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第4話

「いいか、余計なことは言うな」 「わかっていますよ」  几帳(きちょう)の隙間から見える顔はとても美しく、正式な女房装束でなくともどこぞの姫君と言っても申し分ないように見える。しかしその中身は――蔽衣山(おおえやま)に棲むあの鬼だった。  あの日、我を忘れるように鬼と交わった俺は、目が覚めるのと同時に愕然とした。  あれほど必死に己を保とうとしていたのに、鬼が変化(へんげ)した途端に惑わされ、最後には自らの意思で鬼の中を何度も突き上げていた。そのたびに吐き出した子種がぐぷぐぷと泡立つようにあふれ出し、その様子がさらに気持ちを昂らせたのをかすかに覚えている。そうして何度も交わり、気がつけば昇り始めた朝日に屋敷のあちこちが照らされていた。  そう、俺は一晩以上もの時間を鬼との交わりに耽っていたのだ。そんな俺に、鬼は気だるい色気を漂わせながら「あまりの子種の量に孕みそうですね」と言ってのけた。  その言葉にギョッとした。しかしよく考えれば相手は男、まさかそんなことはないだろうと一度は思い直した。それでも人とは違う鬼である以上、たとえ男であってもそのようなことが起きないとも言い切れない。  複雑な気持ちになっていた俺に「汗を流してきます」と言った鬼が素っ裸のまま立ち上がった。あまりにも美しい裸体に思わず目を逸らしそうになったが、くるりと背中を向けて歩き出した内股をツツツと白濁したものが流れ落ちるのが見えてハッとした。それほどの量を注ぎ込んだのかと思うと、瞬く間に頭にカッと血が上る。  俺は覚悟を決め、身を清めさっぱりした鬼に向かって「責任を取る」と申し出た。すると今度は鬼が驚く番で、黒目を見開いてじぃと俺を見る。それからすぐに「ふふっ」と笑い、そんな必要はないと口にした。  結局、その場で何度も責任を取る、その必要はないというやり取りをすることになった。途中からは鬼のほうが呆れ顔になり、最終的には俺が言い勝って都に鬼を連れて帰ることになった。 「責任を取るだなんて、鬼を相手によくそんなことを思いましたね」 「うるさい。こういったことは、きちんとすべきだと俺は思っている」 「わたしは鬼ですよ?」 「……鬼だろうが、もし子ができていたなら、それは俺の子だろう」  都へ帰る旅の間、何度もくり返してきたやり取りは都に着いてからも続いている。そのたびに鬼は呆れたような笑みを浮かべるが、同時に妙に熱の籠もった眼差しを向けられるようにもなった。 「鬼とはいえ、わたしは男です。子ができるなんて本当に思っているのですか?」 「俺は鬼のそういうことに詳しくない。本当かどうかはわからないが、もし本当だったら……やはり責任を取るべきだ」 「あなたは真面目なのですねぇ」  鬼の言葉にぐぅと口を結ぶ。  真面目で面白味がなく、武士(もののふ)の真似事ばかりしている三の姫宮様の末若君――俺は長らくそう呼ばれてきた。鍛錬にのめり込むばかりで、帝や貴族が開く歌の席に行くこともせず笛や書をたしなむこともしない。二十を過ぎたいい歳の貴族なのに姫君たちの元へ通うこともなく、ただひたすらに太刀の腕を磨く姿に眉をひそめる貴族が多いことも知っている。  関白を輩出してきた由緒正しき藤北家(ふじのほっけ)に生まれ、母は内親王だというのに、俺に縁談の話が来なくなったのもそういったことが理由なのだろう。母を同じくする二人の兄には何人もの奥方がいることを考えても、俺の評判がどうなのかわかるというものだ。 「貴き血筋の貴族だというのに、まるで僧のように真面目」 「仕方ないだろう。それが俺の性分なんだ」 「そういう真面目なところも好ましく思っていますよ。だって、責任を取るということは、この先ずっとわたしだけを抱いてくれるということでしょう?」 「……ッ」  思わず口ごもってしまった。この鬼は思った以上に淫らだ。こうして昼日中から、しかもここは兄上の屋敷だというのに平気でこんなことを口にする。 「わたしは鬼ですから、精も人の男以上に強いのです。それを慰めてもらうには、あなたの子種をすべていただかなくてはいけない。できればわたしだけを抱いてほしいのですけれど」 「おまえ、は……! そのようなふしだらなことを口にするなと、何度も言ってるだろう!」 「ふふっ、これくらいで顔を真っ赤にするなんて、本当にかわいい方」 「~~ッ」  これではまるで既知の友のような状態だ。いや、友ならこんな淫らな会話はしないだろうが、そう思ってしまうくらい鬼の態度は親しげだった。  これも一緒に旅をしたからだろうか。鬼につられるように俺も親しげになってきた自覚はある。こうした言い合いはいつものことで、話せば話すほど親しい間柄のような錯覚さえしてきた。 (いや、やはり鬼が淫らなせいだ)  宿に泊まるたびに鬼に求められ、それに応えてしまったからに違いない。何度も交われば、たとえ相手が鬼だったとしてもそれなりに情が湧くというもの。そのせいで親しく感じるようになってしまったのだ。 (いや、宿だけじゃない)  この鬼は油断すると人気のない道端でさえ俺を惑わしてきた。そのせいで数度、藪の中や朽ちた小屋の陰で交わってしまった。  あのとき感じた高揚感は太刀の稽古でも得たことはなく、例えようもないくらい……いや、俺は何を思い出しているんだ。 「ふふっ、兄上様への挨拶が終わったら、その逞しいものをわたしの中にくださいね」 「……ッ!」  旅の間のことを思い返し、うっかり逸物に力が入りかけていることに気づいたのだろう。鬼の手が几帳の下からぬぅと現れ、意味ありげに俺の太ももを撫で始めた。 「おまえは!」  思わず声を荒げたとき、部屋に人が近づいてくる気配がした。慌てて身を(ただ)し、まだ太ももを撫でている鬼の手を几帳の奥へと押し込む。鬼の手が向こうへ消えたと同時に長兄が部屋へと入って来た。 「久しぶりだな」 「ご無沙汰しています」 「母上にお変わりはないか?」 「はい、健やかに過ごされています」 「それならばよい」  兄上が座った上座には視線を向けず、頭を軽く下げたまま手前にある段差の辺りをじっと見る。 「それで、そちらが此度(こたび)の姫君か?」 「はい」  几帳に兄の目が向いているのを感じながら、余計なことは口にするまいと返事はひと言だけに(とど)めた。 「斎宮様にお仕えしていたと聞いたが」 「母君と共に幼い頃から仕えていたそうです」  これは俺が考えた鬼の身の上だ。  斎宮に仕えていたとなれば完全な平民ではなく、それでいて都を知らなくてもおかしくない。代々ともなれば斎宮に付き従った貴族の子孫であり、土着の民と紹介するよりも周囲からあれこれうるさく言われなくて済むだろう。予想したとおり、母上は疑うことなく鬼を受け入れた。 (まぁ、鬼の美しさに惑わされたというほうが正しいのだろうが)  鬼が言うには、異性同性関係なく惑わすことができるらしい。力が過ぎれば相手を興奮させ、肉欲に堕とすこともできるのだそうだ。  その力で、これまで鬼退治に来た猛者(もさ)たちを惑わし交わってきたと聞いた。「人の精を食らわねば生きていけませんから、わたしにとっては食事のようなものです」とは鬼の言葉で、命まで取ろうとは考えていないらしい。  それでも数多の死者が出ていると言われているのは、鬼に惑わされると体力精力ともに奪われ尽くされるからに違いない。なにせ鬼を前にすると精魂尽き果てるまで交わってしまうのだ。現に俺も惑わされ、毎日干からびるほど子種を……、いや、俺はまた何を考えているのだ。 「おまえがそれでよいと言うなら、わたしに言うことは何もない。なにより独り身のおまえに奥方ができたのは喜ばしいことだ。あとで祝いの品を届けさせよう」 「……ありがとうございます」 「それに鬼の腕の礼もある」 「帝の勅命なれば、当然のことです」  兄上を騙していることに多少の罪悪感はあるものの、鬼のおかげで兄上が関白の地位を取り戻せたのだから兄上も許してくれるだろう。 「弟は貴族らしくなく、こうして太刀などを振り回すような男だ。それでもよいと言ってもらえるのは、ありがたいことだと思っている」  兄上の声が几帳へと向いた。 「こちらこそ、迎え入れていただきましてありがたく存じます」  鬼がそつなく答える。女の声にしては低いのに、姫君が話しているのだと言われると不思議なことに違和感がない。これなら兄上も不審に思わないだろうと安心するが、こういうところも鬼のなせる技かと思うと恐ろしくもあった。 「名はなんという」  兄上の言葉に、珍しいこともあるものだと思った。兄上たちは不出来な俺に関心がなく、これまで付き合いのある貴族や武士(もののふ)にもまったく興味を示さなかった。  さすがに奥方となれば違うのかとわずかに視線を上げると、いつになく強い眼差しの兄上の姿が見え、わずかに違和感を覚えた。 (いや、兄上の様子を気にしている場合じゃない)  俺は鬼の名を知らない。出会ってから都に戻るまでの間、俺は鬼のことを「おまえ」と呼んでいたし、鬼も名乗ることがなかったからそのままにしていた。というより、会話のほとんどが淫らなことばかりでうっかりしていたのだ。 「ええと、名は……」 「金色に咲く花と書きまして、金花(きんか)と申します」  俺の言葉に被せるように鬼が答えた。「そうか、金花というのか」と初めて知る名を頭の中でくり返したところで、さらに珍しく兄上が話を続ける。 「金花殿というのか。涼やかなれど甘い声は、たしかに金の花の名にふさわしい」 「もったいないお言葉でございます」 「声だけでその美しさ、さぞや麗しい(かんばせ)をされているのだろうな。几帳からのぞく着物も上質なものとお見受けする。色合いも模様も、都の姫君に劣らぬほど(あで)やかだ」  兄上の言葉にギョッとした。いまの言葉は、まるで姫君の元へ通う公達のようではないか。すらすらと流暢に出てくるのが、また兄上らしい。 「都は初めてと聞いた。弟は雅なことに疎い。何か見たいものがあればわたしが案内して差し上げよう。そうだ、近々華裳祭(かものまつり)が行われる。せっかくだ、御所車を出すゆえ……」 「兄上、そろそろよろしいでしょうか」  兄上の言葉を遮ったのは生まれて初めてのことだったが、そうせずにはいられなかった。俺の強い言葉尻に驚いたのか、兄上がわずかに目を見開いている。 「旅の疲れを癒す間もなく、こうして挨拶に伺っています。そろそろ……、妻を休ませたいと思います」 「あ、あぁ、そうだな。ご苦労だった」 「はい。ではまた、お伺いします」  まだ少し驚いている様子の兄上を残し、几帳の向こう側の鬼を連れて足早に屋敷を後にした。

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