってるか、放火犯は高い確率で野次馬に紛れてるんだ。現場の状況をコントロールするのが連中の快楽なんだ」
「相手は殺人犯です」
「んじゃシリアルキラーの困った習性に言い換えるわ。全員たあ言わねえが、犯罪者ってのは自分が与えた影響の程度を知りたがる業深ェ人種なわけよ。そこに付け込む」
間宮春人の動画を祭り上げるスレッドを睨む。
「おかしいと思わねえか、なんで今んなって動画が公開された?」
「みんな事件を忘れたから……」
「一周忌だよ」
眼鏡の奥の目はぎらぎら怒りに燃えていた。
「間宮殺しから先月でちょうど一年だから、時効だと思って動画を公開しやがったのさ」
あるいは記念に。
勝利宣言として。
「けどな、間宮のダチや知り合いん中じゃまだ時効がきてねえ。死体が発見されたのは十月十一日、今から一週間後だ」
遊輔は犯罪者の心理に造詣が深い。長年様々な人物に取材を重ねる中で、ある種のサイコパスに似通った傾向を掴んだ。
即ち目立ちたがり屋。
自己顕示欲のかたまり。
「間宮の葬儀は関西の実家で行われたらしい。喪主はお袋さん。東京の知り合いが出た可能性は低い」
「上京に至った背景や故人の仕事を考えれば納得ですね」
間宮春人は卒業式の夜にゲイだとカミングアウトし、激しい口論の末地元を飛び出した。母親の心情を忖度すれば、故人が男漁りしたゲイバーの関係者が参列するとは考えにくい。
「仕込みはまかせとけ」
自信満々にドヤる遊輔に今度は薫が詰め寄り、きっぱり言った。
「一人でカッコ付けないでください。俺も同行します」
「は?」
「『は?』じゃないですよ」
「なんで来んの?東京で待ってろよ」
「俺がいた方が絶対コスパいいですよ、小回り利きますし。遊輔さんの後輩のアシスタントカメラマンって設定にしましょ」
「若すぎる」
「新卒採用です」
「カメラは?」
「貸してください」
「ええ~……」
翌日、ふたりは新幹線にのり間宮春人の故郷に向かった。
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