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第12話

大阪の中心地から在来線で二時間の寂れた駅。 申し訳程度の広さのロータリーには疎らにタクシーが止まり、その向こうにアーケードを戴いたシャッター商店街が延びている。昼にもかかわらず活気に乏しいのは再開発の失敗で過疎化が進んだせいだろうか。 季節は十月中旬。 秋から冬に移り行く気候も影響し、乾いた青空の下の街路樹は立ち枯れ、街全体がくすんだ色合いに沈んでいる。ガードレールのペンキは剥げ、道路に敷かれたアスファルトは所々ひび割れていた。 日本のどこにでもある、不景気が終わる兆しのないうらぶれた地方都市の風景。 例外的に繁盛しているのはパチンコ店で、自動ドアの開閉の都度軽薄な音楽が溢れ出す。 黒いストラップを首に通し、一眼レフカメラを持った薫が不満を述べる。 「タクシーの方が早かったのに」 「だって高ェじゃん、経費はなるたけ節約しねーと」 生あくびする遊輔の傍らでスマホの時刻を確認する。 「日帰りはキツいかもしれませんね。ビジネスホテルとります?」 「カプセルホテルで十分」 「寝返り打てるかなあ」 「余裕余裕」 「遊輔さんはいいですよ、電車の中じゃずっと俺の肩枕で寝てたんだから。前に立ってた女子高生にくすくす笑われてたの気付きませんでした?」 「マジ?担いでんだろ」 「動画撮られなかっただけラッキーでしょ」 遊輔がスマホを取り出し、電話帳の履歴を確かめる。 「まだ三十分位あるな。時間潰すか」 「間宮の母親は在宅なんですか」 「今日はパートが休みで一日中家にいるんだとさ。取材も快く受けてくれたよ」 「時間潰すってどこで?」 「商店街に行きゃ喫茶店あるんじゃねえか。小腹すいたしなんか食ってこうぜ、サンドイッチとかナポリタンとか」 「メニューが昭和」 「うるせえぞ外資系カフェの回しもんが、てめえはスタバでスタンバってろ」 「突っ込み待ち?」 「忘れろ」 「普通に喫茶店位行きますって。吉祥寺の駅近にフルーツトーストがおいしいお店があるんですよ」 「女子力高ェ」 遊輔が自分の両手を見下ろし動揺。 「やべ、菓子折りおいてきちまった」 「だから下りる時に気を付けろってあれほど」 「お前が早くしねーと出ちまうって急かすからだろ」 薫が回れ右し、たった今出てきた改札へ戻っていく。 「駅員さんに言って次の駅で回収してもらいます」 「名案がある」 インテリ気取りの勝負師の視線が、派手な電飾瞬くパチンコ店に吸い込まれていく。 「三十分ありゃ楽勝」 「正気ですか?はるばる関西まで来て?軍資金スるだけですよ」 「はなから負けるって決め付けんな、今日は珍しく調子がいい、勝てそうな気がするんだ。波にノってるっていうのかな、テンション上げ上げで……わかんねーだろうなあ素人には」 遊輔がくいくい右手を回す。 薫の目が据わる。 「いい加減ギャンブル運に見放されてるって自覚してくださいよ、取材対象に会いに行く前にパチンコ寄る記者なんて聞いたことありません」 「景気付け。まあ見てろ、手土産になりそうな景品かっさらってくるからさ」 自信満々ドヤ顔で宣言し、肩で風切り店へ赴く。自動ドアをくぐる間際に振り返る。 「お前もやる?」 「遠慮します」 「あっそ」 誘いを断り店の前で待機。遊輔に付き合わなかったのはギャンブルにさっぱり興味がないから。加えて相方が夢中になり時間を忘れた時に連れ戻す係が必要だ。 自動ドアのガラス越しに覗けば遊輔は右から三番目のパチンコ台に陣取り、せっかちにハンドルを回していた。全席禁煙なため煙草が喫えずいらだってる。 戯れにカメラを掲げファインダーを覗く。摘まみを回し照準をズーム、やさぐれた横顔をアップでとらえる。 シャッターを押そうか押すまいか迷い、ひとまずやめておく。 店内には大音量のアニメソングが流れていた。遊輔のもとまでシャッター音が響く心配はないにせよアレで妙に勘が鋭い、盗撮がバレたら面倒だ。 ふと視線に気付いてカメラを下ろせば、灰色のブルゾンを着込んだ中年男が胡散臭げに薫を眺めていた。 薫は爽やかな笑顔で会釈する。 「お邪魔でしたか。どうぞ」 脇にどいて促す。 中年男が首を傾げる。 「興信所の人?」 「ただのパパラッチです」 「芸能人でもおるんか」 「俺の推しって意味ではそうですね」 「所有格とは恐れ入ったで」 中年男が「どれどれ」と面白がり首を伸ばす。薫の視線を追って遊輔に行き着くなり、酒焼けした赤ら顔に特大の疑問符が浮かぶ。 「随分とうが立っとるな。ジャニーズ崩れの売れへん俳優かなんか?Vシネの若手て言われた方がまだ納得や」 「メディアには露出してないんです。むしろ中の人っていうか」 「何やってんだお前ら」 「おかえりなさい遊輔さん」 立ち話中に遊輔が割って入り、腕に抱いた紙袋の片方を薫に押し付ける。さらにはもう片方の中を無造作にかき回し、得意げに戦利品を見せびらかす。 「じゃん」 「お徳用キットカットとカントリーマアムとランドグシャ?」 「魚肉ソーセージもある。元カノが輪切りで炒めて家庭的なチャーハン作ってくれたのよ」 「これを間宮春人の母親に?」 「質より量ってことで。紙袋まんまはまずいか?ラッピングしてもらえねーかな無料で」 パチンコで勝った遊輔は上機嫌。 「パチカスアイドルかい、しょうもな」 中年男は興ざめして店内へ消えていき、薫は膨らんだ紙袋を持ち直す。 店を後にした二人は道なりに歩き、貧相なドブ川沿いに佇む古いアパートに辿り着く。 「ここですか」 「ぼろい」 錆びた鉄筋階段をのぼり、203号室のドア横のインターホンを押せばか細い声が漏れてきた。 「どなたでしょうか」 「本日午後二時にお約束した『週刊リアル』の風祭です。間宮さんのお宅ですよね」 「少々お待ちください」 ほどなくロックが外れ、おずおずドアが開け放たれる。細い隙間から覗いているのは、毛玉だらけのセーターに身を包んだ中年女。来客を迎えるために慌てて化粧したのだろうか、ひっ詰め髪にちらほらまじった白髪を差し引いても四十代前半に見える。 「そちらの方は?」 「助手兼カメラマンの富樫です。本日は貴重なお時間をとってくださりありがとうございます。これ景品、もとい粗品ですが」 「まあそんな、気ィ遣てくれへんでもよかったのに。すいませんねえ、むさ苦しいとこですがどうぞ上がってください」 「どうも」 「失礼します」 ドアを押し開けた母親に通され、玄関で靴を脱ぐ。 よく片付いた室内は倹約を旨とする質素な暮らしぶりを窺わせた。奥の和室にはプラスチックの収納ケースと折り畳み式ローテーブルがあり、手前の台所には貰い物らしい猫の写真のカレンダーが掛かっている。本棚に雑に突っ込まれた少年漫画の単行本は春人が買い集めたのだろうか、どこもかしこも擦り切れた生活感が滲んでいた。 中でも一際目を引いたのは、箪笥の上に飾られた遺影と骨壺と線香立て。 「納骨はまだ?」 「勘当されとりまして。ホンマは実家の墓に入れてあげたいんですけどね」 失言だった。 春人の母親は和美といった。 腰を曲げお辞儀したのち、「週刊リアル記者 風祭遊輔」と印刷された名刺を渡す。 「ご丁寧にどうも。座ってください」 「お言葉に甘えて。スーパーにお勤めなんですよね」 「惣菜コーナーで働いてます、今日はお休みをいただきました。お茶と紅茶どっちにします?」 「おかまいなく」 「お茶を」 「かしこまりました」 薫の辞退に遊輔の注文が被さり、台所に立った和美が茶筒のふたを開ける。 テーブル中央の菓子盆には、個別包装された一口サイズの茶菓子やみかんが盛られていた。 「よかったらこれも」 遊輔が紙袋に手を突っ込み、お徳用キットカットの袋を渡す。和美は喜んで受け取り、赤い小袋を菓子盆にざらざらあける。 「うちの子が好きだったんです。受験の時は切らさないようにしてました。キットカット、キット勝ツゾって……ふふ」 自分の言葉に小さく笑い、ごく静かにお茶を注ぐ。 薫と目配せを交わし、遊輔が努めて柔らかに口を開く。 「春人くんはこのアパートで育ったんですね」 「小学校中学高校とずっとここから通いました。保育園には自転車で送ってたんですけど」 対面に座った和美がテーブル上で手を組む。 「もうご存じでしょうけど、私は上司と不倫して春人を授かったんです。それから会社を辞めて、色んなパートを掛け持ちしながらあの子を育ててきました。春人には苦労をかけ通しでした。あの子はとっても親思いで……アルバムご覧になります?」 おもむろに腰を浮かし、和室の押し入れから分厚いアルバムを取り出す。 「どっこいしょ」 テーブルに積み上げたアルバムを開き、一枚一枚指さして説明する。 「これが幼稚園の運動会。かけっこは一等賞でした」 「足速いんですね」 「こっちが小学校の入学式。ややわ、緊張しとる」 「目元がお母さん似ですね」 当時の思い出を楽しげに口にしながら、どんどんページをめくっていく。 「これは七歳の誕生日。あの子ってば、初めての丸いケーキに大はしゃぎで」 「丸いケーキ?」 薫が不思議そうに聞く。 和美が寂しげに微笑んで、赤い蠟燭を七本ケーキの表面に立てる春人を指さす。 「ご覧のとおりうちは貧しくて、春人の誕生日は毎年三角の……個別の小さなケーキでお祝いしてたんです。せやけどこの年はフンパツして、ワンホールのでっかいケーキ買うてあげたんですよ。蝋燭もおまけで付いてきてよっぽど嬉しかったんやろね、写真撮ってくれーってせがんで……三角のケーキじゃせっかくお店でもろた蝋燭刺しきれへんもんねえ」 電気を消した部屋の中、蝋燭の照り返しを受けた幼い顔は誇らしげに輝いている。 「撮影OKですか。顔は隠しますんで」 「ええですよ」 無言でシャッターを切る薫をよそに、和美は饒舌にページをめくっていく。 小学生、中学生、高校生……春人は健やかに成長していく。 真新しい制服に着替えた春人が正装の和美と並び、桜舞い散る校門前に立っている。 そこで終わり。 間宮春人の人生は唐突に打ち切られた。 やせた手が白紙に不時着するのを見計らい、遊輔が質問する。 「春人くんが二丁目で働いてた事は知らなかったんですか」 「東京におることは知ってました。詳細は雑誌やネットで……」 高校を卒業した夜、和美と春人は大喧嘩した。原因は春人のカミングアウト。 和美が震える声を絞りだす。 「同性愛者だなんてちっとも知りませんでした。言われてみれば心当たりがあって、年の離れた男と春人がイオンでお茶してるところを見た人がいて。でも、その、すぐには受け入れられなくて」 悄然と俯いて悔やむ。 「いざ息子に言われるまで、自分は偏見とかない理解ある母親て思い込んでたんです。馬鹿みたいですよね。実際は……」 アルバムを遡り、最初のページに立ち返る。 それは産院で新生児の春人を撮った一枚。猿みたいに真っ赤な顔で泣きじゃくる春人を、まだ若い和美が愛しげに抱っこしていた。 「春人には幸せになってほしかった。はみだしてほしくなかった」 今、遊輔たちの前にいるのは普通の母親だ。 受験の時期はキットカットの補充を絶やさず、毎年の誕生日に丸いケーキを買えないことを憂い、入学式と卒業式にはふたり揃って写真を撮る平凡な母親。 和美が両手で顔を覆いうなだれる。 「最後の夜、あの子に酷いこと言うたんです」 「どんな」 「死ね」だの「あんたなんか産むんじゃなかった」だのを予想していたが、違った。 「『恥ずかしい』」 ビニールシートで保護された赤ん坊のふくよかな頬に、ささくれた人さし指が触れる。 「『なんでそんなになってもうたん?昔はええ子やったのに、お母さん恥ずかしい』……酷いでしょ、自分の事しか考えてない」 遊輔が唇を引き結ぶ。 薫の目に沈痛な影がさす。 「なんも恥ずかしゅうない。ただ男の人が好きなだけ、国の法律で結婚できないだけ。私は私のようになってほしくなくて、春人が欲しがってもない普通の幸せを押し付けたんです。うちの子はすごいでしょ、親孝行で立派でしょて人様に自慢したいばっかりに……」 和美は泣かない。 涙は枯れ果てた。 遊輔の取材を受けたのは、息子の事件を風化させたくないからだ。 「お葬式にマスコミの人がきました。パパ活をしてた事、最後に目撃されたのが行き付けのゲイバーだった事で、週刊誌やネットがおもしろおかしく書き立てたんです。中には自業自得だとか殺されて当たり前だとかいうひともいました。男をだまして楽して稼いだ罰だって」 近所や職場の陰口はまだ耐えられた。 耐えられないのは世間の風評だ。 何故春人のことを何も知らない連中が春人を軽んじるのか、パパ活で楽して稼いだクソガキなど死んで当然と罵るのか、和美は断じて理解できないししたくもない。 「春人は、私の子は殺されて当然なんかやない。あの子が死ななあかんかったのは理不尽や」 間宮春人の十八年が、たった八ページの記事で要約できるわけない。 「覚えてるんです。忘れられないんです。春人の誕生日は保育園の帰りにケーキ屋さんに寄りました。春人はケースの下段の丸いケーキをじいっと見てた。ただ見るだけ、欲しいとか食べたいとか絶対口にしません。三角のケーキのほうが小そうてかわええやん、ふたりで半分こできてお得やねって、まだ三歳か四歳の子が気遣ってくれたんですよ。マスコミの人、それ書いてくれはった?」 テーブルを叩いて立ち上がる和美を遊輔が冷静に制す。 「だから取材を受けたんですね」 間宮春人の死は消費された。 犯人はまだ見付かってない。 |怪《・》|物《・》|た《・》|ち《・》に我が子を喰い殺された母親が燻り狂い、復讐心を目に燃やす。 「終わってない。終わらせへん。何度でも蒸し返したる。あの子がどんだけ酷いことされて苦しんで死んでったか、世の中の人たちに思い出させたる」 児童虐待、いじめ、DV、ハラスメント、汚職。 毎日最悪を更新し続けるニュースの濁流に揉まれてなお、和美は頭の中の地獄に取り残されている。 言葉に詰まる遊輔の隣、真剣な表情の薫が殊更ゆっくり口を開く。 「春人くんを産んだこと、後悔してますか?」 「!ばっ、」 遊輔が血相を変え、暴言を吐いた薫の頭を押さえ込む。 『何言ってんだお前、言うにこと欠いて被害者のお袋さんに!』 『すいません、でも』 『でもじゃねーよキットカット鼻の穴に突っ込むぞ』 小声で口論する遊輔と薫を見比べ、和美が凍えた無表情で問い返す。 「……どういう意味でしょうか」 慌てふためく遊輔を押しのけ着席、落ち着き払ってシャツの皺を伸ばす。 「春人くんを産みさえしなければ遺族の気持ちなんて永遠に理解せずにすんだ。身勝手な世間に、匿名多数の人たちに一方的に憐れまれ嘲られ蔑まれ惨めな思いをせずにすんだ。あなたは誰か良い人と結婚して家庭を作り、年賀状に嬉々として刷って配れるような、インスタに連日アップできるような、誕生日にはまん丸いケーキが当たり前に買える普通の幸せが手に入ったかもしれない」 一呼吸おき、透徹した眼差しで。 「あなた達親子が仲良く分け合った三角ケーキは、ただ大きく丸いだけのケーキに劣りますか」 和美の目が大きく開かれ、瞼と口角が痙攣し、感情の堰が決壊した泣き笑いが浮かぶ。 「見せびらかしとうて産んだんちゃいます。私が産みとうて産んだんです」 あの人にお父さんお母さん、誰にほめられんでもええ。 不倫相手に捨てられ実家の両親に勘当されても、お腹の子を堕ろすなんて考えられんかった。 「自慢のタネにする幸せなんて、最初からいらんかった」 上司の子を身ごもり会社を辞め、パートを掛け持ちしながら一人で育て。 自分たち親子の現状が普通の幸せからかけ離れていても、世間一般の人たちに普通以下の暮らしと見なされても、あの子が元気でいてくれればそれでよかった。 形や大きさで見劣りしたかて、ケーキ自体のおいしさは変わらへんのに。 「頑張って見せ付けて見返して、そんで春人がおらな意味ないやん」 菓子盆の小山をむんずと鷲掴み、小袋を裂いてキットカットをかじる。止まらない。詰め込む。どんどんかじる。 喉に詰まらせ咳き込み、遊輔が差し出すぬるいお茶を呷り、また頬張って激しくむせる。咳の合間に掠れた嗚咽を絞り、息子の好物を無理して飲み下す。 「春人を産んだことは後悔してません。守ってあげられへんかったことが悔しいです」 ぼろぼろ菓子くずをこぼす。 「まだ十八ですよ。ほんの子供やったのになんで……」 テーブルを回り込み、丸まった背中を叩いて喉の閊えをとってやる。 片や薫の眼差しは韜晦を含んで冷え込んでいく。 「運が悪かったんでしょうね、きっと」 「おい!!」 遊輔が檄してテーブルを叩く。薫はてんでこたえず涼しい顔。 心の中で舌打ちし、今回の訪問の目的を切り出す。 「春人くんのご遺体が見付かってから来週でちょうど一年経ちます。事件を風化させたくないのは俺も同じです、協力は惜しみません。そこでお願いがあるんですか、高校か中学の卒業アルバムをお借りできませんか?もちろん後でご返却します」 「なんで?」 「春人くんが生前よく通ってたバーで追悼パーティーを企画してるんです」 和美が泣き止む。 ここが正念場だ。 「今頃そんな……お店の人にも迷惑なんじゃ」 「むしろ皆乗り気です。春人くんは人気者でしたから、お店の人たちや常連さんもちゃんとお別れしたがってるんです。当時の記事を読みました。春人くんの葬儀は町内の斎場で営まれ、東京の知り合いは出席を辞退されたそうですね」 「申し訳なく思ってます、あの頃は気が動転しとってとんだ失礼を」 「気に病む必要はありません、ご遺族に負担をかけるのは本意じゃないでしょうし……けれどあれから一年経って、和美さんの気持ちは少し変わったんじゃないでしょうか。先ほどお話を伺った印象では息子さんの性的嗜好を許せず、知人の参列を拒んだご判断を悔いてらっしゃるように見受けられました」 去年の葬儀には和美の同僚と春人の友人が少数集まったと記事で読んだ。 故人の価値が弔問客の数で決まるとも思えないが、週刊誌に掲載された出棺の写真には寂しい印象を拭えない。 和美が意気消沈する。 「春人は東京に出てからろくに連絡をよこさず、同じ学校をでた子たちとも交流を絶っていました。変な噂が広まってもて居心地悪かったんでしょうね、せやから近場の大阪やなく東京に」 「一人だけ地元の友達と繋がってるってツイートしてましたが」 「たぶん俊くんですね、うちと同じ母子家庭の子でお互い忙しい時は預けたり預かったりしとったんです。あの子には色々相談しとったみたいやし……去年の葬式にも来てくれて、めっちゃ泣いとりました」 過去のツイートと答え合わせをし、その俊こそが春人が唯一交流を継続していた地元の友人だと確信する。 さらに力と勢いを得、誠実なジャーナリストの演技で息子に先立たれた母親を口説き落とす。 「無理にとは言いません。ですが春人くんを偲ぶ為にも卒業アルバムがあれば嬉しいなと」 「俺からもお願いします、春人くんに会えたら皆さん喜ぶんで」 二人がかりの説得に遂に折れる。 「わかりました」 いそいそ和室に引っ込み、押し入れの襖を開いて本を取り出す。 「上が中学、下が高校の卒業アルバムです」 「拝見しても?」 「はい」 素早く中をあらためる。 和美が目を細めて懐かしむ。 「この年頃の男の子の成長はすごいですね、中学の頃はちびっこかったのにあっというまに追いこされて」 「本当、別人みたいですね」 薫が意味深にひとりごち、卒業アルバムを読む遊輔と頷き交わす。 「ありがとうございます。確かにお預かりしました」 「なるべく早くお返しに上がります」 「お願いしますね、あの子の形見なので」 和美と約束したのち遺影の前に正座し、おりんを叩いて線香を上げた。 和美が苦笑いする。 「お仏壇がなきゃかっこ付きまへんね」 「俺はこっちの方が好きです」 赤い小袋に入ったキットカットをお供えする。ずっと握り締めてたから少し溶けてるかもしれない。 「丸いケーキじゃなくて悪ィけど」 遊輔は生前の間宮春人と面識がないが、和美の話を聞いてその姿を生き生き思い描くことができた。 ごく自然に目を瞑り、非業の最期を遂げた青年の冥福を祈る。薫もそれにならい、長い睫毛を伏せて合掌した。 背後に控えた和美が鼻を啜る音だけが、こぢんまりした和室にかすかに響く。 取材を切り上げアパートを辞す間際、さりげなく聞いた。 「春人くんは何のケーキが好きでした?」 「いちごのショートケーキです」 「王道ですね」 靴を履いてドアを抜ける際、和美が「待って」と手をかざす。 訝しげに振り返った薫が目にしたのは、泣き疲れたような笑顔だった。 「やっぱり。きみ、春人にちょっと似とるわ」 遊輔は階段の手前で待っている。 「立ち姿がシュッとしとる。記者の助手なんかにしとくのもったいないわ、モデルさんになったらええのに」 大袈裟に惜しがる和美に相対し、薫は束の間言葉に迷い、諦観の苦味を含んだ笑顔を浮かべる。 「俺は春人くんみたいないい子じゃありませんよ」 「そうなん?」 「彼の方がずっとイケメンでしょ」 「言われてみればせやね」 廊下まで見送りにでた和美に手を振り、遊輔に続いて階段を下りる。路地を抜ける最中、遊輔が言った。 「パチンコ屋寄って正解だった」 「リサーチ済みだったんですか」 「一年前の週刊誌読んだら春人の遺影の前にキットカット置いてあった。で、好物だったのかもってさ」 よく見ているなと舌を巻く。 記者の職業病というべきか、やることなすこといい加減に見えて観察眼だけはとびぬけているのだこの男は。 「そっちはどうだ。やれそうか」 遊輔と並んで歩きながら中学の卒業アルバムを開き、個人写真に目を通していく。 「この子は?別クラスですけど」 薫が指さす写真を覗き込み、遊輔が「おお」と感心する。そこに写っていたのはハーフらしい茶髪の少年。 「いいんじゃねーの、クラスが別でも学年同じならイケんだろ」 「三年あれば顔や体格変わりますよね。髪型いじって眼鏡かけたらごまかせそうです」 「追悼パーティーの目玉に据えてェから卒アル貸せってのは無理あったかな」 「今さらですね」 遊輔たちの目的は故人の卒業アルバムの入手。より正確に言えば、間宮春人の同級生に化けること。 このあと東京に帰った遊輔は、春人と懇意にしていたバーのマスターに一周忌の追悼パーティーの企画を持ち込む。 赤の他人の記者一人なら門前払いされたかもしれないが、春人の地元の友人がはるばる上京し、卒アルの提供を申し出たとなればむげにできまい。 「ゲイバーのママは大抵情が濃い。変態に嬲り殺しにされたダチが、東京でどんな暮らしをしてたか知りたいって泣き落としゃ絆されるさ」 「たっぷり思い出話聞かされたし、辻褄合わせは完璧ですね」 「春人の珍プレー好プレー集なら一時間ぶっ通しで喋れそうだ」 和美は春人のアルバムを引っ張り出し、在りし日の彼がどんな子供だったか事細かに教えてくれた。 それを生かさない手はない。

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