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第17話
「くッ!」
「どうした? その手にある業物 は飾りか?」
「だ、まれぇ……ッ!」
ぶんと振り下ろした鴉丸 は鬼の爪に弾かれ、地面を滑るように両足が後ろに流れる。それでも踏ん張らねばと、右足にぐぐぅと力を入れた。
絶対に手を出すなと俺が強く言ったからか、金花は俺の後ろでただじっと鬼との攻防を見ている。いや、おそらくそうしているのだろうと予想しているだけで、金花の様子を目の端で気にする余裕すらない。
赤い目の鬼の気配につられて出てきた小鬼たちの相手は、少し離れたところで師匠が一手に引き受けている。
(それだけでも、ありがたい!)
師匠がいるからか、以前はほんの少しも動かなかった体が思ったよりも動いた。震えていた右手には力が入り、次々と鴉丸 を操ることができる。
「こ、これは! 若君!」
追加の高灯台の油を持って来たらしい武士 の声が聞こえた。
「来るな! それよりも陰陽寮に知らせろ!」
「は、はい!」
男に視線を向けることなく、鋭く命令を出す。陰陽寮に鬼が現れたことが伝われば、きっと何かしらの策を講じてくれることだろう。
わずかに安堵しつつも、目に見えない速さで迫ってくる鬼の爪に右に左にと刃を振った。
(いつまでもつか……!)
正直、受け流すだけで精一杯だった。二度の対峙で大して動けなかったことを考えれば上出来かもしれないが、それではこの鬼を退けることはできない。できればいまここで確実に退け、二度と都に現れないようにしたいところだ。
「チィ……ッ!」
聞いたことのない師匠の声に、ハッと振り返った。そこには十匹以上の鬼を相手に髭切を振るう師匠の姿があった。よくよく見れば左腕の着物が破けて垂れ下がっている。もしや傷を負ったのではと思わず目を見張った。
「師匠!」
「かまうな! おまえは目の前の鬼に集中しろ!」
「しかし!」
「俺を信じろ!」
たしかに鬼退治では右に出る者がいない師匠だが、それでも一度に十匹以上も相手にするなど無謀すぎる。しかし俺も赤い目の鬼で手一杯、師匠を手助けする余裕はまったくなかった。
ぎりりと奥歯を噛み締め、目の前の鬼をぐっと睨みつける。
「退魔の太刀が二振りあろうとも、数には勝てまい。なに、我に殺されたとしても恥じることはないぞ? 強き鬼に立ち向かい散るのだ、人の世では誉れとなるだろう」
「黙れぇッ!」
刀身を横に流しながら、ザッと地面を踏み締めて鬼との間合いを詰めた。そのまま鬼の胴体目掛けて横に弧を描き、すぐさま斜めに斬り上げ、さらに飛び退きながら襲い来る鋭い爪を受け流す。怯むことなく、なおも懐目掛けて右足で地面を蹴り鴉丸 をズンと突き入れた。
「ほう、なかなかやるではないか」
「ちぃッ!」
「しかし、その程度では我に傷一つつけることはできぬぞ?」
「黙れ!」
「人とはおもしろくも愚かだな。おまえを興味深くは思うが、愚かという点では他と変わりない」
「黙れぇッ!」
体の感覚などとっくになくなっている。鬼を前に気が高ぶりすぎているせいか、体のあちこちがドクドクと鳴りうるさいくらいだ。手足は火に当てたように熱く、同時に冬の水に浸しているかのように冷たくなるような奇妙な感覚が続いていた。
それでも体が動く限り、俺は鬼を退けることを諦めたりはしない。そうして都を、御所を、金花を守りたいと思った。
「あのときの鬼か! 皆のもの、すぐに準備を!」
(この声は光榮 殿。ということは、陰陽寮が間に合ったか)
バタバタと暗闇に足音が響く。怒鳴る声、何かを動かす音、あちこちで飛び交う人々の声が次々と聞こえだした。
陰陽寮が何か仕掛けるに違いないと予想し、鬼と間合いを取る。大勢が駆けつけたこの状況でもニィと張りついた笑みを崩さない鬼に、背中がぞくりと震えた。直後、光榮 殿の号令が響いた。飛び交っていた声が一つになり、ゴウンと空に響くような大きな音が轟く。
ゴウン、ドン、ドウン!
目の前に大きな火柱が噴き出した。そこは先ほどまで赤い目の鬼がいた場所で、高灯台の火をいくつ集めても敵わないような大きな火が燃え盛っている。
「そうか、火か」
古来より聖や山伏たちは魔を調伏するのに火を使ったと言われている。それを鬼にも当てはめたのだろう。
ゴウゴウと燃え盛る炎に、集まった陰陽寮も武士 たちも一様に安堵した顔を向けていた。俺自身もこれでようやく退けられる、そう思った。そうして握り締めた鴉丸 を下ろしたとき、目の前の火柱がゆらりと揺れたような気がした。煌々と燃える橙の火の中で、それより赤い影がゆらゆらと揺れている。
「なんだ?」
鬼が苦しみ悶えている姿だろうか。それにしては声一つ聞こえず、やけに静かだ。聞こえる声は鬼を退治したのだと喜ぶ人の歓声ばかりで、鬼の声は一切聞こえない。
(何かがおかしい)
師匠なら何か勘づいているかもしれないと振り返ると、師匠も火柱をじっと見つめていた。あれだけいた小鬼はすべて消えたようで、安堵しつつも「師匠」と声をかけたときだった。
「馬鹿野郎! 前を見ろ!」
師匠の鋭い声にハッと前方を見た。すると火柱の中から赤く鋭いものがヒュンと音を立てて俺のほうへと飛んでくる。
(鬼の爪だ)
あれだけ目で追えなかった鋭い爪が、どうしてかゆっくりと伸びてくるように感じた。あまりに鋭く長いからか、それは爪というよりも鋭く伸ばされた刃の切っ先にも見える。
(あぁ、俺は死ぬのだな)
なぜかそう思った。避けなければと頭ではわかっているのに、体がまったく動かない。これが死に際というものなのか、そう思った。そうして頭に浮かんだのは金花のことだった。
(この先もずっと金花と共にありたかった)
たとえ命の長さが違おうとも、俺が老いて死ぬまで共にありたいと思った。鬼である金花にはわずかの時間だろうが、俺にはそれで十分だ。本音を言えば金花と同じだけ生き共に老いたいと思わなくもないが、そんな贅沢は人の身には余る。
ただ心から好いた者と共にありたい。……そうだ、俺は金花の側にずっといたいのだ。金花が乞い願うように、俺もそうありたいといつの間にか思っていた。
「金花」
最後に吐息のように漏れた声は金花に届いただろうか。鬼の爪から逃れることを諦め、そっと閉じようとした目の端にひらりと着物の端が舞った。
「……きん、か」
目の前には艶やかな黒髪が見える。俺には似合わない色の着物は金花の美しさを引き立てていて、やはり公達のようだなと思った。
その美しい着物の左肩のあたりから、人の体にはありえないものが突き出ていた。鋭く赤いそれは、それよりも真っ赤なものを滴らせながら鋭く光っている。
「無事、ですか?」
「金花!」
金花の声にハッと我に返り、大声で名を呼んだ。
「どうして……!」
「邪魔は、しなかったでしょう? けれど、あなたが傷つくのを、黙って見ていることはできません」
わずかに振り返った顔には赤々とした火の灯りが当たり、より一層美しさを引き立てている。しかし次の瞬間、黒い柳眉はわずかに歪められ紅い唇が短くハッと息を吐くのがわかった。
「あなたが無事なら、よいのです」
肩から不自然に飛び出ていたそれが、すぅと消えた。すると、まるでそれが支えだったかのように金花の体がぐらりと傾き、黒髪がふわりと宙を舞った。
「金花!」
咄嗟に伸ばした手に嫌な湿り気を感じた。よろけた金花の体を支えつつ見た俺の手のひらは、真っ赤に染まっていた。
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