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 バタン、チリン、と音が鳴る。  客のいなくなった店内は夕暮れの色に染まり、ノスタルジーを醸し出す。  ジェゾと一斉が二人きりだ。  一斉は声をかけようとした。  けれどジェゾは無言でドアに背を向けると、床に座り込んだまま自分を見つめている一斉に近寄り、その体をグイッ! と抱き上げて肩に担いだのだ。 「っ、ジェゾ?」 「…………」 「どうし、は」  困惑するが、返事はない。  ジェゾは一斉を担いだまま店の中央の大木にかけられた螺旋階段をスルスルとのぼり、二階の住居スペースにたどり着くと、ジェゾと使えるようにと作った大きなベッドに、一斉の体を押し倒した。  ドサッ、と疲労した体が落ちる。  間髪入れずに覆い被さる巨獣。  大柄な男二人分の体重を受け止めてなお頑丈な柔らかいベッドは、ギシッ、と強く軋むが、ジェゾはお構いなしだ。  一斉の両手首を片手でひとまとめに、難なく頭の上で捕まえる。  そしてベロ、と首筋を舐めながら一斉のネクタイを解き、プツ、プツ、と器用にボタンを外してベスト、シャツと順に割り開き、褐色の素肌を暴いていく。 「ンッ、ァ、……ッ」  肌蹴たシャツの下から覗く鳳凰。  肩口から胸元まで伸びるその首を白いジャガーの牙が捕え、一斉はビクンッ、と鋭い痛みと焦燥に身を強ばらせる。  本気で〝喰われる〟と感じたのだ。  骨が砕け、肉を噛みちぎられると。  それと同時に、ジェッゾ・ヤガー・ヤガーが孤高の獣であり、その全身が凶器であることを思い出す。  普段は甘く噛んでくれているだけで、本来この牙はこう使う。 「っひ」  即座に血の気が引いたが、牙は表皮に穴が空く寸前で離れた。  獲物に刻まれた凹凸を舌がなでる。  そうやって十分な唾液でヌメらせられた刺青の上を鋭い牙がユルユルとなぞるたび、呼吸もはばかられる緊張感が、一斉の神経を支配して止まない。  生命の危機を感じて過敏になる肌が、やましい痺れを生む。  それだけでもたまらない気分になるというのに、ジェゾは顕になった一斉の体を爪を引っ込めた指先を立てて絶妙に指圧しながら巧みに愛撫する。 「ぅ……っく、…ふ」  胸板や腹筋、ヘソのくぼみ、腸腰筋や際どい下腹部のあたりに触れられるたび、一斉は眉根を寄せ、ジェゾの下で苦し紛れに身をくねらせた。  いつもの毛繕いとは少し違う。  ほんの少しの違いだが、一斉は些細な変化を敏感に察してしまう。知らんぷりをしたくてもわかってしまう。  すると胸が騒ぎ、全身が震える。  一斉が最も恐ろしく感じること。──恋しい相手の機嫌が、悪いこと。 「なぁ……っなぁジェゾ、俺なんか……しちまった、かよ……」  消え入るように恐れて鳴く。  しかし自分より二回り以上大きな白い獣に襲われ力で征服されているというのに、拒まない。喘ぎ、耐える。  そんな一斉の危うい姿に、ジェゾはパチンと一斉のベルトを指先で弾いて外しながら、ため息のように目を細めた。 「誰にでも(・・・・)そうなのか」 「……っぁ……?」  怒っているのだと思っていた。  けれど予想外の言葉を返されて、ジェゾの青い瞳を見上げる。 「剥き出しだな、イッサイ。お主の胸を隠す布はもうなにもない。だが(おれ)はお主のここに爪を沿わせ、熱を持った薄皮一枚ずつを割り開いてやりたくなる。一枚、一枚、丁寧に」 「ジェゾ……ぅ、あ」 「さすれば生々しく脈動する心の臓の僅かな機微すら、手に取るようにわかるのだろう。ただ血に塗れた己のその手を、お主が恐れるようになるというだけで」 「悪ぃ、ぉ…っれ……俺は……」 「その繰り返しよ。わかるか?」 「わっ……わか、ねっ……」  下着の中に手を入れてまさぐり、取り出したモノをユル、と扱く手。  クチュ、チュ、と湿った音が鳴る。 「フッ、だろうな。……己はお主を泣かせたい。お主を見ておると無性に食欲が湧く。そして時折、それを解らせたくなる。たかが衝動でも、知らぬフリはお主の専売特許ではないということだ」 「ぅ……ぅ……っ」  そうしながらザラついた舌が心臓の上をヌル、と舐め上げるもので、一斉は確実な快感と得体の知れない問答に犯され、思考をグルグルと掻き乱された。  ジェゾが怖いわけない。  触れられて悦ばないわけもない。  拒むつもりも毛頭ない。  ただジェゾの心境が、感情が、願望が、つもりが、読めない。  対処法がわからなくてもそれだけはよくわかって生きてきたはずなのに、自分を組み敷くジェゾの顔色はわからない。  隠すことに慣れきって、隠したものの消し方まで熟知して、それが上手すぎて、若い一斉は太刀打ちできない。 「そう怯えるな……もう喰らわんよ。よいことだけだ。今宵も、なにも変わらぬ」  だが──それでも。 「んじゃ、ぁ……教えて、くれよ……」 「な、に……?」  ふ、とため息のように仄かに笑って両腕を押さえつけていた強靭な前足をそっと引くような、白い獣の見えない心を〝そういうものか〟と諦められるほど、一斉は聞き分けのいい子猫ではなかった。

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