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第18話

東京に帰った遊輔と薫は歌舞伎町のバー「rabbit hole」に向かった。 「rabbit hole」は雑居ビルの地下階で営業していた。木製の扉には「Crossed」の看板が掛かっている。 「メール送ったんですよね」 「午後四時に待ち合わせた」 遊輔はビジネスホテル滞在中に「rabbit hole」公式TwitterにDMを送り、間宮春人の事件を追いかけてる記者であると伝え、追悼イベントの会場に店を借りたいと提案。 経営者兼マスターは「詳細は会って話したい」と返し、本日交渉に赴く運びとなったのである。 口元に拳をあて咳払い、やや緊張の面持ちでネクタイを締め直す。いざノックしかけ思いとどまり、眼鏡を外してレンズを拭き、掛け直してから用件を告げる。 「先日メールしたフリーライターの風祭です。4時にこちらで会うお約束をしたんですが」 「ちょっと待って、掃除中なの」 性急な物音に次いでドアが開き、髭の濃い中年マスターが出迎えた。 「どうぞ」 「どうも」 「お邪魔します」 自分たち以外に人がいない店内は寂しげに見えた。名前通り奥行きがあり、カウンターに面してスツールが並んでいる。 「立ちっぱなしじゃ話しにくいから座って」 言われてスツールに掛けるや薫の顔に視線を注ぎ、在りし日を懐かしんでしんみり呟く。 「そこ、春人ちゃんの指定席だったのよ」 「偶然ですね」 カウンターの内側に引っ込んだマスターが、棚の酒瓶を整理しながら質問する。 「あなたは?」 「申し遅れました、春人君の中学の友人の野村祐樹といいます」 「思い出した、元同級生が同席希望してるって書いてあったわね。関西出身なのに全然訛りないのねえ」 「頑張って直しました」 薫はおしゃれな細身の伊達眼鏡をかけ、チェスターコートの下にカジュアルなパーカーを組み合わせていた。人当たりこそ良いものの没個性な大学生の擬態は完璧で、卒業アルバムの少年の数年後になりきった変装ぶりには驚くしかない。 時間を惜しんで本題に入る。 「今回お伺いした用件は他でもありません、このお店を間宮春人君の追悼イベントの会場にお借りしたいんです」 マスターは難色を示す。 「急に言われても……ご遺族の許可は?」 「お母さんの承諾は既に頂いてます」 素姓の裏付けを兼ね、持参した卒業アルバムを証拠として差し出す。 「ご実家に直接出向いてお借りした春人くんの卒業アルバムです」 「見ても?」 「かまいません」 卒業アルバムをぱらぱらめくり、学生時代の春人の写真に相好を崩す。 「あら可愛い。野村くんは?」 「中学の方に……あった、これです」 「この頃は眼鏡かけてないのね」 「雰囲気変わったでしょ、大学デビューなんです」 圧倒的コミュ力を発揮し、初対面の人間と即打ち解けた薫の脇からやんわり口を挟む。 「息子さんの葬儀の際、知人の参列を拒まれた判断を悔やまれてました」 「いいわよ、慣れてるもの。お母さまが悪いんじゃないってわかってるから」 物憂いため息を吐き、カウンターに頬杖を付く。 「記者なのね」 「はい」 手渡された名刺をたっぷり見詰め、眉間に思案の皺を刻む。 「春人ちゃんは事件前まで常連さんだった。パパ活してたことは知ってるでしょ、うちでパトロン募ってたのよ」 「当時容疑者として疑われた男性ともここで出会ったんですよね」 「妻子持ちのね」 「春人くんの話を聞かせてください。どんな子だったんですか」 「明るくてお喋りで誰とでもすぐ友達になれた。警戒心ってものがまるでない、世の中なめてるおバカな男の子。最後の日にプッシーフットをおごってあげたのをよく覚えてる」 「カクテルの名前ですか」 「カゴメ野菜ジュースみたいに綺麗なオレンジ色の。ちなみにノンアルコールよ、未成年にお酒は提供しないから安心して」 当時のやりとりを反芻し、唐突に口元を覆いうなだれる。 「まさかあんな事になるなんて……」 「一緒にいた男性の特徴は覚えてませんか」 「警察に何度も話したわよ、防犯カメラだって見返したわ、だけどちょうど死角に入っちゃっててよくわかんないのよ。あの子たち端っこに座ってたし、私もお客さんの相手で忙しくて」 恐らく故意だ。犯人は防犯カメラの位置や角度を計算し、わざと死角を選んで座ったのに違いない。 他の被害者も同じ手口で連れ出されたのだとすれば……。 「初めて来る客だったんですか」 「たぶん。断言はできないけど」 「どんな男?」 「三十代前半のいい男。芸能人のあの人に似てたわ、何年か前に朝の連続テレビ小説でヒロインの父親役やってた……蓮見尊!」 遊輔がほんの僅か顔を強張らせ、ポーカーフェイスに徹する薫を見上げる。 薫が口を開く。 「週刊誌に載って自殺した人ですね」 「そうそうあったわねえそんなこと。アレって結局嘘だったのかしら、一部じゃ作り話って囁かれてるけど。どっちにしても可哀想なのは遺された奥さんと子供よね、今頃どうしてるのかしら」 遊輔が咳払い。 「話を戻します。10月17日は春人くんの遺体発見から丸一年の節目、俺としては是非こちらのお店で追悼イベントを開けたらと……あなたも交流ありましたよね?葬式に行けなかったぶん悼みたい気持ちは人一倍じゃないんですか」 抑制を利かせた口調で畳みかける。 「春人くんの生い立ちを取材してよくわかったんです、上京後の交友関係は『rabbit hole』中心に広がっていました。母親さながら見守り世話を焼くマスターがいる、同年代の常連もいる。高校卒業後すぐ家を出た彼にとって、ここが大切な居場所だったことは想像に難くありません」 「春人ちゃんのお母さんも出るの?」 「いえ、皆さんに合わせる顔がないのと仕事の多忙を理由に欠席するそうです」 「大阪と往復じゃ交通費も馬鹿にならないものね」 手持ち無沙汰に拭いたコップを伏せ、マスターが懸念を呈す。 「やっぱり躊躇っちゃうわ、蒸し返すようなまね。漸く常連さんの傷も塞がってきたのに……既婚者バレしたせいで春人ちゃんにふられた多田さんなんて犯人じゃないかって疑われて奥さんに別居されるわ踏んだり蹴ったりだったのよ、なんだかんだ立ち直るのに半年かかったんだから」 春人の元恋人も事件で人生を狂わされたらしい。ここぞと身を乗り出し、渋るマスターを説得する。 「今回のイベントは故人を偲ぶ為だけに企画するんじゃありません」 「というと?」 「一年経っても犯人不明なまま、警察の捜査は暗礁に乗り上げ最悪迷宮入りしかねない。だから追悼イベントを開いて、SNSとも連動して、広く情報提供を呼びかけるんですよ」 「SNS?お店の?」 「拡散していただければ助かります。あとは動画も」 「ちょっと待って、あんたただの記者でしょ?一体なんの権限があってそんな大事なこと勝手に決めちゃうのよ!」 カウンターを叩いて怒鳴り、遊輔に掴みかからんばかりに顔を近付ける。 「あのね、記者には良い印象持ってないのよ私。春人ちゃんの事件の後、ここに押しかけた連中が何をやらかしたか教えてあげましょうか。パパ活ウリ専ゲイの男漁りに使われた店って、さんざんこき下ろされたのよ。なのに今さら協力してほしいなんて虫がよすぎじゃないの、どうしてもっていうなら誠意を見せて」 「謝礼ですか」 冷静を装い核心を突く遊輔と交代し、実直な表情で告げる。 「俺からもお願いします。春人はこの店を愛してました、一番自分らしくいられる場所だって……俺あてのメールも『rabbit hole』の話ばっか」 「親しかったの?」 「良い相談相手でした。同じ悩みを抱えてたんです」 納得の表情で黙り込む。 薫は穏やかな口調でとりなす。 「彼、『rabbit hole』に押しかけた記者の中にいました?」 「いいえ……」 示し合わせて隅に行き、遊輔をチラチラ見ながら話し込む。さらに薫は鞄から出した冊子を開いて見せ、数分後に戻ってきた時、マスターの顔には諦めと許容の色が浮かんでいた。 「……わかったわ。10月17日、『rabbit hole』で春人ちゃんの追悼イベントをやりましょ」 「ありがとうございます!」 内心ガッツポーズで喜ぶ遊輔に対し、「た・だ・し」と太い声で釘をさす。 「他の記者は絶対呼ばないって約束して。マスコミの餌食になるのは絶対ごめんよ」 「わかりました」 「わたし的には身内でひっそりやりたいけど、あなた……風祭さんが考えてるイベントっていうのはもっと大がかりなのよね」 「飛び入りOKにする予定です」 「誰が紛れ込むかわからないじゃない、トラブルの責任とれる?」 むしろそれが狙いだ。 なんて本音は明かさず、マスターを丸め込む為用意してきた建前を述べる。 「あんまり固く考えないでください、サプライズパーティーと同じですよ。店側が注文を受け誕生日祝いやプロポーズのお膳立てをする……アレだって周囲に配置されてるのは普通のお客じゃないですか。便宜上貸し切りって言葉を使いましたが、店の私物化や営業妨害の意図は全くありません。直接面識がないご新規さんや一見さんにも気軽に飲んで行ってもらえたほうが、楽しいことが大好きだった春人くんは浮かばれるんじゃないかな」 「俺も風祭さんと同じ意見です。ここに来た人たちが一人でも多く春人の事を心に留めて帰ってくれるなら、それが犯人逮捕に繋がる可能性に賭けたいんです」 詭弁に誠意を織り交ぜ懐柔に取り組む二人を見比べ、不器用に微笑む。 「……そこまでいうならまかせましょ。私だってちゃんとお別れしたいもの」

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