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離した目で、店内を見回す。
サワ、と揺れる木陰。
天窓を通る風で葉が擦れる。
「──…………」
やっぱり、この店は変だ。
店の中央に巨木が植わっているなんて、邪魔でおかしい。
切ってしまえば幹を螺旋状に取り囲む階段を真っ直ぐつけられたはずなのに、切らなかったから、天窓から吹き込む風で枝葉がそよぐ音が聞こえる。
木があると天井がとても狭くて、大きな明かりがつけられないのだ。
だからこの店のそれらしい明かりはいくつか吊られたホオズキ型のランプだけで、それも今は灯らず、店を照らす光は色とりどりのステンドグラスを透かして射し込むカラフルな陽の光のみ。
立地も良くない。
ダンジョンの入口近くだから閑散としていて、表は道に面していても裏は林で隣は何もない芝生だけ。
他にめぼしい建物がないと、森の香りの風ばかり吹き込む。
それをかき混ぜる天井のファンは、裏手の水車と連動しているのだろう。
だって小鳥の声に混じって、サラサラと流れる水路の音が聞こえるから。
コ、コ、と秒針を刻む振り子時計。
日の当たらない壁際に置かれた大きなそれはずいぶん古いが、耳に馴染む音を出す。
丈夫で持ち運べる魔導式時計が主流の時代じゃ贅沢な音だ。
パラ、と紙面を捲る音。
振り向くと、静かにカップを傾けるジェゾが朝刊を目で追っている。
あぁ、そういえば彼もいた。
気がつかなかった。だって、ミルクセーキが美味しかったから。
あの〝白禍〟に攫われた時は間違いなく不吉な獣だと死を覚悟したものだが、どういうわけか自分は生きていて、その獣と同じ空間でグラスを傾けているなんて、思えば信じられない。
いつの間にか店中の食器を磨き終えていた一斉は、店内を掃除していた。
濡れた布巾でテーブルや壁、窓、柱を丹念に拭いている。
カウンターのそばには大きな箒が立てかけてあるが、客がいるので自重しているのだろう。
素が脱力系無表情の一斉が真面目に掃除をすると、ほぼ同じ無表情でも些か剣がある。主に目力が増す。
ゼンザは「ドア開けた時この顔であの箒持った男いたら速攻逃げるなぁ」などと考えつつ、まだ半分ほど残ったミルクセーキのグラスに口付ける。
サワワ……と木の葉が揺れた。
水路で冷えた風は心地いい。
目を閉じると、口元に笑みが浮かぶ。
静かで、静かすぎない。
新聞を捲る音。カップを置く音。
硬質な靴音。テーブルを磨く音。
「イッサイ。テーブルに上るなら床に皿を並べるが、よいな」
「ごめん……けどタナカの店だし、上のほうも拭きてぇ……」
「そうか。ではこうしてやろう」
「っお、……ジェゾ、新聞見ながら片手で俺持ち上げられんの……?」
秒針の音。ファンの回る音。
葉擦れの音。水の流れる音。
「つか、さっきから全然俺見てねぇのに……なんで俺が机に乗ろうとしてんのわかったんだよ……」
「己? それは見えたし、見ておるからよ。己とて見えぬものは見えぬ」
「でも今も新聞読んでね……?」
「だから、お主を見ながら読んでおるのだ。はぁ……まったくなにが気に食わんのだお主は……」
「気には食ってるぜ……けどジェゾ、たぶん背中にも目ぇあるよ……」
「たわけ。眠りにくくて敵わん」
他人の話し声。生きた呼吸音。
それらが溶けた独特の空気に包まれながら冷えたグラスに唇で触れると、柔らかな舌触りと甘さが喉を潤す。
目を閉じると鮮明に感じるのだ。
この奇妙な空間の味を。
気心知れた仲間と狩りの成果で騒ぎながら楽しむ酒とは比べられない。
どちらが良いというものはない。ただこれは良い。これも良い。
『お客さんはさぁ……うちみたいな店、初めて? キッサテン』
『喫茶店は、アレ、あー……コーヒーとかソフトドリンクとか、軽いメシとか食って、のんびりするとこだね……うちは昼だけ、酒も用意してる……ほら、酒場は昼間やってねーからさ……あとメシはまだ形だけ……甘いモンも、頑張るけど……ホットケーキミックスねんだよ……』
『けど喫茶店て、いいもんだからさ……流れる時間も、味わう温度も、肌に触れる空気も……喫茶店以外じゃあんま感じねぇカンジすんだ……』
『そんで深呼吸して、ここにいると……俺はなんか、忘れてた自分のちっせぇどっかを、思い出しちまう……そしたらちょっとだけ……ちょっとだけ、だけどよ……俺は、俺を大事にできるよ……』
『だから……アンタも、さ……』
一斉の声が脳裏に浮かぶ。
初めに聞かされた説明はよくわからなくて、ほとんどは意味不明だった。
だけど、わかったこともある。
『喫茶店……好きになってよ』
「──オレ、ここ好きだなぁ〜」
ゼンザは深く吸った空気をフー……と吐き出して、ニカ! と笑った。
[ミルクセーキ]
砂糖、卵黄、牛乳、バニラエッセンスを混ぜた喫茶店の定番ドリンク。
卵黄の代わりにアイスクリーム、シロップを混ぜたアメリカンスタイル(ミルクシェーキ)も存在するが、本作では基本のフレンチスタイル。ゼンザのお気に入り。
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