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第30話

パトカーランプがあたり一帯を赤く染め、警官と野次馬がワンボックスカーを包囲する。 『任意同行を求める。下りてきなさい』 『このスタンガンと特殊警棒は何だ?』 『インテリアだよ』 『説明できないのか』 『ほっとけよ!』 『さっきまで同乗していた男性は?拉致されたと言ってたが』 『証拠あんのかよ!?』 道路に敷かれた検問の手前、リーダーと警官が大声で口論する。ややあってドアがスライドし、運転手が引きずり下ろされる。汗みずくの悠馬が汗みずくでめちゃくちゃにスマホを叩く。 『何で出ねえんだクソ親父、さっさとしろよ!』 スマホに向かって怒鳴る悠馬を一瞥、警官たちが報告を交わす。 『グローブボックスからビニール袋入り錠剤を押収しました』 『クスリやってんのか?』 『関係ねえって言ってんだろ、とっとと通さねえと轢き殺すぞ!』 ケルベロスのリーダーが巻き舌で恫喝し、メンバーたちが口々に野次を飛ばす。 中の一人が聴取にあたる警官を突き飛ばす。肩を押さえてよろめいた刹那、その目が大きく見開かれる。 『お前……ケルベロスの奴か?取り押さえろ!』 ケルベロスには補導歴のある者や前科持ちが多く、新宿・渋谷・池袋が管轄の警察は、構成員の顔と名前を把握している。 相手が武闘派の半グレと理解した瞬間、警官たちは雪崩れを打って押し寄せ、メンバーたちと衝突する。 警棒で肩を殴打されるや、お返しに顔を張り飛ばす若者の胴に、別の警官がタックルをかます。羽交い絞めにされなお暴れる若者の後ろでは、コケた拍子にスマホを落とした悠馬が、踏んだり蹴ったり揉みくちゃにされていた。 『ざけんなグズ!』 『誰にむかって物言ってんだ、さんざんケツ拭かせてきやがったくせに!』 『思い上がんなパシリの分際で、肝心な時に役立たねえ不能が!』 手の甲を踏み付けられた悠馬が絶叫し、そこへすかさずリーダーが倒れ込む。激しい揉み合い。野次馬たちがこぞってフラッシュを焚き、興奮気味に動画を撮影する。 『何アレ。喧嘩?』 『半グレと警察の衝突だって、マジやば』 頭突きで鼻っ柱をへし折られ、悠馬が大きく仰け反る。 『前から気に入らなかったんだよスネ齧りの坊ボンが、こうなるってわかってりゃもっと早く手ェ切ったのによ畜生!』 『やめ、ごめ、謝るッぶ』 『死ぬならテメエ一人で逝けッ、ケルベロスを道連れにすんじゃねえッ!』 『あぶっごふっ』 『人集めてコネ作ってここまででっかくすんのにどんだけかかったと思ってやがるええッ、親の金で優雅に大学行ってるクソガキにゃ所詮わかんねーだろうよ組織を仕切るトップの苦労なんてよ!』 ブチギレたリーダーが拳を振り上げ振り下ろし、既に潰れた悠馬の顔面に叩き込む。 仲間割れ。相討ち。乱闘。拉致実行前にキメたドラッグの高揚と開き直りが、番犬から降格された狂犬たちを自壊に至る暴動に駆り立てる。 蹴倒された三角ポール。パトカー。野次馬。抵抗する若者を羽交い絞めにし、後ろ手に手錠を掛ける警官。 『親父はどこだ、弁護士呼べよ!知ってんだろ俺の親父、今期も当選確実の自明党議員・中村宗太郎だよ!世田谷の家にいなかったら銀座の愛人のマンションか六本木のクラブにいっから連れてこい、全員揃って懲戒免職にしてやる!!』 少し離れたアスファルトの上、液晶が割れたスマホに手を伸ばす悠馬を警官が手荒く起こす。自慢の鼻は曲がり、大量の血が顔下半分を染めていた。連続するフラッシュ、野次馬の嬌声とどよめき、手ブレの残像が引き裂く生々しい映像。 中村悠馬及び半グレ集団ケルベロス逮捕時の動画は、現場に居合わせた不特定多数の野次馬の手によりネットに流出した。 ある者はSNSに、ある者は動画サイトに、ある者は掲示板に。 白く光る小窓を見詰め、うなだれた頭を連ね、名付けられる事とてない無個性な群れに没し。 中村悠馬の素顔を写した動画や写真をアップロードし、多数の逮捕者が出た事件の様相を嬉々として実況する。 中村悠馬が大物議員の息子であっても、バンダースナッチには勝てない。 バンダースナッチは多頭の怪物。 その頭は切っても切っても生えてきて、無限に増殖し続ける。 向けられたカメラの数だけ匿名性は肥大化し、電子の海に情報を吐き出し続ける。 結果……逮捕から三十分後には悠馬の身元が特定され、現在住んでるマンションや実家の住所が出回った。 中村悠馬が権力者の息子であっても、不特定多数の目撃者を黙らせるのは難しい。 悠馬を回収したパトカーが走り去るや野次馬たちはぞろぞろ散り、半グレと警官の乱闘中も忙しなく動かしていた指でスマホやタブレットをいじり、電車に揺られながら、車を運転しながら、繁華街を徘徊しながら、一分にも満たぬ思考速度で断片的情報をばら撒いていく。 燻り狂えるバンダースナッチに近寄るべからず。いとも容易く炎上のトリガーを引き、周囲を焼け野原に変えていく。 この世界には人間に擬態した怪物が存在する。 たとえばわたし。 たとえばあなた。 そして我々。 放課後のスタバにて。 テーブル席で喋っていた女子高生グループが、スマホの新着通知にはしゃぐ。 「お、バンスナのライブ」 「きた!」 夜のオフィスにて。 栄養ドリンクの空き瓶が積まれた机で残業していた社畜が、パソコンにかぶり付く。 「待ってました!」 電車の吊り革を掴んだ大学生が、繁華街を歩くカップルが、自転車に跨る予備校生が、コンビニのバックルームで休憩中のバイトが、台所で皿を洗っていた主婦が、暗い部屋でポテチ袋を開けたひきこもりが、同時刻に別々の場所で反応を示す。 カウンターが回る、回る、回る。 『キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!』『待ってました!』眼鏡を押し上げる『今回は二本立てだって?』『ワクワク~何やるんだろ』『自明党議員の息子がパクられたネタじゃない?』『レイパー死ね』『イケメンなのがまたムカツク』新色のネイルを吹いて乾かす『動画撮って脅すとかサイテー』『半グレが後ろに付いてんだって?』『ケルベロスだろ』『ださっ』『ケツ掘れわんわん』割り箸に絡めた麺をずるずる啜る『名門私大生もおしまいでしょさすがに』『人生詰んだ』『拡散されまくりでうける』『現行犯じゃな~』『被害者の会が訴えるって』ガスの元栓を開いてコンロに点火『親父も気の毒に』『同罪でしょ、強姦魔だって知ってたのに庇ったんだからタチ悪いよ』『辞職秒読み』『中村んちに特上寿司とピザ送り付けたった』『陰湿』『ドン引き』『よくやった』クッションを抱っこする『燻り狂えるバンダースナッチに近寄るべからず』蛇口を締めて皿の水を切る『え、轢き逃げで捕まったんじゃないの。検問は?』『偽通報』『ンだよ悪戯かよ人騒がせな』『結果オーライじゃね?』『車から消えた謎の男が気になる』『仲間割れかな』『生きてりゃ名乗りでるよな』『わかった、バンダースナッチだ!』 脅迫状じみて活字を切り貼りしたタイトルカットイン後、画面に映し出されたのは殺風景な部屋。 「You see, a minute goes by so fearfully quick. You might as well try to stop a Bandersnatch!」 ボイスチェンジャーを介しなお完璧な英語の発音が、今宵の祭りの開幕を告げる。 「『一分は恐ろしく素早く過ぎる。一匹のバンダースナッチを押しとどめる方がまだ楽だ』。ルイス・キャロル著『鏡の国のアリス』で、白のキングが放った言葉だ」 画面右端からフレームインしたのは、カートゥーンタッチに戯画化デフォルメされたうさぎのきぐるみの頭部を被った男。 画面越しの注視を受け、謎の司会者は優雅にお辞儀し、手に持ったスマホを再生する。 「今回は豪華二本立て。最初の話題は自明党議員中村宗太郎の長男、中村悠馬が薬物の不法所持と強姦で逮捕された件。この時彼が乗っていた車には半グレ集団、ケルベロスのメンバーが同乗していた。何故?悠馬とケルベロスには数年に亘る長~い付き合いがあった。その証拠がこれ、ケルベロス行き付けのクラブに潜り込んで録音してきた会話」 中村悠馬とリーダーがドラッグを取引し、悪趣味な動画を眺めて盛り上がる一部始終を聞き、義憤に駆られた視聴者たちが次々とチャット欄に書き込んでいく。 『独占入手?』『すげー!』『やってくれるぜバンダースナッチ』『探偵みたい』『ケルベロスの溜まり場どこ』『知ってる、池袋のサウダージって店』『悠馬が出入りしてた』『経営者もぐる?』『女の子連れ込んだんでしょ』 頃合いと見て一時停止、肩を竦める。 「以上、脅されて取引したって主張と辻褄合わないよね?変と言えば悠馬の父親の中村議員……事件への関与を全否定してるのに、なんで名前が出てきたのかな」 あえて明言は避け、視聴者の想像に委ねる形で放り出す。案の定議論は白熱し、推理に憶測を交えたコメントがチャット欄を埋め尽くす。 『やっぱり嘘じゃん』『だと思った』『真っ黒』『半グレと癒着で資金稼ぎ?』『親子揃って嘘吐き』『死刑』『息子のスキャンダル揉み消したんだ』『最低』『女の敵』『てかメール残ってるんでしょ?』 予想通りの展開にきぐるみの下で微笑む。 「ご指摘通り、履歴が残ってるのに関係ありません知りませんは通らない。中村悠馬はドラッグを用いたデートレイプの常習犯、女の子を酔わせて持ち帰るのがその手口。酒とクスリで朦朧とした相手に乱暴し、動画を撮って脅す。ケルベロスは悠馬と腐れ縁の暴力装置。泣き寝入りを余儀なくされた被害者は数知れず、議員がカネに物言わせて家族を抱き込んだのもデカい。いや、弁護士の腕がよかったのかな?事件は全部示談で済んで前科は付いてない、奇跡的に」 司会者が首を横に振る。 「そんな彼も悪運尽きた。後生大事にコレクションしていたスマホの中身が仇となって、余罪を洗い直されている。繋がらないパパへの電話より削除を優先したらよかったのに……サイバー班にサルベージされるから無理か」 枠内に「wwwww」が並ぶ。記号化された笑い声。 中村悠馬は自業自得で破滅した。 数多くの女性を不幸にした悠馬の個人情報は凄まじい勢いで拡散され、半グレと癒着した親の七光りのドラッグレイパーとして、残り一生汚名を背負って生きていくことになった。 「ケルベロスはトップから末端まで逮捕され壊滅、薬の製造ラインには捜査が入った。ベトナムの工場は潰れ中村議員の失脚は確定路線」 司会者が中央にたたずみ、画面をじっと見詰める。 「中村親子の話はこれでおしまい。次は連続殺人鬼フェアリー・フェラーの話。今から流すのはバンダースナッチがフェアリー・フェラーの家に潜入し、独占入手した音声だ。最高に刺激的だよ、心臓が弱い人は回れ右」 もったいぶってボタンを押す。 伸びきったラーメンを啜るひきこもりが、ネイルを乾かすギャルが、洗濯物を畳む主婦が、パソコンのキーを叩く社畜が、その一瞬だけ示し合わせたように手を止め、希代の殺人鬼の声に聞き入る。 『あっけない、こんなもんか。馬鹿だよアンタ、どんな関係か知らないけど一人で乗り込んできて……まいったな、趣味じゃないんだけどな。まあいい、埋める死体が増えただけだ』 『間宮春人、他ふたりを殺したって認めるな?』 『……』 『フェアリー・フェラーなのか』 『見ればわかるだろ』 舌打ち。 『もうすこしで割れたのに、余計な邪魔が入った』 一時停止ボタンを押し、無機質な黒い瞳で視聴者を見返す。 「平坂務は刑法第三十九条、心神喪失による無罪を主張してる。一連の犯行に殺意はなかった、SMプレイの行き過ぎで殺してしまっただけだ、と。それにしちゃ理性的で秩序立った喋り方をするなって感心したよ、精神を病んだ人間の文法はもっと支離滅裂だ、会話のキャッチボールなんて成立しない」 『人質がいる方が有利な原則も知らないのか。交渉人には不向きだな』 「駆け引きもできない」 フェアリーフェラ―の殺人は傷害致死に処せない。いわんや心神喪失による無罪に問えようはずもない。 「埋める死体が増えただけだ」と宣った時点で犯行を認め、そこには責任能力が生じる。 「君たちはどうおもった?」 賽は投げられた。

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