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その後、ジェゾのなでるような肉球ビンタで目を覚ましたゼンザは、一斉にのそのそもてなされた。
なにやらキッサテン? という店の趣旨を説明されてもてなされたものの、ゼンザの記憶にはほぼ残っていない。
というかそのもてなしも、ゼンザ的には強面男にじーっと凝視されながら芳醇な香りを無に帰す激苦汁を飲まされる謎拷問。野盗顔のマスター相手じゃぼったくられる覚悟しかキメられない。
しかし少し離れた席にクリーム入りのカップを傾ける大型獣人がいるため、飲まない選択肢がなかった。
ちなみにジェゾは獣人 種。
ゼンザは人獣 種だ。
獣人は獣の特徴が主な人型の種族を指し、人獣は人の特徴が主な種族を指す。
同じ獣と人の混ざった姿の種でも二人は全くの別種。ゼンザにとってジェゾはただの猛獣である。
そのジェゾに誘拐され、見た目は完全に砂漠地方の盗賊風な一斉に激苦汁を飲まされ逃げられない。
なぜだ。なぜこうなった。
自分が何をしたって言うんだ?
ただハンターとして平和に狩りを終えたところだったのに、気がつけばダンジョンの目と鼻の先にある不思議な内装のキレイな建物でイカつい店主と肉食獣に怯えながらなにかを飲んでいる。
ああ苦い。とても苦いのになぜか飲んでしまう。間違いなく美味くはないのに不味いわけでもなく飲んでしまう。しかし苦い。なんだこれ。
「……ぐすん……」
「…………」
縮こまって震えつつ、号泣しながらちびりちびりカップに口をつけるゼンザ。
エスプレッソコーヒーは、たいてい少しずつ飲むものである。
水や酒、茶を常飲するこの国の一般市民には馴染みのない飲み方だが、熱く濃厚な風味と苦味を楽しむエスプレッソはあまりガパガパ飲むものではない。
呻くゼンザは、図らずも正しい味わい方をしていると言えるだろう。
けれど、それをカウンター越しに眺めている一斉は些か気がかりだった。
立仲のコーヒーはステキなもの。
なぜ泣くのだろう? やはり苦かったのか? まぁそれはわかる。一斉とてブラックのエスプレッソコーヒーは苦手だ。けれどそれを抜きにしても良いものだと思う。では単に好みの問題か。なら仕方ない。
とはいえ喫茶店文化全般へ苦手意識を持たれると困るので、どうせなら美味しい思いをしてほしいものだ。
「……お客さん」
「ハイ。……へ?」
キュ、キュ、とカップを磨いていた一斉は、コトン、とゼンザの前に新たなグラスを置いた。
キビキビと返事をしたゼンザは、キョトンと首を傾げる。
一斉はズズイと更に押し出す。
なお敬語は諦めた。
正確に言うと経営コンサルタントのネバルが諦めた。どう足掻いても言わされている感が出るのでもう好きに喋らせることにしたらしい。
一斉は元々が無口で落ち着いているし、平坦な低い声も大人びた音色と言い換えればそう悪くない。
そもそもどれだけ接客用語を仕込んだところで顔面の愛想が滅亡している。
無表情で声だけ爽やか丁寧な接客をする恐怖の店主を生み出すより、素材の味で勝負したほうがまだマシだ。
そう考えたネバルに「せめてドスだけは効かせんなよん」と言いつけられ放逐された一斉は、現在グラスを指先でスッ……と押し出したまま、無言でじっとゼンザを見つめている。
タメ語どころか無言でガンつけ。
この場にネバルがいれば泣いていたかもしれない。もしくは助走をつけて一斉の背に雷属性の飛び膝蹴りを入れていた。きっと怒鳴ってもいた。
「こ、これなに……?」
「……ミルクセーキ?」
「なんで疑問形……?」
「んでって、最近考えたし……」
「そんな馴染みないもん出す……!?」
ヒョエーとガタガタ震えながらドン引きするゼンザ。
やっと妙に癖になる激苦汁を飲み終えた自分にまだなにか変なものを飲ませる気かと戦々恐々とするゼンザだが、一斉は構わずまた少しスス、とグラスを押し出す。いいから飲めと。
「う、うーん……」
一斉の目力に観念したゼンザは、差し出されたグラスを手に取って中の黄味がかった乳白色の液体を凝視した。
スンスンと嗅ぐ。
甘い香りがする。バニラビーンズの香りだ。それと牛乳、卵、砂糖。
普段飲みの飲み物に入れるイメージがあまりない素材を混ぜたそれはゼンザにとって気持ち悪い液体に感じ、うへぇと舌を出すが、水晶のように透き通ったグラスから伝わる冷気は心地いい。
ゴク、と喉を鳴らす。
バニラの匂いもあって、なんだか美味しそうに見えてきた。
均等に丁寧にかき混ぜたそれ。表面にはクリームのようにキメ細かい泡。
どんな味がするのだろう?
卵や牛乳や砂糖ならパンや菓子のような味がするのかもしれない。いやでも生地がないそれらはやはり気持ち悪い気がする。どうだろう? 初めて見るからわからない。もちろん飲んだこともない。
どんな味がするのだろう?
スゥー……と深く吸う。
それからおそるおそるとグラスに口をつけ、一気にゴクリと流し込む。
「…………あ」
──ふと、風邪をひいた時に母が作ってくれたミルク粥を思い出した。
特別美味しいわけじゃない。
だけど優しいミルクのまろやかさと舌を包む卵の風味、口いっぱいにじんわり広がる砂糖の甘みが子どもの頃は特別に感じて、風邪をひくのが好きだった。
大人になってミルク粥を食べた時はあまり美味しいと思わなかったが、今思うと母は子どものゼンザが喜ぶよう味付けを甘めにしていたのだろう。
そんな幼い頃を思い出す味だ。
この[ミルクセーキ]とやらは。
「……うまい……」
「ん」
ゼンザがポカン、と呆気にとられた間抜けな顔で思わず呟くと、相変わらず無表情の一斉は微かに満足げな様子で短く相槌を打ち、またグラスをキュ、キュ、と磨き始めた。
──あれ、笑った?
そんな一斉の顔を眺めて、ゼンザはグラスを静かに置いた。
表情は全く変わっていない。
変わったのは、空気だろう。
無口で無愛想で強面のマスター。
彼はよく見ると傷だらけだ。
ひときわ深い眉尻の傷の他に、口元や額、耳のそばにほんの薄らと甘皮一枚色の違う傷跡がある。
軍人か、傭兵上がりなのかもしれない。そう考えれば現役にしてはやや細い気がする逞しい体つきと、闇堕ちした気怠い目つきにも説明がつく。
一斉がピチピチの十代だと知らないゼンザはほぉーんと納得し、ミルクセーキを口に含んで、一斉から目を離した。
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