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一瞬、呆気にとられるジェゾ。
人間とは違う獣の瞳が丸く驚き、巨体が僅かに動揺する。
一斉はその隙を逃さず、ジェゾが否定を重ねる前に解放された両腕をフラリと伸ばして、覆い被さるジェゾの逞しい首に強くしがみついた。
「ジェゾ、俺は貴重品じゃねぇぞ……?」
「……!」
噛みつかれても抗わなかったくせに、今は離すまいと筋肉質な褐色の体が擦り寄り、鳳凰の絡む腕がジェゾの頭を力強くかき抱く。
ジェゾ、ジェゾ、ジェゾ。ジェゾ。
ジェゾが自分をなかったことにした。
一斉はそれが許せない。
『今宵もなにも変わらぬ』? いいや変える。変えてみせる。変わりたいのだ。
ジェゾが一斉に与えるものはよいことだけじゃなくていい。
怯える一斉に自分は変わらずここに在ると笑って安心させなくていい。
不機嫌も八つ当たりも叱責も一斉が苦手な全て、ジェゾだけは与えて構わない。
「なぁ……なんで遠慮したンだ……? さっきのアンタぐらい機嫌損ねたら、親父や兄貴たちならブチ殺されてる……でもそんぐらいでいいよ。俺ぁバカで、そんぐらいじゃねぇとわかんねぇンだ。別に肩の肉喰われたって死にゃしねぇし、血なんか見慣れてっから怖かねぇ……なのになんでキレんの止めたンだよ。俺がビビッたから……? そんなん関係ねぇだろ。普通にキレていいよ。だって、俺さ……昔、頭カチ割られた時も実は大して効いてなかった。意外と余裕なんだよな、効いたフリしねぇと機嫌悪くなるから痛がっとくだけで……自分でも不思議なくらいマジ頑丈なんだよ……だから全然、教えていいっつか、ちゃんと教えて……つか、ね」
勝手に後悔するな。戒めるな。憤 れ。
──佐転一斉 はそこまで脆くねぇよ。
そんなふうに話しかけ続けた。
離したくない。話させたくない。この大人になにか言わせると負ける。
所詮一時凌ぎだが、こちらが話し続けることでジェゾにターンを回さない。
ジェゾの言わんとするものなんて何一つ理解していないが好き勝手に訴えて、若さゆえの衝動と聞き分けのなさで一先ずしがみつく。
「なぁ今、何考えてんの……? 怖ぇ……? 違ぇか。諦めてる、だけじゃねぇ……期待? 違う、羨ましい……寂しい……? ……俺じゃ足りねぇって? なぁ……ジェゾ」
自分がいるのになぜ寂しがる?
──寂しくはない。もう慣れた。
では怖がっている?
──それも違う。失うことは諦めがつく。怖がられることももう知っている。
ならもう大事にしないでくれ。
一斉は貴重なものじゃない。いつでもいつまででも望んでジェゾのそばにいたいよくいる子猫だ。一斉がジェゾに捧げるものは、いくら暴き喰らっても枯れない平凡なもの。
例えそれがジェゾのこれまでで貴重だったとしても、一斉のそれはそんなふうに大切にするものではない。
ジェゾが求めてくれるのなら、この想いは迷わず湯水の如く浪費したい。
「アンタの世界は難しい……俺はアンタの考えてることがわかんねぇ……アンタが触ると、気持ちいい……そんなことしかわかんねぇ……でもよ……」
「…………」
「アンタのことなら知りてぇんだ……」
そうやって一斉がジェゾに語り続けたそれらは、ただの一方的な感情の羅列だったが、物分りのいい大人は、戸惑い、理解し、目を閉じた。
スリ……と大事そうにジェゾの頭を抱き寄せ、なにかを嫌がるように頬ずりしながら一生懸命に語りかける一斉の等身大の拙い声が、ジェゾの胸の内を、無自覚のノックで無邪気に誘うからだ。
『さぁ、知らねぇな……教えてくれ』
『アンタは怖くねぇから、アンタのことなら、知りてぇ』
初めて出会ったあの夜と同じ。
なぁ、なぁ、と子猫のような鳴き声で、爪も牙も毛皮もないこの黒い男は、無知を掲げて貪欲に知りたがる。
「あぁ……己 の負けだな」
「──ッン」
次に目を開いた時、ジェゾはクククと笑って一斉の唇に口付けた。
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